祖父が他界した。享年84歳。男性の平均寿命が80.79歳(2015年の統計)を考えると、まぁ長生きだろう。
毎日米や野菜を作りながら、夏や冬の長期休暇、米の収穫期には手伝いにきた遠方に住む子や孫に会う。
普段体験しない農業に目を輝かせる孫と過ごす。そこそこ幸せを感じていたのではないかと思う。
ある秋。米の手伝いも終わり暇な私はひとりで田んぼ道を散歩していた。
自然豊かな田園風景は心地よく、気づけば長い時間が経っていたようだ。
軽トラックを降りた祖父と、たわいもない話をしたことを覚えている。
やがて夕方になり、祖父の運転する軽トラックに乗って祖父母の家に帰った。
祖父の住む場所は海にほど近く、家こそは無事だったものの田んぼは海水で水浸しとなった。
海水に浸ってしまった田は米が作れない。1年は田んぼの整備に労力を費やした。
翌年、米を作り始めた。
原発事故の起きた南相馬にやや近く、「福島県」の祖父の米。打撃を受けないはずがなかった。
福島県の米の値段は急落した。国の支援は、個々の農家単位に届くようなものではなかった。
数年間は米を作り続けていたが、老いと米の相場の低さに、これ以上農家を続けていくのは困難としかいいようのない状況となっていた。
はじめはただ記憶力が低下しただけだと、家族や子、孫は感じた。
同時期に、足腰が弱くなり自力での歩行が困難になった。歩行器がなくては歩けなくなった。夏だった。
やがて冬、寝たきりとなった。
寝たきりとなった祖父は、震災のことは覚えていないようだった。
孫のことは忘れてしまったものの、食欲だけは立派にある祖父が、あと1ヶ月もたたないうちに他界するとは思っていなかった。
思っていなかったが、あっというまに逝ってしまった。聞けば、前日までごはんを食べていたらしい。
数年経った今でもなお、世間の「福島 農家」への風当たりは強い。Google検索のキーワードが教えてくれる。
別に福島の農産物を積極的に買ってほしいというわけではない。消費は消費者の自由だ。
私は時折祖父を思い出す。もう何十年も使っているであろうにきれいに手入れされた鎌を持ちながら、黄金に光る田んぼ道で微笑む祖父。
祖父が他界した。享年84歳。男性の平均寿命が80.79歳(2015年の統計)を考えると、まぁ長生きだろう。 こういうの見るとすごくもやっとする。 なぜ2015年生まれの平均寿命と比べるんだ...
おまえは(2015年の統計)を「2015年生まれの平均寿命」と思ってんのか?
何をドヤ顔してるのか知らんが一般に平均寿命と呼ばれるのは「0歳時平均余命」で 2015年に発表されるのはまさに「2015年生まれの平均寿命」の期待値なんだが・・・