2017-02-13
■サピエンス全史やっぱり面白い 
ようやく合本の上巻部分を読了。
ホモ・サピエンスの出現から、宗教の出現、特に多神教から一神教に収束しつつ、全知全能の唯一神と、神に対抗し得る絶対悪という矛盾した存在の出現とそれを受け入れてしまうホモ・サピエンスたちの下りが圧巻。
聖バルトロマイの大虐殺と呼ばれるこの襲撃で、二四時間足らずの間に五〇〇〇〜一万のプロテスタントが殺害された。フランスからこの知らせを受け取ったローマの教皇は、喜びのあまり、お祝いの礼拝を執り行ない、画家のジョルジョ・ヴァザーリに命じて、ヴァチカン宮殿の一室を大虐殺のフレスコ画で飾らせた(この部屋は、現在、観光客は立ち入り禁止になっている(2))。その二四時間に同胞キリスト教徒に殺されたキリスト教徒の数は、多神教のローマ帝国がその全存続期間に殺したキリスト教徒の数を上回った。
― from "サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福"
一神教にとって他の宗教は邪教なので、他の神を認める多神教に比べて憎悪が盛り上がりやすいのか。
キリスト教vsイスラム教みたいな単純な図式ではないなこれはと考えさせられる。
歴史書でありながら現代の問題がなぜ生まれているかということにまで思いを巡らせる。
いえ、一神教と非常によく似て、仏教のような近代以前の自然法則の宗教は、神々の崇拝を完全に捨て去ることはついになかった。仏教は、経済的繁栄や政治的権力のような途中の地点ではなく、苦しみからの完全な解放という究極の目的地を目指すように人々を促した。だが、仏教徒の九九パーセントは涅槃の境地に達しなかったし、いつか来世でそこに達しようと望んでも、現世の生活のほとんどを平凡な目標の達成に捧げた。そこで彼らは、インドではヒンドゥー教の神々、チベットではボン教の神々、日本では神道の神々というふうに、多様な神を崇拝し続けた。
― from "サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福"
前々からヒンズー教と仏教がどうして関係しているのか謎だったが、ヒンズー教に由来する七福神がなんだかうまい具合に日本人の生活に溶け込んでいるのが不思議だったんだけど、結局一神教とか、仏教とか、とにかくなにか宇宙そのものの壮大な原理が「ある」と仮定したとしても、人々は生活の中で機能の限定された神(たとえば台所の神様とか、トイレの神様とか)を一方で同時に崇拝するのだという。
キリスト教は一神教のようでありながらさまざまな聖人を神に準ずる存在として崇め奉るので、事実上の多神教であるという見解もなるほどと唸った。
もうひとつ面白いと思ったのは、上巻のラストを飾る「現代の宗教」ことイデオロギーである。
確かに、イデオロギーは宗教的であるし、現代人は人権があり平等であるという自由主義を当たり前のように受け入れているけれども、そもそも人が平等だとかんがえられるようになった時代は極めて最近の話で、キリスト教国であっても、平等というのは成人男性のことだけを意味したり、白人だけを意味したりする時間が短くなかった。
また、平等という言葉は、機会平等と結果平等があり、機会平等のイデオロギーが資本主義であり、結果平等のイデオロギーが社会主義/共産主義ということなのだろう。実際的にはどちらのイデオロギーを採用したとしても平等という言葉のイメージとは程遠く、どちらの世界にも貧困があり、富めるものがおり、支配する者とされる者に別れる。
それでも貨幣の出現によって人類は初めて世界共通の幻想として、グローバル社会、いわば地球帝国の出現をイメージできるようになっている、いや、むしろ今の状態はすでに名前のない地球規模の帝国が出現しているに近しい。
誰も積極的に戦争することを望んでおらず、地球というひとつの大きな枠組みの中で、多様な民族集団が居て、しかし地球という大きな帝国に属していることを自覚している。
地球を一つの帝国と見做すには、貨幣も言葉も違うじゃないかという指摘があるかもしれないが、事実上、英語で全世界の考え方やコンセンサスを得ることが可能であり、国家単独の利益よりも人類全体の公益を考えて科学者たちは国際学会を開き、人類全体の知識の底上げを図っている。
これは東西冷戦時代にはあり得ない話であり、東西に別れたふたつの巨大帝国がそれぞれ独自の研究をして独自の科学や文化を発展させてきた長い時代がある。
ひとつの帝国のなかに複数の公用語や貨幣が用いられるのはむしろ普通であり、日本のように中央銀行がひとつ、公用語がひとつという国ばかりではない。たとえばスイス連邦の公用語はスイスドイツ語、フランス語、イタリア語
、ロマンシュ語の4つである。
EUは西ヨーロッパ全体をひとつの帝国と見做すことができると思うが、EUの中でも英国はユーロではなく独自の貨幣ポンド(GBP)を採用している。
この、名前のない帝国・・・仮に地球帝国と呼ぶとすれば、この帝国に所属するということは誰かに一方的に支配されたり感化されたりすることを意味しない。国交がある国同士で、知識や文化の交流が起こり、中国から日本に渡ったラーメンを日本人は独自に進化させてとんこつラーメンを作り、日本からアメリカに渡った寿司は、カリフォルニア・ロールを始めとする独創的な料理へと変化した。
日本も中国もアメリカナイズされ、洋装が当たり前になり、袴と着物ではなくスラックスとスカートで生活するようになった。生魚を食べなかった欧米人は日本人の影響で生魚を食べるようになった。四足動物を食べる習慣が乏しかった日本人も、ステーキを食べるようになった。
地球帝国において民族的アイデンティティは意識して守らなければ忘れてしまうあやふやなものであり、まさしくアイデンティティそのものが人間の空想、幻想に基いている。
この帝国に明確な支配者はいないが、各国が領土的野心を持たない状態を前提があれば、立派にひとつの巨大な帝国として機能する。もちろん小さな小競り合いも大きな争いもあるが、国交を断絶してまで領土的野心を満たそうとする大国はこの瞬間には存在していない。
地球をひとつの帝国として考え、そのなかで我が国の国益と、人類としての公益の両方を意識することがこれからのリーダーには求められるようになる、本書を読んでそういう考えに必然的にたどり着いた。
イデオロギーと宗教に明確な区別が付けられないという話も非常に面白かった。
その中でも仏教は宗教というよりはむしろイデオロギーに似ている、というのも面白い。
話があちこちいくので読んでいるとときどき疲れてきて休憩が必要になる本であるが、読み進める意欲がどんどん湧いてくる本でもある。
下巻が楽しみだなあ
- 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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