古谷経衡(著述家)
私と片渕須直監督の出会いは2009年の暮れであった。「出会い」といっても劇的なものではない。当時、まだ商業誌に一本の原稿も書いたことのなかった無名のライター志望の26歳の青年に過ぎなかった私は、同年11月に公開された片淵監督の『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年11月公開)を観てファンになり、すわ草の根的に結成された「片淵監督ファンクラブ」的なるものに参加していたのであった(とはいっても会則や会費があるわけではない)。
片渕監督は寡作の人で、『マイマイ新子と千年の魔法』は一部の熱心な片渕ファンの間で熱狂的な支持を持って迎えられた。計算されつくした脚本、緻密で丁寧な演出、そしてすべてを「円環」とでもいうべき「縁」の中に包み込むどこまでも優しい片渕監督の作風に魅了された。
『マイマイ新子と千年の魔法』は都下で小規模に上映されたが、もっとも熱かったのが主力館の「阿佐ヶ谷ラピュタ」(杉並区)で、ここは当時としても珍しく事前予約システムを導入していなかったので、窓口で券を求めるしかないのだった。私はえっちら千葉県松戸市からくだんの映画館に向かったのだが、上映数時間前でいつも満席・売り切れの連続。3度目のチャレンジでようやく見ることができた。
しかしこの異常な「一部ファン」の熱狂ぶりをよそに、遺憾ながら『マイマイ新子と千年の魔法』は、数々の映画賞を受賞しながらも、興行的に振るわなかった。だからこそ私たち片渕ファンクラブの面々は、どうにかしてこの傑作を世に知らしめようと、主にSNSや口コミを駆使して『マイマイ新子と千年の魔法』がいかに素晴らしい作品であるかを吹聴して回った。或る人は手製のフライヤー(公認)を喫茶店や居酒屋において回り、或る人は職場の同僚を自腹で誘って映画館に連れ出したりした。だが、駄目だった。