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第3145号 2016年6月24日 新聞掲載

無意識の超自我としての憲法九条 「憲法の無意識」(岩波書店)刊行を機に 柄谷行人氏ロングインタビュー

思想家の柄谷行人氏が、「憲法九条」に関わる問題をテーマにした『憲法の無意識』(岩波書店)を上梓した。昨年の戦後七〇年を経て、本年、日本国憲法も公布七〇年を迎える。幾度も「憲法改定」の議論が巻き起こる中で、なぜ戦後憲法は今日まで存続してきたのか。憲法九条を「真に実行する」ために、日本人は何をするべきなのか。憲法一条と九条のあいだにある「相関・相補関係」とはどのようなものか。果たして、迫りつつある「世界戦争」を、人類は避けることができるのか。柄谷氏にお話をうかがった。 (編集部)


「世界同時革命」

――最初に、本全体に関わるお話をおうかがいします。本書は四つの講演原稿にもとづいて再構成されています。「カントの平和論」が二〇〇六年、そして残る三本(「憲法の意識から無意識へ」「憲法の先行形態」「歴史的段階としての新自由主義」)が、昨年、一昨年に行われた講演です。まったく別の場所で、それぞれ異なったテーマで話された四本の原稿が、こうやって一冊にまとまり、通読してみると、書かれるべくして書かれた「書き下ろし」の単著のように感じられます。柄谷さんご自身、あとがきで次のように記されています。「予期した以上に、まとまったかたちに収まった」。本をまだ手にしていない読者のために、ダイジェスト的に、この本の概略を説明しておきます。Ⅰ章では、憲法九条をフロイトの「超自我」の概念から捉え直し、それが「無意識」の次元に根差しているものであることを解き明かします。つづく第Ⅱ章では、憲法九条の成立過程にあった問題点を踏まえ、さらに「先行形態」がどこにあるか、「徳川体制」にまで遡っていく。第Ⅲ章では、憲法九条の元にある理念をカントの平和論に見ていきます。そして最終章では、今の時代がどのような歴史的段階にあるのか、交換様式の観点から定義し、今後の展望についても語られています。
柄谷
今言われたように、この本は、四章とも講演が元になっています。主題も時期も、まったく別のもので、それが一冊の本としてまとまるとは、思ってもいなかった。もちろん同一の人間が書いているのだから、どのみち繋がっていることなんでしょうけど。

――「憲法九条について考えるようになったのは、湾岸戦争が始まった一九九一年頃」のことであると、本書で述べられています。また一方、『情況』九七年五月号のインタビューでは、柄谷さんは次のように語っています。「憲法の問題に関しては……フロイトとカントのことを考えていたとき、それが突然結びついた」と。
柄谷
元々九〇年代に入って、カントを読み返そうと思い始めたとき、それは憲法九条を考え直そうという観点からではなかったと思います。カントそのものを読み直す必要があったのです。当時、一般的にマルクス主義者もポスト構造主義者も、カントを小馬鹿にしていました。それはだいたい、ヘーゲルによるカント批判を受け継ぐものです。ヘーゲルを批判したマルクスやキルケゴールも、事実上カントに戻って考えていたのに、カントを軽視していた。それが今も続いています。

また、九〇年代初めには、一方に、歴史の理念は終った、物語にすぎないという批判があり、他方で、ヘーゲルに倣って「歴史の終焉」を主張する議論があった。私がカントについて考えたのは、それからです。カントによれば、そもそも理念は仮象(幻想)です。ただ、仮象には理性によって仮象として斥けられるものと、そうでないもの(超越論的仮象)がある。それは理性自体が必要とするような仮象です。その一つは、同一の自己という考えです。たとえ仮象であっても、これがないと、統合失調症になります。歴史の理念もそのような仮象の一つです。理念は幻想だと言っても、そんなことはカントが最初から言っていることなのです。だから、理念は終ったという一方で、すぐに自由民主主義の実現において歴史は終ったというような、ヘーゲル主義的な理念が復活することになる。

そのころ、湾岸戦争と自衛隊派遣の問題がありました。だから、カントについて考えることと憲法九条について考えることとが、自然と繋がっていったのです。憲法九条がカントの平和論から来たことは常識です。しかし、カントを読んで私が気づいたのは、カントの諸国家連邦の構想が、平和論ではなくて、革命論から来ているということでした。カントによれば、人々が平和と呼んでいるのは、国家間の休戦状態にすぎない。永遠平和は、そうでないような平和、つまり、国家間の敵対状態、というより、それをもたらす国家そのものが揚棄されている状態です。

そのことはフランス革命のあとに書かれた『永遠平和のために』を見るだけではわからない。どうしても狭義の平和論になってしまいます。しかし、カントは一見して同じようなことを、フランス革命より一〇年前に、『世界市民的見地における普遍史の理念』で書いています。そこで彼は諸国家連邦を唱えていますが、その意味が違うのです。カントはルソー的な市民革命を支持するが、それは一国だけでは挫折せざるをえない、したがって、諸国家連邦を形成する必要があるというのです。つまり、それは本来、平和論ではなく、世界同時革命論であった。

カントが懸念したとおり、フランス革命は一国だけで起こり、周囲からの干渉を受け、内部的にも変質していった。最後は、ナポレオンの征服戦争となった。それから一世紀後に起こったロシア革命でも同様です。一方、マルクスは、社会主義革命は世界同時革命でなければ成り立たないと考えていました。したがって、パリ・コンミューンの蜂起にも反対した。それも、カントと同じ理由からです。しかし、マルクス主義者は世界同時革命について本気で考えたことはありません。確かに、旧左翼も新左翼も「世界同時革命」を唱えていました。今もそう言っているかもしれない。マルチチュードの世界的反乱とか。しかし、それはたんにかけ声のようなもので、具体的にその可能性を検討したことなど一度もありません。

今言ったロシア革命は第一次大戦の末期に起こった。それから数年後に、国際連盟ができた。前者はマルクス、後者はカントに負うと考えられています。そして、ロシア革命の世界史的意義を見いだす者は、国際連盟などに見向きもしないでしょう。しかし、それらのどちらが重要かと言えば、どちらも劣らず重要なのです。というより、この二つが結びついた時にのみ、どちらもうまく行く。世界同時革命になる。別々に起これば、事実そうであったように、両方とも無力になります。あるいは、当初の意図に反したものになってしまうほかない。

それが、私が九〇年代のはじめ頃からカントを読み直して抱いた考えです。だからたんに平和論の面から、カントの『永遠平和のために』を読んだことは一度もありません。日本の憲法九条に関しても同じです。憲法九条は一国だけにとどまるものではない。もしそれを実行すれば(現在この条文が実行されていないことは明らかですから)、たとえば、実行することを国連総会で表明すれば、それは全世界に影響します。それは、第二次大戦の戦勝国が牛耳ってきた国連を、カント的な「諸国家連邦」に変える方向に向かわせる。つまり、一国だけでも、憲法九条を実行することによって、「世界同時革命」が可能なのです。
――関連した質問になりますが、九一年一月十七日に湾岸戦争が始まり、柄谷さんは即座に反対の活動を組織されます。そしてこの年の十一月に、「自主的憲法について」と題された講演を行なう(『<戦前>の思考』所収)。ここで既に、今回の本のひとつの核心に繋がるテーマが論じられています。憲法をめぐる議論において常に語られる「強制的か自主的か」という論点について、そこを区別すること自体に疑問を呈しています。
柄谷
そうですね。九〇年代のはじめにあった改憲の議論では、保守勢力側は、戦後憲法はアメリカによって強制されたものであって、自分たちが自主的に選んだものではないから改憲すべきだと言っていました。しかし自主的に憲法を作ったらどうなるか。明治憲法と似たようものになったでしょう。たとえドイツのようにやったとしても、九条のようにはけっしてならない。ドイツの憲法では戦争放棄はないし、徴兵制もあった。たぶん意識的・合理的に反省するとそうなるのでしょう。しかし、日本でそのような憲法があったら、どうなっていたか。先ず占領軍の下で朝鮮戦争に加担し、さらに、ベトナム戦争に加担することになったでしょう。

つまり、日本が過去の誤りを反省して自発的に憲法を作ったのであるなら、そうなっていたでしょう。しかし、憲法九条は過去の反省から作られたのではなく、先ず占領軍によって作られ押しつけられた。だからこそあのような過激な条文が成立し得たのです。そして、この憲法が課されたあとに、日本人はそれを占領軍の意向に反して“自主的”に受け入れた。以上のような順序であって、その逆ではありません。なぜそうなのか、これは謎のはずですが、昔も今も、そのことを誰も考えようとしない。九条を変えるにせよ守るにせよ、なぜいかにして、このような条文が成立したのかを考えていない。私がそのことを考えたのが、一九九一年湾岸戦争のときです。

強制的か自主的かということは、一般に、簡単に区別できない問題です。自らの意志で作ったと考えられているものも、実は強制されている。明治憲法がそうですね。国際関係の下で、強制された不平等条約を廃棄するためには、日本も一人前の憲法をもたなければならないということで作っただけです。この本の後書きで引用しましたが、私は九一年に、「自主的憲法について」講演したことがあります。その際、内村鑑三の例を取り上げました。札幌農学校に入学した内村が、上級生たちからキリスト教への入信を強要されたとき、一人だけ最後まで拒否し抵抗した。ついに入信したのですが、数年にどうなったか。彼にキリスト教を説いた者、さらに自主的に入信した者らはまもなくそれを捨て、それに最後まで抵抗した内村がその後に、キリスト教徒として徹底的に生きた。それはなぜなのか。「自主的」ということは、人が思うほど単純ではないのです。しかし、実は、私はこの時期に考えたことには満足できなかった。内村の話と憲法九条がどう繋がるのかということに関しても不満でした。今度の本では、そうした疑問にも答えることができたと思います。
「徳川」の高次元の回帰

――先ほどの話とも関わりますが、二五年前の「憲法論」に新たに付け加わったものとして、カントとフロイトの概念があります。これが本書の根幹を貫いています。

柄谷
憲法九条の問題にカントとフロイトがどう繋がっているのか。それについては、二〇〇三年に書いた「死とナショナリズム カントとフロイト」(『定本 柄谷行人集4 ネーションと美学』所収)という論文で書いています。そこでは、日本の憲法九条についても少し触れています。だから今回初めて書いたということではなく、ある意味で『憲法の無意識』は、以前からやってきたメインの仕事に繋がっていると思います。新しいアイデアとして書いたのは、主に第Ⅱ章で論じたことですね。なぜ戦後七〇年経った今も、日本人は憲法九条を変えることなく持ちつづけているのかを、歴史的に考えてみたわけです。

――戦後憲法を考えるうえで、明治憲法ではなく、江戸の徳川体制にまで遡るべきだと、斬新かつ説得的な論を展開されています。
柄谷
明治以降、日本人は相当無理をして来たのだと、私は思います。日清・日露から日中戦争、そして第二次大戦へと、常に戦争をして来ました。しかし考えてみれば、日本人は、それよりほんの三代か四代前までは、まったく違っていたのです。南北朝時代から戦国時代まで長らくつづいた戦争状態を、徳川が終わらせた。以後二五〇年以上、基本的に日本人は戦争をしていない。ほとんどが農民だったし、武士は刀を差していたけれど、象徴として持っているだけでだった。武器として使うことなんてあり得ない。もし使ったら大変なことになります。刀が使用されたと言えるのは、幕末の時ぐらいです。それも土佐や長州、薩摩といったごく一部の藩の下級武士に、ほぼ限られていた。そんな平和な時代が終わり、外国と戦争する時代が始まった。日本人にとっては、明治から第二次大戦終戦までの七十数年間は、異例の時期だったと思います。一九四五年八月の敗戦で、つくづくこんなことはもう嫌だと感じたと思う。戦後憲法によって、戦争が放棄された。人々はそれを意識的に望んだのではない。強制されて憲法九条を得たあと、元々あったものに気づいたのです。

別の観点からいうと、徳川時代にも、成文法ではないけれども、国制(constitution)はありました。それを特徴づけるものが二つある。一つは、戦争の放棄です。軍事的開発拡張を全面的に禁止した。これは憲法九条に対応します。もう一つは、天皇を丁重に祀り上げるとともに、政治の場から取り除いたことです。これによって、王政復古が唱えられた建武中興に始まる戦国の混乱を片づけた。徳川の国制では天皇は見えない。実際、その存在さえ知らない人が多かったと思います。しかし、それによって徳川体制は機能していた。それは象徴天皇制、つまり、憲法一条に対応します。その意味で、戦後憲法には、徳川の国制が回帰したと言えます。もちろん、戦後は徳川とはまるで違います。しかし、ある意味で、「徳川」が高次元で回帰したと言える。そのことを日本人は意識せずにおこなったのです。

――同じく主に第Ⅱ章で論じられていることですが、憲法一条と九条の相関性・相補性について、この考え方は、いつ頃から柄谷さんの中に生まれてきたものなのでしょうか。
柄谷
近年に、現天皇・皇后の言動を注目して見るようになってからです。彼らは明らかに憲法九条を支援していますが、それはたまたまではない。憲法九条と一条の関係には、実は根深いものがあるわけです。そもそも、マッカーサーは天皇制を残すことが第一で、憲法九条はそれを、連合軍諸国や米国世論に対して説得するための手段であった。それがある時期から逆転した。それは、昭和天皇が亡くなって、現天皇が即位した時点からです。

第一条では、天皇は象徴天皇として規定されています。戦前・戦中の天皇がたんなる立憲君主ではなかったことは明らかですが、戦後の天皇もとうてい象徴天皇とは言えません。日本の安全保障に関して、また沖縄問題に関して、昭和天皇は「象徴」を超えるさまざまな政治的関与をしています。これに関しては、豊下楢彦の本(『昭和天皇・マッカーサー会見』)が参考になります。昭和天皇は、戦前に、明治憲法にもとづく立憲君主概念に反していただけでなく、戦後憲法においても、第一条の規定に反していたのです。だから、戦前の戦争責任だけでなく、戦後責任も問われる可能性があります。

一条と九条の関係に転機が訪れたのは、まず八九年に昭和天皇が亡くなったあとからです。それまでは、戦争に関して天皇に対する内外からの批判がありました。平成天皇は昭和天皇の遺した問題の後始末をしなければならなかった。さもないと、皇室あるいは憲法一条が危ういことになる。皇室を護り、また昭和天皇をも擁護するためには、どうすればよいか。それはマッカーサーが天皇制を守るためにそうしたのと同様に、憲法九条を掲げることです。
憲法9条を真に実行する

柄谷
平成天皇は即位に際して、こういうことを言いました。「日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い……」と。この部分は、宮内庁の作った文章に天皇自らが加筆したものだと言われています。最初に聞いたときには、ちょっと変な感じがしたんですね。日本国憲法を遵守するとは、どういうことなのか。一条で自己規定されている「国民の象徴」としての立場を守るということなのか。彼が言おうとしたのは、人民主権を守るということです。一条で表わされているのは人民主権という考えであり、天皇はそのような人民の象徴です。象徴天皇であることを遵守するとは、実は、昭和天皇が戦後にもやってきたようなことを自分はやらない、ということです。そして、人民主権を守るということは、第九条を守ることです。そのような姿勢を、現天皇は即位に際して表明した。そして、彼はその後、それを実行していると思います。それは、皇室が存在し続けるためにこそ、しなければならないことなのです。その意味で、九条と一条は切り離せない。

私は第Ⅱ章で、美智子皇后が憲法の歴史的研究をしている話にも触れました。明治憲法とは別個に、あの頃民間で作られた憲法草案がたくさんあって、そうした憲法のひとつである『五日市憲法草案』に言及した彼女の言葉を、引用しました。皇后は明治憲法のようなものではなく、自由民権運動から出てきた憲法草案を高く評価している。そこから、現在の天皇・皇后にとって、明治憲法などは否定されるべきものだということがわかります。

――Ⅰ章の話に戻りますが、憲法を政治論や法律論の観点から考えるのではなく、「文化」として捉える。ここも新しい見方だと思うのですが、いかがでしょうか。
柄谷
そこはフロイトの「超自我」の概念から考えていったんですが、以前に「死とナショナリズム」で論じたことでもあります。元々超自我というのは、個人の心理として見ていては、あまり意味がありません。フロイトが言う超自我とは、ある集団が持つ文化として現われるということです。その点に関して、この本で新しく付け加えたことがあります。集団の無意識をどのようにして知るか。私はそれを、無作為抽出(ランダム・サンプリング)による世論調査によって可能であると考えました。そうすると、憲法九条は日本人の無意識の超自我としてあることが、かなり正確にわかるはずだと思います。ただ、それを行なうには、条件があります。人手も金もかかる。今されているような世論調査はお手軽なものです。それはむしろ、「世論操作」のためのものですから。

――世論調査に関して、「憲法を改正する必要はない」と考える人の割合が、この一年で上昇しているとの結果も出ています(NHK・朝日新聞・共同通信調査)。また安倍政権になってから「護憲」の人たちが増えたとも言われています。市民の危機意識の現われと考えてもいいのでしょうか。
柄谷
そこは昔も今も、基本的に変わっていないと、私は思います。「文化」というものは、簡単に変わりません。自民党も安倍首相も、彼らの内密の調査を通して、そのことを知っているはずです。だから、改憲といいながら、選挙になれば、決して口にしないのです。ただ、彼らはなぜ、そうなのかを考えない。そして、次は変わる、いつか変わる、と思っている。だから、改憲を唱えてみる。が、それを争点に選挙をすることはしない。安倍の場合、以前に改憲を唱えて選挙で大敗して退陣したことがあるしね。

参議院選挙が近づいているから、最近は改憲を話題にしなくなりましたね。話題に上るのは、消費税のことと、アベノミクスが良かったか悪かったかという話ばかりです。しかし、そんなことを争点にして選挙を行ない、議席の三分の二を取ったところで、どうなるか。それだけでは改憲できない。そのあと、国民投票があるのだから。その場合、争点があり、且つ投票率が上がるから、「無意識」が確実に反映されます。そこで改憲派は、確実に負ける。そして、これに負けたら、ただではすまない。内閣も吹っ飛ぶ。だから、やれないし、やるわけがないのです。

だから、彼らは改憲をあきらめて、事実上、戦争ができる体制を作ろうとするでしょう。安保法案のようなものを作る。しかし、九条があるかぎり、それは実行できない。戦争のような事態になれば、たちまち各地で訴訟が起こるでしょう。自衛隊員もやめてしまう。だから、本当は、恐れる必要はありません。護憲派の人たちはびびっていないで、逆に攻撃的に行くべきです。つまり、憲法九条を真に実行するという方向を目指すべきです。
「愛=純粋贈与」の力


――第Ⅲ章についておうかがいします。カントの平和論から憲法九条を考えていく。ひとつの大きな論点は「理性の狡知」か「自然の狡知」かということです。つまりヘーゲル的に考えるのか、カント的に考えるのか。通常ヘーゲルの現実的捉え方(リアリズム)が、カントより優位に立つと考える見方が強かった。しかし、そこを柄谷さんは転倒させています。また「自然」という言葉が少し厄介で、「自然=神」という対応関係について、紀伊國屋サザンシアターにおける大澤真幸さんとの対談でも議論の的になっていました。
柄谷
ヘーゲルは、キリスト教では「神の摂理」と呼ばれていたものを、「理性の狡知」と呼んだわけです。たとえば、ナポレオンはフランス革命をヨーロッパ全土に伝えたと言われるけれども、そうではない。彼は個人的な野心でヨーロッパを征服する戦争をしたのであって、結果的に、それに対する抵抗を通して各地に国民国家が実現された。そのことをヘーゲルは「理性の狡知」と呼んだのです。しかし、カントはすでに、似たような問題を先に考えていました。たとえば、永遠平和は、人間の理性や善意によって実現されるのではない。人間の自然にある非社会的な攻撃性が、戦争を通して、結果的に、永遠平和をもたらすのだ、と言うのです。それは、ヘーゲルが「理性の狡知」と言ったものに対して、「自然の狡知」と呼ばれるようになった。しかし、この二つはまるで違います。

ヘーゲルの「理性の狡知」は、神の摂理を言い換えたように見えますが、その場合、人間的理性が神に優越しているのです。だから、ヘーゲルは、世界史は近代ヨーロッパにおける市民革命によって終った、と考えた。しかし、それは終り(目的)を勝手に先取りすることです。それは終末論とは逆です。終末論とは、人間ではなく神が終末をもたらすのであり、また、今ある体制が最後のものではない、ということを意味します。その意味で、カントのほうが終末論的です。また、カントは人間の理性ではなく、人間の自然(本性)をもってきた。その点で、フロイトの見方とつながります。

カントやフロイトの見方は唯物論的ですが、かえって、神の摂理という観点に近いものがあるのです。私はこの本で、憲法九条をいわば「自然の狡知」として説明したし、それで謎が解けたと思いますが、最後に不思議な気がするのです。どうしてこんなことがありえたのか。こんなことは「有り難い」と思うのです。つまり、ありえないようなことがあった、ゆえにまた、それはありがたいことであった、という感じがする。

私はそのことを本には書かなかった。下手に書くと、日本は「神国」であるというような戦前の議論に似てしまうからです。大東亜共栄圏論や世界最終戦争論にしても、日本には特別な使命があると考えた。それらは虚偽です。しかし、憲法九条が日本に生まれたことについては、神の摂理、神のはからいがあったという気がします。確かに「こんなことは日本にしか起こり得なかった」という気がするのです。どこにでも起こるようなことだと思ってはいけない。それは「有り難い」ことなんです。

――日本人は憲法九条を護ってきたのではない、憲法九条によって護られてきたのだ、と書いておられます。それが「有り難い」ということですね。
柄谷
以前、私の『〈戦前〉の思考』という本が韓国で出たとき、本のタイトルを変えてもいいか、と聞かれたことがあります。韓国にとって、戦前、戦後、という言葉が意味をなさないから、というのです。第二次大戦後でも、朝鮮戦争があり、さらに、ベトナム戦争にも参加しています。今も、韓国には徴兵制がある。昨年ソウルで、学生に、こんな質問をされたことがあります。「軍隊に行きたくないが、どうしたらいいでしょうか」と。日本に住む韓国人の学生からも、こう言われたことがある。「韓国には帰りません。徴兵忌避で捕まってしまうから」。韓国の若者にはそんな決断がいるんです。どんな大学に行っても、海外に留学しても、人気俳優になっていたとしても、いつ軍隊に行くかを考えなければいけない。そういう文化なんです。軍隊に行かないなら、亡命するほかない。そんな悩みは、日本人にはありませんね。憲法九条があるからです。しかし、それを当たり前だと思ってはいけない。やはり「有り難い」ことだというほかないでしょう。

――第Ⅲ章の後半では、マルクスとカント、フロイトを合わせて論じられていて、ここはもちろん『世界史の構造』からの御著書を踏まえられての展開だと思います。お話をうかがっていても感じることですが、柄谷さんの近年のお仕事の中には、やはり「カント・マルクス・フロイト」の思想が通奏低音のように流れているのではないでしょうか。
柄谷
そうですね。それはずっと前からそうだから。ただ、それらをつなぐ視点は、近年において変わってきたと思います。それは、交換様式の観点から見るということです。それは『世界史の構造』などで書いたことですが。ただ、あまり理解されていないと思います。その一つが、力の問題です。力にはいろいろあります。暴力、権力、呪力、神の力、などです。私の考えでは、それらの違いは交換様式の違いによるものです。たとえば、呪力は、互酬交換から来ます。贈与された物に霊が付着する。だから、お返しをしなければならない。また、呪術とは、神に贈与することによって神を動かすことです。

つぎに、権力は、それとは別の種類の交換にもとづく力です。権力は、暴力を必要とするけれども、それとは異なる。権力はたんに暴力的な強制ではなく、服従する者が自発的にそうするときに成立するのです。いいかえれば、支配することと服従することが交換となりうるときに成立する。その意味で、権力は交換様式Bから生じる。同様に、金の力は、交換様式Cから生じます。マルクスは『資本論』の冒頭でそれを明らかにしました。このように、力は、交換様式の違いによってさまざまに異なるのです。

最後に、それらとは違った力がある。「愛=純粋贈与」の力です。たとえば、イエスは、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」といった。それまで、「目には目を」という戒律がありました。これは復讐を説くものではなく、むしろ「倍返し」の復讐を抑えるものです。いいかえれば、互酬交換Aの原理ではなく、等価交換Cの原理です。ところが、イエスはそれをも否定した。彼が説いたのは、愛=純粋贈与です。これは、AでもCでもいない、交換様式Dです。一見すると、これは無力です。無力の極致です。しかし、実は、これは強いのです。同様に、憲法九条(戦争の放棄)は、無力に見えます。が、強い力があります。これは戦争の権利を放棄ないし喪失することではなく、それを国際社会に贈与することです。それにつけ込んで何かしようという国はありえない。どんな軍事力もこの力には勝てません。憲法九条は夢想だと言い、リアルポリティクスを唱えているような人たちは、空想しているだけです。力についてリアルに考えたことがないのです。
世界戦争を避ける道

 ――第Ⅲ章では、『永遠平和のために』をさらに遡って、『世界市民的見地における普遍史の理念』の方に重きを置いて論じられています。『永遠平和』の十年ほど前に書かれた論文です。柄谷さんはこの『普遍史』について、次のように指摘しています。「(ここで)カントが考えたのは、平和の問題というより、むしろ市民革命をいかに成功させるかという問題です」。その問いへの答えが、憲法九条にも関わることであり、まさに今世界が直面している問題にも関わる、この本のひとつの結論になるかと思います。カントの問いは、現代ある喫緊のテーマに繋がってくるものだと感じられました。
柄谷
それは最初に話したことですね。カントの考えはたんなる平和論ではなく、革命論である。ルソー的市民革命は、経済的平等をふくむものです。つまり、社会主義的です。フランス革命でも、その段階に進むと、他国からの干渉が強まった。ロシア革命でも、一〇月革命以後にそうなった。だから、市民革命が成功するためには、世界同時的でなければならないというのがカントです。そこで諸国家連邦を提唱したのです。だから、それは世界同時革命論なのです。いずれにせよ、今それを言っても、誰も本気にしないでしょう。しかし、今後に世界戦争が起こったら、違います。第一次大戦後に国際連盟が、第二次大戦後に国連ができたように、新たな国際組織ができるはずです。それはカントが「世界共和国」と呼んだものにもっと近づく。

――つづく第Ⅳ章は、『世界史の構造』で打ち立てた交換様式の理論を踏まえながら、現在がいかなる歴史的段階にあり、そこから将来の展望を見通していくパートとなります。「悲観的/楽観的」ふたつの道筋が示されています。大澤さんとの対談では、やや悲観的な展望を語られていました。今日のお話では、逆に少し楽観的な予測も語られていたように思います。
柄谷
世界戦争が迫っていることは明らかですが、日本人は何とか戦争を避けることができると思います。そのためには九条が絶対に必要です。たとえば、日本政府は今の国連の常任理事国になろうとしてきた。それは旧戦勝国の仲間に入りたいということでしょう。しかし、そんなことをしてもしょうがない。実は、日本が常任理事国になることは簡単です。九条を文字通り実行することを国連で表明すればよい。そして、憲法九条を掲げるような国が常任理事国になると、そのことが国連の抜本的な改革に繋がります。つぎに、それが各国の市民革命を促す。それが私の言う世界同時革命です。

――何点か補足して、本全体を俯瞰した形でおうかがいします。『憲法の無意識』は、「柄谷行人」という書き手の様々な側面が、一冊の本の中に現われているような感じを受けました。思想家・哲学者・歴史家・批評家。それぞれの側面を区別して考えるべきではないと思いますが、そのような印象があります。
柄谷
憲法九条の問題を扱ったために、今言われたようなことになったのでしょう。憲法九条そのものに、そのような多様な面が含まれているからだと、私は思います。

――最後に一点。今まさに新しい価値観が求められている時代で、たとえばアメリカ大統領選の混迷ぶりを見ていても、そのことが感じられます。共和党も民主党も、現在の状況に即した、そして来たるべき未来に向けた価値観を掲げられないまま、「トランプ現象」だけが一人歩きをしている。「憲法九条」は七〇年前に作られた「原理」です。遡ればカントの理念に行きつきます。しかし決して古びていない。憲法九条こそ、新しい価値観になるのではないか。柄谷さんの以前使われた言葉を借りれば、ここにこそ「希望の原理」があると、本書を通じて感じることができました。
柄谷
 資本主義は、資本の蓄積(自己増殖)ができなくなると、終わります。別にそれで、人間の社会生活が終わるわけではない。しかし、それは資本にとって致命的です。だから、資本はその終りに近づくと、死にものぐるいであがくでしょう。それが世界的環境破壊、そして、世界戦争に帰結する。個々人はその中で左右され翻弄されます。そのような趨勢に抵抗するのは難しい。どうすればよいか。さしあたって、今でも実行可能なことが二つある。一つは、国際的な非戦運動です。日本の場合、憲法九条を掲げればよい。もう一つは、協同組合と地域通貨にもとづく非資本主義的な経済圏を創り出すことです。私はそれを二〇〇一年NAMの運動以来、提唱してきました。
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