東京都市大学 工学部 原子力安全工学科 放射線計測研究室
研究室歴史
ここでは、原子力研究所の歴史を交えて研究室の生い立ちを紹介しています。ここに乗せているものは過去に残っていた資料を元にして紹介したものです。そのため、正確とはいえず、また説明が不十分です。
- 1956年(昭和31年)
五島慶太が原子力に将来を賭ける決心をする - 1957年(昭和32年)1月20日
東京急行電鉄株式会社社内に「原子力研究委員会」を設置 - 1958年(昭和33年)
東急原子力グループを結成
東急電鉄内に「原子力研究所建設本部」を結成 - 1959年(昭和34年)2月
「武蔵工業大学原子力グループ」を設置 - 1959年(昭和34年)5月25日
第19回理事会で「武蔵工業大学原子力研究所の開設」を決定 - 1959年(昭和34年)6月25日
原子炉設置許可申請 - 1959年(昭和34年)10月7日
原子炉設置許可が下りる - 1960年(昭和35年)4月1日
武蔵工業大学(現 東京都市大学)原子力研究所正式開所
- 1962年(昭和37年)4月1日
村田裕が武蔵工業大学原子力研究所に助手として入所 - 1962年(昭和37年)8月
原子力研究所に放射線計測部門の新設が認められる。
(現在の放射線計測研究室の祖先) - 1963年(昭和38年)1月30日
原子炉が臨界になる - 1964年(昭和39年)4月1日
村田裕が工学部電気工学科と兼務 - 1965年(昭和40年)4月1日
村田裕が講師に昇格
工学部電気工学科に転属(原子力研究所兼務)
電気工学科に放射線計測研究室が誕生 - 1970年(昭和45年)4月1日
村田裕が助教授に昇格 - 1973年(昭和48年)4月1日
村田裕が武蔵工業大学原子力研究所兼任
松本哲男(放射線計測研卒)武蔵工業大学原子力研究所に助手として入所 {現 松本哲男教授(原子力システム研究室)/第五代原子炉主任技術者/初の本学出身の所員} - 1974年(昭和49年)4月1日
堀内則量が原子力研究所に講師として転属
{現 堀内則量教授(放射線計測研究室)} - 1975年(昭和50年)4月1日
鈴木章吾(放射線計測研卒・修)原子力研究所に助手として入所 - 1977年(昭和52年)4月1日
村田裕が教授に昇格 - 1981年(昭和56年)4月1日
放射線計測研究室を計測制御研究室と改称 - 1985年(昭和60年)4月1日
高橋幸朗が計測制御研究室の助教授に着任(東北大学より) - 1989年(平成元年)4月1日
高橋幸朗が埼玉大学助教授に転職 - 1989年(平成元年)4月1日
高橋幸朗が埼玉大学助教授に転職
飯島伸一が高電圧研究室に転出
田口亮が計測制御研究室の助手に着任(慶應義塾大学より) - 1989年(平成元年)5月
NRG大阪コンファレンス(村田、堀内、高橋) - 1989年(平成元年)12月
原子炉タンクに“ピンホールによる水漏れ”発生 - 1990年(平成2年)1月
原子炉全面停止 - 1990年(平成2年)4月1日
持木幸一が計測制御研究室の助教授に着任(東京大学より) - 1992年(平成4年)4月1日
田口亮が講師に昇格 - 1992年(平成4年)5月
NRGサンフランシスコ・コンファレンス(村田、持木、田口) - 1995年(平成7年)11月
NRG湘南テクニカル・ミーティング(村田、持木) - 1996年(平成8年)6月
NRGサンフランシスコ・コンファレンス(村田、持木) - 2000年(平成12年)4月1日
計測制御研究室が工学部電気電子工学科から工学部電子情報工学科へ移転 - 2003年(平成15年)4月1日
電子情報工学科がコンピュータ・メディア工学科に学科名変更 - 2007年(平成19年)4月1日
計測制御研究室が工学部コンピュータ・メディア工学科から知識工学部情報科学科に移転 - 2008年(平成20年)4月1日
工学部原子力安全工学科に移転
計測制御研究室を放射線診断分析研究室に名称変更 - 2010年(平成22年)4月1日
放射線計測研究室に名称変更