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Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

Milkのメモ帳

誰かを助けるときに覚悟しなくてはならないこと

日記 考え方

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こんにちは!Renaです。
私には助けたい人がたくさんいます。

なんとなく、みんなを救えるヒーローのような気がしていました。

ヒーローとまでは行かなくても、みんなが一緒に幸せになる方法はあるものだと考えていました。

でも、ある人が弱っているときに別な人も問題に直面していて、また別な人も…という場面に遭遇して、甘い考えだったのだと思いました。

どっちを助ける?

わかりやすくいうと、船が転覆して友人と恋人が溺れかけている時、どちらを救うか?ということです。

友人を助けている間は恋人は苦しむわけですし、恋人を先に助けると友人が死ぬリスクは高まります。

そんな感じで、同時に複数の人を救う、というかせめて寄り添うことも、私にはできないのだと痛感しました。

身体も心もひとつです。

友人のそばにいるときは友人の問題に注力しなくてはなりません。

恋人のことが気にかかった時点で、その友人の問題に真摯に向き合っていない気がして不誠実に感じられます。

きっとそんな態度は友人にも見破られている。

私は友人に時間と心身を捧げるしかありません。

逆もまたしかり。

自分の腕は二本しかない

腕は二本しかないのでひとりを抱きしめて温めるのにやっとなのです。

奢ってはいけない。

自分の力の限界を知っておかなければならない。

誰かに寄り添うとき、同時に誰かをひとりにしてしまうことを覚悟しなくてはならない。

その覚悟が出来ないなら、誰かを救おうなんて思ってはいけないとまで考えます。

自分自身の問題も

また、他人の問題だけでなく自分にも抱えている問題があります。

家庭のこと、恋愛のこと、仕事のこと、健康のこと。

何かしらみんな問題や悩みを抱えているはずです。

ですが、自分のことで手一杯の人も他人は救えません。

せめて、何か問題を背負っていても、ひとりで立てるくらいにはなっていないと。

両手をあけていないと誰かを抱きしめられないですし、他人の荷物も持ってあげられないのです。

だから、周囲の人を助けるためには自分の問題を解決しておく必要があります。

何かあったとして、自分の問題も解決出来ない人に他人の問題を解決出来るなんて説得力に欠けるのです。

さいごに

ということで、

  • 自分が救える人の数には限界があること

  • 救うと同時に救われない人も生み出してしまうこと

  • 自分の問題をある程度解決していなければならないこと

は覚悟しなくてはならないのでは、と思った次第です。

寂しいことばかりです。

ですが、他人を支えるときに必ずしもひとりでする必要はありません。

私と、もうひとりいれば、背負う荷物の負担を分けあえるかもしれません。

そうなればもしかしたら救える人は増えるかもしれません。

なんとなく、最近思ったことを書きました。