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発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

自分がADHDだと知って見えてきたもの

ADHD 発達障害

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子どもの頃からよく「変わってるね」と言われてきました。

「天然だね」とも。

一般的にADHDの女性は、女性らしい細やかさや気配りが苦手だとされています。

私にもその特性はよく当てはまり、女らしさは皆無です。

謙遜などではなく、なんというか「野生動物みたいだね」と評されるほどなので、そもそも人間らしい細やかさに欠けるのかもしれません。

 

兎に角細かいことが苦手で、事務作業やお裁縫、炊事洗濯すべてにおいておおざっぱです。

だから事務作業をするとよくミスをします。

息子の保育園へ持って行くべき書類、息子の予防接種の用紙、どれだけ注意深く記入したつもりでも、いつもいつも記入漏れがあり泣きたくなります。

お裁縫も苦手で息子の保育園用品(コップを入れる袋、パジャマを入れる袋、布団を入れる袋)は全て既製品。

お料理はレシピを見て作るという作業がどうしてもできず、塩分は全体量の3%が適量という基準に基づいて作っています。

料理は割と好きです。

洗濯は、私がするとなぜか衣類が紛失しるので、夫が担っています。

 

また、男性とお食事に行っても気の利いたことは言えませんし、お料理を取り分けたり、お酒を注いだりなんて一度もしたことがありません。

 

いい奥さん、いい彼女とはいいがたいですよね。

もちろんですが、男性からはモテません。

それに、女友達も少ないです。

 

10代、20代の頃はこの女らしくない自分がコンプレックスでした。

運動の苦手なので華奢な体形、美容院へいくのが面倒なので伸ばしている長い髪、服のコーディネートが面倒で着るワンピース、平べったい地味な顔。

困ったことに外見はおとなしそうな女の子だったので、よく「思っていたのと違う」と言ってフラれました。

女らしさがない自分、女らしさを求める周囲への不信感、嫌悪感が募っていきました。

 

発達障害の人は、自分のことを客観的に把握することが苦手です。

私も自分のことが過去も現在もよく分かっていません。

ただ20代でヨーロッパで暮らす機会を得たこと、元夫に家事や料理の取り分けを「君はそんな下女のような真似はしなくていい」と再三言われたことで、今となっては女らしさなんてくそくらえだと思っています。

それでも、それがいいのかなんてわかりません。

1人で生きていくならくそくらえで構わないのでしょうが、私の特性によって夫や息子に迷惑がかかるのはとても申し訳ないですから。

 

例えば、私にはママ友が一人もいません。

児童館や公園で息子と同年代の子どもをもつお母さんと楽しくお話して、連絡先を交換しても、その後なんだか面倒になって連絡が疎遠になって自然消滅してしまいます。

どうしてもラインがまめに返せない。

ネイルや髪型の変化に気が付けない。

頂いたお菓子に対して気の利いたコメントができない。

息子を褒めてもらうと言葉通り受け取ってしまって、言葉の裏が読めない。

例えば「お話が上手なお子さんですね。元気でとてもかわいいですね」が「話し声がうるさい。走り回るな」なんてわからない。

わかろうと頑張るとものすごく疲れます。

児童館などで 声をかけて下さるお母さんたちは、総じて感じがよくしっかり者で、なんというか、the健常者で私は劣等感でアワアワしてしまうのです。

 

私は私のだからこのままでいい。自己中、変わり者、大いに結構。

変わり者でも認められる才能が、能力が私にはあるのだから。

女らしさなんて必要ない。

気配りなんてできなくたって困らない。

そう思って自尊心を保ってきた高慢ちきな私ですが、母親という社会的な役割を担った今、息子のためにも少し謙虚に周りとのかかわりを大切にしたいと思っているところです。

無理して女らしくすることはしませんし、できませんが、私はこうなのだから!という思い込みを捨てて、周りと意図的に距離を取るのをそろそろやめたいなと。

 

この考えに至ったのには、おそらく自分がADHDだと診断されたことで、自分の特性を客観的にみられるようになったからだと思います。