つまり何を言いたいか。
通常の人事異動が処分に変わったのは、沖縄の新聞の意見を聞いた、あるいは忖度したからではないか。そうだとしたら、大変な事態だ。東京新聞は沖縄の新聞の意向に配慮して私を処分に追い込んだ形になってしまう。
ずばり言おう。東京新聞は経営上の理由で沖縄の新聞に寄り添い、私の言論の自由を侵害するのか。念のために言うが、これは私の推測である。
この点について、私は8日、深田主幹に電話で事情を聞いた。すると、主幹は「沖縄の新聞から了解を得たなどという話はまったくない」と完全否定した。私が「では、IWJの記事が間違っているのか」と問うと「間違ってるね。おれはそんな話はしていない」と語気を強めて明言した。
主幹の話が本当なら、IWJの報道が間違っている。逆にIWJが正しいなら、主幹は嘘をついている形になる。あるいは、何か別の間違いが生じたのか。私の推測は的外れかもしれない。そうであれば、私の人事の意味合いが急に変わった理由は何だったのか。
いずれにせよ、私にきちんと説明しないまま、主幹が私に不名誉な「処分」を世間に公表したのは事実である。主幹は電話の切り際にあらためて「今度の話は定例の人事異動だからね」と念を押すように告げた。また態度を変えるのか。数日前には「副主幹という立場が問題」と私に明言していたのだ。
こうなると、先に書いたように東京新聞に不名誉な推測であっても、私としては処分される理由を自分で考えて、読者に問うほかない。主幹があくまで「定例の人事異動」と言うなら、それで構わないが、それなら「対処する」という言葉の意味は何だったのか、私と読者に説明する必要がある。
念のために言えば、以上の経過はすべて主幹との音声対話記録に基づいている。
読者には「東京新聞は長谷川幸洋を処分しました」というポーズをとりつつ、私には「通常の人事異動」ということで納得させようとする。そういう態度は「事なかれ主義」にほかならない。新聞が事なかれ主義に陥ってしまえば、言論の自由を危うくする。
左派リベラルの立場を懸命に守りつつ、私とは正面から戦いたくない。ある親しい読者は私に「東京新聞の馬脚が現れた」と語った。その通りと思う。