大きめのザックに3週間分の生活用品を詰め込んで、東京の竹芝桟橋から船に乗り込み出航する。狭い東京湾を抜け出すと360度どちらを向いても海になる。幸いなことに天気も良く、甲板に出るとそこには太陽と海と風が溢れていた。
これは最高に気持ちいいな。という感じで出航してすぐはかなりテンションが上がったのだけど、ざっと船の中を一通り見回って海を眺めるのも一段落すると、わりとすぐに飽きてきた。海の上は景色もいいし気持ちいいのだけど、いくら進んでもひたすら海しか見えなくて単調なのだ。やっぱり25時間もフェリーに乗るのは長いな。フェリーは4時間くらいがちょうどいいかもしれない。というわけでフェリーに興奮していたのは最初の1時間くらいで、その後はだらだらと二等船室(一番安い雑魚寝の部屋)で寝転んで本を読んだりしていた。
やがて夜になって、船の中で眠って起きてしばらくすると小笠原諸島の父島に着いていた。船から港に降り立ち、割り当てられた部屋に徒歩で向かう。部屋は普通のワンルームマンションみたいな感じだった。ここでこれから22日間を過ごすのだ。
結局僕は小笠原諸島に滞在中、大したことは何もしなかった。小笠原諸島に旅行で来る人というのは大体、海が綺麗なのでダイビングをするか、もしくは父島の隣りにある自然が豊かな母島という島に渡って山や海を歩き回るエコツアーに参加したりするのだけど、僕はどちらもしなかった。そういうのはお金がかかるし面倒臭いし、そもそもそういうことをしに来たわけじゃない。僕はひたすら「何もしない」をしたくて小笠原まで来たのだ。
大体毎日適当な時間に起きて、持って行ったパソコンでインターネットを見て、外をぶらぶら散歩して、スーパーで食べ物を買って料理を作って食べて、海を見たり本を読んだりして、夜になったら寝る、といった普段と変わらない生活をひたすら送った。こういう機会でもないと読まなさそうな三島由紀夫の『豊穣の海』という全4巻の長い小説を読んだらすごく面白かったのを覚えている。
島については、僕が離島というものに特殊な幻想を抱きすぎていたのだろうけど、「予想よりも普通に生活できるな」「予想よりも普通に日本だな」という印象だった。普通にネットも繋がるしテレビも映る。スーパーに行けば米や肉や野菜が買える。自動販売機には普段見慣れたペットボトルのお茶や缶コーヒーが並んでいる。町に並ぶ民家も本土にあるのとそんなに変わらない普通の家だ。神社も交番も学校も普通にあるし、道路は良く整備されていて見慣れた信号や交通標識が立ち並んでいる。ときどきアロエや椰子みたいな亜熱帯ぽい植物が生えていたり、野生化したヤギ(駆除対象)がたくさんいるのとかは珍しかったけど、そういう目新しいものより見慣れたもののほうが多かった。
まあそもそも異文化を見たいのなら外国にでも行くべきだし、こんな本土から1000キロ離れた離島でも普通に日本的な生活ができるインフラが整えられているというのは感心するべきところだろう。これが国家というものの力か、と思った。
そんな風に小笠原諸島で僕は単に普通の生活をしていたのだけど、そうすると「生活ってそれ自体は島でもそうでなくてもあまり変わらないんじゃないか」ということを思うようになった。思えば普段生活しているときでも、仕事でもなければそんなに隣の町とか隣の市とかに行かないものだ。どうせ自分の町から離れないのなら、町の外が海で囲まれてても囲まれてなくてもあまり関係ない。
問題になる点としては、島の生活はちょっと週末にどこかに遊びに行きたいときなどに行く場所がなかったりするだろうし、買い物は今はネットで何でも買えるけれど、離島だと送料が高くなるというのが結構不便そうだと思った。
ただ、自分のように一時的な旅行者として滞在する分には、その不便さや外界との隔絶感はわりと居心地の良いものだった。いつもと同じネットやテレビを見ていても、本土で起こるニュースやイベントは自分にはあまり関係ない遠くのものとして聞こえてきた。生活の内容は普段と変わってなかったけれど、家から1000キロも離れて海で隔てられているという物理的環境のおかげで、自分のいつも暮らしている世界を客観的な醒めた視点から見直すことができる感じがしたのだ。自分が旅というものに求めているものは、普段と違う環境に身を置くことによって自分の普段の暮らしを相対化して見てみたいということなので、それで十分だった。
この文章を書くにあたって久しぶりに小笠原で撮った写真を見返してみたのだけど、その中に海に沈む夕陽の写真があった。このとき、「この夕陽はものすごく綺麗で今すごく感動していて、この気持ちをずっと忘れずに生きていきたいけれど、でも多分そのうち忘れるんだろうな」と考えたことを覚えている。実際に今写真を見ても、夕陽なんてものは写真では実物の一万分の一くらいしか良さが伝わらないものだから、当時の感動をほとんど思い出すことができない。でもそれはそういうものなのでしかたがない。
小笠原では大して特別なことを何もしなかったせいもあって、あまり記憶が残っていない。でも、それは一概に悪いことでもないのだと思う。覚えてなかったとしても毎日海辺の砂浜で海を見ながら冬の亜熱帯の暖かな日射しを浴びてぼんやりと過ごした時間は絶対に良いものだったはずだし、特に何も問題がなくて心が静かで穏やかな時間を過ごせたからこそ取り立てて記憶に残っていないのだろうと思うからだ。
旅の経験をできるだけ後に残そうとして、記念写真を山ほど撮ったり印象に残るような観光ツアーを詰め込んだりするのはあまり好きじゃない。忘れないものや物質として後に残るものしか意味がないという考えはつまらないし、そういう考えを突き詰めると、人間はどうせ死んで全ては無くなるから何をしても無駄、というところに行き着くんじゃないかと思ったりする。
これからもたくさん面白いことをしてたくさん忘れながら、「あんまり細かいことは覚えてないけどなんかいろいろいい感じだった気がする」くらいの気分でずっと生きて行けたらいいなと思う。
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