私は、”左翼”という言葉の新定義を主張する。というのも、イデオロギッシュなものは、もうそれ自体が右翼だと私は考えるから。
私は、”左翼”のこの定義はおかしいと考える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BF%BC
左翼(さよく、英:left-wing, leftist, the Left)または左派(さは)は、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる[1][2]。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的傾向の人や団体をさす[3][4]。
この定義だとおかしなことが起こって、自分らが政権を取った時点で、左翼は右翼になってまう。
イデオロギッシュな考え方も全部そこに陥ってまう。
私はマルクス主義者も大勢見てきて、イデオロギッシュな人々は、自分らが政権を取ったら右翼になってまうような危うさを感じている。
大事なのはイデオロギーちゃうねん。マルクスちゃうねん。
私が最初から、中学1年の伊達娘に言ってきたし、カエサルは2000年前から言ってきたし、もっとめちゃくちゃ単純なことやねん。
”人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない”
コレが、マルクス主義よりももっと重要な真実やねん。
だって、目の前にある真実は、誰が政権を取ろうが変わりがないやん。
だから、イデオロギーを離れて、真実を直視できるかどうか、それが左翼の本質やと私は考える。
鉄道の安全において必要な事実は、安倍晋三が政権を取ろうが、我々が革命を起こして政権を取ろうが関係ないやろ?
事実としてそこにあるわけやから。
イデオロギーは違うわな。
マルクスであれ誰であれ、目の前にある真実を色を付けて見ようとする考え方やねん。
言い換えたら、マルクス主義もしょせんは、カエサルが言った、”見たいと欲する現実しか見ていない”活動のひとつでしかないねん。
イデオロギーというのは、けっきょく、鉄道の安全性とか、そういう現実を見ることなく、イデオロギーに沿って忖度してまうねん。
マルクス主義と動労の安全の闘いって、必ずしもイコールではないのは、そういうところから発生しとると私は見る。
だから私は、目の前にある真実から、色をつけずに見ようとする考え方を広めたいと思う。
そういえば、私はマルクス主義を、よく蔑称で”マルクス真理教”と書いてまうけど、マルクスが言うたことを経文にしとるヒトを大勢見かける。
このままではのちのちに宗教として”マルクス真理教”になってまうのは自明や。
それを考えると、仏教もキリスト教も、最初は宗教ではなくて、政治団体やったんちゃうか?と、今日思うに至った。
仏教もキリスト教も、最初は政治団体で、政治に必要なことを、ブッダもキリストも説いた。
けど、それが難解やったから、いつの間にかそれの中身を理解することを人々が忘れてもて経典になって、いっぱい分派ができて、宗教になってもたんちゃうかと思うねん。
マルクス主義だって、日本でも、革マルとかブントとか、いっぱい分派ができとるやろ。
そして中核派だって、多くのヒトはマルクスを経典として崇めとる現実がある。
そうすると、マルクス主義は、現在は政治活動から宗教に至る過程にいるだけなんじゃないか?と私なんか思うてまう。
・・・・だいたい、オウム真理教だって、宗教というより、政治活動を目指したんやしなあ。
そんなのは全部捨てて、目の前にある現実に向き合えば、自分らがまだ政権を取る過程にあろうが、政権を取った後であろうが、主張って変わることがないやろ?
なんでみんなそんなカンタンなことがワカランのかフシギや。
・・・・・いやその大前提の上で、マルクスが見つけた事実を展開したっていいとは思うよ。
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