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【首都スポ】

J3盛岡入りの立大2人目Jリーガー 桐光学園出身・MF菅本岳の挑戦

2017年2月10日 紙面から

立大久々のJリーガーとして、J3盛岡入りが決まった立大MF・菅本岳=埼玉県富士見市の立大富士見総合グラウンドで(斉藤直己撮影)

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 サッカーの東京都大学1部リーグに所属する立大のMF菅本岳(4年・桐光学園)が、今季からJ3グルージャ盛岡のユニホームに袖を通す。立大サッカー部によると、同大出身者では2人目のJリーガーだ。高校時代には全国高校選手権4強入りに貢献したが、その後はプロのスカウトの目が届かない場所で、ひたむきにボールを蹴り続けてきた。全くの無印MFが、いかにしてプロの舞台へとたどり着いたのか。新たな挑戦に目を輝かせる菅本が、大学時代と今後を語った。 (取材・構成=馬場康平)

    ◇

 −今、大学4年間を振り返って一番の思い出は?

 菅本「立大に入り、いろんな価値観を持っている仲間に囲まれてきました。多くの選手が上のステージを目指していた高校時代とは違った環境で、サッカーができたことはプラスになったと思います。特に、自分たちの学年は、はじめはそれぞれサッカーに対する熱量が違っていましたが、卒業するころには学年のミーティングで互いの意見をぶつけあうようになれました。それは、いい思い出ですね」

 −そもそも、なぜ東京都リーグの立大に進学を決めたのですか?

 「高3の夏に進路を選ぶ際、指定校推薦の中から立大を選びました」

 −今振り返ると、サッカーの強豪大学を選んだ方が良かったと考えたこともありましたか?

 「そう考えたこともありました。ですが、今はこの道を選んで良かったと思っています」

 −大学3年で一時、チームを離れていますが、その間何を?

 「実は1年間、オーストリアでプレーしていたんです。大学1年目は東京都1部リーグを戦っていたんですが、その年に2部に降格して、ここからプロに行く道はもう厳しいかもしれないと考えるようになりました。そこで、海外にチャレンジしたいと思ったんです。お金をためて大学3年の夏から6部リーグのUSVピュラウベルグというチームで、プレーしました」

 −それはどんなチームだったんですか?

 「町クラブで、周りはみんな働きながらサッカーをしている選手ばかりでした。海外生活は全てが新鮮で刺激的でしたが、サッカーの面では物足りなさを感じることもありました」

 −大胆なチャレンジをしましたね

 「1年以上プレーするには、労働ビザの取得が必要でした。それが下りるのが2部からなので、そこにステップアップしたかったんですが、それはかないませんでした」

 −欧州ではどんなことを学びましたか?

 「サッカーの価値観が大きく変わりました。日本人は技術力が高く、うまい選手が多い。でも、それが全てではないと思いました。向こうではフィジカルが強く、セットプレー一発で勝つスタイル。勝つサッカーを追求しているというイメージでした。それを1年間経験したので帰国後、球際で怖がらずにいけるようになったと思います」

 −盛岡行きを決めた経緯を教えてください

 「Jリーグのクラブから話を頂くことは難しいということも理解していましたし、4年生の時に自らセレクションを受けることでしか道は開けないと思っていました。そこで、監督の倉又(寿雄)さんに相談していくつかのクラブに練習参加したり、セレクションを受けてきました。盛岡には都内でのセレクションを受けて実際にチームの練習にも参加し、そこでお話を頂きました」

 −就職を選択した方が多くの収入を得られたかもしれない中で、あえてJ3という過酷な環境に身を投じる理由は?

 「僕には、まだかなえることはできていませんが、サッカーだけで生きていくという目標があります。立大を卒業して企業に就職するという道もあったと思います。ですが、『今何がしたい?』と考えた時に、サッカーがしたいと思えたので素直に自分の気持ちに従いました」

 −両親から反対はありませんでしたか?

 「オーストリアにサッカー留学する際に反対されたんですが、その時に自分の気持ちを話して説得したので、今は『後悔がないように頑張って』と、応援してくれています」

 −プロ入り後の目標を教えてください

 「コンスタントに試合に出場して試合を決定付けられる選手になっていきたいと思います。自分はエリートではないし、J3という環境でプレーできるだけでもチャンスだと思っています。ここからはい上がって上を目指していきたい。サッカーをやっている以上は、代表も目指しています」

 −楽しみですか?

 「ハイ、楽しみです。自分が活躍してグルージャが勝つことで、東日本大震災で被災した岩手県を盛り上げていけたらと思います。そうやってサポーターからも愛される選手になっていきたいです」

<菅本岳(すがもと・がく)> 1994(平成6)年9月10日生まれの22歳。川崎市出身。176センチ、68キロ。MF。桐光学園3年時には全国高校総体8強、全国高校選手権4強にも貢献。立大に進学後、1年から定位置をつかみ、大学3年時にはオーストリアへサッカー留学。今季からJ3盛岡に加入した。東京都大学1部リーグ通算21試合出場2得点(同2部通算13試合出場5得点)。

◆「どんどん自己主張を」 立大・倉又監督

 盛岡に菅本を送り出した立大の倉又寿雄監督(58)は教え子の旅立ちに、はなむけの言葉を贈った。FC東京などでの指導経験を持つ倉又監督は「すごく真面目な選手。技術は素晴らしいので、プロの舞台では、どんどん自己主張していってほしい」と語り、同大史上2人目となるJリーガーのさらなるステップアップに期待を込めた。

◆ア・ラ・カルト

 ●対戦してみたい選手 桐光学園高時代の同期、立命大DF大田隼輔が今季からJ2町田に加入。「いつかマッチアップしてみたいですね」と、夢の同級生対決実現のためにもJ2昇格を誓う。

 ●あこがれ 元ポルトガル代表MFルイス・フィーゴのドリブルがお気に入り。「ドリブラーが好きなんですが、緩急だけで抜いていける選手が昔から好きでした」。自らも特長であるスピードを生かしたドリブル突破や、裏に抜ける動きが強みだという。フィーゴばりのスラロームドリブルで盛岡を沸かせたい。

 ●卒業旅行は断念 オフには、サッカー部の仲間たちと旅に出掛けることも多かったという。「韓国旅行は一番の思い出」というが、卒業旅行の計画の中にはもちろん自身の名前はない。「自分は行けないけど、仕方ないですね」と、少し寂しそうだった。

 ◆立大サッカー部 関東大学1部リーグ初参加は1934(昭和9)年で、1部優勝3度(1954、59、70年)、全日本大学選手権優勝1度(54年)の古豪。関東大学リーグ所属は77年(当時2部)が最後。昨季は東京都大学リーグ1部で4位となり、関東各地区リーグの上位校と関東大学2部昇格を争う「関東大学サッカー大会」(参加8校)に出場も、Bブロック3位で敗退した。

 ◆立大から2人目のJリーガー 昨季から沼津に所属するDF田中舜(28)が1人目。田中は一般企業に就職後に現役復帰し、2013年に当時東北リーグの盛岡に所属。翌14年にJ3でデビューした。なお、立大OBには、元日本代表GKで、メキシコ五輪銅メダリスト、日本代表や浦和で監督を務めた横山謙三さんらがいる。

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