※画像で殴ったフリをしている棒は、もともと曲がっていたものです・・・。
これって、ぼくだけなんですかね?
ぼくにとって、何か行動を起こすときの「やる気」って、必ずと言ってもいいほど「狂気」に由来するものなんです。
高校では学年成績1位の座を勝ち取り、大学でも成績優秀者として表彰され、今はブログからの収入だけで生計を立てているぼく。
そんなぼくのやる気スイッチは、狂気によってオンになります。
「諦めるな、前を向けよ」なんて歌は臭すぎる
「落ち込んでいるとき、音楽に勇気付けられた」
こう言う人の気持ちはわかります。ぼくもそれは同じだから。
ただ、それでもぼくが理解できないのは、「前を向いて頑張ろうよ」と歌いながら聞き手を励ます歌。
世の中にはこんな歌が溢れかえっているし、そのせいで本当に努力した人からのメッセージもどこか薄っぺらく感じられる。
だから、気付けばぼくは無責任にこんなことを歌うアーティストや曲に胡散臭さを感じるようになりました。
本当はみんな、もっと人間臭いはずなんじゃない?
人がやる気を出すときって、それは色々なパターンがあると思うんです。
目標を立てて、それに向かっているときにやる気が出る人。
落ち込んでいたときに応援ソングを聞いてやる気が出る人。
本当に人それぞれだと思っているんだけど、こうして表に出てくる理由って大体が綺麗に飾られたものなんですよ。
ぼくはそこに違和感を感じていました。なぜならぼくのやる気が出るときって、こんな綺麗な理由じゃ説明できないから。
ぼくにやる気が沸き起こるタイミングには、もっと人間臭い理由があるんですよ。
ぼくのやる気は狂気に由来する
というのも、ぼくにやる気が沸き起こるのは目標を設定してそれに向かっているときでも、応援ソングを聞いたときでもない。
ぼくのやる気は狂気に由来しているんです。
今のぼくの状況に当てはめて説明してみましょう。
ぼくは来月に大学を卒業する予定で、そこからは企業に就職せずフリーランスとして生きる道を選びました。
もともと他人と争うのが嫌いだし、かといって誰かと群れながら生きるつもりもないのですが、それでも1人は怖いもの。
そんなときに人のブログを読んでみたりすると、ぼくは自分に対して激しい劣等感を感じるんです。
「この人たちはぼくと生きている年数もさほど変わらないのに、どうしてここまでレベルが違うんだろう」
「これがこの人にできて、ぼくにできないのが死ぬほど悔しい」
最初は自分にないものを勉強するつもりで覗くのですが、途中から悔しさが溢れてどうしようもなくなる。
そのうち自分の無力さに押しつぶされそうになって、悔しすぎて、パソコンから目を逸らしてしまいます。
どん底まで落ちた後、這い上がろうとする
それでもそのまま落ち込んでいたって仕方がないので、ぼくは元気を出そうと音楽を聞きます。
ただ、それは無責任に「前向けよ、元気出せよ」なんてメッセージを伝えるようなちっぽけな歌ではありません。
ぼくに自分の無力さを感じさせ、気分をどん底まで突き落としてくれるような歌。
ぼくはヴィジュアル系バンドが大好きなのですが、このジャンルには痛みのメッセージを伝える歌が多いんですよね。
今思えば、こうした歌を求めて辿り着いたのがヴィジュアル系バンドだったから、ぼくはそれが好きなのかもしれません。
※この曲はMVの内容が恐ろしいのであまり直視はできませんが・・・。
こうした曲を聞いていると、自分の無力さや弱さを思い知って気分がどん底まで落ちていきます。
でも、そこでとどまっていたらただのクズ。ぼくのやる気が出るのはここからです。
無力で弱い自分を客観視するとなんだか面白くなってきて、同時に小さなことで悩んでいた自分がちっぽけに思えてくる。
(イカレた目で)フッ・・・ハハッ。アッハッハッハ・・・!
リアルにこんな笑い声を上げながら、ぼくの中に爆発的なやる気と闘争心が沸きあがってきます。
いいじゃん・・・俺だってやってやるよ。
無力だからこそ、こっからが面白いじゃんか。
この前、俺のことをバカにしたアイツ。
よく言ってくれたな?テメェなんざ、ブッ×××・・・
こうしてぼくは自分をどん底まで突き落とした後で、狂気にも似たやる気と闘争心を抱いて蘇るのでした。
ぼくはこれを原動力に努力を重ねたことで高校では学年成績1位の座を勝ち取り、大学でも成績優秀者として表彰された。
そしてブログを頑張ったお陰で、今はそこからの収入だけで1人暮らしをしています。
世の中には綺麗ごとばかりが転がっていますが、ぼくみたいな人間も絶対にいるはずなんですよ。
冗談抜きに、ぼくがやる気を出すときってこんな感じです。綺麗な理由じゃ到底説明できません。