●日本人はどこからきたのかという愚問
古代の東アジア情勢について、誤解や曲解がまかりとおっている。
代表的なものが、小沢一郎がいう「騎馬民族征服王朝説」や多くの日本人が信じこんでいる「弥生人大陸渡来説」で、いずれも、日本人や天皇が、朝鮮半島から渡ってきたという話になっている。
だが、日本列島が大陸とつながっていた有史以前(氷河期・旧石器時代)から縄文・弥生、古墳時代まで、日本列島と朝鮮半島、大陸沿岸部には人種的な隔たりがなく、かれらはすべて、現在の用語でいう古モンゴロイド(アイヌ・南洋人・エスキモー・インディアンをふくむ環太平洋人)の一族だった。
地形的にも、日本列島は、ユーラシア大陸東岸部(沿岸)で、対馬や済州島とともに、大陸の一部(のちに離島)であった。
日本人はどこから来たのか――という設問をよく耳にするが、まったくの愚問で、日本人は、もともと、東アジアの一部だった日本列島に住んでいたのである。
その証拠が、青森県の大平山T遺跡(1万6千年前)や茨城県後野遺跡から発見された無文土器で、佐賀県吉野ヶ里遺跡では、縄文・弥生時代の集落跡が保存されている。
そのころ、朝鮮半島は、中国の一部(遠隔地)にすぎず、むろん、吉野ヶ里のような、古代人のゆたかな暮らしを裏付ける遺跡は発見されていない。
どんな地域でも、経済的・文化的ゆたかさは、海に近い場所から生じるもので、日本列島は、ユーラシア東岸のなかで、もっともゆたかで文化がすすんだ沿岸部だったのである。
●現在とは異なる古代の東アジア情勢
朝鮮半島で、三韓(馬韓・弁韓・辰韓)時代をへて、国家が誕生するのは、日本の古墳時代(大和朝廷)に下ってからである。
小沢一郎は、韓国の講演で、日本と南朝鮮(伽耶・百済・新羅)が、通訳なしで交渉しえたのは、日本が朝鮮の属国だったからと断じたが、とんでもない妄想である。
日本が伽耶(任那/日本の行政府/弁韓)や百済(馬韓)、新羅(辰韓)と数百年にわたって交易・文化交流をおこなうことができたのは、同じ民族(古モンゴロイド)だったのにくわえ、朝鮮半島が、東アジアに一部という歴史的・地政学的な事情があったからで、東アジアの人種は、共通の言語をもっていた可能性がある。
東アジアへ、中央アジア系のモンゴロイド(匈奴の一族)が侵入してきて、朝鮮半島で大動乱がおきる。
現在の韓国、北朝鮮の祖である高句麗の騎馬軍団が怒涛のようにおしよせてきて、新羅や百済をおびやかすのである。
このとき、ジェノサイド(民族皆殺し)が発生して、多くの百済人が、済州島や対馬、日本列島に逃げこんだ。
高句麗は、百済・新羅をのみこんで、やがて、朝鮮半島は、高句麗の英語読みであるコリアとなる。
ちなみに、高句麗が朝鮮半島を手中にするのは、日本・百済連合が、新羅・唐連合に破れた「白村江の戦い(663年)」から250年後のことである。
長い年月をかけて、千年前、朝鮮半島は、二重まぶたで温厚な古モンゴロイドに代わって、一重まぶたで目の吊り上った中央アジア系モンゴロイドの国となったのである。
日本の朝鮮渡来説は、現在の韓国・北朝鮮の祖先が日本人の祖先であるかのようにいうものだが、日本人と現在の韓国・朝鮮人では、そもそも、血の源流が異なっていたのである。
●日本人の祖先は環太平洋モンゴロイド
遺伝子調査によると、ユーラシア大陸東沿岸部に住んでいた古モンゴロイドは「YAP+」という遺伝子をもっている。
現在、この「YAP+」が確認されるのは、中央アジア系アイヌと日本人、チベット人、済州島の一部だけで、モンゴルや朝鮮半島、中国には、皆無である。
朝鮮や中国の祖は、中央アジアのモンゴロイドで、一方、朝鮮半島から日本へ逃げてきた人々は、日本人と同じ「YAP+」をもった人々だったのである。
中国のチベット弾圧にくわえて、韓国の済州島にたいする虐殺の歴史、差別にはすさまじいものがあるが、済州島は、もともと、日本領だった伽耶の勢力範囲で、中国の史書にも「倭人の国」とある。
日本と中・韓の相性がわるいのは<中央アジアモンゴロイド>と<環太平洋モンゴロイド>の相違が原因だったとみるのが、しぜんだろう。
これらの歴史背景をのみこんでおかなければ「日本人は朝鮮人のおちこぼれ」「天皇は朝鮮からやってきた」という小沢一郎ら反日・親韓主義者のデマゴギーにひっかかることになる。
雄略天皇の時代、日本は、任那に基地をおいて、百済・新羅をおさえ、高句麗とたたかい、一時は、半島の北西部まで攻め入るが、兵站線がのびすぎて、敗退。以後、任那防衛に専心する。
下って、継体天皇の時代に、大和朝廷内で、朝鮮出兵がからんだ内乱がおきる。
新羅から攻められた百済の要請をうけて、大和朝廷が軍を送ろうとした矢先に、九州の磐井が、新羅とつうじて、大和朝廷に叛旗をひるがえすのである。
この磐井の乱が成功していれば、日本は、大和朝廷に代わって、磐井・新羅連合軍の手に落ちていたかもしれない。
この事実からも、大和朝廷という連合政権と朝鮮半島の国が、東アジアという地域における群雄割拠だったことがわかるのである。
2010年11月12日
2010年11月08日
天皇と日本の歴史A
●権力より権威をおもんじた大和朝廷
雄略天皇(21代)の没後、清寧天皇(22代/雄略天皇の第三皇子)、顕宗天皇(23代/履中天皇の孫)、仁賢天皇(24代/履中天皇の孫)武烈天皇(25代/仁賢天皇、雄略天皇の皇女の子)と雄略天皇系の天皇が四代つづく。
だが、いずれも短命で、しかも、継嗣がなかったため、ついに、血統が絶える。
そこで、大和朝廷内の有力氏族・大伴金村らは、越前に赴いて、武烈天皇と血統の異なる男大迹王(おおどのおおきみ)を大和王権の大王に推戴した。
大伴らが、越前を治めていた大男迹王を擁立したのは、初代神武天皇以来の血統(男系男子/Y遺伝子)をうけついでいる応神天皇の男系五世だったからである。
だが、樟葉宮(大阪府枚方市)で即位した継体天皇が、大和の磐余玉穂宮(奈良県)にはいるのは、それから、二十年ものちのことである。
当時、大和朝廷は、まだ、権力が一本化されておらず、継体天皇を推戴する大伴に対抗する勢力があったからと思われる。
当時、朝廷内では、物部や中臣、忌部、大伴ら――地方豪族では、吉備、三輪、穂積、葛城、新興の蘇我、九州の磐井らが、各地で威を競い合っていた。
紀元前の漢書に「百余国に分立」と書かれた状態が、基本的には、この頃まで、つづいていたのであろう。
だが、記紀などには、これらの国々が存亡をかけてたたかった記録が、それほど、多くない。
大和朝廷が、権力の正統性を、天照大神の末裔である神武天皇以来の血統にもとめた<権威の構造>だったからである。
ユーラシア大陸では、戦争と皆殺し、領土の強奪をもって、権力構造をつくりあげた。
これにたいして、古代日本の権力構造は、神代からつたわる権威の序列が、その土台となった。
これは、世界に類のない日本固有の権力機構で、日本人の宗教観や自然観、世界観と切り離して考えることができない。
古代日本は、神代の国の再来で、大連(おおむらじ)の大伴や物部、忌部、中臣らも、のちに大臣(おおおみ)となる蘇我や葛城、平群、巨勢らの豪族も、高天原の神々を祖先とする。
天の岩屋にひきこもった天照大神がふたたびすがたをあらわしたのは、アメノウズメの踊りとアメノフトダマとアメノコヤネがさしだした鏡に映ったじぶんの姿に見とれたからである。
日本書紀によると、鏡を天照大神にさしだすアメノフトダマ(天太玉命)は忌部の祖先で、アメノコヤネ(天児屋命)は、藤原氏の先祖である中臣の祖神である。
当時の氏族・豪族が、だれ一人として、天皇にとってかわろうとしなかったのは、天皇への叛逆は、天照大神の忠臣・下僕だった祖神を裏切ることになるからだったのである。
かつて、どんな国も、神話とむすびついた歴史をもっていた。
だが、敗戦や革命、国の滅亡、キリストなど一神教の支配によって、神話を失い、神話と実史が一体となった歴史をもっている国は、現在、世界のなかで、唯一、日本だけである。
共産党系の学者は、大和朝廷の豪族・氏族が、ことごとく、高天原の神々を祖先としていることを偽称と主張するが、神話はフィクションなので、偽称も何もあったものではない。
重要なのは、実史が、記紀などの史料によって、神話とつながっているその一点であって、そのような雄大な連続性を有した歴史をもっていること自体に、誇るべき価値があるのである。
その神話が、実史に残ったのが<万世一系>である。
大伴らが、大男迹王を推戴したのは、その神話伝説にのっとったもので、当時、日本は、神話と現実が渾然一体となった、神々とその末裔たちの国だったのである。
●前方後円墳の謎
神話と現実の一体性を象徴しているのが、歴代天皇陵である「前方後円墳」である。
円形と直線形(四角・三角・台形)が意味するのは<万物=宇宙>である。
この認識は、古今東西、世界共通のもので、古代日本においては、宇宙のどこかにあると思われていた高天原をさしている。
天皇は、自身が、高天原の神々の末裔であることをしめすために、天上からも見えるように、地上に、ナスカの地上絵やエジプトのピラミッドに匹敵するスケールの、巨大な前方後円墳を築いたのである。
これは、わたしの仮説ではあるが、いくつか根拠がある。
一つは、大和朝廷に対抗した吉備一族や九州の磐井氏が、大和朝廷に服従したのち、前方後円墳の造営をぴたりとやめたことである。
大和朝廷の系列にくわわったことによって、権威の正統性を主張する必要がなくなったからである。
二つ目は、高松塚古墳やキトラ古墳の天井に、精密な天文図があったことである。
これは、死者が天上の高天原へもどって、ふたたび神になるという、日本人の宗教観(古代神道)のあらわれとみてよい。
現在、天皇陵は、日教組や共産党系の歴史学者らによって、すべて、改称された。
仁徳天皇陵→大山古墳
応神天皇陵→誉田山古墳
履中天皇陵→上石津ミサンザイ古墳
景行天皇陵→渋谷向山古墳
神功天皇陵→五社神古墳
崇神天皇陵→行灯山古墳
「神話とナショナリズムは革命の敵」とする左翼勢力が、日本の歴史から国体の礎となっている天皇を抹消することにやっきになっているわけだが、さらにもう一つ、かれらが戦略的に流布させているのが、天皇の<朝鮮渡来人説>である。
左翼・反日勢力がいう朝鮮とは、中国東北部から侵入してきた高句麗(Korai=Korea)のことである。
だが、当時、日本と交流していたのは、大陸沿岸系の百済・新羅であって、かれらは、一部が日本に渡来して日本人になったほか、高句麗に滅ぼされて、現在、朝鮮半島にはいない。
現在の朝鮮は、百済・新羅をジェノサイド(民族殺戮)したモンゴル系・高句麗の国で、小沢一郎や左翼がいう「天皇の祖先は朝鮮」が、高句麗をさすのであれば、とんでもない歴史誤認である。
次回は、古墳時代以前にさかのぼって、日本および東アジアの古代史を検証してみよう。
雄略天皇(21代)の没後、清寧天皇(22代/雄略天皇の第三皇子)、顕宗天皇(23代/履中天皇の孫)、仁賢天皇(24代/履中天皇の孫)武烈天皇(25代/仁賢天皇、雄略天皇の皇女の子)と雄略天皇系の天皇が四代つづく。
だが、いずれも短命で、しかも、継嗣がなかったため、ついに、血統が絶える。
そこで、大和朝廷内の有力氏族・大伴金村らは、越前に赴いて、武烈天皇と血統の異なる男大迹王(おおどのおおきみ)を大和王権の大王に推戴した。
大伴らが、越前を治めていた大男迹王を擁立したのは、初代神武天皇以来の血統(男系男子/Y遺伝子)をうけついでいる応神天皇の男系五世だったからである。
だが、樟葉宮(大阪府枚方市)で即位した継体天皇が、大和の磐余玉穂宮(奈良県)にはいるのは、それから、二十年ものちのことである。
当時、大和朝廷は、まだ、権力が一本化されておらず、継体天皇を推戴する大伴に対抗する勢力があったからと思われる。
当時、朝廷内では、物部や中臣、忌部、大伴ら――地方豪族では、吉備、三輪、穂積、葛城、新興の蘇我、九州の磐井らが、各地で威を競い合っていた。
紀元前の漢書に「百余国に分立」と書かれた状態が、基本的には、この頃まで、つづいていたのであろう。
だが、記紀などには、これらの国々が存亡をかけてたたかった記録が、それほど、多くない。
大和朝廷が、権力の正統性を、天照大神の末裔である神武天皇以来の血統にもとめた<権威の構造>だったからである。
ユーラシア大陸では、戦争と皆殺し、領土の強奪をもって、権力構造をつくりあげた。
これにたいして、古代日本の権力構造は、神代からつたわる権威の序列が、その土台となった。
これは、世界に類のない日本固有の権力機構で、日本人の宗教観や自然観、世界観と切り離して考えることができない。
古代日本は、神代の国の再来で、大連(おおむらじ)の大伴や物部、忌部、中臣らも、のちに大臣(おおおみ)となる蘇我や葛城、平群、巨勢らの豪族も、高天原の神々を祖先とする。
天の岩屋にひきこもった天照大神がふたたびすがたをあらわしたのは、アメノウズメの踊りとアメノフトダマとアメノコヤネがさしだした鏡に映ったじぶんの姿に見とれたからである。
日本書紀によると、鏡を天照大神にさしだすアメノフトダマ(天太玉命)は忌部の祖先で、アメノコヤネ(天児屋命)は、藤原氏の先祖である中臣の祖神である。
当時の氏族・豪族が、だれ一人として、天皇にとってかわろうとしなかったのは、天皇への叛逆は、天照大神の忠臣・下僕だった祖神を裏切ることになるからだったのである。
かつて、どんな国も、神話とむすびついた歴史をもっていた。
だが、敗戦や革命、国の滅亡、キリストなど一神教の支配によって、神話を失い、神話と実史が一体となった歴史をもっている国は、現在、世界のなかで、唯一、日本だけである。
共産党系の学者は、大和朝廷の豪族・氏族が、ことごとく、高天原の神々を祖先としていることを偽称と主張するが、神話はフィクションなので、偽称も何もあったものではない。
重要なのは、実史が、記紀などの史料によって、神話とつながっているその一点であって、そのような雄大な連続性を有した歴史をもっていること自体に、誇るべき価値があるのである。
その神話が、実史に残ったのが<万世一系>である。
大伴らが、大男迹王を推戴したのは、その神話伝説にのっとったもので、当時、日本は、神話と現実が渾然一体となった、神々とその末裔たちの国だったのである。
●前方後円墳の謎
神話と現実の一体性を象徴しているのが、歴代天皇陵である「前方後円墳」である。
円形と直線形(四角・三角・台形)が意味するのは<万物=宇宙>である。
この認識は、古今東西、世界共通のもので、古代日本においては、宇宙のどこかにあると思われていた高天原をさしている。
天皇は、自身が、高天原の神々の末裔であることをしめすために、天上からも見えるように、地上に、ナスカの地上絵やエジプトのピラミッドに匹敵するスケールの、巨大な前方後円墳を築いたのである。
これは、わたしの仮説ではあるが、いくつか根拠がある。
一つは、大和朝廷に対抗した吉備一族や九州の磐井氏が、大和朝廷に服従したのち、前方後円墳の造営をぴたりとやめたことである。
大和朝廷の系列にくわわったことによって、権威の正統性を主張する必要がなくなったからである。
二つ目は、高松塚古墳やキトラ古墳の天井に、精密な天文図があったことである。
これは、死者が天上の高天原へもどって、ふたたび神になるという、日本人の宗教観(古代神道)のあらわれとみてよい。
現在、天皇陵は、日教組や共産党系の歴史学者らによって、すべて、改称された。
仁徳天皇陵→大山古墳
応神天皇陵→誉田山古墳
履中天皇陵→上石津ミサンザイ古墳
景行天皇陵→渋谷向山古墳
神功天皇陵→五社神古墳
崇神天皇陵→行灯山古墳
「神話とナショナリズムは革命の敵」とする左翼勢力が、日本の歴史から国体の礎となっている天皇を抹消することにやっきになっているわけだが、さらにもう一つ、かれらが戦略的に流布させているのが、天皇の<朝鮮渡来人説>である。
左翼・反日勢力がいう朝鮮とは、中国東北部から侵入してきた高句麗(Korai=Korea)のことである。
だが、当時、日本と交流していたのは、大陸沿岸系の百済・新羅であって、かれらは、一部が日本に渡来して日本人になったほか、高句麗に滅ぼされて、現在、朝鮮半島にはいない。
現在の朝鮮は、百済・新羅をジェノサイド(民族殺戮)したモンゴル系・高句麗の国で、小沢一郎や左翼がいう「天皇の祖先は朝鮮」が、高句麗をさすのであれば、とんでもない歴史誤認である。
次回は、古墳時代以前にさかのぼって、日本および東アジアの古代史を検証してみよう。
2010年11月01日
天皇と日本の歴史@
●属国と柵封体制
「属国化(日本の中国への)は、いまはじまったことではない」という仙谷官房長官の真意は、どこにあったのか。
桃太郎のお伽噺(桃は古代中国の神仙思想で不老長寿の果物)をもちだして、日本文化が、中国に依存していると強弁したところをみると、外務省チャイナスクール並みの中国崇拝主義者で、仙谷のいう「属国化」というのは、おそらく、柵封体制のことであろう。
日本が柵封体制にくわわったのは、後漢書に「倭奴国王、後漢に遣使」としるされた西暦57年から、雄略天皇(西暦479年崩御)までの四百年余だが、柵封と属国は、別物である。
柵封は、いまでいう安全保障条約で、当時、東アジアでは、柵封体制からの離脱と戦争が、表裏の関係にあった。
古代の東アジアは、一種の国際紛争地帯で、分裂状態にあった中国と朝鮮半島、日本が、くんずほぐれつの領土争いをくり広げていた。
日本(倭)は、391年に、新羅・百済軍を破ってのち、663年、白村江の戦いで大和朝廷の水軍が唐に敗れるまで、朝鮮南部に権益を有していた。
柵封体制は、日本が朝鮮半島の権益をまもるための戦略的条約で、柵封体制内で、大和朝廷が成立したのも、国家を樹立するには、柵封という安保条約が必要だったからである。
ところが、戦後の自虐史観では、柵封体制が、あたかも、属国関係であるかのように語られる。
日本が柵封体制から完全に離脱したのは、聖徳太子が隋の皇帝に「日の出づる処の天子」と謳った親書を送った607年で、翌608年、隋に派遣された小野妹子は「東の天皇、敬みて西の皇帝に曰す」としたためた国書を携えた。
このとき、隋の煬帝が激怒したのは、日本が中国と対等の立場にあることをあらわす天子・天皇の文字があったからだった。
日本は、柵封という安保条約を利用したが、周辺諸国を東夷・西戎・北狄・南蛮と見る「中華思想」に与することも、中国を宗主国とする「華夷秩序」につらなることもなかったのである。
●柵封体制からうまれた大和朝廷
戦後、皇国史観の排除によって、天皇が、歴史書からすがたを消した。
そのため、歴史から、日本の国体や日本特有の権力構造、固有の文化や民族性を読みとることが困難になった。
日本という国体は、天皇が、権力者から権威へと移り変わってゆく古代史において、明らかになるのであって、日本固有の社会構造や民族文化も、天皇の権威と幕府の権力の二元的な関係を抜いて、語ることができない。
天皇不在の歴史では、ただの権力史となり、そこから、日本という国のかたちができあがった物語が見えてこない。
日本は、ヨーロッパや中国とちがい、権力闘争からうまれた国ではない。
大和朝廷成立以前から、自然を神と見立てる特有の宗教観から、剣ではなく、祈念によって、国を治める思想がうまれ、そこから、卑弥呼のような神格をもった調停者が統治者となる風土が生じた。
それが、天皇の原型で、紀元前、百余国に分立していた時代の日本では、長(おさ)の多くが、世俗的な権力者ではなく、神格をもった超越的権威だったと考えられる。
だが、柵法体制にあった倭国や邪馬台国、大和朝廷の大王が、すべて、権威だったわけではなく、権力者としてふるまった天皇もすくなくなかった。
柵封体制というユーラシア型の政治機構に組みこまれることによって、日本もまた、一元的な権力構造にならざるをえなかったのである。
●権威と権力の二元性が日本の国体
それでは、いつから、天皇が、権威となったのか。
雄略天皇(21代)以後の六世紀からである。
柵封体制における最後の天皇となった雄略天皇は「治天下大王」を名乗ったことからもわかるように、最後の権力型天皇でもあった。
小国家群だった古代日本は、倭や邪馬(中国の命名)、大和(日本の命名)という一国をなしてのち、柵封体制に編入されることによって、宗教的国家群から、一大権力国家へ変貌したのである。
中国の史書「宋書」に記されている五人の倭王(讃・弥・斉・興・武)のうち、武が、雄略天皇で、宋から「使持節都督倭・百済・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍・倭国王」という称号をうけている。
有力な皇位継承者を次々に殺害するなど暴君として鳴らした大悪天皇こと雄略天皇は、朝鮮半島の半分を領有する大権力者でもあったのである。
ちなみに、残りの四人の倭王は、讃=仁徳(あるいは履中)天皇、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇といわれるが、定説はない。
雄略天皇は、異母兄・安康天皇(20代)の死後、即位したのちに有力な皇位継承権保持者をことごとく殺してしまったので、実子の清寧天皇(22代)をへて、ついに、血筋が絶える。
それでも、万世一系の血統がまもられたのは、天皇の正統性が、皇室の家督者ではなく、神武天皇のY遺伝子(男系男子)の継承にあったからである。
それが、当時、北陸にあった応神天皇の五世、継体天皇(26代)である。
当時、有力豪族たちは、国家の支配者の正統性を、権勢や武力ではなく、神武以来の万世一系にみとめた。
これが、日本の国体のはじまりで、これは、人為よりも自然の摂理をおもんじる日本精神への復帰でもあった。
権力型の天皇が、血筋とともに、雄略天皇で終わると、神に祈る神である天皇(権威)と摂関政治・幕藩体制(権力)の二元体制という、世界に類のない政治システムがスタートする。
天皇という視点から日本史を見直すと、日本という国のかたちが、よく見えてくるのである。
仙谷の柵封体制=属国という歴史認識の誤りを正すところから、テーマが横道にそれたが、本稿の本題は、こちらのほうで、次回以降、継体天皇、仁徳天皇、神道、皇国史観など、順を追って「天皇と日本の歴史」のテーマで、論をすすめてゆきたい。
「属国化(日本の中国への)は、いまはじまったことではない」という仙谷官房長官の真意は、どこにあったのか。
桃太郎のお伽噺(桃は古代中国の神仙思想で不老長寿の果物)をもちだして、日本文化が、中国に依存していると強弁したところをみると、外務省チャイナスクール並みの中国崇拝主義者で、仙谷のいう「属国化」というのは、おそらく、柵封体制のことであろう。
日本が柵封体制にくわわったのは、後漢書に「倭奴国王、後漢に遣使」としるされた西暦57年から、雄略天皇(西暦479年崩御)までの四百年余だが、柵封と属国は、別物である。
柵封は、いまでいう安全保障条約で、当時、東アジアでは、柵封体制からの離脱と戦争が、表裏の関係にあった。
古代の東アジアは、一種の国際紛争地帯で、分裂状態にあった中国と朝鮮半島、日本が、くんずほぐれつの領土争いをくり広げていた。
日本(倭)は、391年に、新羅・百済軍を破ってのち、663年、白村江の戦いで大和朝廷の水軍が唐に敗れるまで、朝鮮南部に権益を有していた。
柵封体制は、日本が朝鮮半島の権益をまもるための戦略的条約で、柵封体制内で、大和朝廷が成立したのも、国家を樹立するには、柵封という安保条約が必要だったからである。
ところが、戦後の自虐史観では、柵封体制が、あたかも、属国関係であるかのように語られる。
日本が柵封体制から完全に離脱したのは、聖徳太子が隋の皇帝に「日の出づる処の天子」と謳った親書を送った607年で、翌608年、隋に派遣された小野妹子は「東の天皇、敬みて西の皇帝に曰す」としたためた国書を携えた。
このとき、隋の煬帝が激怒したのは、日本が中国と対等の立場にあることをあらわす天子・天皇の文字があったからだった。
日本は、柵封という安保条約を利用したが、周辺諸国を東夷・西戎・北狄・南蛮と見る「中華思想」に与することも、中国を宗主国とする「華夷秩序」につらなることもなかったのである。
●柵封体制からうまれた大和朝廷
戦後、皇国史観の排除によって、天皇が、歴史書からすがたを消した。
そのため、歴史から、日本の国体や日本特有の権力構造、固有の文化や民族性を読みとることが困難になった。
日本という国体は、天皇が、権力者から権威へと移り変わってゆく古代史において、明らかになるのであって、日本固有の社会構造や民族文化も、天皇の権威と幕府の権力の二元的な関係を抜いて、語ることができない。
天皇不在の歴史では、ただの権力史となり、そこから、日本という国のかたちができあがった物語が見えてこない。
日本は、ヨーロッパや中国とちがい、権力闘争からうまれた国ではない。
大和朝廷成立以前から、自然を神と見立てる特有の宗教観から、剣ではなく、祈念によって、国を治める思想がうまれ、そこから、卑弥呼のような神格をもった調停者が統治者となる風土が生じた。
それが、天皇の原型で、紀元前、百余国に分立していた時代の日本では、長(おさ)の多くが、世俗的な権力者ではなく、神格をもった超越的権威だったと考えられる。
だが、柵法体制にあった倭国や邪馬台国、大和朝廷の大王が、すべて、権威だったわけではなく、権力者としてふるまった天皇もすくなくなかった。
柵封体制というユーラシア型の政治機構に組みこまれることによって、日本もまた、一元的な権力構造にならざるをえなかったのである。
●権威と権力の二元性が日本の国体
それでは、いつから、天皇が、権威となったのか。
雄略天皇(21代)以後の六世紀からである。
柵封体制における最後の天皇となった雄略天皇は「治天下大王」を名乗ったことからもわかるように、最後の権力型天皇でもあった。
小国家群だった古代日本は、倭や邪馬(中国の命名)、大和(日本の命名)という一国をなしてのち、柵封体制に編入されることによって、宗教的国家群から、一大権力国家へ変貌したのである。
中国の史書「宋書」に記されている五人の倭王(讃・弥・斉・興・武)のうち、武が、雄略天皇で、宋から「使持節都督倭・百済・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍・倭国王」という称号をうけている。
有力な皇位継承者を次々に殺害するなど暴君として鳴らした大悪天皇こと雄略天皇は、朝鮮半島の半分を領有する大権力者でもあったのである。
ちなみに、残りの四人の倭王は、讃=仁徳(あるいは履中)天皇、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇といわれるが、定説はない。
雄略天皇は、異母兄・安康天皇(20代)の死後、即位したのちに有力な皇位継承権保持者をことごとく殺してしまったので、実子の清寧天皇(22代)をへて、ついに、血筋が絶える。
それでも、万世一系の血統がまもられたのは、天皇の正統性が、皇室の家督者ではなく、神武天皇のY遺伝子(男系男子)の継承にあったからである。
それが、当時、北陸にあった応神天皇の五世、継体天皇(26代)である。
当時、有力豪族たちは、国家の支配者の正統性を、権勢や武力ではなく、神武以来の万世一系にみとめた。
これが、日本の国体のはじまりで、これは、人為よりも自然の摂理をおもんじる日本精神への復帰でもあった。
権力型の天皇が、血筋とともに、雄略天皇で終わると、神に祈る神である天皇(権威)と摂関政治・幕藩体制(権力)の二元体制という、世界に類のない政治システムがスタートする。
天皇という視点から日本史を見直すと、日本という国のかたちが、よく見えてくるのである。
仙谷の柵封体制=属国という歴史認識の誤りを正すところから、テーマが横道にそれたが、本稿の本題は、こちらのほうで、次回以降、継体天皇、仁徳天皇、神道、皇国史観など、順を追って「天皇と日本の歴史」のテーマで、論をすすめてゆきたい。
2010年03月23日
人権擁護法案という革命の火の手(3)
●人権擁護法案で国を売った政治家たち
人権擁護法案は、人権思想という偏ったイデオロギーを法制化して、国民を洗脳しようというたくらみで、典型的な左翼全体主義である。
自由主義の先進国で、二十一世紀のいまどき、こんな悪法がでてくること自体、狂気の沙汰で、まして、特殊な権力団体をつくって、二万人の人権屋を動員するにいたっては、悪夢というしかない。
イデオロギーの権力化は、毛沢東主義と呼ばれる手法で、文化大革命の折、紅衛兵の私刑から逃れるため、一般市民は、『毛沢東語録』を手にかざして、「毛沢東万歳」と叫びながら町をねり歩いた。
同法が成立すると、日本でも、人権ゲシュタボの私刑から逃れるため、「人権万歳」を叫ぶ風潮になるだろうが、そうなると、人権の対立項にある人格や道徳、隣人愛や和の精神、共同体意識や愛国心は、木っ端微塵になってしまうだろう。
人権擁護法案は、もともと、国連からの要請で、土台となっているのが、児童の人身売買や売春、少年兵の禁止などを謳った「パリ原則」である。
日本に「パリ原則」に抵触する人権侵害などあるわけはないが、国連が、筋ちがいの要請を日本につきつけたのは、中国の謀略で、これにのったのが、全共闘や隠れ過激派がもぐりこんでいる法務省と、野中広務から部落差別などの人権案件をひきついだ古賀誠だった。
みずから部落出身を公表した野中は、差別に深い怨恨をもつ政治家で、古賀と一緒に南京大虐殺記念館へでかけて、花輪を捧げるほどの自虐史観の持ち主でもある。
当時、自民党内で、法案化をすすめたのが、古賀誠や太田誠一、二階俊博、中川秀直、福田康夫、加藤紘一、山崎拓ら自民党を左傾化させた面々で、廃案になったのは、平沼赳夫や安倍晋三、麻生太郎、島村宜伸、中川昭一、衛藤晟一、古川禎久らの保守派が、猛反対したからだった。
この時点で、自民党は、思想的に、まっぷたつに割れていたわけで、事実上、党としての命脈が尽きていたのである。
このとき、自民党案支持に回った民主党の小沢一郎や千葉景子、仙谷由人、川端達夫らが、こんどは、与党として、同法案の立法化にうごきだした。
民主党に、反対議員は、ほとんどいないので、同法案は、より過激な内容になって、国会に上程されて、可決されるのは、確実である。
ちなみに、マスコミが沈黙しているのは、反対を表明すると「メディア規制留保」を撤回される懸念があるからで、岡田外相がいちはやく“規制留保”から“規制削除”へふみこむと、マスコミは、人権擁護法案について、いっさい、報道しなくなった。
これは危険な兆候で、マスコミの沈黙によって、日本人は、何も知らされないまま、人権ゲシュタボ法案に呑みこまれてゆく。
民主主義の旗手のようにいわれるマスコミも、弾圧という恐怖の前では、かくもだらしなく、権力に平伏するのである。
●人権擁護法案は重大な憲法違反である
マスコミが牙を抜かれた以上、対抗手段は、権力を司法に訴える以外ない。
人権擁護法案が憲法違反であることは、百地章(日本大学教授)らも指摘している。
同法案は、あらゆる人権侵害を調査対象とした上、侮辱などの不当な差別的言動から「相手方を畏怖させ、困惑させ、不快にさせる」場合にいたるまで「令状なし」の強制的な出頭要請、尋問、文書提出、立ち入り検査権をみとめている。
これが――
憲法第19条「思想及び良心の自由を侵してはならない」
同第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障する」
同第21条の2「検閲をしてはならない。通信の秘密を侵してはならない」
同第31条「法律の定める手続以外に、生命や自由を奪われ、その他の刑罰を科せられない。
同第35条「令状によることなく、住居や所持品の点検をしたり、強制的にとりあげたりすることはできない」
などに違反するのは明白で、裁判において、これらの違反が指弾されなければ、日本は、法治国家ですらないということになる。
さらに、これにくわえるべき論点が、二つある。
一つは、民主主義において、事前規制(検閲)や予防規制(措置・拘束)はけっしてゆるされないということである。
国家権力による予防的な強制措置がゆるされるなら、民主主義は死に、日本は、全体主義国家へ転落してゆく。
もう一つは、不当な差別的言動や相手方を畏怖させ、困惑させ、不快にさせるなどの行為を取り締まる法が、日本には、存在しないということである。
憲法には、第14条で「すべて国民は、法の下に平等で、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあるだけである。
法の下の差別や人権侵害は、憲法に違反するが、差別的言動は、たとえ好ましくないものであっても、モラルの問題なので、法で裁くことはできない。
法案によると、何が差別に該当して、何が人権侵害にあたるか、人権擁護委員会がきめるというが、それこそが、野蛮な無法行為である。
法の根拠がないまま、摘発が可能なら、理論的には「お前の顔は人権侵害だ」と言いがかりをつけて、喚問や家宅捜索、証拠品押収ができるようになる。
二万人の人権ゲシュタボは、基本的に左翼で、過激派もいるだろう。
かれらが、法の根拠もなく、一存だけで、予防規制が可能な国家権力をふりまわせば、暗黒社会が到来しないわけはない。
参院選に勝った民主党は、まちがいなく、独裁化する。
民主党がナチス党に、小沢がヒトラーになったとき、はたして、国民は、自身や家族をまもることができるだろうか。
人権擁護法案は、人権思想という偏ったイデオロギーを法制化して、国民を洗脳しようというたくらみで、典型的な左翼全体主義である。
自由主義の先進国で、二十一世紀のいまどき、こんな悪法がでてくること自体、狂気の沙汰で、まして、特殊な権力団体をつくって、二万人の人権屋を動員するにいたっては、悪夢というしかない。
イデオロギーの権力化は、毛沢東主義と呼ばれる手法で、文化大革命の折、紅衛兵の私刑から逃れるため、一般市民は、『毛沢東語録』を手にかざして、「毛沢東万歳」と叫びながら町をねり歩いた。
同法が成立すると、日本でも、人権ゲシュタボの私刑から逃れるため、「人権万歳」を叫ぶ風潮になるだろうが、そうなると、人権の対立項にある人格や道徳、隣人愛や和の精神、共同体意識や愛国心は、木っ端微塵になってしまうだろう。
人権擁護法案は、もともと、国連からの要請で、土台となっているのが、児童の人身売買や売春、少年兵の禁止などを謳った「パリ原則」である。
日本に「パリ原則」に抵触する人権侵害などあるわけはないが、国連が、筋ちがいの要請を日本につきつけたのは、中国の謀略で、これにのったのが、全共闘や隠れ過激派がもぐりこんでいる法務省と、野中広務から部落差別などの人権案件をひきついだ古賀誠だった。
みずから部落出身を公表した野中は、差別に深い怨恨をもつ政治家で、古賀と一緒に南京大虐殺記念館へでかけて、花輪を捧げるほどの自虐史観の持ち主でもある。
当時、自民党内で、法案化をすすめたのが、古賀誠や太田誠一、二階俊博、中川秀直、福田康夫、加藤紘一、山崎拓ら自民党を左傾化させた面々で、廃案になったのは、平沼赳夫や安倍晋三、麻生太郎、島村宜伸、中川昭一、衛藤晟一、古川禎久らの保守派が、猛反対したからだった。
この時点で、自民党は、思想的に、まっぷたつに割れていたわけで、事実上、党としての命脈が尽きていたのである。
このとき、自民党案支持に回った民主党の小沢一郎や千葉景子、仙谷由人、川端達夫らが、こんどは、与党として、同法案の立法化にうごきだした。
民主党に、反対議員は、ほとんどいないので、同法案は、より過激な内容になって、国会に上程されて、可決されるのは、確実である。
ちなみに、マスコミが沈黙しているのは、反対を表明すると「メディア規制留保」を撤回される懸念があるからで、岡田外相がいちはやく“規制留保”から“規制削除”へふみこむと、マスコミは、人権擁護法案について、いっさい、報道しなくなった。
これは危険な兆候で、マスコミの沈黙によって、日本人は、何も知らされないまま、人権ゲシュタボ法案に呑みこまれてゆく。
民主主義の旗手のようにいわれるマスコミも、弾圧という恐怖の前では、かくもだらしなく、権力に平伏するのである。
●人権擁護法案は重大な憲法違反である
マスコミが牙を抜かれた以上、対抗手段は、権力を司法に訴える以外ない。
人権擁護法案が憲法違反であることは、百地章(日本大学教授)らも指摘している。
同法案は、あらゆる人権侵害を調査対象とした上、侮辱などの不当な差別的言動から「相手方を畏怖させ、困惑させ、不快にさせる」場合にいたるまで「令状なし」の強制的な出頭要請、尋問、文書提出、立ち入り検査権をみとめている。
これが――
憲法第19条「思想及び良心の自由を侵してはならない」
同第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障する」
同第21条の2「検閲をしてはならない。通信の秘密を侵してはならない」
同第31条「法律の定める手続以外に、生命や自由を奪われ、その他の刑罰を科せられない。
同第35条「令状によることなく、住居や所持品の点検をしたり、強制的にとりあげたりすることはできない」
などに違反するのは明白で、裁判において、これらの違反が指弾されなければ、日本は、法治国家ですらないということになる。
さらに、これにくわえるべき論点が、二つある。
一つは、民主主義において、事前規制(検閲)や予防規制(措置・拘束)はけっしてゆるされないということである。
国家権力による予防的な強制措置がゆるされるなら、民主主義は死に、日本は、全体主義国家へ転落してゆく。
もう一つは、不当な差別的言動や相手方を畏怖させ、困惑させ、不快にさせるなどの行為を取り締まる法が、日本には、存在しないということである。
憲法には、第14条で「すべて国民は、法の下に平等で、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあるだけである。
法の下の差別や人権侵害は、憲法に違反するが、差別的言動は、たとえ好ましくないものであっても、モラルの問題なので、法で裁くことはできない。
法案によると、何が差別に該当して、何が人権侵害にあたるか、人権擁護委員会がきめるというが、それこそが、野蛮な無法行為である。
法の根拠がないまま、摘発が可能なら、理論的には「お前の顔は人権侵害だ」と言いがかりをつけて、喚問や家宅捜索、証拠品押収ができるようになる。
二万人の人権ゲシュタボは、基本的に左翼で、過激派もいるだろう。
かれらが、法の根拠もなく、一存だけで、予防規制が可能な国家権力をふりまわせば、暗黒社会が到来しないわけはない。
参院選に勝った民主党は、まちがいなく、独裁化する。
民主党がナチス党に、小沢がヒトラーになったとき、はたして、国民は、自身や家族をまもることができるだろうか。
2008年08月01日
保守主義とは何か――混迷する戦後思想を再点検する(26)
●書籍化のタイトルは「『情』の国家論」
本ブログが単行本(光人社刊)化されることになり、タイトルが「『情』の国家論」にきまった。
このタイトルは、共著をおねがいした村上正邦先生との対談中、村上先生の口からでたことばをいただいたもので、言いえて妙、の感が深い。
今回は、同書のタイトルにもちいた「情」についてのべたい。
愛情ということばがあるが、愛と情は、別物である。
愛が個人的感情なら、情は、社会的感情といってよいであろう。
それを的確にいいあらわしているのが、義理人情で、本来、対立するはずの義理と人情が、情(なさけ)ということばのなかで、むすびついている。義理という社会観念とひとの熱い心が、一体化して、日本人の心のかたちをつくりだしているのである。
思いやりや同情、寛容の精神も、愛ではなく、情である。
個人の心に根ざしながら、他者とともにあろうとする。この運命共同体の意識をつくりだしているのが、和の精神で、これもまた、日本人の伝統的な心根である。
愛国心も、ほんらい、情(憂)国心であろう。国のために身を捧げる覚悟は、わが身を燃焼しつくす恋になぞらえて、国への恋心である。特攻隊や2・26事件に殉じた人々の手記を読むと、国という歴史的共同体に、恋焦がれる深い情が、ひしひしと、つたわってくる。
日本の神々は、鎮守の森の土地神も(地域)祖霊(同族)も、個人をこえている。情も、日本の神々と同様に、地縁や血縁、同じ釜の飯という仲間意識をとおして、共同体や集団にたいしてはたらく。
掟(ルール)やナラワシ(常識)も、同胞とともにあろうとする情である。
情が、家族から同族、ムラ、シマ(生活圏)をこえて、国家や歴史までひろがってゆくのは、土地神や祖霊が、日本共通の神話でつながっているからで、この神々を統べるのが天照大御神である。
かつて、日本人が同じ心(情)をもちあえたのは、神話を共有していたからである。
日本の古代宗教=原始神道は、はじめから、天皇中心だったわけではない。
大和朝廷が優位になると、天皇が、土地の神や五穀の神(=社稷)をまつる最高祭司となり、地方の豪族が、天皇の宗教的権威を奉って、大和朝廷が、自然成立した。
権力者や有力者が覇権をあらそう前に、津々浦々の神々が、手をむすんだのである。
戦争ではなく、和の精神をもって、古代朝廷が統一をはたすことができたのは、天照大御神のもとで、共存をさぐりあう情がはたらいたからで、そこに、血みどろの権力抗争をくりひろげたユーラシアとの決定的なちがいがある。
キリスト教の愛を唯一の価値とした中世ヨーロッパ、善を説く儒教の古代中国で、戦乱が熄むことなく、たびたび、虐殺がおこなわれたのは、かれらの愛や善が、個人の領域にあったからで、かれらは、共同体にはたらく情をもちえなかった。
情と似て非なる愛が、拠って立つところは、個人主義である。
個人主義に立つ愛は、冷める。場合によっては、憎しみへかわる。排他的で、社会性に乏しく、しばしば、外部にたいして、敵意をむきだしにする。
明治以前、日本にあったのは、交し合う情で、愛という観念は、なかった。個人主義が根づいていなかったからである。
かつて、日本では、ひとは、個人ではなく、親の子で、子の親だった。祖の末裔にして子孫の祖で、しかも、家族や地域、共同体や組織の一部にくみいれられていたので、わが身が、単独で存在しているなどと、だれも、考えなかった。
日本に個人という考え方がめばえたのは、成仏をもとめる仏教や神と契約するキリスト教が伝来してからである。仏教の輪廻転生やキリスト教の魂の救済は、一人の人間としてうけとめる問題なので、はじめから、個人が対象なのである。
日本に、個人主義が根を下ろしたのは、明治維新の文明開化をとおして、近代的自我がうけいれられてからで、さらに、戦後、アメリカから、自由と平等の民主主義がはいってくると、情や和の精神にとってかわって、個人主義が、普遍的な価値となった。
自由も平等も、成仏や救済と同様、一人の個人にかかる観念なので、根幹に個人主義がすえられるのである。
戦後、情の文化がすたれていったのは、この個人主義が蔓延してきたからである。
個人主義は、全体主義の反対概念で、西洋の思想は、神と悪魔、愛と憎、正邪、善悪というふうに、一方を否定する二分法で、このとき「抗争の論理」がうまれる。
二元論と似ているようだが、二元論は、権威と権力のように、双方が並び立つ。
愛は、憎や嫉妬、敵愾心をまねきよせ、善悪で一方を否定しても、立場やイデオロギーによって、そのつど、善悪が逆転する。自由や平等、人権や平和など、空理をふりまわすほど、愛やヒューマニズム、正義をもちだすほど、憎悪や非人間性、悪徳がはびこる。
西洋の二分法では、いつまでも、抗争に決着がつかず、個と全体、個人と集団の対立や矛盾も、永遠に解消されない。
空理のもとでは、こうして、情という、血のかよった人間の心が失われてゆく。
世界市民を標榜する政治家が、帰国した拉致被害者を北朝鮮へ送還すべきと、血も涙もないことをいい、弱者の切り捨てや格差化社会をすすめた元首相が、人生色々とうそぶくのは、マルクス主義にしろ、新自由主義にしろ、西洋の思想に染まった者には、情が欠けているからである。
日本は、八百万の神々のもとで、万物が、それぞれ自在にある多元論の国である。
どちらが正しいか、ではなく、実情をふまえ、理に走らず、私心に溺れず、人間の心で判断する。
それが情である。愛や正義のような空理ではなく、ひとの心なので、きっぱり、白黒にわけられないが、白黒をつけないのは、空理ではなく、ひとの心がはたらいている証拠である。
現在、日本では、歴史や国体から切り離された個人主義がはびこって、政治からも社会からも、家庭からも人心からも、情が消えかかっている。
本ブログで、保守政治と国体について、のべてきたのは、政治は、もともと、情にもとづくまつりごとで、とくに、保守政治は、歴史(時間)の連続性と国体(空間)の護持を使命としていることを明らかにしたかったからである。
「『情』の国家論」で、わたしがもとめたのは、日本の文化や歴史、日本人の心に根ざした国家の、あるべきすがただったのである。
本ブログが単行本(光人社刊)化されることになり、タイトルが「『情』の国家論」にきまった。
このタイトルは、共著をおねがいした村上正邦先生との対談中、村上先生の口からでたことばをいただいたもので、言いえて妙、の感が深い。
今回は、同書のタイトルにもちいた「情」についてのべたい。
愛情ということばがあるが、愛と情は、別物である。
愛が個人的感情なら、情は、社会的感情といってよいであろう。
それを的確にいいあらわしているのが、義理人情で、本来、対立するはずの義理と人情が、情(なさけ)ということばのなかで、むすびついている。義理という社会観念とひとの熱い心が、一体化して、日本人の心のかたちをつくりだしているのである。
思いやりや同情、寛容の精神も、愛ではなく、情である。
個人の心に根ざしながら、他者とともにあろうとする。この運命共同体の意識をつくりだしているのが、和の精神で、これもまた、日本人の伝統的な心根である。
愛国心も、ほんらい、情(憂)国心であろう。国のために身を捧げる覚悟は、わが身を燃焼しつくす恋になぞらえて、国への恋心である。特攻隊や2・26事件に殉じた人々の手記を読むと、国という歴史的共同体に、恋焦がれる深い情が、ひしひしと、つたわってくる。
日本の神々は、鎮守の森の土地神も(地域)祖霊(同族)も、個人をこえている。情も、日本の神々と同様に、地縁や血縁、同じ釜の飯という仲間意識をとおして、共同体や集団にたいしてはたらく。
掟(ルール)やナラワシ(常識)も、同胞とともにあろうとする情である。
情が、家族から同族、ムラ、シマ(生活圏)をこえて、国家や歴史までひろがってゆくのは、土地神や祖霊が、日本共通の神話でつながっているからで、この神々を統べるのが天照大御神である。
かつて、日本人が同じ心(情)をもちあえたのは、神話を共有していたからである。
日本の古代宗教=原始神道は、はじめから、天皇中心だったわけではない。
大和朝廷が優位になると、天皇が、土地の神や五穀の神(=社稷)をまつる最高祭司となり、地方の豪族が、天皇の宗教的権威を奉って、大和朝廷が、自然成立した。
権力者や有力者が覇権をあらそう前に、津々浦々の神々が、手をむすんだのである。
戦争ではなく、和の精神をもって、古代朝廷が統一をはたすことができたのは、天照大御神のもとで、共存をさぐりあう情がはたらいたからで、そこに、血みどろの権力抗争をくりひろげたユーラシアとの決定的なちがいがある。
キリスト教の愛を唯一の価値とした中世ヨーロッパ、善を説く儒教の古代中国で、戦乱が熄むことなく、たびたび、虐殺がおこなわれたのは、かれらの愛や善が、個人の領域にあったからで、かれらは、共同体にはたらく情をもちえなかった。
情と似て非なる愛が、拠って立つところは、個人主義である。
個人主義に立つ愛は、冷める。場合によっては、憎しみへかわる。排他的で、社会性に乏しく、しばしば、外部にたいして、敵意をむきだしにする。
明治以前、日本にあったのは、交し合う情で、愛という観念は、なかった。個人主義が根づいていなかったからである。
かつて、日本では、ひとは、個人ではなく、親の子で、子の親だった。祖の末裔にして子孫の祖で、しかも、家族や地域、共同体や組織の一部にくみいれられていたので、わが身が、単独で存在しているなどと、だれも、考えなかった。
日本に個人という考え方がめばえたのは、成仏をもとめる仏教や神と契約するキリスト教が伝来してからである。仏教の輪廻転生やキリスト教の魂の救済は、一人の人間としてうけとめる問題なので、はじめから、個人が対象なのである。
日本に、個人主義が根を下ろしたのは、明治維新の文明開化をとおして、近代的自我がうけいれられてからで、さらに、戦後、アメリカから、自由と平等の民主主義がはいってくると、情や和の精神にとってかわって、個人主義が、普遍的な価値となった。
自由も平等も、成仏や救済と同様、一人の個人にかかる観念なので、根幹に個人主義がすえられるのである。
戦後、情の文化がすたれていったのは、この個人主義が蔓延してきたからである。
個人主義は、全体主義の反対概念で、西洋の思想は、神と悪魔、愛と憎、正邪、善悪というふうに、一方を否定する二分法で、このとき「抗争の論理」がうまれる。
二元論と似ているようだが、二元論は、権威と権力のように、双方が並び立つ。
愛は、憎や嫉妬、敵愾心をまねきよせ、善悪で一方を否定しても、立場やイデオロギーによって、そのつど、善悪が逆転する。自由や平等、人権や平和など、空理をふりまわすほど、愛やヒューマニズム、正義をもちだすほど、憎悪や非人間性、悪徳がはびこる。
西洋の二分法では、いつまでも、抗争に決着がつかず、個と全体、個人と集団の対立や矛盾も、永遠に解消されない。
空理のもとでは、こうして、情という、血のかよった人間の心が失われてゆく。
世界市民を標榜する政治家が、帰国した拉致被害者を北朝鮮へ送還すべきと、血も涙もないことをいい、弱者の切り捨てや格差化社会をすすめた元首相が、人生色々とうそぶくのは、マルクス主義にしろ、新自由主義にしろ、西洋の思想に染まった者には、情が欠けているからである。
日本は、八百万の神々のもとで、万物が、それぞれ自在にある多元論の国である。
どちらが正しいか、ではなく、実情をふまえ、理に走らず、私心に溺れず、人間の心で判断する。
それが情である。愛や正義のような空理ではなく、ひとの心なので、きっぱり、白黒にわけられないが、白黒をつけないのは、空理ではなく、ひとの心がはたらいている証拠である。
現在、日本では、歴史や国体から切り離された個人主義がはびこって、政治からも社会からも、家庭からも人心からも、情が消えかかっている。
本ブログで、保守政治と国体について、のべてきたのは、政治は、もともと、情にもとづくまつりごとで、とくに、保守政治は、歴史(時間)の連続性と国体(空間)の護持を使命としていることを明らかにしたかったからである。
「『情』の国家論」で、わたしがもとめたのは、日本の文化や歴史、日本人の心に根ざした国家の、あるべきすがただったのである。
2008年07月25日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その7)
●反日主義はユダヤの思想
1979年に刊行され、現在なお、版を重ねている稀有な本がある。
前回のブログで紹介した、ユダヤ人長老モルデカイ・モーゼ著『あるユダヤ人の懺悔/日本人に謝りたい』(日新報道)である。
ネット上では、ほぼ全編がデータ・ベース化され、モルデカイ・モーゼの正体について、さまざまな説がとびかうほど関心を集めている。
そのモルデカイ・モーゼの子息(ユージン・E・モーゼ=イスラエル在住)とかれのグループから、日新報道の遠藤社長をつうじて、モルデカイの未発表の遺稿とユージン氏の署名がある原稿、および、パンフレット(同人誌のようなもの)を託された。
翻訳して、リライト・加筆したものを日本で出版したい意向という。
『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』にまして、刺激的なテーマなので、翻訳と監修、加筆がすんだ一部を紹介したい。
ユダヤ人は、政治や権力にたよって、みずからを解放する希望をもちえなかった。
それどころか、政治や権力によって、二千年来、ユダヤ人は、差別され、居住地から追われ、ゲットー(ユダヤ人強制収容所)におしこまれてきた。
国家や権力は、ユダヤ人にとって、リヴァイアサン(旧約聖書にでてくる怪物で、ホッブスの著書名)以外の何物でもなかったのだ。
在日韓国・朝鮮人は、日本から差別をうけてきたと主張する。
だが、かれらは、かつて、ゲットーにおしこまれたことがあったろうか。理由もなく、居住地から追われたであろうか。在日という理由だけで、法や国家権力、暴力によって、血も涙もない差別や虐待をうけたであろうか。
集団虐殺(ポグロム)という悲劇を、くり返し、味わったであろうか。
われわれ、ユダヤ人は、それらのすべてを体験して、強制収容された六百万人同胞を、ナチス・ゲットーのガス室において、失ったのである。
われわれにとって、政治や国家、ユダヤ人以外の民族、ユダヤ教以外の宗教は、すべて、敵であった。
敵ということばすら、われわれには、ふさわしくないだろう。ユダヤ人は、ただ一方的に、追われ、隔離され、殺されただけだったのだから。
国家をもたないわれわれには、耕すべき土地がなかった。金融以外にゆるされた職業もなかった。ユダヤ社会から、多くのすぐれた医者や弁護士、教授や科学者、思想家が輩出したのは、ユダヤ人は、土地を耕す代わりに、頭脳を耕したからで、ロスチャイルド以下、多くの金融コングロマリットが世界へ雄飛したのは、キリスト教社会が、資本主義の根幹である金貸しを、賤業として、放棄したからであった。
農業や一般産業、役人や軍人へのみちが断たれていたユダヤ人には、頭脳と金貸しのほかに、生きてゆくすべがなかった。だが、その二つこそ、世界が、人類が、産業発展の恒久財として、必要としていたものであった。
国家も土地も、安全もなかったユダヤ人が頼りにできたのは、頭脳と蓄財と世界中にひろがった人的ネットワークだけであった。皮肉なことであるが、国家と土地と安全がなかったゆえに、頭脳と蓄財、人的ネットワークをいかして、多くのユダヤ人が成功をおさめた。
成功が、嫉妬をまねくのは、太った鵞鳥が狼の食欲をそそるのと同じことで、ユダヤ人は、成功するほど、受難をまねきよせる逆風のなかで、ひたすら、生きのびるみちをさぐってきた。
だが、ユダヤ人にとって、国家は、われわれユダヤ人を食い殺すリヴァイアサンをこえていた。飼いならすことによって、かえって、守護獣になる可能性をひめているのだ。
われわれユダヤ人は、そのことを見逃すほどお人好しではなかった。
ユダヤ人にとって、国家ほど、邪悪で、偉大なものはなかった。二千年にわたって、国家に虐げられてきたからこそ、国家の悪魔性と偉大さの両方を、われわれは、よく知るのである。
国家をもたず、他国に寄生しているユダヤ人が、なすべきこと、なしうるのは、もてる財力と頭脳をつかって、国家をユダヤ人にとって都合のよいものへ変えること以外になかった。国家の牙を抜き、国家がユダヤ人にとって安全で、居心地のよいものへ改造することによってのみ、ユダヤ人は、生きのびることも、繁栄することもできる。
国家をもたないユダヤ人が、寄生する国家内で、非ユダヤ人と共存するには、国家を無力化して、一つの利便的機関へ改造しなければならない。その戦略は、ユダヤ人が二千年前、国を失って以来、もちつづけてきた永遠のエートス(=血肉化された精神)であった。
それが、結実したのが、フランス革命とアメリカ独立戦争、ロシア革命とドイツ革命(ワイマール憲法)、ニューディール政策とGHQによる日本改造だった。
これらの革命のシナリオを書いたのが、わがユダヤの同胞で、熱烈なユダヤ教の信者だったジャン・ジャック・ルソー、カール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、ゲオルグ・イェリネック、非ユダヤ人ながら、ヨーロッパのユダヤ社会を味方につけて独立戦争に勝利したベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントン、ユダヤ系で隠れ共産主義者だったフランクリン・ルーズベルト大統領、戦後、全共闘・反日勢力などに大きな影響をあたえたヘルベルト・マルクーゼである。
ユダヤ人がおこなってきた歴史的革命劇
●ジャン・ジャック・ルソー
ホッブスの『リヴァイアサン』をリライトした『社会契約論』で、自由権・平等権を拡大することによって、国家を転覆できる理論を構築。これが、フランス革命のテーゼとなった。
●カール・マルクス
モーゼの口伝律法「タルムード」を『資本論』『共産党宣言』にリライト、ロシア革命の下敷きをつくった。
●ウラジーミル・レーニン
ジョン・アトキンソン・ホブソンの著作を『帝国主義論』へリライト。暴力革命以外に、戦争による革命=敗戦革命があることをしめした。
●ゲオルグ・イェリネック
ドイツ革命をとおして、国家主権と、自由・平等:平和主義を同等におくワイマール憲法を制定、ドイツの弱体とヒトラー登場のお膳立てをした。
●フランクリン・ルーズベルト
擬似共産主義のニューディール政策は、レーニンにテキストを提供したホブソンが立
案したものである。戦後、全米に吹き荒れたマッカーシーの"赤狩り"はルーズベルト以下、容共派の残党狩りであった。
GHQは、その容共一派で、日本改造と日本国憲法は、ニューディール政策の輸出版であった。
●ヘルベルト・マルクーゼ
ナチスから逃れてアメリカに亡命、国家を悪の根源とする『エロス的文明』をとおして「否定の哲学」を主唱、これが、マルクス主義に代わるイデオロギーとして、全共闘運動や反日主義、フェミニズム運動のマニュアルになった。
フランス革命から、現在、日本で吹き荒れている反日主義運動まで、すべて、国家を無力化して、万人を「地球市民」に仕立てるべく、ユダヤ人が、緻密に練り上げた大戦略で、これら、二百年以上におよぶ歴史改造は、祖国を追われて、二千年の漂流をへたユダヤ人でなければなしえなかった偉業といえよう。
わたくし、ユージン・モーゼが、日新報道の遠藤社長をつうじて、日本の著名な政治評論家である山本峯章先生に、所見を託するのは、日本の政治家、学者、学生、国民の多くが、ユダヤ人の謀略にすこしも気がつかず、われわれがつくった革命理論、反国家主義、反道徳のエロス主義を、あたかも、正義であるかのようにうけとめ、国の方向を見失うのをおそれるからである。
われらが父、モルデカイ・モーゼは、『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の冒頭に、こう記している。
「経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象の跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないように思われる。
この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは、至極当然であろう。
日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して、日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。
何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。
もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。
しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。
このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである」
ユージン・E・モーゼ氏が『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の続編として考えている出版物(『反日主義はユダヤの思想』/仮題)には、以下の内容が網羅される予定で、今後、追って、内容を紹介してゆきたい。
■ユダヤ人が日本国憲法に仕掛けた国家自壊の法則
■ユダヤとメーソンリーにあやつられていた倒幕運動
■ユダヤの策略にひっかかった坂本竜馬と維新政府
■文明開化の正体と福沢諭吉・森有礼の「脱亜入欧」
■ユダヤとの共闘が実をむすんだ日露戦争の勝利
■ユダヤ人がつくった東京裁判「平和にたいする罪」
■自虐史観のお手本はレーニンの「帝国主義論」
■日米戦争を仕掛けた「国際ユダヤ」の深謀と短慮
■日本軍がインド洋ではなく南太平洋へむかった理由
■GHQはユダヤ系のメーソンリー・クラブだった
■日本国憲法とフランス革命をつなぐ一本の細い糸
■虚構仮説=マルクス主義を妄信した日本のインテリ
■全共闘の教祖だったマルクーゼの「否定の哲学」
■ユダヤの人間破壊工作にのったフェミニズム
■反日主義はユダヤ・プロパガンダの最高傑作?
■二つの大嘘! コスモポリタニズムと平和主義
1979年に刊行され、現在なお、版を重ねている稀有な本がある。
前回のブログで紹介した、ユダヤ人長老モルデカイ・モーゼ著『あるユダヤ人の懺悔/日本人に謝りたい』(日新報道)である。
ネット上では、ほぼ全編がデータ・ベース化され、モルデカイ・モーゼの正体について、さまざまな説がとびかうほど関心を集めている。
そのモルデカイ・モーゼの子息(ユージン・E・モーゼ=イスラエル在住)とかれのグループから、日新報道の遠藤社長をつうじて、モルデカイの未発表の遺稿とユージン氏の署名がある原稿、および、パンフレット(同人誌のようなもの)を託された。
翻訳して、リライト・加筆したものを日本で出版したい意向という。
『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』にまして、刺激的なテーマなので、翻訳と監修、加筆がすんだ一部を紹介したい。
ユダヤ人は、政治や権力にたよって、みずからを解放する希望をもちえなかった。
それどころか、政治や権力によって、二千年来、ユダヤ人は、差別され、居住地から追われ、ゲットー(ユダヤ人強制収容所)におしこまれてきた。
国家や権力は、ユダヤ人にとって、リヴァイアサン(旧約聖書にでてくる怪物で、ホッブスの著書名)以外の何物でもなかったのだ。
在日韓国・朝鮮人は、日本から差別をうけてきたと主張する。
だが、かれらは、かつて、ゲットーにおしこまれたことがあったろうか。理由もなく、居住地から追われたであろうか。在日という理由だけで、法や国家権力、暴力によって、血も涙もない差別や虐待をうけたであろうか。
集団虐殺(ポグロム)という悲劇を、くり返し、味わったであろうか。
われわれ、ユダヤ人は、それらのすべてを体験して、強制収容された六百万人同胞を、ナチス・ゲットーのガス室において、失ったのである。
われわれにとって、政治や国家、ユダヤ人以外の民族、ユダヤ教以外の宗教は、すべて、敵であった。
敵ということばすら、われわれには、ふさわしくないだろう。ユダヤ人は、ただ一方的に、追われ、隔離され、殺されただけだったのだから。
国家をもたないわれわれには、耕すべき土地がなかった。金融以外にゆるされた職業もなかった。ユダヤ社会から、多くのすぐれた医者や弁護士、教授や科学者、思想家が輩出したのは、ユダヤ人は、土地を耕す代わりに、頭脳を耕したからで、ロスチャイルド以下、多くの金融コングロマリットが世界へ雄飛したのは、キリスト教社会が、資本主義の根幹である金貸しを、賤業として、放棄したからであった。
農業や一般産業、役人や軍人へのみちが断たれていたユダヤ人には、頭脳と金貸しのほかに、生きてゆくすべがなかった。だが、その二つこそ、世界が、人類が、産業発展の恒久財として、必要としていたものであった。
国家も土地も、安全もなかったユダヤ人が頼りにできたのは、頭脳と蓄財と世界中にひろがった人的ネットワークだけであった。皮肉なことであるが、国家と土地と安全がなかったゆえに、頭脳と蓄財、人的ネットワークをいかして、多くのユダヤ人が成功をおさめた。
成功が、嫉妬をまねくのは、太った鵞鳥が狼の食欲をそそるのと同じことで、ユダヤ人は、成功するほど、受難をまねきよせる逆風のなかで、ひたすら、生きのびるみちをさぐってきた。
だが、ユダヤ人にとって、国家は、われわれユダヤ人を食い殺すリヴァイアサンをこえていた。飼いならすことによって、かえって、守護獣になる可能性をひめているのだ。
われわれユダヤ人は、そのことを見逃すほどお人好しではなかった。
ユダヤ人にとって、国家ほど、邪悪で、偉大なものはなかった。二千年にわたって、国家に虐げられてきたからこそ、国家の悪魔性と偉大さの両方を、われわれは、よく知るのである。
国家をもたず、他国に寄生しているユダヤ人が、なすべきこと、なしうるのは、もてる財力と頭脳をつかって、国家をユダヤ人にとって都合のよいものへ変えること以外になかった。国家の牙を抜き、国家がユダヤ人にとって安全で、居心地のよいものへ改造することによってのみ、ユダヤ人は、生きのびることも、繁栄することもできる。
国家をもたないユダヤ人が、寄生する国家内で、非ユダヤ人と共存するには、国家を無力化して、一つの利便的機関へ改造しなければならない。その戦略は、ユダヤ人が二千年前、国を失って以来、もちつづけてきた永遠のエートス(=血肉化された精神)であった。
それが、結実したのが、フランス革命とアメリカ独立戦争、ロシア革命とドイツ革命(ワイマール憲法)、ニューディール政策とGHQによる日本改造だった。
これらの革命のシナリオを書いたのが、わがユダヤの同胞で、熱烈なユダヤ教の信者だったジャン・ジャック・ルソー、カール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、ゲオルグ・イェリネック、非ユダヤ人ながら、ヨーロッパのユダヤ社会を味方につけて独立戦争に勝利したベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントン、ユダヤ系で隠れ共産主義者だったフランクリン・ルーズベルト大統領、戦後、全共闘・反日勢力などに大きな影響をあたえたヘルベルト・マルクーゼである。
ユダヤ人がおこなってきた歴史的革命劇
●ジャン・ジャック・ルソー
ホッブスの『リヴァイアサン』をリライトした『社会契約論』で、自由権・平等権を拡大することによって、国家を転覆できる理論を構築。これが、フランス革命のテーゼとなった。
●カール・マルクス
モーゼの口伝律法「タルムード」を『資本論』『共産党宣言』にリライト、ロシア革命の下敷きをつくった。
●ウラジーミル・レーニン
ジョン・アトキンソン・ホブソンの著作を『帝国主義論』へリライト。暴力革命以外に、戦争による革命=敗戦革命があることをしめした。
●ゲオルグ・イェリネック
ドイツ革命をとおして、国家主権と、自由・平等:平和主義を同等におくワイマール憲法を制定、ドイツの弱体とヒトラー登場のお膳立てをした。
●フランクリン・ルーズベルト
擬似共産主義のニューディール政策は、レーニンにテキストを提供したホブソンが立
案したものである。戦後、全米に吹き荒れたマッカーシーの"赤狩り"はルーズベルト以下、容共派の残党狩りであった。
GHQは、その容共一派で、日本改造と日本国憲法は、ニューディール政策の輸出版であった。
●ヘルベルト・マルクーゼ
ナチスから逃れてアメリカに亡命、国家を悪の根源とする『エロス的文明』をとおして「否定の哲学」を主唱、これが、マルクス主義に代わるイデオロギーとして、全共闘運動や反日主義、フェミニズム運動のマニュアルになった。
フランス革命から、現在、日本で吹き荒れている反日主義運動まで、すべて、国家を無力化して、万人を「地球市民」に仕立てるべく、ユダヤ人が、緻密に練り上げた大戦略で、これら、二百年以上におよぶ歴史改造は、祖国を追われて、二千年の漂流をへたユダヤ人でなければなしえなかった偉業といえよう。
わたくし、ユージン・モーゼが、日新報道の遠藤社長をつうじて、日本の著名な政治評論家である山本峯章先生に、所見を託するのは、日本の政治家、学者、学生、国民の多くが、ユダヤ人の謀略にすこしも気がつかず、われわれがつくった革命理論、反国家主義、反道徳のエロス主義を、あたかも、正義であるかのようにうけとめ、国の方向を見失うのをおそれるからである。
われらが父、モルデカイ・モーゼは、『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の冒頭に、こう記している。
「経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象の跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないように思われる。
この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは、至極当然であろう。
日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して、日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。
何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。
もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。
しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。
このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである」
ユージン・E・モーゼ氏が『あるユダヤ人の懺悔/日本人に誤りたい』の続編として考えている出版物(『反日主義はユダヤの思想』/仮題)には、以下の内容が網羅される予定で、今後、追って、内容を紹介してゆきたい。
■ユダヤ人が日本国憲法に仕掛けた国家自壊の法則
■ユダヤとメーソンリーにあやつられていた倒幕運動
■ユダヤの策略にひっかかった坂本竜馬と維新政府
■文明開化の正体と福沢諭吉・森有礼の「脱亜入欧」
■ユダヤとの共闘が実をむすんだ日露戦争の勝利
■ユダヤ人がつくった東京裁判「平和にたいする罪」
■自虐史観のお手本はレーニンの「帝国主義論」
■日米戦争を仕掛けた「国際ユダヤ」の深謀と短慮
■日本軍がインド洋ではなく南太平洋へむかった理由
■GHQはユダヤ系のメーソンリー・クラブだった
■日本国憲法とフランス革命をつなぐ一本の細い糸
■虚構仮説=マルクス主義を妄信した日本のインテリ
■全共闘の教祖だったマルクーゼの「否定の哲学」
■ユダヤの人間破壊工作にのったフェミニズム
■反日主義はユダヤ・プロパガンダの最高傑作?
■二つの大嘘! コスモポリタニズムと平和主義
2008年06月27日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その6)
●イデオロギー語に踊らされる戦後の日本人
今回は、人権や差別、民主主義など、戦後日本を呪縛してきた<イデオロギー語>について、考えてみたい。
テロや暴力事件がおきるたび、識者は「民主主義の世の中でおきてはならないこと」と口を揃える。
だが、テロや暴力は、民主主義ではなくとも、ゆるされるべきことではなく、そんなことに、いちいち、民主主義をもちだす必要はない。
民主主義は、人類がたどりついた至高の思想なので、テロや暴力など、あってはならないというわけだろうが、はたして、そうであろうか。
民主主義の発明者で、フランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』でつぎのようにいっている。
「随意に祖国をえらべといわれたら、わたしは、君主と人民のあいだに利害対立のない国をえらぶだろう。わたしの理想は、君民共治であるが、そのような政治体制が地上に存在するはずがないので(独裁や専制政治を憎む)わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶのである」
ルソーでさえ、民主主義について、独裁や専制政治よりはマシ、としかいっていない。
民が主になると、たしかに、王権や独裁権力は制限される。だが、つねに、民が正しいとはかぎらず、それどころか、民には、天下国家という視点がそなわらないので、大抵の場合、衆愚政治に陥る。
そもそも、民主主義は、無秩序の代名詞のようなものである。むろん、テロや暴力も排除できない。独裁や専制政治のもとでは、予防拘束や国民監視体制を敷けるが、民主政治では、そうはいかないからである。
ヒトラーは、日本国憲法のモデルといわれる、過剰に民主主義と平和主義をとりいれたワイマール憲法のもとで、民主選挙に圧勝して、登場してきた。民主主義は、テロや暴力、衆愚政治ばかりか、ファシズムの苗床にさえなるのである。
戦後、日本人が、民主主義を、この世の天国のように思ってきたのは、共産主義者や反国家主義者の宣伝によるもので、反体制の運動家にとって、たしかに、民主主義ほど都合のよい体制はない。
だが、一般の人々にとって、民主主義は、無秩序にさらされる、危なっかしい体制でもある。
ちなみに、ルソーが理想とした"君臣共治"は、日本の天皇体制のことである。
このテーマについては、モルデカイ・モーゼ(戦後、米政府の対日戦後処理にあたったユダヤ系アメリカ人)のことばを借りて、後述するが、ここでは、モーゼ長老のつぎのことばを紹介するにとどめる。
「自由と平等は相容れず、国家の力なくして人権がまもられたためしはなく、非武装の平和はジョークにすぎない。だが、これを民主主義、基本的人権、平和主義というイデオロギー語におきかえると、それが、一つの理想として、実際にあるかのような錯覚に陥る。
これが、祖国をもたないわれわれユダヤ人が数千年にわたって生きのび、世界支配を実現させたトリックである。自由や平等、人権や平和主義という虚構仮説(ありえない話)をふりまくことによって、ユダヤ人は、ユダヤ人の敵である国家の弱体化と、国家をこえた個人的な諸権利の両方を、手にいれてきたのである」
前回、「人権擁護法案」で、反日勢力が、差別と人権とタテに、国家の弱体化を画策している実態をのべた。
反差別や人権も、自由や平等、民主主義と同様、弱者である個人の権利を無制限に拡大して、国家を衰弱させようというユダヤ・テーゼで、このテーゼにからめとられると、体制は、土台からゆさぶられる。
差別は、広辞苑によると「差をつけて不当にとりあつかう」ことで、区別は「違いによって分けること」である。したがって、問題点は、「不当にとりあつかう」ことにある。
だが、現在、日本では、行政上も法的にも、在日外国人や同じ日本人を、差をつけて不当にとりあつかう、などということは、おこりえず、おこなわれてもいない。
意識の問題については、論外である。ひとによって、価値観が異なり、異なる思想や信条をもつ自由がある以上、心のなかにまでふみこむと、思想統制になり、予備拘束と同様、これは、けっして、ゆるされることではない。
今回の人権擁護法案は、被差別・人権擁護は絶対的に正しいので、心のなかにまで立ち入って、強制してもかまわないという野蛮な考えに立っている。
だから、わたしは、そういう法をゆるしてはならないと、声を大にするのである。
同法の推進者は、人権を、神のことばのように、思っている。
自由や平等、基本的人権などを、国家ではなく、ヤハヴェ(ユダヤ教の唯一神)からあたえられたものとするのが、ユダヤ・テーゼである。
そして、それをそっくり、いただいたのが、ヤハヴェを知らないはずの戦後日本人だった。
日本国憲法に、基本的人権や主権が、だれからあたえられ、だれによってまもられるのか、書かれていないのは、そのせいである。
日本国憲法をつくったのは、ユダヤ人だった。かれらは、そこに、ヤハヴェの名を書きたかったのかもしれないが、そうもいかない。だから、かれらは、主語を削ったのである。
戦後憲法は、ユダヤ人ケーディスを責任者とするGHQの少数のニューディーラーによって、わずか二週間でつくられた。たたき台となったのが、ワイマール憲法で、つくったのは、ドイツの内相をつとめたフーゴ・ブロイス以下、三人のユダヤ人学者だった。
ワイマール憲法も、自由や平等、人権や平和が、神のことばとして扱われている。
同憲法は、自由と平等(非差別)、平和主義が過剰にもりこまれた、ユダヤ人に都合のよいもので、ユダヤ人の権利をまもるため、世界を改造しようとするユダヤ・テーゼの産物でもあった。
●ユダヤ・テーゼに惑わされてきた二十世紀
日本人が、普遍的価値としてうけとめている、自由や平等、人権や民主主義などの近代主義は、祖国をもたないユダヤが、じぶんたちの都合がよい世界をつくりあげるため、戦略的につくりあげたイデオロギー語だったのである。
このあたりの事情をおさえておかなければ、日本人は、そっくり、ユダヤ・テーゼにとりこまれてしまうことになる。
ちなみに、ヒトラーがユダヤ人のジェノサイドを決意したのは、ユダヤ・テーゼの存在を知ったためといわれる。
【ユダヤ・テーゼ10項】
@中世以降、啓蒙思想などをとおして、自由と平等、人権、民主主義を普遍的な価値に高め、個人と国家と対立させてきた
Aユダヤ人であるジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」で、自由と平等が国家をこえることをしめした
Bルソー主義によって、ヨーロッパにおける王室の廃絶とフランス革命が実現した
Cユダヤ人であるマルクスが、ユダヤ教を「共産党宣言」にリライトして、暴力革命の必然性を示唆(ユダヤの金銭観、世界観を反映させたのが「資本論」)した
Dユダヤ人であるレーニンが、戦争こそ、革命をこえる有効な革命とする「帝国主義論」を展開(敗戦革命)した
Eドイツ法学界のユダヤ勢力が、自由と平等を過剰にもりこんだ「ワイマール憲法」をつくり、結果として、ナチス・ヒトラーの台頭をまねく
Fユダヤ人であるルーズベルトが、ニューディール政策で、アメリカの共産化をはかる
Gルーズベルトが、スターリンとつうじ、ドイツ・日本に宣戦布告をおこなって、世界大戦をひきおこす
Hユダヤ集団GHQが、戦後日本をユダヤ(無国籍者)の楽園にすべく、自由と平等を基本的人権におきかえた平和憲法を制定する
I二律背反する自由と平等をもりこんだ民主主義によって、国家理性と道徳が崩壊した
自由と平等の啓蒙主義から、フランス革命、ロシア革命、第二次世界大戦、GHQによる日本改造まで、世界史の激動に、ユダヤ・テーゼがはたらいていたわけだが、その作品の一つが、日本国憲法だった。
戦後、マッカーサー元帥以下、ユダヤ人を中心とするGHQのニューディーラーたちは、日本という国家を解体すべく、勇んで、日本にやってきた。
そして、日本の真のすがたを発見して、腰を抜かすほど、驚く。
山本七平・イザヤペンダサンの『日本人とユダヤ人』に並ぶ名著として知られているモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』(日新報道)から引用する。
われわれ、ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想をつねに頭に描いてきた。
だが、ユダヤ民族は、永い永い迫害の悲しい歴史のなかで、これら理想を実現させる余裕などまったくなく、ただ、いかに、生命の安全をまっとうするかということだけに心血を注がねばならなかった。
第二次大戦終結まで、みずからを解放するため、つねに、たたかいつづけてきたわれわれには、残念ながら、理想は、遠い夢にすぎなかった。
われわれは、敗戦後の日本へやってきて、はじめて、ユダヤ人が理想としてきたものが、日本に実在していたことを知った。
そのときの驚きは、いまなお、筆舌につくしがたい。
われわれの犯した誤りは、戦前まで、日本が世界に冠絶した、類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまったことである。
そのことを思うと、われわれの心は痛む。その痛みは、日本が戦前まで、もっていた類い稀れな長所が、われわれ、ユダヤ民族が理想としてもとめてきたものだったと知るほどに、深い後悔をともなって、倍加されるのである。
マッカーサーもわれわれも、天皇を、日本統治のために利用したのでない。
われわれは、君民共治の理想を、ルソーが空想のなかにもとめたように、現実のなかにみいだしたのである。
ユダヤ人、アインシュタインも、大正十一年、伊勢神宮を訪問した際、同様のことをのべている。
近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
そのとき、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主を仰がなければならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえたもっとも古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアにはじまって、アジアに帰る。
それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。
われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを――
( 祥伝社黄金文庫 「『日本文明』の真価」/清水馨八郎)
中学生が、平気で、人権ということばを口にして、大人が、そのことばにひれ伏すという異様な出来事が、戦後、半世紀もつづいてきた。
そろそろ、その呪縛から開放されなければ、ユダヤ・テーゼを戦略化する反日勢力によって、日本は、アインシュタインが感動した真のすがたを完全に失ってしまうことになるだろう。
次回から、モルデカイ・モーゼの未発表遺稿と故モルデカイ長老の意志を継ぐユージン・L・モーゼ氏の監訳をまじえ、反日主義の正体をさらに暴きだしていきたい。
今回は、人権や差別、民主主義など、戦後日本を呪縛してきた<イデオロギー語>について、考えてみたい。
テロや暴力事件がおきるたび、識者は「民主主義の世の中でおきてはならないこと」と口を揃える。
だが、テロや暴力は、民主主義ではなくとも、ゆるされるべきことではなく、そんなことに、いちいち、民主主義をもちだす必要はない。
民主主義は、人類がたどりついた至高の思想なので、テロや暴力など、あってはならないというわけだろうが、はたして、そうであろうか。
民主主義の発明者で、フランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』でつぎのようにいっている。
「随意に祖国をえらべといわれたら、わたしは、君主と人民のあいだに利害対立のない国をえらぶだろう。わたしの理想は、君民共治であるが、そのような政治体制が地上に存在するはずがないので(独裁や専制政治を憎む)わたしは、やむをえず、民主主義をえらぶのである」
ルソーでさえ、民主主義について、独裁や専制政治よりはマシ、としかいっていない。
民が主になると、たしかに、王権や独裁権力は制限される。だが、つねに、民が正しいとはかぎらず、それどころか、民には、天下国家という視点がそなわらないので、大抵の場合、衆愚政治に陥る。
そもそも、民主主義は、無秩序の代名詞のようなものである。むろん、テロや暴力も排除できない。独裁や専制政治のもとでは、予防拘束や国民監視体制を敷けるが、民主政治では、そうはいかないからである。
ヒトラーは、日本国憲法のモデルといわれる、過剰に民主主義と平和主義をとりいれたワイマール憲法のもとで、民主選挙に圧勝して、登場してきた。民主主義は、テロや暴力、衆愚政治ばかりか、ファシズムの苗床にさえなるのである。
戦後、日本人が、民主主義を、この世の天国のように思ってきたのは、共産主義者や反国家主義者の宣伝によるもので、反体制の運動家にとって、たしかに、民主主義ほど都合のよい体制はない。
だが、一般の人々にとって、民主主義は、無秩序にさらされる、危なっかしい体制でもある。
ちなみに、ルソーが理想とした"君臣共治"は、日本の天皇体制のことである。
このテーマについては、モルデカイ・モーゼ(戦後、米政府の対日戦後処理にあたったユダヤ系アメリカ人)のことばを借りて、後述するが、ここでは、モーゼ長老のつぎのことばを紹介するにとどめる。
「自由と平等は相容れず、国家の力なくして人権がまもられたためしはなく、非武装の平和はジョークにすぎない。だが、これを民主主義、基本的人権、平和主義というイデオロギー語におきかえると、それが、一つの理想として、実際にあるかのような錯覚に陥る。
これが、祖国をもたないわれわれユダヤ人が数千年にわたって生きのび、世界支配を実現させたトリックである。自由や平等、人権や平和主義という虚構仮説(ありえない話)をふりまくことによって、ユダヤ人は、ユダヤ人の敵である国家の弱体化と、国家をこえた個人的な諸権利の両方を、手にいれてきたのである」
前回、「人権擁護法案」で、反日勢力が、差別と人権とタテに、国家の弱体化を画策している実態をのべた。
反差別や人権も、自由や平等、民主主義と同様、弱者である個人の権利を無制限に拡大して、国家を衰弱させようというユダヤ・テーゼで、このテーゼにからめとられると、体制は、土台からゆさぶられる。
差別は、広辞苑によると「差をつけて不当にとりあつかう」ことで、区別は「違いによって分けること」である。したがって、問題点は、「不当にとりあつかう」ことにある。
だが、現在、日本では、行政上も法的にも、在日外国人や同じ日本人を、差をつけて不当にとりあつかう、などということは、おこりえず、おこなわれてもいない。
意識の問題については、論外である。ひとによって、価値観が異なり、異なる思想や信条をもつ自由がある以上、心のなかにまでふみこむと、思想統制になり、予備拘束と同様、これは、けっして、ゆるされることではない。
今回の人権擁護法案は、被差別・人権擁護は絶対的に正しいので、心のなかにまで立ち入って、強制してもかまわないという野蛮な考えに立っている。
だから、わたしは、そういう法をゆるしてはならないと、声を大にするのである。
同法の推進者は、人権を、神のことばのように、思っている。
自由や平等、基本的人権などを、国家ではなく、ヤハヴェ(ユダヤ教の唯一神)からあたえられたものとするのが、ユダヤ・テーゼである。
そして、それをそっくり、いただいたのが、ヤハヴェを知らないはずの戦後日本人だった。
日本国憲法に、基本的人権や主権が、だれからあたえられ、だれによってまもられるのか、書かれていないのは、そのせいである。
日本国憲法をつくったのは、ユダヤ人だった。かれらは、そこに、ヤハヴェの名を書きたかったのかもしれないが、そうもいかない。だから、かれらは、主語を削ったのである。
戦後憲法は、ユダヤ人ケーディスを責任者とするGHQの少数のニューディーラーによって、わずか二週間でつくられた。たたき台となったのが、ワイマール憲法で、つくったのは、ドイツの内相をつとめたフーゴ・ブロイス以下、三人のユダヤ人学者だった。
ワイマール憲法も、自由や平等、人権や平和が、神のことばとして扱われている。
同憲法は、自由と平等(非差別)、平和主義が過剰にもりこまれた、ユダヤ人に都合のよいもので、ユダヤ人の権利をまもるため、世界を改造しようとするユダヤ・テーゼの産物でもあった。
●ユダヤ・テーゼに惑わされてきた二十世紀
日本人が、普遍的価値としてうけとめている、自由や平等、人権や民主主義などの近代主義は、祖国をもたないユダヤが、じぶんたちの都合がよい世界をつくりあげるため、戦略的につくりあげたイデオロギー語だったのである。
このあたりの事情をおさえておかなければ、日本人は、そっくり、ユダヤ・テーゼにとりこまれてしまうことになる。
ちなみに、ヒトラーがユダヤ人のジェノサイドを決意したのは、ユダヤ・テーゼの存在を知ったためといわれる。
【ユダヤ・テーゼ10項】
@中世以降、啓蒙思想などをとおして、自由と平等、人権、民主主義を普遍的な価値に高め、個人と国家と対立させてきた
Aユダヤ人であるジャン・ジャック・ルソーは「社会契約論」で、自由と平等が国家をこえることをしめした
Bルソー主義によって、ヨーロッパにおける王室の廃絶とフランス革命が実現した
Cユダヤ人であるマルクスが、ユダヤ教を「共産党宣言」にリライトして、暴力革命の必然性を示唆(ユダヤの金銭観、世界観を反映させたのが「資本論」)した
Dユダヤ人であるレーニンが、戦争こそ、革命をこえる有効な革命とする「帝国主義論」を展開(敗戦革命)した
Eドイツ法学界のユダヤ勢力が、自由と平等を過剰にもりこんだ「ワイマール憲法」をつくり、結果として、ナチス・ヒトラーの台頭をまねく
Fユダヤ人であるルーズベルトが、ニューディール政策で、アメリカの共産化をはかる
Gルーズベルトが、スターリンとつうじ、ドイツ・日本に宣戦布告をおこなって、世界大戦をひきおこす
Hユダヤ集団GHQが、戦後日本をユダヤ(無国籍者)の楽園にすべく、自由と平等を基本的人権におきかえた平和憲法を制定する
I二律背反する自由と平等をもりこんだ民主主義によって、国家理性と道徳が崩壊した
自由と平等の啓蒙主義から、フランス革命、ロシア革命、第二次世界大戦、GHQによる日本改造まで、世界史の激動に、ユダヤ・テーゼがはたらいていたわけだが、その作品の一つが、日本国憲法だった。
戦後、マッカーサー元帥以下、ユダヤ人を中心とするGHQのニューディーラーたちは、日本という国家を解体すべく、勇んで、日本にやってきた。
そして、日本の真のすがたを発見して、腰を抜かすほど、驚く。
山本七平・イザヤペンダサンの『日本人とユダヤ人』に並ぶ名著として知られているモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』(日新報道)から引用する。
われわれ、ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想をつねに頭に描いてきた。
だが、ユダヤ民族は、永い永い迫害の悲しい歴史のなかで、これら理想を実現させる余裕などまったくなく、ただ、いかに、生命の安全をまっとうするかということだけに心血を注がねばならなかった。
第二次大戦終結まで、みずからを解放するため、つねに、たたかいつづけてきたわれわれには、残念ながら、理想は、遠い夢にすぎなかった。
われわれは、敗戦後の日本へやってきて、はじめて、ユダヤ人が理想としてきたものが、日本に実在していたことを知った。
そのときの驚きは、いまなお、筆舌につくしがたい。
われわれの犯した誤りは、戦前まで、日本が世界に冠絶した、類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまったことである。
そのことを思うと、われわれの心は痛む。その痛みは、日本が戦前まで、もっていた類い稀れな長所が、われわれ、ユダヤ民族が理想としてもとめてきたものだったと知るほどに、深い後悔をともなって、倍加されるのである。
マッカーサーもわれわれも、天皇を、日本統治のために利用したのでない。
われわれは、君民共治の理想を、ルソーが空想のなかにもとめたように、現実のなかにみいだしたのである。
ユダヤ人、アインシュタインも、大正十一年、伊勢神宮を訪問した際、同様のことをのべている。
近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
私はこのような尊い国が世界に一ヶ所ぐらいなくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
そのとき、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主を仰がなければならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえたもっとも古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアにはじまって、アジアに帰る。
それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。
われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを――
( 祥伝社黄金文庫 「『日本文明』の真価」/清水馨八郎)
中学生が、平気で、人権ということばを口にして、大人が、そのことばにひれ伏すという異様な出来事が、戦後、半世紀もつづいてきた。
そろそろ、その呪縛から開放されなければ、ユダヤ・テーゼを戦略化する反日勢力によって、日本は、アインシュタインが感動した真のすがたを完全に失ってしまうことになるだろう。
次回から、モルデカイ・モーゼの未発表遺稿と故モルデカイ長老の意志を継ぐユージン・L・モーゼ氏の監訳をまじえ、反日主義の正体をさらに暴きだしていきたい。
2008年06月24日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その5)
●日本の"非日本化"を画策する反日勢力の謀略
自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が、新しい「人権擁護法案(太田私案)」の骨子をまとめ、推進派の急先鋒、古賀誠選対委員長とともに、党内で意見調整をはかった。
だが、中堅・若手議員から「現在の個別法で対応すべき」「新たな法案は不要」と反対意見が続出、自民党は、今国会への法案提出を断念して、秋の臨時国会まで議論の先送りを余儀なくされた。
五年前、世論や党内の反対をうけて、廃案になり、三年前、自民党内で議論されたときには、議案の再提出にさえいたらなかった「人権擁護法案」が、亡霊のように再登場してきた裏に、反日勢力が結集した謀略が隠されていることを見逃してはならない。
政府与党の自民党が、反日勢力にとりこまれて、国体を危うくしているのである。
謀略とは、日本の"非日本化"で、反日勢力とは、左翼や無国籍主義者、日教組、労働団体のほか、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人、および、被差別を自称する人々である。
太田誠一がもちだしてきた今回の新しい「人権擁護法案」は、一連の反日法案の強化策として、反日勢力が仕掛けてきた謀略戦といってよい。
【反日主義者による一連の謀略法案】
■皇室典範改悪→国体破壊(万世一系/天皇体制の否定)
■道州制導入→国家システムの解体(国家主権の分断)
■外国人選挙権→政体工作(国民国家の形骸化)
■人権擁護法案→国家機能の無力化(差別撤廃を口実にした言論弾圧)
「人権擁護法案」は、国家や国体、政体を攻撃目標にしている反日勢力が、一般国民・保守陣営の言論に "差別"という烙印をおして、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなおうという言論弾圧である。
このとき、警察権と同様の捜査権をもつのが「国家権力と対置する意見・感覚が必要」(法務省)とされる人権擁護委員会で、かれらの多くは、反日主義者といわれる。
全国に二万人ほどの人権委員は、ほぼ、半数が無職で、何らかの政治活動に従事している。反日的な団体が、メンバーの専任をおこない、差別の対象になる可能性のあるひとを優先しているので、委員は、左翼のプロ市民や組合・労働運動家のほか、部落解放同盟の関係者が少なくなく、しかも、資格要因から国籍条項が外されているため、朝鮮総連や在日韓国・朝鮮人が、多数、ふくまれている。
人権擁護法案は、かれらに、言論弾圧の強権をあたえようという法律である。
人権擁護法が成立すると、人権委員が、皇室典範改悪や道州制導入、外国人選挙権付与に反対する国民や保守論陣の言論を「差別的」と判断しただけで、同委員会が、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなえるようになる。
たとえば、わたしが、自著などに「女性天皇には神武天皇以来の男性Y遺伝子がない」と書き、それが、人権委員会から「女性差別」と認定されると、わたしは<差別主義者>として氏名を公表され、自著は回収後、廃棄処分、出版業界から追放となる仕組みで、そんな法ができたら、マスコミ・出版業界には、左翼と反体制主義者、朝日系の進歩的文化人しか残らなくなってしまうだろう。
ナチスのゲシュタボ、文化大革命の紅衛兵、戦時中の憲兵のような連中が、権力をもった行政委員として、日々、国民を監視し、私生活にまで介入して、人権侵害の申し立てがあれば、法務局に代わって、被疑者に出頭を命じ、取り調べ、個人の"社会的抹殺"という特権までもつ。
しかも、何が差別で、何が人権侵害にあたるかは、すべて、人権委員会の判断にゆだねられるため、被疑者には、抗弁がゆるされない。
いわば、公認された私刑(リンチ)で、治安維持法でも、裁判所の令状が必要だったことを考えると、この人権擁護法は、中世の魔女狩りの再来としかいいようがない。
このとき、容疑をかけられた日本人を取調べ、吊るしあげるのが、外国籍の金日成崇拝者や日本人に恨み骨髄の被差別部落出身者となる可能性も、十分、ありうる。すると、善意の日本人は、じぶんの国にいながら、外国人から弾圧をうけ、あるいは、被差別の怨恨のうさ晴らしにされることになる。
当然、密告が横行するだろう。ある日、とつぜん、「差別的発言をした」として、出頭を命じられるかもしれず、そんな風潮になったら、日本人は、びくびくしながら生きなければならなくなり、和という日本の美風は消え、人心の荒廃は、目もあてられないものとなるだろう。
いままで、問題化していなかった在日韓国・朝鮮人、および、被差別部落にたいする差別意識が増幅して、憎悪になれば、大きな社会問題となる可能性もある。さわらぬ神にタタリなし、ということになれば、かえって、寒々しい差別も生じるだろう。
この法案がとおれば、暗黒のファシズム社会と新たな差別社会が、一挙に、到来することになるが、なぜ、このような暗黒法が、自民党からでてきたのか。
創価学会・池田大作に意向がはたらいているのである。
自民党で、この「人権擁護法案」に賛成しているのは、太田誠一をはじめ、創価学会から票をもらって、当選してきた議員ばかりである。
人権擁護法案を裏で操っているのが、その創価学会を自民党へとりこんだ野中広務である。
野中から自民党幹事長にしてもらった古賀誠、その下の太田誠一が、人権擁護法案の推進しているのは、わが身かわいさのあまりで、「強姦されるほうも悪い」「レイプは元気である証拠」という暴言を吐いて落選した太田誠一は、部落開放同盟に、人権擁護法案の国会提出を約束しているという。
ちなみに、部落開放同盟は、天皇体制が、差別や人権侵害の根源と公言してはばからない反体制の集団で、野中や古賀、太田は、かれらの同調者である。
●国家・国体より差別の怨恨を優先させる野中広務
野中は、大阪大鉄局業務部審査課の主査時代に、同郷の後輩から、被差別部落出身であることを上司にバラされて「一週間、泣きに泣いた」末に、国鉄を辞めたという。
その執念が「人権擁護法案」というわけで、反差別主義の野中に、国家も国体もない。
園部町長時代は、共産党の蜷川京都府知事べったりだったが、田中角栄に目をかけられて府議会議員に当選すると、一転して、自民党と敵対していた蜷川を攻撃して、田中派の国会議員として赤絨緞をふむ。
国会議員になってから、大恩人の角栄を裏切って経世会にくわわり、竹下登が小沢一郎に寝首をかかれ、自民党が野に下ると、野中は、政敵だった社会党の村山富一を首班とする三党連立という奇策をつかって政権を取り返す。
村山内閣で、公安委員長となった野中は、細川連立政の一翼を担った公明党を攻撃、宗教法人法の改正や池田大作の国会喚問をちらつかせ、池田を攻略して、小沢から公明党を奪いとった。
ここから、大物議員でも、池田大作ににらまれると落選する自・公の腐れ縁がはじまった。
国家よりも反差別、天皇より人権の野中が、創価学会を国教にするのが夢という池田大作と組み、反日勢力を結集して、法制化しようというのが「人権擁護法案」で、これがとおるようなことになれば、日本の"非日本化"が、一気にすすむことになる。
現在、年間2万4000件ほどおきている人権侵害事件は、すべて、現行法で処理できており、差別問題も、過剰と思えるほどの法整備と国民的自制で、大きな問題は生じていない。
にもかかわず、二重に、人権擁護法案のような法律をつくろうというのは、人権や差別の新法が、国家機能を無力化という、べつの政治目的をもっているからである。
人権擁護と反差別は、基本的人権にかかわる。この基本的人権は、国家をこえた普遍的な価値というのが、日本国憲法の根幹で、国権といえども、これをこえられない。
反日主義者は、人権と差別をタテに、国家をこえる権力をわがものにすべく、人権擁護法案の立法化に、血眼になっているのである。
日本は、法治国家であるが、法は、元来、国家をこえることができない。
国家主権は、法を超越した権利で、だからこそ、国家は、国家理性によって運営されるのである。
だが、人権擁護法安が成立すると、国民の人権をまもる主体が、国家から市民グループへ移って、国民の人権をまもるという国家主権が、停止する。
反日主義者の狙いが、マスコミ支配を視野にいれた言論弾圧であることはいうをまたないが、裏に隠されている意図は――基本的人権をタテに、国家をこえる権力をもって、日本を改造することにある。
そして、四つの反日法案で、国体・国家システム・政体・国家機能を、反日主義者集団に売り渡そうというのが、創価学会にとりこまれた自民党のすがたなのである。
自民党が反日勢力と手を組む――政治の堕落は、ここに極まったというべきだろう。
自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が、新しい「人権擁護法案(太田私案)」の骨子をまとめ、推進派の急先鋒、古賀誠選対委員長とともに、党内で意見調整をはかった。
だが、中堅・若手議員から「現在の個別法で対応すべき」「新たな法案は不要」と反対意見が続出、自民党は、今国会への法案提出を断念して、秋の臨時国会まで議論の先送りを余儀なくされた。
五年前、世論や党内の反対をうけて、廃案になり、三年前、自民党内で議論されたときには、議案の再提出にさえいたらなかった「人権擁護法案」が、亡霊のように再登場してきた裏に、反日勢力が結集した謀略が隠されていることを見逃してはならない。
政府与党の自民党が、反日勢力にとりこまれて、国体を危うくしているのである。
謀略とは、日本の"非日本化"で、反日勢力とは、左翼や無国籍主義者、日教組、労働団体のほか、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人、および、被差別を自称する人々である。
太田誠一がもちだしてきた今回の新しい「人権擁護法案」は、一連の反日法案の強化策として、反日勢力が仕掛けてきた謀略戦といってよい。
【反日主義者による一連の謀略法案】
■皇室典範改悪→国体破壊(万世一系/天皇体制の否定)
■道州制導入→国家システムの解体(国家主権の分断)
■外国人選挙権→政体工作(国民国家の形骸化)
■人権擁護法案→国家機能の無力化(差別撤廃を口実にした言論弾圧)
「人権擁護法案」は、国家や国体、政体を攻撃目標にしている反日勢力が、一般国民・保守陣営の言論に "差別"という烙印をおして、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなおうという言論弾圧である。
このとき、警察権と同様の捜査権をもつのが「国家権力と対置する意見・感覚が必要」(法務省)とされる人権擁護委員会で、かれらの多くは、反日主義者といわれる。
全国に二万人ほどの人権委員は、ほぼ、半数が無職で、何らかの政治活動に従事している。反日的な団体が、メンバーの専任をおこない、差別の対象になる可能性のあるひとを優先しているので、委員は、左翼のプロ市民や組合・労働運動家のほか、部落解放同盟の関係者が少なくなく、しかも、資格要因から国籍条項が外されているため、朝鮮総連や在日韓国・朝鮮人が、多数、ふくまれている。
人権擁護法案は、かれらに、言論弾圧の強権をあたえようという法律である。
人権擁護法が成立すると、人権委員が、皇室典範改悪や道州制導入、外国人選挙権付与に反対する国民や保守論陣の言論を「差別的」と判断しただけで、同委員会が、裁判所の許可なく、立ち入り検査・強制捜査をおこなえるようになる。
たとえば、わたしが、自著などに「女性天皇には神武天皇以来の男性Y遺伝子がない」と書き、それが、人権委員会から「女性差別」と認定されると、わたしは<差別主義者>として氏名を公表され、自著は回収後、廃棄処分、出版業界から追放となる仕組みで、そんな法ができたら、マスコミ・出版業界には、左翼と反体制主義者、朝日系の進歩的文化人しか残らなくなってしまうだろう。
ナチスのゲシュタボ、文化大革命の紅衛兵、戦時中の憲兵のような連中が、権力をもった行政委員として、日々、国民を監視し、私生活にまで介入して、人権侵害の申し立てがあれば、法務局に代わって、被疑者に出頭を命じ、取り調べ、個人の"社会的抹殺"という特権までもつ。
しかも、何が差別で、何が人権侵害にあたるかは、すべて、人権委員会の判断にゆだねられるため、被疑者には、抗弁がゆるされない。
いわば、公認された私刑(リンチ)で、治安維持法でも、裁判所の令状が必要だったことを考えると、この人権擁護法は、中世の魔女狩りの再来としかいいようがない。
このとき、容疑をかけられた日本人を取調べ、吊るしあげるのが、外国籍の金日成崇拝者や日本人に恨み骨髄の被差別部落出身者となる可能性も、十分、ありうる。すると、善意の日本人は、じぶんの国にいながら、外国人から弾圧をうけ、あるいは、被差別の怨恨のうさ晴らしにされることになる。
当然、密告が横行するだろう。ある日、とつぜん、「差別的発言をした」として、出頭を命じられるかもしれず、そんな風潮になったら、日本人は、びくびくしながら生きなければならなくなり、和という日本の美風は消え、人心の荒廃は、目もあてられないものとなるだろう。
いままで、問題化していなかった在日韓国・朝鮮人、および、被差別部落にたいする差別意識が増幅して、憎悪になれば、大きな社会問題となる可能性もある。さわらぬ神にタタリなし、ということになれば、かえって、寒々しい差別も生じるだろう。
この法案がとおれば、暗黒のファシズム社会と新たな差別社会が、一挙に、到来することになるが、なぜ、このような暗黒法が、自民党からでてきたのか。
創価学会・池田大作に意向がはたらいているのである。
自民党で、この「人権擁護法案」に賛成しているのは、太田誠一をはじめ、創価学会から票をもらって、当選してきた議員ばかりである。
人権擁護法案を裏で操っているのが、その創価学会を自民党へとりこんだ野中広務である。
野中から自民党幹事長にしてもらった古賀誠、その下の太田誠一が、人権擁護法案の推進しているのは、わが身かわいさのあまりで、「強姦されるほうも悪い」「レイプは元気である証拠」という暴言を吐いて落選した太田誠一は、部落開放同盟に、人権擁護法案の国会提出を約束しているという。
ちなみに、部落開放同盟は、天皇体制が、差別や人権侵害の根源と公言してはばからない反体制の集団で、野中や古賀、太田は、かれらの同調者である。
●国家・国体より差別の怨恨を優先させる野中広務
野中は、大阪大鉄局業務部審査課の主査時代に、同郷の後輩から、被差別部落出身であることを上司にバラされて「一週間、泣きに泣いた」末に、国鉄を辞めたという。
その執念が「人権擁護法案」というわけで、反差別主義の野中に、国家も国体もない。
園部町長時代は、共産党の蜷川京都府知事べったりだったが、田中角栄に目をかけられて府議会議員に当選すると、一転して、自民党と敵対していた蜷川を攻撃して、田中派の国会議員として赤絨緞をふむ。
国会議員になってから、大恩人の角栄を裏切って経世会にくわわり、竹下登が小沢一郎に寝首をかかれ、自民党が野に下ると、野中は、政敵だった社会党の村山富一を首班とする三党連立という奇策をつかって政権を取り返す。
村山内閣で、公安委員長となった野中は、細川連立政の一翼を担った公明党を攻撃、宗教法人法の改正や池田大作の国会喚問をちらつかせ、池田を攻略して、小沢から公明党を奪いとった。
ここから、大物議員でも、池田大作ににらまれると落選する自・公の腐れ縁がはじまった。
国家よりも反差別、天皇より人権の野中が、創価学会を国教にするのが夢という池田大作と組み、反日勢力を結集して、法制化しようというのが「人権擁護法案」で、これがとおるようなことになれば、日本の"非日本化"が、一気にすすむことになる。
現在、年間2万4000件ほどおきている人権侵害事件は、すべて、現行法で処理できており、差別問題も、過剰と思えるほどの法整備と国民的自制で、大きな問題は生じていない。
にもかかわず、二重に、人権擁護法案のような法律をつくろうというのは、人権や差別の新法が、国家機能を無力化という、べつの政治目的をもっているからである。
人権擁護と反差別は、基本的人権にかかわる。この基本的人権は、国家をこえた普遍的な価値というのが、日本国憲法の根幹で、国権といえども、これをこえられない。
反日主義者は、人権と差別をタテに、国家をこえる権力をわがものにすべく、人権擁護法案の立法化に、血眼になっているのである。
日本は、法治国家であるが、法は、元来、国家をこえることができない。
国家主権は、法を超越した権利で、だからこそ、国家は、国家理性によって運営されるのである。
だが、人権擁護法安が成立すると、国民の人権をまもる主体が、国家から市民グループへ移って、国民の人権をまもるという国家主権が、停止する。
反日主義者の狙いが、マスコミ支配を視野にいれた言論弾圧であることはいうをまたないが、裏に隠されている意図は――基本的人権をタテに、国家をこえる権力をもって、日本を改造することにある。
そして、四つの反日法案で、国体・国家システム・政体・国家機能を、反日主義者集団に売り渡そうというのが、創価学会にとりこまれた自民党のすがたなのである。
自民党が反日勢力と手を組む――政治の堕落は、ここに極まったというべきだろう。
2008年06月19日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その4)
●「東京裁判史観」と「自虐史観」は歴史の断絶
東京裁判史観と自虐史観は、一対になっている。
前者が「日本は、侵略戦争をおこなったので、戦犯処刑や都市空襲、原爆投下は当然の報い」というプロパガンダで、後者は、細川護煕・村山富一の戦争責任談話、宮沢喜一の「近隣諸国条項」に象徴される「日本は、アジアに侵略戦争をしかけたので、その咎を負わねばならない」という歴史上の事実誤認である。
戦勝国から完膚なきまでに叩きのめされた敗戦国が、正気を失い、戦後、半世紀以上もへて、なお、アメリカやアジアに平伏しているのが、現在の日本のすがたなのである。
なぜ、そのような意気地なしになってしまったのか。
理由は、三つ、考えられる。
一つは、戦死や要人追放、財閥解体などで、気骨のある日本人がすくなくなっていたたこと。
二つ目は、敗戦革命によって、歴史の連続性が断ち切られたこと。
三つ目は、戦時中、国家総動員法や統制経済をおこなった革新官僚が、戦後、左翼的なGHQの官僚になり、そのまま、霞ヶ関に居座ったことである。
だが、それだけの理由で、日本人が、これほどだらしなくなるものであろうか。
むろん、別に、理由があった。
東京裁判に、国家分断のワナが、仕掛けられていたのである。
「悪いのは、侵略戦争を指導した軍の一部で、一般国民は被害者だった」というテーゼが、それである。
くわえて、天皇が、戦争責任を免れた。予想していたより温和だったGHQ政策とアメリカ民主主義にふれて、いつのまにか、日本人は、「じぶんたちは軍部にダマされていた――われわれは、軍国主義の被害者だった」という、思考パターンに陥った。
GHQが仕掛けてきた思想戦に、一発で、KO負けを喫してしまったのである。
戦後、日本人が、物質的満足にしか関心をむけないエコノミック・アニマルになってしまったのは、軍事力・占領・思想戦(戦争における勝利の三原則)に、徹底的に敗北したからで、その思想戦の仕上げが、「国の指導者からダマされていた国民に罪はない」という免罪符だった。
その結果、何がおきたかといえば、「歴史の断絶」と「過去の否定」だった。
ダマされていた、ということは、悪いのは過去の体制ということになる。
東京裁判が閉廷した日、朝日新聞は「お役目ご苦労様」と書いた。日本の戦争指導者を処刑したGHQをねぎらったのである。歴史の連続性が断たれていなければ、できない芸当である。
東京裁判史観の弊害は、日本が、侵略戦争をおこなったという罪意識ではなく、一般の日本人が、指導者にダマされていたとする被害者意識である。
それに気づかせてくれたのがGHQなので、戦後日本人にとって、GHQは、恩人ということになる。
GHQを解放軍と見立てた日本共産党は、GHQの建物の前で万歳三唱をしたが、多くの日本人も、そのトリックにひっかかって、過去を見限って、アメリカ民主主義にとびついた。
それでは、GHQがもちこんできたアメリカ民主主義とは、何だったのか。
かぎりなく、共産主義に近い人民民主主義だった。
GHQは、ニューディーラーの集団だった。
「赤狩り」のマッカーシズム旋風で、ニューディールの推進者だったルーズベルト(当時はすでに死亡)一派が一網打尽にされたことからもわかるように、ニューディーラーは、大半が、共産主義思想の持ち主だった。
だからこそ、GHQの対日敗戦処理が左翼的で、かれらがおしつけてきた憲法が、あれほど左翼的だったのである。
サンフランシスコ講和条約が成って、GHQは去った。だが、左翼的な体制は残った。
この体制をまもろうするのが、護憲派で、その代表が日本共産党である。
GHQを解放軍として迎えた日本共産党が、GHQがつくった憲法をまもろうとするのは、筋がとおっている。ニューディーラーが、かぎりなく、共産主義に近かったからだが、そのニューディーラーは、アメリカで退治された。
マッカーシズムによって、アメリカは、正気にもどった。
だから、日本共産党は、かつて、解放軍と見立てたアメリカを、こんどは「米帝」と罵るのである。
サンフランシスコ講和条約のとき、日本でも、マッカーシズム旋風が吹き荒れていれば、真っ先に憲法が改正されて、東京裁判史観・自虐史観などでてくる余地はなかっただろう。
だが、軍隊や国家主義に嫌悪感をもっていた吉田茂に、戦後体制と憲法をかえる気はなかった。安全保障はアメリカにまかせて、日本は、経済発展だけに専念しようというのである。
「東京裁判史観」と「自虐史観」は戦後の日本人がつくった――というのは、この国家否定の思想は、吉田ドクトリンのもとで、GHQが敷いた左翼化路線をまっしぐらにすすんできた必然的な結果だからである。
労働・組合運動による資本主義精神の破壊と日教組による教育破壊、左翼マスコミによる世論操作――この三つで、国家の背骨は、ガタガタになる。
その路線を敷いたのが、日本の大改造をはかったGHQだったのはいうまでもない。
だが、これらの歴史や文化の破壊は、GHQのもとで、すすめられたわけではない。
GHQ改革は、短期間で収束して、言論弾圧や神道指令も、早々に、解除された。
そして、昭和27年のサンフランシスコ講和条約のあと、アメリカへ帰っていった。
昭和三十年の前半までは、戦前の日本が残っていた。どこの家も国旗をもち、祝日には、玄関に日の丸が掲げた。アメリカを悪玉にした戦争マンガ(ゼロ戦はやとなど)が人気を博し、皇国史観を題材にした映画(日本誕生/1959年)もヒットした。
当時、東京裁判史観や自虐史観は、影も形もなかった。
昭和40年代後半になって、国歌や国旗を排撃する風潮、皇国史観を否定する流れが生じたのは、戦前の日本人が第一線から去り、いれかわって、戦後のGHQ世代が社会のリーダーとなったからである。
すでに、日教組や組合・労働団体、社会党・共産党、左翼マスコミなどが大きな力をもっていた。
かれらと、戦後世代が、冷戦下、平和主義と経済発展の二大車輪をおして日本の戦後をつくった。
戦後のGHQ世代は、戦前からの歴史の連続線を継承していない。
歴史をもたない戦後世代が、ためらうことなく、GHQが敷いた左翼化路線にのったのが、小泉純一郎に代表される改革主義で、小泉は、首相在任中、万世一系を否定する皇室典範の改悪をはかった。
GHQが蒔いたタネが、長い潜伏期をへて、発芽したのである。
わたしは、戦後日本の思想的混迷の原因が、GHQの置きみやげにあるという認識をもっている。
国体にたいする危機感も、そこから、でてくる。
歴史の連続性が断たれているので、皇室典範の改悪や道州制の導入、外国人参政権の付与という、国家・国体の根幹をゆるがす法案が、何の抵抗もなく、保守党から発議されるのである。
かれらと議論して、痛感するのが、国体感覚の欠如である。
道州制をすすめている政府委員会の代表に「天皇体制をどう担保するのか」とたずねたが、かれから明快な答えは返ってこなかった。
アメリカ民主主義の枠内で考えているので、国体にまで、考えがおよばないのである。
アメリカ民主主義は、一方が社会主義の顔で、一方の顔は、経済功利主義(新自由主義)である。
いったい、どのくらいのひとが、日本の改革が、GHQ改革の焼き直しということに気づいているであろうか。
東京裁判史観と自虐史観は、一対になっている。
前者が「日本は、侵略戦争をおこなったので、戦犯処刑や都市空襲、原爆投下は当然の報い」というプロパガンダで、後者は、細川護煕・村山富一の戦争責任談話、宮沢喜一の「近隣諸国条項」に象徴される「日本は、アジアに侵略戦争をしかけたので、その咎を負わねばならない」という歴史上の事実誤認である。
戦勝国から完膚なきまでに叩きのめされた敗戦国が、正気を失い、戦後、半世紀以上もへて、なお、アメリカやアジアに平伏しているのが、現在の日本のすがたなのである。
なぜ、そのような意気地なしになってしまったのか。
理由は、三つ、考えられる。
一つは、戦死や要人追放、財閥解体などで、気骨のある日本人がすくなくなっていたたこと。
二つ目は、敗戦革命によって、歴史の連続性が断ち切られたこと。
三つ目は、戦時中、国家総動員法や統制経済をおこなった革新官僚が、戦後、左翼的なGHQの官僚になり、そのまま、霞ヶ関に居座ったことである。
だが、それだけの理由で、日本人が、これほどだらしなくなるものであろうか。
むろん、別に、理由があった。
東京裁判に、国家分断のワナが、仕掛けられていたのである。
「悪いのは、侵略戦争を指導した軍の一部で、一般国民は被害者だった」というテーゼが、それである。
くわえて、天皇が、戦争責任を免れた。予想していたより温和だったGHQ政策とアメリカ民主主義にふれて、いつのまにか、日本人は、「じぶんたちは軍部にダマされていた――われわれは、軍国主義の被害者だった」という、思考パターンに陥った。
GHQが仕掛けてきた思想戦に、一発で、KO負けを喫してしまったのである。
戦後、日本人が、物質的満足にしか関心をむけないエコノミック・アニマルになってしまったのは、軍事力・占領・思想戦(戦争における勝利の三原則)に、徹底的に敗北したからで、その思想戦の仕上げが、「国の指導者からダマされていた国民に罪はない」という免罪符だった。
その結果、何がおきたかといえば、「歴史の断絶」と「過去の否定」だった。
ダマされていた、ということは、悪いのは過去の体制ということになる。
東京裁判が閉廷した日、朝日新聞は「お役目ご苦労様」と書いた。日本の戦争指導者を処刑したGHQをねぎらったのである。歴史の連続性が断たれていなければ、できない芸当である。
東京裁判史観の弊害は、日本が、侵略戦争をおこなったという罪意識ではなく、一般の日本人が、指導者にダマされていたとする被害者意識である。
それに気づかせてくれたのがGHQなので、戦後日本人にとって、GHQは、恩人ということになる。
GHQを解放軍と見立てた日本共産党は、GHQの建物の前で万歳三唱をしたが、多くの日本人も、そのトリックにひっかかって、過去を見限って、アメリカ民主主義にとびついた。
それでは、GHQがもちこんできたアメリカ民主主義とは、何だったのか。
かぎりなく、共産主義に近い人民民主主義だった。
GHQは、ニューディーラーの集団だった。
「赤狩り」のマッカーシズム旋風で、ニューディールの推進者だったルーズベルト(当時はすでに死亡)一派が一網打尽にされたことからもわかるように、ニューディーラーは、大半が、共産主義思想の持ち主だった。
だからこそ、GHQの対日敗戦処理が左翼的で、かれらがおしつけてきた憲法が、あれほど左翼的だったのである。
サンフランシスコ講和条約が成って、GHQは去った。だが、左翼的な体制は残った。
この体制をまもろうするのが、護憲派で、その代表が日本共産党である。
GHQを解放軍として迎えた日本共産党が、GHQがつくった憲法をまもろうとするのは、筋がとおっている。ニューディーラーが、かぎりなく、共産主義に近かったからだが、そのニューディーラーは、アメリカで退治された。
マッカーシズムによって、アメリカは、正気にもどった。
だから、日本共産党は、かつて、解放軍と見立てたアメリカを、こんどは「米帝」と罵るのである。
サンフランシスコ講和条約のとき、日本でも、マッカーシズム旋風が吹き荒れていれば、真っ先に憲法が改正されて、東京裁判史観・自虐史観などでてくる余地はなかっただろう。
だが、軍隊や国家主義に嫌悪感をもっていた吉田茂に、戦後体制と憲法をかえる気はなかった。安全保障はアメリカにまかせて、日本は、経済発展だけに専念しようというのである。
「東京裁判史観」と「自虐史観」は戦後の日本人がつくった――というのは、この国家否定の思想は、吉田ドクトリンのもとで、GHQが敷いた左翼化路線をまっしぐらにすすんできた必然的な結果だからである。
労働・組合運動による資本主義精神の破壊と日教組による教育破壊、左翼マスコミによる世論操作――この三つで、国家の背骨は、ガタガタになる。
その路線を敷いたのが、日本の大改造をはかったGHQだったのはいうまでもない。
だが、これらの歴史や文化の破壊は、GHQのもとで、すすめられたわけではない。
GHQ改革は、短期間で収束して、言論弾圧や神道指令も、早々に、解除された。
そして、昭和27年のサンフランシスコ講和条約のあと、アメリカへ帰っていった。
昭和三十年の前半までは、戦前の日本が残っていた。どこの家も国旗をもち、祝日には、玄関に日の丸が掲げた。アメリカを悪玉にした戦争マンガ(ゼロ戦はやとなど)が人気を博し、皇国史観を題材にした映画(日本誕生/1959年)もヒットした。
当時、東京裁判史観や自虐史観は、影も形もなかった。
昭和40年代後半になって、国歌や国旗を排撃する風潮、皇国史観を否定する流れが生じたのは、戦前の日本人が第一線から去り、いれかわって、戦後のGHQ世代が社会のリーダーとなったからである。
すでに、日教組や組合・労働団体、社会党・共産党、左翼マスコミなどが大きな力をもっていた。
かれらと、戦後世代が、冷戦下、平和主義と経済発展の二大車輪をおして日本の戦後をつくった。
戦後のGHQ世代は、戦前からの歴史の連続線を継承していない。
歴史をもたない戦後世代が、ためらうことなく、GHQが敷いた左翼化路線にのったのが、小泉純一郎に代表される改革主義で、小泉は、首相在任中、万世一系を否定する皇室典範の改悪をはかった。
GHQが蒔いたタネが、長い潜伏期をへて、発芽したのである。
わたしは、戦後日本の思想的混迷の原因が、GHQの置きみやげにあるという認識をもっている。
国体にたいする危機感も、そこから、でてくる。
歴史の連続性が断たれているので、皇室典範の改悪や道州制の導入、外国人参政権の付与という、国家・国体の根幹をゆるがす法案が、何の抵抗もなく、保守党から発議されるのである。
かれらと議論して、痛感するのが、国体感覚の欠如である。
道州制をすすめている政府委員会の代表に「天皇体制をどう担保するのか」とたずねたが、かれから明快な答えは返ってこなかった。
アメリカ民主主義の枠内で考えているので、国体にまで、考えがおよばないのである。
アメリカ民主主義は、一方が社会主義の顔で、一方の顔は、経済功利主義(新自由主義)である。
いったい、どのくらいのひとが、日本の改革が、GHQ改革の焼き直しということに気づいているであろうか。
2008年06月16日
「反日の構造/コスモポリタニズムという妖怪」(その3)
●日本国憲法は、なぜ、"無国籍"なのか
かつて、反日主義といえば、日本共産党や旧社会党の党員、あるいは、労働運動家などのマルクス主義者と相場がきまっていた。
日本共産党は、1955年の六全協まで、旧ソ連共産党国際部(コミンテルン)からの指令で、暴力革命と天皇制(日本共産党の用語)の打倒をめざしていた。その日本共産党を頂点とする左翼が、日本の国体や歴史、文化や道徳を目の敵にするのは、わからないではない。
ところが、ベルリン崩壊(1989年)以降、保守系政党や非共産主義陣営に、自虐史観派や媚中派など、反日的言動をとる政治家が、めだってふえてきた。
自民党では、野中広務や河野洋平、加藤紘一、古賀誠、山崎拓らがその筆頭だが、民主党にいたっては、菅原直人や岡田克也ら、党員の大半が、反日主義者といってよいほどである。
共産主義という天敵が消えたため、ホンネがでてきたのだとしたら、かれらは、もともと、保守政治家ではなかったことになる。
かといって、共産主義者ではない。
それでは、かれらが拠って立つ基盤は、どこにあるのか。
その謎をとくカギは、加藤紘一が、しばしば、口にする"世界市民"ということばである。
世界市民は、共産主義インターナショナルにつうじるキーワードで、国家を超えた連帯を意味する。
世界の労働者が団結して、資本主義を倒そうというのである。
その根底に、無国籍性(コスモポリタニズム)があるのは、いうまでもない。
共産主義と反日主義は、ともに、国家の否定という共通項をもっていたのである。
そのコスモポリタニスト(反日主義者)が、支持をよせるのが極東軍事裁判と日本国憲法である。
そこで、日本国憲法をひらいてみると、無国籍条項(=国家の不在)のオンパレードである。
「主権が国民に存することを宣言」(前文)「天皇は日本国民統合の象徴――この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第一条)「国権の発動たる戦争と国の交戦権、陸海空軍の永久放棄」(第九条)
と、まず、国家主権が否定され、その次に――。
「何ものも侵すことのできない永久=権利基本的人権」(第十一条)「思想及び良心の自由」(第十九条)「信教の自由」(第二十条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第二十一条)「居住、移転及び職業選択の自由」(第二十二条)「学問の自由」(第二十三条)「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(第二十八条)「財産権の保護」(第二十九条)「生命や自由を奪われない自由」(第三十一条)
と、国民に、国家を抜きに、あらゆる権利を保証して――。
「憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票における過半数の支持を必要とする」(第九十六条)「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第九十八条)
と、最後に、この憲法が不磨の大典で、天皇や国会の上位あると宣言している。
そして「日本国民たる要件は法律で定める」(第十条)と、日本人であることが、国家や国体を離れて、条文にすぎない法にゆだねられる。
日本の国体や歴史、文化、道徳など、歴史の連続性をしめす文言は、一行もない。
一方で、無国籍者でも、法にしたがってさえいれば、世界市民として、人間としてのあらゆる権利を享受できる――というのが日本国憲法で、これでは、日本人に、コスモポリタンになるようにすすめているようなものである。
日本国憲法をつくったのは、GHQだが、かれらの正体がニューディーラーと呼ばれる左翼だったことは、あまり、知られていない。
ニューディール(新規まき直し)というのは、F・ルーズベルト大統領がとった共産主義政策のことで、戦後、このニューディール政策にかかわったルーズベルトのスタッフは、GHQの幹部をふくめて、マッカーシーの「非米活動調査委員会」(赤狩り)の告発によって失脚、多くが、海外へ逃亡している。
終戦前に急死したルーズベルトは別として、非米活動調査委員会がルーズベルトの政策をすすめたスタッフを糾弾したのは、ニューディーラーが、共産主義者だったからである。
それで、ニューディーラーだったGHQが、日本に国家主権を否定した無国籍憲法をおしつけた理由がわかろうというものである。
反資本主義的な「農業調整法」「産業復興法」などを次々に成立させたほか、最低賃金の規定や労働者の団体交渉権をみとめるなど、ルーズベルトは、連邦最高裁から憲法違反の判決を下されるまで、共産主義的政策をおしすすめた。
共産主義者のルーズベルトが、四回も大統領選に勝利できたのは、32人の歴代大統領が残した累積赤字をこえる200万ドルの財政赤字をつくって、票田である労働者階級に大盤振る舞いしたからだけではない。
金融・産業・マスコミを牛耳る在米ユダヤ人社会から、熱烈な支持をうけたのである。
なぜ、ユダヤ人が、ルーズベルトを支持したのか。
ルーズベルトが、1649年、オランダから、当時、ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住したローゼンフェルト家を先祖とするユダヤ人だったからである。
ルーズベルトがユダヤ人だったことと、ニューディール政策と対独参戦、GHQによる対日戦後処理は、一本の線でつながっている。
対独参戦が、ユダヤ人のジェノサイド計画をすすめていたヒトラーを倒すためだったのは、いうまでもない。だが、ニューディール政策とGHQによる対日戦後処理が、ルーズベルトがユダヤ人だったことと、どうつながるのか、近現代史からは、何も見えてこない。
ルーズベルト大統領のブレーンで、日本の戦後処理立案に参画したユダヤ人、モルデカイ・モーゼによると、共産主義は、祖国をもたないユダヤ人解放のため、ユダヤ教の「メシア思想」をベースに、マルクスがつくりあげたデッチ上げだったという。
ユダヤ教の歴史観は、エデンの園で犯した原罪のため堕落した人間は、最後の審判で、善人と悪人が分かたれて、善人だけが神の国へ行く。
ユダヤ人のマルクスは、原始共産制をエデンの園に見立てて、資本主義という堕落した社会は、やがて、階級闘争と革命という最後の審判によって断ち切られて、プロレタリアだけが、この世の勝者となるというストーリーをつくった。
共産主義の話は、別の機会にゆずって、今回は、ニューディーラーがつくった日本国憲法である。
GHQで、日本国憲法の作成を指揮したのは、ルーズベルト政府の下で労働問題を担当していたケーディスである。
ユダヤ人の共産主義者で、日本の憲法に、自由と平等をもちこむと、国が滅びるということは、百も承知だった。主権在民と国家主権の否定というダメもおしてあるので、日本国は、早晩、三流国に転落するはずだった。
ユダヤの理想は、国権なき国家で、それなら、ユダヤ人も安心して暮らせる。
ユダヤ人は、国家の代わりに、ユダヤ教と「タルムード」という伝統的な民族の宝典をもっており、才能も金儲けの技術にも長けている。あとは、市民としての権利、安全さえ手にはいれば、ほかは、何も必要がなかった。
そこで、日本国憲法をよく見ると、無国籍のユダヤ人にとって、都合のよいことばかり書かれていることに気がつく。
義務は、納税くらいなもので、あとは、権利や自由と平等ばかりである。
しかも、それらは、国家ではなく、法の下で、保証される。
モルデカイ・モーゼは、自由と平等が、国家を解体させる"毒"だという。
自由と平等は、相容れないので、民主主義という虚構を立てなければならない。
ところが、民主主義もデモクラシーは、専制政体にかわる民主政体、あるいは、選挙や多数決のことにすぎず、個人に民主の特典があたえられるわけではない。
憲法に、民主主義の文字がないのも、実体がないからである。
したがって、民主主義を個人の権利と心得違いをすると、摩擦が生じて、国力が弱まる。
日本の平和憲法には、ヒナ型がある。史上、もっとも民主的だったといわれるワイマール憲法である。
つくったのは、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人である。
このワイマール憲法も、自由と平等がふんだんにもりこまれて、ユダヤ人にとって、居心地がよいものであった。
ところが、ナチスのゲッベルス宣伝相は、ユダヤ勢力から仕掛けられた「人間獣化計画」だとして、このワイマール憲法を、事実上、廃棄する。
ゲッベルスが「人間獣化計画」に挙げたのが、次の19項目である。
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定――
日本の左翼は、ヘーワ憲法を世界に輸出しようという。
だが、ドイツ人は、ヘーワ憲法のオリジナル版だったワイマール憲法のいかがわしさを見抜き、これに猛反発して、その結果、ナチス・ヒトラーの台頭をまねいた。
日本とドイツのこの大きなちがいについて、モルデカイ・モーゼは「日本人は、あまりにも、ユダヤ人を知らなすぎた」とのべている。
次回も、ひきつづいて、同じテーマで、のべることにしよう。
かつて、反日主義といえば、日本共産党や旧社会党の党員、あるいは、労働運動家などのマルクス主義者と相場がきまっていた。
日本共産党は、1955年の六全協まで、旧ソ連共産党国際部(コミンテルン)からの指令で、暴力革命と天皇制(日本共産党の用語)の打倒をめざしていた。その日本共産党を頂点とする左翼が、日本の国体や歴史、文化や道徳を目の敵にするのは、わからないではない。
ところが、ベルリン崩壊(1989年)以降、保守系政党や非共産主義陣営に、自虐史観派や媚中派など、反日的言動をとる政治家が、めだってふえてきた。
自民党では、野中広務や河野洋平、加藤紘一、古賀誠、山崎拓らがその筆頭だが、民主党にいたっては、菅原直人や岡田克也ら、党員の大半が、反日主義者といってよいほどである。
共産主義という天敵が消えたため、ホンネがでてきたのだとしたら、かれらは、もともと、保守政治家ではなかったことになる。
かといって、共産主義者ではない。
それでは、かれらが拠って立つ基盤は、どこにあるのか。
その謎をとくカギは、加藤紘一が、しばしば、口にする"世界市民"ということばである。
世界市民は、共産主義インターナショナルにつうじるキーワードで、国家を超えた連帯を意味する。
世界の労働者が団結して、資本主義を倒そうというのである。
その根底に、無国籍性(コスモポリタニズム)があるのは、いうまでもない。
共産主義と反日主義は、ともに、国家の否定という共通項をもっていたのである。
そのコスモポリタニスト(反日主義者)が、支持をよせるのが極東軍事裁判と日本国憲法である。
そこで、日本国憲法をひらいてみると、無国籍条項(=国家の不在)のオンパレードである。
「主権が国民に存することを宣言」(前文)「天皇は日本国民統合の象徴――この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」(第一条)「国権の発動たる戦争と国の交戦権、陸海空軍の永久放棄」(第九条)
と、まず、国家主権が否定され、その次に――。
「何ものも侵すことのできない永久=権利基本的人権」(第十一条)「思想及び良心の自由」(第十九条)「信教の自由」(第二十条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第二十一条)「居住、移転及び職業選択の自由」(第二十二条)「学問の自由」(第二十三条)「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」(第二十八条)「財産権の保護」(第二十九条)「生命や自由を奪われない自由」(第三十一条)
と、国民に、国家を抜きに、あらゆる権利を保証して――。
「憲法改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成と国民投票における過半数の支持を必要とする」(第九十六条)「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第九十八条)
と、最後に、この憲法が不磨の大典で、天皇や国会の上位あると宣言している。
そして「日本国民たる要件は法律で定める」(第十条)と、日本人であることが、国家や国体を離れて、条文にすぎない法にゆだねられる。
日本の国体や歴史、文化、道徳など、歴史の連続性をしめす文言は、一行もない。
一方で、無国籍者でも、法にしたがってさえいれば、世界市民として、人間としてのあらゆる権利を享受できる――というのが日本国憲法で、これでは、日本人に、コスモポリタンになるようにすすめているようなものである。
日本国憲法をつくったのは、GHQだが、かれらの正体がニューディーラーと呼ばれる左翼だったことは、あまり、知られていない。
ニューディール(新規まき直し)というのは、F・ルーズベルト大統領がとった共産主義政策のことで、戦後、このニューディール政策にかかわったルーズベルトのスタッフは、GHQの幹部をふくめて、マッカーシーの「非米活動調査委員会」(赤狩り)の告発によって失脚、多くが、海外へ逃亡している。
終戦前に急死したルーズベルトは別として、非米活動調査委員会がルーズベルトの政策をすすめたスタッフを糾弾したのは、ニューディーラーが、共産主義者だったからである。
それで、ニューディーラーだったGHQが、日本に国家主権を否定した無国籍憲法をおしつけた理由がわかろうというものである。
反資本主義的な「農業調整法」「産業復興法」などを次々に成立させたほか、最低賃金の規定や労働者の団体交渉権をみとめるなど、ルーズベルトは、連邦最高裁から憲法違反の判決を下されるまで、共産主義的政策をおしすすめた。
共産主義者のルーズベルトが、四回も大統領選に勝利できたのは、32人の歴代大統領が残した累積赤字をこえる200万ドルの財政赤字をつくって、票田である労働者階級に大盤振る舞いしたからだけではない。
金融・産業・マスコミを牛耳る在米ユダヤ人社会から、熱烈な支持をうけたのである。
なぜ、ユダヤ人が、ルーズベルトを支持したのか。
ルーズベルトが、1649年、オランダから、当時、ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住したローゼンフェルト家を先祖とするユダヤ人だったからである。
ルーズベルトがユダヤ人だったことと、ニューディール政策と対独参戦、GHQによる対日戦後処理は、一本の線でつながっている。
対独参戦が、ユダヤ人のジェノサイド計画をすすめていたヒトラーを倒すためだったのは、いうまでもない。だが、ニューディール政策とGHQによる対日戦後処理が、ルーズベルトがユダヤ人だったことと、どうつながるのか、近現代史からは、何も見えてこない。
ルーズベルト大統領のブレーンで、日本の戦後処理立案に参画したユダヤ人、モルデカイ・モーゼによると、共産主義は、祖国をもたないユダヤ人解放のため、ユダヤ教の「メシア思想」をベースに、マルクスがつくりあげたデッチ上げだったという。
ユダヤ教の歴史観は、エデンの園で犯した原罪のため堕落した人間は、最後の審判で、善人と悪人が分かたれて、善人だけが神の国へ行く。
ユダヤ人のマルクスは、原始共産制をエデンの園に見立てて、資本主義という堕落した社会は、やがて、階級闘争と革命という最後の審判によって断ち切られて、プロレタリアだけが、この世の勝者となるというストーリーをつくった。
共産主義の話は、別の機会にゆずって、今回は、ニューディーラーがつくった日本国憲法である。
GHQで、日本国憲法の作成を指揮したのは、ルーズベルト政府の下で労働問題を担当していたケーディスである。
ユダヤ人の共産主義者で、日本の憲法に、自由と平等をもちこむと、国が滅びるということは、百も承知だった。主権在民と国家主権の否定というダメもおしてあるので、日本国は、早晩、三流国に転落するはずだった。
ユダヤの理想は、国権なき国家で、それなら、ユダヤ人も安心して暮らせる。
ユダヤ人は、国家の代わりに、ユダヤ教と「タルムード」という伝統的な民族の宝典をもっており、才能も金儲けの技術にも長けている。あとは、市民としての権利、安全さえ手にはいれば、ほかは、何も必要がなかった。
そこで、日本国憲法をよく見ると、無国籍のユダヤ人にとって、都合のよいことばかり書かれていることに気がつく。
義務は、納税くらいなもので、あとは、権利や自由と平等ばかりである。
しかも、それらは、国家ではなく、法の下で、保証される。
モルデカイ・モーゼは、自由と平等が、国家を解体させる"毒"だという。
自由と平等は、相容れないので、民主主義という虚構を立てなければならない。
ところが、民主主義もデモクラシーは、専制政体にかわる民主政体、あるいは、選挙や多数決のことにすぎず、個人に民主の特典があたえられるわけではない。
憲法に、民主主義の文字がないのも、実体がないからである。
したがって、民主主義を個人の権利と心得違いをすると、摩擦が生じて、国力が弱まる。
日本の平和憲法には、ヒナ型がある。史上、もっとも民主的だったといわれるワイマール憲法である。
つくったのは、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人である。
このワイマール憲法も、自由と平等がふんだんにもりこまれて、ユダヤ人にとって、居心地がよいものであった。
ところが、ナチスのゲッベルス宣伝相は、ユダヤ勢力から仕掛けられた「人間獣化計画」だとして、このワイマール憲法を、事実上、廃棄する。
ゲッベルスが「人間獣化計画」に挙げたのが、次の19項目である。
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定――
日本の左翼は、ヘーワ憲法を世界に輸出しようという。
だが、ドイツ人は、ヘーワ憲法のオリジナル版だったワイマール憲法のいかがわしさを見抜き、これに猛反発して、その結果、ナチス・ヒトラーの台頭をまねいた。
日本とドイツのこの大きなちがいについて、モルデカイ・モーゼは「日本人は、あまりにも、ユダヤ人を知らなすぎた」とのべている。
次回も、ひきつづいて、同じテーマで、のべることにしよう。