電流爆破デスマッチ米国開催を追悼試合に!チャボがいなければ今の俺はいない…大仁田厚追悼手記

2017年2月13日8時0分  スポーツ報知
  • チャボ・ゲレロ(左)とリングで再会した大仁田厚(右)。トロフィーで小競り合いも

 昭和のプロレスを彩った名レスラー、チャボ・ゲレロさんが肝臓がんのため死去した。68歳だった。息子でプロレスラーのチャボ・ゲレロ・ジュニア(46)が12日、インスタグラムで「今年の1月初旬に肝臓がんと診断されていました。彼は今は天国にいます」と明かした。

 ジュニア王座をめぐって日米で抗争を繰り広げた元参院議員で現役プロレスラーの大仁田厚(59)がスポーツ報知に追悼手記を寄せ、8月に予定する米国での有刺鉄線電流爆破デスマッチを追悼試合にする意向を示した。

 ◆追悼文

 いろんなレスラーの訃報に接してきたが、チャボの死だけはどうしても受け入れたくない。レスラーはみんな傷だらけだし、内臓もボロボロなのは俺が一番よく知っている。チャボは酒が底なしに強くて、テキーラから何からよく飲んでいたから。でも、昨年の両国大会で会った時は、お互いに強がって「元気だ。悪い所は何もない」とレスラーらしく言い合ってたんですから。

 はっきり言います。チャボがいなければ、今の俺はいません。米国で小さい体で大きい選手と戦ったばかりか、ケンカを売っていた。ヘビー級しかなかった米国のプロレスで、パワーで劣る分、ラフ&テクニックでトップレスラーになった。ジャーマンスープレックスにロメロスペシャル。お客さんをうならせる大技の名手だった。

 決して体に恵まれなかった俺にとっては、目指すべき姿だった。米国でジュニアヘビー級が盛り上がり始めた頃、それをテリー・ファンクが察してくれて、俺とチャボのタイトルマッチを組んでくれたんだ(1982年)。後楽園ホールでの王座決定戦(同年)では、勝った俺への腹いせで、トロフィーでめった打ちにされた。思わぬ大流血(左腕を32針縫合)にのたうちまわって狂乱する俺の姿が、後のFMWのデスマッチ路線のヒントになったことは言うまでもない。

 最初の引退(85年)は、左ひざの粉砕骨折だったが、そのきっかけはチャボの弟・へクターで、ゲレロ一家に俺の人生は変えられた。昨年8月の俺の最後の団体、ファイヤープロレスの旗揚げにチャボは来てくれた。秋のさよなら大仁田厚(還暦記念興行)にも来てもらう予定だったが、かなわなくなった。8月に米国で電流爆破(ノーロープ有刺鉄線電流爆破)デスマッチを企画しているが、それを追悼試合にしたい。24日の新木場大会(超戦闘プロレスFMW)で追悼の10カウントゴングを鳴らしたいと思う。

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