新書1冊で東南アジアのASEAN10に東ティモールを加えて11カ国の近現代史をたどるという欲張りな構成を持った本ですが、「多様性の中の統一」というキーワードのもと、うまくまとめてあると思います。
 もちろん、個々の国に関しては、「もう少しここがほしい」といった部分もありますが、東南アジアという地域のポイントを上手く押さえた内容に仕上がっています。

 目次は以下の通り。
序章 東南アジアの土着国家
第一章 ヨーロッパの植民地化――16~19世紀
第二章 日本の東南アジア占領統治――1941~1945年
第三章 独立と混乱――1945~1964年
第四章 開発主義国家と民主化――1960年代後半~1990年代
第五章 経済開発と発展――1960年代後半~2000年代
第六章 地域機構ASEANの理想と現実
終章 東南アジアとは何か

 目次を見ればわかるように、この本は国ごとの歴史を見ていくのではなく、時代ごとの東南アジアにおけるトレンドを押さえた上で、各国ごとの特徴を見ていく内容になっています。

 東南アジアはインドと中国という影響力のある文明圏の狭間にある地域であり、そのためインドや中国の強い影響を受けました。
 宗教に関しては、インドからの影響が強く、儒教が入ったベトナム北部を除くと、ヒンドゥー教や仏教といったインド発祥の宗教の影響を強く受けました。
 著者は植民地化される前の東南アジアの土着国家に関して、「インド化」、領域が曖昧な「マンダラ型国家」、貿易港を中心として栄えた「港市国家」という特徴をあげています(42-45p)。

 16世紀にポルトガルがインド、そしてマラッカに進出して以来、この地域は欧米によって植民地化されていきました。
 植民地化は2つの段階で行われ、最初は香辛料を始めとする一次産品の貿易を独占するために貿易に必要な港が支配されました。そして、18世紀の産業革命以降は、一次産品の栽培のために土地とヒトの支配が目指されました(61-62p)。
 マレーシアではゴム、フィリピンではバナナやパイナップル、インドネシアではコーヒーの栽培が進められ、いわゆるモノカルチャー経済が成立することになります。

 そして、この植民地化によって東南アジアの社会も変容していきます。
 一次産品の栽培がさかんになりましたが、すべての人がそれに携わったわけではなく、「近代経済の下で単純労働者として生活する住民と、伝統経済の下で自給自足の農業などで生活する住民が併存する状態」(75p)になりました。
 また、中国とインドから数多くの出稼ぎ労働者がやってきたことにより、東南アジアのいくつかの地域は「単一民族型社会から多民族型社会に転換」(76p)しました。
 さらに、植民地化の過程のなかで領域が策定され、その結果として多民族形社会になった例もあります。ミャンマーの場合、平原部のビルマ人と山岳部の少数民族の間で棲み分けが行われていましたが、イギリスが一つの植民地として扱ったため、多民族型社会に転換したのです(79-79p)。

 こうした欧米の植民地支配を終わらせるきっかけとなったのが、第2次世界大戦における日本による占領と統治でした。
 著者は、この占領下における「シンガポールの華僑虐殺」、「フィリピンでの捕虜虐待」、「泰緬鉄道建設労働者の強制徴用」といった蛮行に触れつつ、「日本の占領統治は、東南アジアの人びとが独立を意識する苦い学習機会」(100p)になったとまとめています。

 第2次世界大戦後、東南アジアの国々は独立していくわけですが、インドネシア、ベトナム、フィリピン、ミャンマーといった戦後すぐに独立した国と、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、ブルネイといった比較的時間のかかった国に分かれました。
 この理由を著者は、「国民のあいだでどの政治社会集団が政権を担うのかが決まっていたかどうか」(105p)の違いだったといいます。
 日本の占領下の時代からインドネシアにはスカルノ、ベトナムにはホー・チ・ミンといった独立指導者がいたためにこれらの国は早期に独立しましたが、マレーシアでは王族の力が残っており、イギリスとの話し合いで独立が決まった後も王族(王族出身者)が政治に強い影響を持ちました。

 ただし、独立が達成されたとはいえ、東南アジアの歴史は血なまぐさいものでした。
 ベトナム戦争や、カンボジアにおけるポル・ポト派の虐殺がありましたし、インドネシアでは1965年の九・三〇事件をきっかけに華人に対する弾圧が行われ(華人の粛清はベトナムでも行われた)、またアチェの独立をめぐっても紛争が起きました。
 他にも1950年代後半から60年代前半にかけて、ボルネオ島をめぐってマレーシア、インドネシア、フィリピンのあいだで紛争が起こるなど、地域間の仲も必ずしも良くはなかったのです。

 このように不安定だった東南アジアの国々は、60年代後半から開発独裁というスタイルで社会を安定させるとともに経済を発展させます。シンガポールのリー・クアンユーやインドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスなどが代表例です。
 開発独裁において、「経済成長は単なる経済営為にとどまらないで、社会の安定を確保し、かつ古い社会を変革するトータルな国家営為とみなされ」(152ー153p)、国家の主導によって経済開発が行われました。

 この開発独裁のスタイルが東南アジアで同時期に広まった理由として、著者はインドネシアの九・三〇事件をあげています。東南アジアの大国であるインドネシアが中国と断交し、開発主義に舵を切ると、他国でも中国の支援を受けた共産主義勢力が衰退し、それが開発主義国家の形成につながりました(155ー156p)。
 また、シンガポールという成功例の存在も影響を与えています。実現はしませんでしたが、ベトナムは1993年にシンガポールの首相を退任したリー・クアンユーに経済開発顧問への就任を要請しています(162ー163p)。

 しかし、この開発独裁は経済成長にともなって都市に中間層を生まれてくるとその限界を迎えます。86年のフィリピンの「黄色い革命」、92年のタイの「血の民主化事件」などがその代表例です。また、ミャンマーのように外圧によって民主化へと動いた国もあります。
 ただし、現在のタイが軍政下にあるように東南アジアの民主化は「未完」の状態だとも言えます。

 東南アジアはこの開発主義の時代に工業化しました。多くの国が経済発展のために工業化を目指しましたが、東南アジアの成功の秘訣は輸入代替型ではなく輸出志向型を目指したからだといえます。国内に市場を持たないシンガポールなどが輸出志向型で成功したことから、他の国も輸入代替型から輸出志向型へと転換していったのです。
 こうした経済発展を担ったのが、海外とのネットワークを持つ華人企業でしたが、その華人企業と政治家との癒着は東南アジア経済の問題の一つです(205ー208p)。

 また、この本では東南アジアの出稼ぎ労働者についてもとり上げられています。
 東南アジアの出稼ぎ労働者というと、域内から域外へという動きばかりに目を奪われますが、実は域内での移動もさかんです。タイはミャンマー、カンボジア、ラオスなどから大量の未熟練労働者を受け入れており、その数は3国合計で287万人(2014年11月)にのぼります。マレーシアにもインドネシアからの労働者が94万人(2013年)います(210ー211p)。
 もちろん、域外への動きもあり、特にフィリピンは中東などにメイドや建設労働者を送り出すとともに、専門技能者をアメリカなどに流出させています(212ー213p)。

 最後はASEANについて。現在、世界的にみても「成功」の部類に入る地域統合ですが、1967年にインドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、シンガポールの5カ国で結成された時は、ベトナム戦争においてアメリカを後方支援する同盟といった性格が強く(225p)、経済協力は名ばかりのものでした。
 その後、90年代にベトナムやミャンマーなどが加盟してASEAN10になるとともに、93年には「ASEAN自由貿易地域」(AFTA)が始まり、2007年には「ASEAN憲章」が合意されました。この時期にASEANの統合は急速に深まっていったのです。
 EUなどに比べると、ASEANのつながりは緩やかですが、民族や宗教の異なる東南アジアにおいてこの緩やかさが「多様性」を象徴するものであり、同時に人為的につくられたASEANという組織こそが、東南アジアの「統一(協調)」のシンボルだと著者はまとめています。

 スハルト後のインドネシアやマハティール以後のマレーシア、ASEAN加盟国同士の関係など、他にも知りたいことはいろいろあるのですが、新書で「東南アジア近現代史」という形式を考えれば十分にポイントを押さえていますし、読み応えがあります。
 まさに、「入門」として機能する本だといえるでしょう。

入門 東南アジア近現代史 (講談社現代新書)
岩崎 育夫
4062884100