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新・人間革命に掲載すべき事実

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 2月11日(土)02時57分21秒
  この頃先生は、ピアノを弾かれることが多くなりました。それは、宗門から「指導はするな」と行動を制限されていたからです。

ですから先生は、「話せないのなら、ピアノで激励しよう」と奥様と深夜に練習され、また会合に参加していた女子部に教えを請い

「これでいいのかな」とか「御両親は?」とか、傍から見れば単なる世間話ですが、その一言一言に全魂を込めて激励されていたのです。

先生の手は、指も短く、ふっくらとされているので、ピアノ向きではありません。自身でも「僕の手はピアノ向きじゃないんだ」と。

技術的にも、決してうまいものではありません。左手で和音、右手でメロディといったむしろ稚拙なものです。

しかし、行動を制限されていた先生は、「このピアノの音を忘れてはいけないよ」「これが精一杯の激励だよ」と皆を鼓舞されていました。

後日、先生は述懐されています。
「しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる(中略)どんな立場になろうと私は私である、どんな圧迫があろうとも、私は愛する学会員のために働き続ける。それがこの十数年の私の決意であり、戦いであった」
(創価ルネサンス10より引用)

~~~~~~~

カンピース様のご投稿に涙しました。

「どのような状況になろうと会員(民衆)のために!」という池田先生の熱い思いが胸に響き心が動く。
「負けてたまるか!」と、病身で動けぬ体に力が湧きました。

新・人間革命の担当の方は忘れないで下さい。
事実に根差して描くから、文字に魂が入る事を。

そして読まれる会員(民衆)の中には、今も壮絶な苦難と戦っている人がいる事を。


PS
カンピース様に感謝、誠にありがとうございました。

 

追記

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 2月11日(土)01時49分16秒
  先生の「隠退」前後での比較論で語っても意味はないと当方は考えます。
実事求是。人も組織も最初から完璧な存在なんて有り得ない。
時代状況に合わせてスタイルの微調整もあって然るべし。

で、客観的に見て今の原田執行部の方針では現場がしんどくなる一方だし、
創価学会全体が社会から取り残される危機にひんしていると見て取ったので
現場で「脱構築」とでもいうべき行動を起こしながら、次の一手を取る時機を
推し量っている段階です。私の場合はね。
これは先生ご健在の頃からスタンスは変わらない。
正木さん風に言えば「師の意図の根源に迫る」ことへの私なりの取り組みです。
何にせよ周囲には「信心で受け止めよう」なんて言っても通じない人ばかりなのだから、
コミュニケーションの起点をどこに置くかですよね。
そこからじゃないと何も始まらない。
 

やはり、「新・人間革命」でしょう

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月11日(土)01時43分33秒
  太ちゃんさま、御明察\(^o^)/
小生は「新・人間革命」ではないかと・・・・・

54年当時のことを知っている会員さんはまだ多くいます。
「創価ルネサンス」「今日より明日へ」等資料をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

現実に、肌で54年問題を感じた方々が、今の「新・人間革命」を読めば、違和感が沸き起こるのではないでしょうか?

当時のエピソードや新聞等、具体的資料に基づいて指摘されれば、文面がおかしいことに皆気づきます。

執行部にしてみれば、この話題だけはなんとか避けたいと思っているのでは(笑)
 

「大義」がない

 投稿者:流し読み  投稿日:2017年 2月11日(土)01時17分53秒
  以前は獅子奮迅の大驀進モードで活動に勇猛精進する
多くの後継の弟子たちが、現場組織で踊躍歓喜していた。

そんな一騎当千の弟子たちは、今は「絶滅危惧種」。

今の学会に「大義」がない故。


世界から悲惨を駆逐するための広宣流布!
そのために創価学会を発展させること!
よって組織活動に地道に真剣に挑戦する!

この方程式・「大義」が、現学会には成立しない!


先生の平和思想と真逆の政治活動を強いられ、
やればやるほど、先生の目指す世界と反対へ向かってしまうとしか思えない運動方針!

どんな大幹部に説明を求めても道理の立たない屁理屈ばかり。

幹部は「先生は承認しているはずだ」? なんて免罪符的 安易な妥協で完全に思考停止。

これで疑念を抱きながらのカラ元気、悲壮感いっぱいの活動家を現場に大量生産。

大した人材育成だ。

学会衰退、間違いなしですな。
 

瑠璃蓮さま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 2月11日(土)01時17分5秒
  活動内容の基本的なトーンは先生ご健在の頃とさほど変わらないと思いますよ。
ただ他の方からもご指摘があったように、現場活動家の高齢化や経済的困窮は
特に3.11を経て安倍政権復活後のこの五年か六年は悪化の一途を辿っていると、
少なくとも私が見聞している範囲では認識せざるを得ませんが。。
貴方のお住まいの地域ではうまくいっている感じなのでしょうか?

昔と同じような活動メニューに見えても当地に関しては「体力低下」は否めない現状ですので
相対的に会員個々の負担は重くなり、疲弊の度が増しているのは隠しようがありません。
あれやこれやと原因を探る前に、毒矢の比喩の如く、まずは会員さんに無理をさせない、
抜苦与楽に導くべきなのに、執行部でも方面単位でも具体的に動こうとする気配は見られない。

ですので、私自身が出来る範囲のことで会員さんの負担を少しでも軽減させ、一人ひとりが
組織の弊害から逃れて自立した信仰を育めるよう、様々な試みを現場で続けていっています。
ここでその模様を逐一書く必要もないし、私にとっての「敵」に手の内を見せるわけにも
いけませんので書かないだけです。
おそらく当板投稿者の多くもそうした地道な戦いに私以上に邁進されているかと思います。

執行部が退陣しても何も変わらない、とかの次元じゃなくて、執行部の中身がどうなろうと
関係なく、もうとっくに現場レベルで随所にネクスト創価学会の骨格が出来つつある。
ここで皆ただ単に文句をブーたれているんじゃなくて、良い意味での眼高手低で動かれています。

多くの会員が今の学会活動のあり方に満足出来ていない、「信心で受け止める」との決まり文句が
一切通用しない現場の実感があってのことですが、、、
それをお感じにならない恵まれた地域にお住まいかとお見受け致しますので、どうしても水掛け論になってしまいますよね。。

結局は貴方ご自身が今日までどれだけ信心の「現場」を創る労苦に徹しきれてきたかどうかがすべてかと存じます。
創価学会に限らず、社会そのものを観察対象と捉えるのではなく一人のプレイヤーとしてグラウンドに立てているかどうか?
貴方が縁している人すべての幸福を本当に心の奥底から願っているのならば。。。
 

名誉会長と我らの人生

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月11日(土)00時53分55秒
  【第5回】大聖人御誕生の天地旭日の千葉

2010年2月14日

創価ルネッサンスの太陽は昇った

「会う友は、一人残らず励まし、思い出をつくってさしあげたい」ー昭和49年
(1974年崖)2月15日、池田名誉会長は学会本部から千葉へ向かった。午後
8時半、外房線の大原駅着。列車を降りるや、真っ先に駅構内にいた100
人ほどの同志のもとへ。「あ、先生!」21年ぶりに名誉会長を迎えたその日に、
登山会に出発する勝浦の友だった。

名誉会長は一人一人に声をかけ、花束やお菓子を贈った。「皆さんの留守は引き
受けました。安心して行ってきてください」その日深夜の東京駅。乗換列車を待
つ勝浦の友に、名誉会長から重ねての激励が届いた。「ここまで先生は私たちの
ことを!」。再びの歓声があがった。「真心の激励というものに“省略“はない」
これが名誉会長の心。翌16日は、日蓮大聖人御聖誕の佳き日。晴れ渡り、春を思
わせる陽気だった。

その朝、名誉会長は立宗宣言の地。清澄山の嵩が森を望んだ。「すばらしい朝明
けの森だね」次いで、勝浦市での千葉県大会や、最高会議などの諸行事に出席。
この日が「千葉の日」となった。車での移動中も、名誉会長の心は、サーチライ
トのように、一人一人の同志に注がれた。例えばー本紙の販売店を目に留めれば、
日ごろの労をねぎらう。整理にあたる役員には「ご苦労さま。無事故で、よろし

く頼みます」と。国道沿いに家がある婦人は、〃先生は必ずこの道を通られる〃
と確信。地域の同志と県大会の大成功を祈っていた。すると、一度通り過きた車
が戻り、家の前で止まった。名誉会長は婦人の年を取り、「お元気で。長生きし
てください」と。17日、名誉会長の激励行に同行した高沢千葉長(現・参議)は
述懐する。「『あれは学会員だね』『あの人もそうだ』。こう聞かれるたびに、

私は冷や汗をかきました。渾身の励ましを贈られる池田先生の姿を見ながら、"私
も一人一人の顔までは分からないのに、先生はなぜ分かるのだろう?〃と思いま
した」名誉会長は語った。「精いっぱい、千葉の皆さんの真心に応えるのだ」9
日後の26日、再びの訪問。千葉市での本部幹部会に臨んだ。開会前、240人に
も及ぶ青年と懇談し、終了後は千葉会館に寄り、居合わせた友を励ました。

名誉会長は明言した。「2月は千葉の月だ!」縁深き千葉。宗祖ゆかりの天地で
あり、世界広布の玄関。水滸会の野外研修を行った犬吠埼、華陽会の友と研修し
た富津、終戦の翌月に買い出しに訪れた幕張がある。本家のルーツ(池田郷)も
あると言われる。平成3年(91年)11日16日の千葉文化友好祭。6500人の青
年が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈の凱歌を謳い上げた。第2次宗門事
件の最中の開催。9日前の7日、学会の大発展に嫉妬した日顕宗が衣の権威を振
りかざし、一方的に解散勧告書を送りつけたばかり。

世間は「学会は、どうなるのか」と騒いでいた。もちろん、学会は微動たにしな
かった。友好祭には国内外の来賓が出席。テレビ・新聞など多くの報道機関が取
材に。名誉会長は師子吼した。「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができな
い」“魂の独立宣言“ー創価ルネサンスの太陽が「旭日の千葉」から昇った!
 

きっと貴方は人の心の扉を開いたことは無いのでしょうね。

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 2月11日(土)00時51分12秒
  青蓮様
貴方の主張を拝見いたしておりますと、まるで豊洲問題を「そんなに騒ぐことじゃない」「汚染されていたって浄化装置があれば問題ないんだから」と平然と言う都の職員、他の市町村の職員みたいですね。

彼等は組織主義の典型的な人種の方々です。
学会幹部も官吏、地方公共団体の職員な方々がかなりいらっしゃいます。
大体みな同じようです。

「生活者、住民に喜んでもらおうとかお幸せに等」との思いはどうでしょう?
そういう職員に遭ったことは今まで(60年)記憶に有りません。
皆さん、それなりに裁量をお持ちなので、努力目標としてどんなに平身低頭しようとも、どうしても居丈高感が抜けないのでしょうね。

いつの間にか、学会幹部には思いやりとか、抱きしめるような思いで泣くとか、一緒に祈ろうとか、人情味が無くなった様に感じます。
希薄になってきたんでしょうか。

だから、二、三十年まえとは相当違います。
面倒見が薄いんですよ。
ただ、自分で祈れってね。

だから同じように見えているようでも内実は違うんですよ。
先生は「私が創価学会だ」とおっしゃってましたよね。
でも、先生は会長を引きずり降ろされて以来、法人の運営、いっさいに事業等に権限はなく、「あーだ・こーだ」先生が言っても予算の伴うことは秋谷元会長、八尋顧問弁護士を中心に決めていた。

基本的に先生はどんな人でも大切な命を持っている。最後は必ず仏を開かせるという思いから、じっと見ていられていたと思います。

それが、先生の病気をいいことに大恩ある先生に大怨を抱いた原田会長が、恨みを晴らすは今ぞとばかりにご本尊、教義変更等に手を染め、自民党に阿って、自分の権力を固めるべく行っているのが現在です。

なんで、日本会議と戦わない。国家主義と戦わない。
牧口先生命を落とし、戸田先生は獄に繋がれている間に財産を殆ど失くし、でもそのことが、学会が信用されることになっていく。でしょう?

貴方には何で皆が信心を始めたか、お分かりですか?
なにも活動することに幸福感を得るためではありません。

実際に経済苦、病気、夫婦問題子供に事、仕事等々その苦脳を祈り、そこからの確信を語る折伏で更なる功徳と自分の成長を感謝しながらまた、祈り行動していく中に信心の歓喜が出てくるもであって、現況は数に縛られて歓喜も何もない婦人の抗うつ剤、安定剤、眠剤等を服用して、何とかこなしているラインのかたが多いのではないでしょうか。

きっと貴方は人の心の扉を開いたことは無いのでしょうね。
 

カンピース様

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月11日(土)00時42分56秒
  カンピース様

私も日々祈りながら、御所を拝読しながら活動しております。

全国の現場の活動家の方々も
昔と同じく、今の信心で懸命に活動に頑張っておられます。
そのような姿を見るにつけて
執行部がどうであろうが、現場の方々が幸福感を持って活動に励んでおられれば
問題は無いのでは?と確信するに至りました。

大事なのはトップが誰かでは無くて、現場のお一人お一人の信心の捉え方だと思います。
 

池田先生の女性に贈ることば365日より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月11日(土)00時34分58秒
  二月十一日

恩師・戸田先生が最後の誕生日
(昭和三十三年二月十一日)に、

私の妻に贈ってくださった和歌がある。

「月光の やさしき姿に 妙法の 強き心を
ふくみ持てかし」

戸田先生から薫陶していただいた、この強き心を、
女性の皆さんに伝えられることを、

妻は深い喜びとしている。
 

瑠璃蓮さん、御書にはこのようにありますが

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月11日(土)00時33分53秒
  どうにも貴兄の意見を拝見してると、「現場は変わってないから、現状でよい」とか「誰が執行部であっても変わりはない」
との御意見のようですが、創価学会は御書根本ですから、貴兄も御書根本であるとの前提で話を勧めます。

>信心の血脈なくんば法華経を保つとも無益なり<(御書P1338)
>但し妙法蓮華経と唱え持つと云うとも若し己心の外に法ありと思わば全く妙法にあらず蘇法なり<(御書P383)
>かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまわば国亡ぶべし<(御書P919)

このようにあります。では「正しい信心」とは何か、という事ですが、御書にはこうあります。

>本尊とは法華経の行者の一身の当体なり<(御書760)
>阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり<(御書1304)
>今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり<(御書P739)

私見ですが、我とわが身の中に仏の生命があり、日蓮大聖人が久遠元初の仏と信じ、御本尊に題目をあげること、また法を弘めること、
これが根本であると考えます。また法華経の行者とは、日蓮大聖人であることは勿論ですが、現代においては池田先生でしょう。
池田先生の思想と言い直してもいいかもしれません。(貴兄は「池田大作絶対」ではないとの事ですが)

では、現代において誰が「法華経の行者」ですか? 創価学会の中で、日蓮大聖人の御遺命のとおりに法を弘めたのは池田先生しかいませんが・・

創価学会は教義を変更し、日蓮本仏論者ではない宮田教授を教学部アドバイザーとして用いています。
原田会長、谷側主任副会長は、宗教学会において「身延の信心でも功徳はある」「日蓮本仏は見直しが必要」と発表した中、
同席していたにもかかわらず、宮田教授を用いました。

ですから、現執行部は間違っていますし、間違った執行部の打ち出しに従っていれば、やってることは今までと変わりなくとも、
「あしくうやまわば」ですから、国(学会)が滅びるのです。
だから、掲示板に投稿している諸兄は「間違っている」と声を挙げているのです。
そして、声を挙げている方々を処分しているのも、現執行部なのです。

もし、貴兄が、「現執行部の方も池田先生の薫陶を受けた弟子だから法華経の行者だ」とお思いならばそれは間違いです。

なぜなら御書にはこうあります。
>此の法華経を持つ者は難にあわんと心得て持つなり<(御書P742)

池田先生は難を受けましたが、現執行部の中で難を受けた者はいません。安保法案にしても権力にスリより、難を受けないようにしてるのが現執行部です。
だから、現執行部に従えば、はじめは何も無いかもしれませんが、5年・10年経つうちに諸天が見限るのです、必ず現証が現われます。

貴兄の論のごとくであれば、「なにも変わらないよう」でも、「やってることは同じ」でも、仏法上では大間違いになるということです。


貴兄は言うかもしれません。
「では、アナタは何をどうするんだ」「どう、アナタは対応するんだ」とか・・・
そんな不毛な議論はする価値がありません。
貴兄の御意見に対して、小生はこう考えると意見を言いました。
では貴兄はどうしますか? どう考えますか? ということです。

その上で、「今まで通りでいいや」と思えばご自由に、「やはり間違っているから自分は声を挙げよう」と思えばご自由にということです。


 

流し読み様へ

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月11日(土)00時27分54秒
  流し読み様へ
ご意見ありがとうございます。

昨今の会則変更等々による影響は
長期的に見ると影響があるかどうかは不明ですが
短期的には今の所は変化は無いように見えます。

あるいは別の考え方も出来ます。
2010年以降も先生が表に出られたとしても
やはり組織の高齢化、青年部活動家の減少
といった面は避けられなかったかも知れません。

2010年時点でも、大城会や王城会という、壮年部であるのに
青年部の牙城会や創価班のような役割の組織が結成されてましたし
これは青年層の減少を如実に表してますよね。
 

小作人@地上の発心様へ

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月11日(土)00時15分25秒
  小作人@地上の発心様へ
もう少しだけ意見を述べさせて下さいませ

先生は常々「一人を大切に」と御指導されていましたが
ならば、先生自らが、聖教新聞の複数購読の負担、民音や各種チケット担当者の負担、
書籍担当者の方の負担等々を無くすように改革されなかったのは何故だと思われますか?

トップにいると、末端の現場が見えてなかったからでしょうか?
あるいは「そこは信心で受け止めて欲しい」と望んでいたからでしょうか?

上からの目標数値の打ち出しを末端地域幹部が抱え込む構図がありますよね。
これが「現場の一人を大切に」の姿なのでしょうか?

皆様が批判されている
今の執行部の方針も
昔の方針を維持してるだけだと思われます。
 

形は似ている今と昔

 投稿者:流し読み  投稿日:2017年 2月11日(土)00時08分44秒
  以前は、先生の呼吸を生命で感じながらの
「信心」の戦い。「歓喜」あるのみ。(活動家:生命の内から沸き出でる躍動感)

今は、執行部への不信感が拭えない(先生の呼吸を全く感じない)
「形式」の戦い。「負担」あるのみ。(活動家:カラ元気で踏ん張っている悲壮感)

形は似たれど大違い。
「心こそ大切なれ」の「心」が正反対な故。



現場の雰囲気からすると、確かに瑠璃蓮 さんの見解に一理あるようにも思わる。
現執行部の静かなる大暴走に、ほとんどの幹部・会員は、ほぼ思考停止で無反応。
よっていつもの通り、お花畑で乱舞(空回り)するだけ。
故に、現場組織に影響がないように見えなくもない。
短期的には。

一方、現執行部の狂い切った近視眼的 小細工 指揮により、
一騎当千の広宣流布の師子たちの「信心」が、壊されてしまったのも事実。
(私も、信心を壊されないように、日々ジレンマと格闘中)
仏法上、これほどの重罪があるのか?
中期的に、現執行部は学会総体、延いては会員一人ひとりを、間違いなく衰退・弱体化させている。

遠き暁のために、現執行部は魔軍の手先として、意図せず暗黒時代を作っているのだろうか?
長期的には、御仏智により広宣流布の方向に行くのだろうが。。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 2月10日(金)23時52分9秒
  今晩は
皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

小作人@地上の発心様

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)23時45分18秒
  小作人@地上の発心様
ご意見ありがとうございます。


私は先生絶対論者ではありませんので
できるだけ客観的に評価したいと考えております。

現場の活動家の方々への重い負担は(先生が表に出ていらした)昔からありましたし
そもそも、そのような巨大な組織を作られたのは先生の構想ではありませんか?

しかし、その頃の活動家の方々は負担を背負いながらも、幸福感を感じて
日々の活動に頑張っておられたのです。

先生が表に出なくなって6-7年経過しますが、今の執行部体制下を見ますと
活動内容に昔と大きな変化があるようには見えません。
現場の活動家の方々への負担も同じように存在しますが、
それは「信心で受け止めなさい」との指導の賜物もあるかとは思いますが、
やはり幸福感を感じながら頑張って活動に励んでおられるようです。

であれば、現執行部が変わろうが変わるまいが(任期も限りあることですし)、
仮に、先生が復帰されようが
結局は同じで無いか?という結論に至ったのです。

全ては活動家個人の「信心で受け止める」のが学会の伝統であり
多くの会員の方々が、今の活動に満足されているのであれば何が問題なのでしょうか?
私のこの視点は間違っていますでしょうか?
 

青蓮さんへ、ご参考になれば

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 2月10日(金)23時13分39秒
  貴方ご自身が以前はともかく現下の「活動内容」で幸福を感じていらっしゃるかどうか、
ご投稿の文面からは測りかねるところがありますが、ひとまずそれは置くとして、、、

池田先生がお元気な頃からの学会批判者の常套句として、
“学会員は池田大作個人の政治的野心や栄誉栄達、我欲の追求の為に酷使され物心両面にわたって収奪されている”といった論法を用いて現場の疲弊を嘆いたりしたものですが、
先生が事実上健常とは程遠い引退状態の今でも基本的に変わらないトーンで会員さんへの収奪と酷使の構造が維持されている様子を見れば、信濃町の悪質な会員利用の実態は先生個人の事情とは全く関係のない性質のものであることを証明しています。

仮に私が執行部サイドで影響力を行使できる立場にあるならば、頃合いを見計らってマイ聖教や広布部員制度の見直し…段階的に廃止する方向で、まず現場会員の金銭面での負担軽減を図った上で選挙(≒政治)活動も会員個々のフリーハンドの領域を広げるように努めます。が、、、
出来ない事情が多々あるのでしょうね。。

池田先生を独裁者と見立てるように学会員の潜在意識に働きかけ、その功罪をいずれ論ずるにせよしばらくは「大人の対応」をしつつ「圧政からの解放」へ舵を切ったのだ、、、というふうな芝居を打てるなら、ある意味たいしたものですが、そんな“空気”の読める策士もいないのが学会上層部の実情なのでしょう。会員の負担は増すばかりですが、、、
先生亡き後、フルシチョフのスターリン批判みたいなことはせず、毛沢東の功罪をうやむやにしたまま現在に至る中国共産党のパターンを踏襲するつもりでいるかと推察されます。

むしろ貴方が「池田先生絶対論者」のお立場でないとおっしゃるならば、
「ますますお元気な池田先生」デンデン…もといウンヌンのような子供だましにもならぬレトリックを使い回して現場のモチベーションの維持に腐心する笑うに笑えない現況は、会員さんが納得出来ている出来ていない以前の唾棄すべき事態ではないでしょうか?

騙されててもいいじゃないの。本人たちがそれでシアワセならば、、、と達観なさっているのでしょうか?


 

師弟不二アーカイブより 【京都瓦版8号(2016.9.10)】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 2月10日(金)23時10分48秒
  【投稿者:京都乃銀鬼 投稿日:2016年 9月10日(土)10時25分19秒】

谷川374919刑事告訴事件の真相シリーズ !! ①

創価学会内部の悪を糾弾する掲示板として、今や内外共に注目を集める“宿坊の掲示板”で
谷川主任副会長の「374919刑事告訴事件」が話題に上ったことをうけて、
瓦版編集部は独自取材をもとに特集を組んで検証してみたい。


――谷川氏の刑事告訴が「不起訴処分」に! 理由は「起訴猶予」
“全くの事実無根”話を“デッチ上げ”た者を訴えない不可解――


今年4月26日、東京地方裁判所で2年前半、不当にも除名処分を受けた波田地克利氏が除名の無効、
学会員としての地位確認を求めて創価学会を訴えていた裁判の証人尋問が行われた。

その中で、創価学会の次期会長と目される主任副会長の谷川佳樹氏が平成25年7月、
波田地氏を名誉毀損罪で刑事告訴していた、いわゆる「374919(ミナヨクイク)事件」訴訟のことが取り上げられた。


この事件は、谷川氏が東大卒業後、千葉県学生部長を務めていた頃、今話題になっている東大生が
起こした事件にも似た準強姦事件を犯していたという衝撃的な醜聞であり、既に週刊誌等でも報じられている。


この事件がなぜこのように呼ばれるようになったのかというと、被害女性の家の
電話番号が37-4919だったことから、事件現場に居合わせた千葉学生部幹部ら谷川氏の仲間内で
「374919(ミナヨクイク)事件」と呼び慣わされていたからであるという。


そもそもこの事件が知れ渡った発端は、事件現場に居合わせた目撃者の一人であるT氏が、
谷川氏とも波田地氏とも親しい友人のA氏に打ち明けたことに始まる。


波田地氏はある一件があってA氏から事件のことを聞いた。

平成25年4月、波田地氏が特定の人間しかアクセスできないメンバー限定の
ツイッター網に「374919事件」の情報をアップしたところ、谷川氏は


その行為が名誉毀損罪にあたるとして、波田地氏を警視庁四谷署に刑事告訴したのである。

この訴訟における最大のポイントは両者の主張の対立。

谷川氏側の「全くの事実無根であり、名誉毀損罪に該当する」との主張に対して、

波田地氏側の主張は

「全く事実無根とは言えず、名誉毀損罪の免責される3条件(利害の公共性、目的の公益性、
事実の真実性もしくは真実相当性)を満たすので罪には当たらない」というものだ。


そもそも、この刑事告訴事件は、谷川氏側の主張からすれば「全くの事実無根」話を
“デッチ上げた”ことになるT氏に対して、谷川氏側が何ら法的手段に訴えず、

“又聞き”の波田地氏のみを刑事告訴するという不可解なものであった。


検察官が今年3月25日に下した判断は「不起訴」であった。

現在、この不起訴処分の理由が「起訴猶予」であったことから「不起訴」「起訴猶予」を巡って、
谷川氏を非難する側と擁護する側の間で論争が起きている。

本紙としては、できるだけ客観的、公平な立場から、この問題の真相に切り込んでいく。


題して「谷川374919刑事告訴事件の真相シリーズ !!」。

随時、アップしていきますので、乞うご期待!!

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11488
 

議論すら出来ずに嵐扱いですか?

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)23時04分27秒
  正論で反論できないとスルーですか?
この程度の指摘すら反論できないのに
何が変革できるのでしょうね?



仮の話ですが、
現執行部が退陣したとして
何が変わるのでしょうか?
答えれる方がいますか?

私は何も変わらないと思いますよ。
 

同盟題目23時より開始

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月10日(金)22時56分39秒
  よろしくお願い致します。

太ちゃんのアラシ説が説得力があります。
言っている内容がどんどんすり替わっていますね。
面白い、わかりやすいパターンです。

新・人間革命もいよいよ終盤。
これ以上、板を見る方が増えると困る方がいるようです。
もう、執行部が出鱈目だと気づいてきている。
都議選もあるしね。

みなさん、スルーしましょう。
 

何でも先生のせいにするな!!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 2月10日(金)22時52分28秒
  青蓮さんよ!
はぁ!?先生の手腕?
何でも先生のせいにするな!!
 

過去の広宣部さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)22時51分15秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/64120

こういう変なやりとりがある時というのは『下げたいコメント』があったりするんですよ
まぁダレがそう感じてるのかは掲示板でこれまでさんざんやってきてるけどね(笑)

誰でも、他に同一のハンドルネームの存在を確認すれば、言われる間でもなく使われてないハンドルネームにするもんでしょ
『かく乱目的だから』でしょうねぇ~(笑)

知ってる人はスルーをするのを「わかって」いるからスルーしないでぇ~~!みたく最初にコメントしたんでしょうねぇ

今回はどのコメントが『下げたいコメント』だったのか吟味してみるといいですよ。
須田論文の拡散が嫌だからこうなったんかなって僕は感じたけどね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さん

 投稿者:瑠璃蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時44分13秒
  太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さん

ではHNを変えましょう

仏法で重要な蓮華、
色は青色が好きだったからです
他意はありませんので
 

肥大化した組織を作り上げられたのは

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時41分57秒
  先生が構想して作り上げてきた今の組織
聖教新聞、民音、美術館、哲学研究所、書籍出版社、等々様々な外郭団体

聖教新聞で創価の活動内容を伝え
音楽や、過去の偉人の展示会、哲学研究、書籍で人格を啓蒙する
この日蓮仏法を基調にして、様々な分野で啓蒙活動に触れられるのですから
素晴らしいことだと思ってます。

ただし、その作られた組織の維持方法が問題でしょう。
組織の現場の担当者さんに重い負担がのしかかる構造になってしまってます。

そもそも論から考えれば
このような巨大で肥大化した組織を作り上げた先生の手腕こそ
客観的に考察すべきではないかと思います。
 

我らの大願は広宣流布!

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 2月10日(金)22時41分31秒
編集済
  「さあ、戦闘開始だ!」
 今年(2004年)の一月二日、私は牧口記念会館から、十二年ぶりに立川文化会
館へ向かった。ここは、栄光の創価の歴史と、光輝燦たる勝利の学会魂を刻印し
た、大法戦の本陣でもある。

 あの暗い、陰湿な「第一次宗門事件」の嵐のさなか、私は立川に陣地を定めた。
ここ第二総東京(当時は第二東京)で、卑劣な宗内の黒き権力と、それに連なる
邪悪と陰謀の反逆者との戦いの指揮を、私は未来を、そしてまた未来を展望しな
がら、厳然と執り始めた。
 その未来の広宣流布への大激戦を胸中に納めながら、昭和五十四年(一九七九
年)の四月二十四日、私は、学会本部にほど近い新宿文化会館で、第三代会長の
“勇退”を発表した。
 翌日、再び、静まり返った立川文化会館に戻り、信頼する幾人かの同志と語り
合った。
「また来たよ。お世話になるよ」
「これからが、私が自由奔放に指揮を執っていける時代なのだ。これからは、
形式や機構に縛られることなく、妙法の剣を高らかに掲げながら、無限の力で戦
闘を開始していくことができるからだ。これが妙法だ。御仏意だ。皆、がっかり
しないで、一生涯、学会のため、広布のために、生き抜き、戦い抜くのだよ。そ
して勝利の人生を築くのだ」
 皆が泣いていた。その時、第二総東京の友が流した悔し涙は、終生、わが胸か
ら消えることはない。
 この健気な、広宣流布に立ち上がった同志である無名の庶民を、いったい誰が
守るのか! 牧口先生、戸田先生が命がけで創造された尊き学会を、誰が守り抜く
のか!
 悪賢き反逆の坊主と堤婆の如き一派の連中は、卑劣にも私を辞めさせて、して
やったりと下品に笑っている。そんな我利我利亡者の下劣愚劣な悪党どもの天下
には、絶対にさせてたまるものか! 私は、ただ一人、深く深く決意した。
 広宣流布は、御本仏の御遺命である。もう一度、無敵の「正義の学会」を築く
のだ。手作りで「師子王の弟子」を厳然と育ててみせる。
 私に続け! 猛然と立ち上がれ! 正義を叫べ! わが真実の弟子たちよ!
と、私は師子の如く走り始めたのである。
今まで、どれほどの中傷非難を、私は受けてきたことか。これは、御聖訓通り
の正義の難である。恩師の決意を、わが決意としていくならば、そんな中傷非難
など物の数ではない。臆病者の師子などはどこにもいない。

(人間世紀の光より、2004年3月12日)
 

大いに問題アリ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)22時34分42秒
  http://megalodon.jp/2017-0210-2223-28/6027.teacup.com/situation/bbs/64126

他にも同一のハンドルネームの存在があるのが確認できた際、いちいち他人に言われる前に自主的に変更するもんじゃないですかね?
『別人』であるならば。
この掲示板の『青蓮』さんはそうした配慮ができないほど組織は疲弊してるのが確認できるものですよ。
物事をルーズにやってしまうのはそもそも理解がルーズになってるからです。
この人の情報なんてアテにならんね。

「問題ない」どころか、そのぐらいの配慮もできない組織状態は『大いに問題アリ』です。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

一言児さん

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時25分22秒
  一言児さん


では
あなたは、この先、創価がどうなることを望んでるのですか?

・先生が再び表に出て直接指揮を執って欲しいのでしょうか?
・現執行部が総退陣して欲しいのでしょうか?
  その後の新体制は誰を望みますか?

・今の活動内容を変革して欲しいのでしょうか?


私が整理したところ、昔(先生の頃)とさほど変わらないように見受けられますが
もしも変革をお望みであれば、それをどう変革したいのか教えて頂きたいです。
 

青い未熟者さま

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 2月10日(金)22時18分56秒
  現場の活動家は思考停止、上から地区へ下ろす打ち出しばかりで忙しく、本尊問題に目を向かせない。人革でも闘いと勝利への励ましはワンパターン、人の成熟期、高齢期に背を向けている。学会活動で得られる幸福感は、今や視界狭めた自己満足になってしまった。不誠実なH田執行部退陣あとは、次の次の若手で令法久住へ認定本尊(直筆と縁無しなのに偉そうな表現やね)へ手を打ちましょう。私は大石寺造りもの板本尊につながってしまう大誓堂や配布本尊に耐えられないわ、学会本尊に意義を見いだせない勤行はいまいちオカシイものよ。  

太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さん

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時16分31秒
  太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さん

過去の投稿はチェックしてないので
HNかぶりの方がいることは知りませんでした。
問題あるなら変えても構いませんが
 

過去の広宣部様

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時14分55秒
  >貴方様は、どうしたいのですか?
> 【この様にあるべきだ】と、意見・主張をすべきではありませんか?


ですから
こうして活動内容を整理してみますと
(先生が表に出られてた)昔も、今も同じに見えるのですが
違いますでしょうか?

先生の頃も大きな負担は存在してましたよね。
私も良く把握しております。

そもそも長年にわたって先生が作り上げてきた今の組織なのですから
現執行部はそれを維持してるだけだと思うのですが如何でしょうか?

今の執行部で何の問題もないと思います。
と言いますか誰がやっても組織維持を図るのは当然でしょうから
どんな二流三流の人材でも活動内容に変化なければ現状維持でよろしいのではないでしょうか?
 

どういう『別人』でしょうか?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)22時14分46秒
  http://megalodon.jp/2017-0210-2202-35/6027.teacup.com/situation/bbs/64118
▼▼▼▼▼▼
単に別人かと
私は最近ここの掲示板の存在を知った者ですので
▲▲▲▲▲▲


なお、掲示板でのハンネについて管理人さんの意向は下記です

http://6027.teacup.com/situation/bbs/12320
多重ハンネIPは開示   投稿者:管理人   投稿日:2014年10月 9日(木)01時22分40秒
より

▼▼▼▼▼▼
同じハンネが複数のIPになるのは可としますが、
基本的に一IPには一ハンネの原則でお願いします
▲▲▲▲▲▲

とのことですので、管理人さんからは何もアクションがないので、掲示板で過去にコメントのあった『青蓮』さんと同一人物とみたしだいです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

なんでもイイってことだねw

 投稿者:ロムしてる一般の会員  投稿日:2017年 2月10日(金)22時11分13秒
  宗教ならなんでも同じ。日蓮宗にも功徳はありますw
他の宗教でも功徳はあります。
功徳は感じた人が感じれば功徳なんです。

あれ?

どこかの偉い大学教授と同じだよ。この理屈。

宮田大先生よかったねw

日本宗教学会 第74回学術大会
創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8030
 

つまりマ○かくのと同じってかw

 投稿者:ロムしてる一般の会員  投稿日:2017年 2月10日(金)22時06分38秒
  >何度も申し上げます通り、大事なのは一般会員の活動家の方々が学会活動で幸福感を得れるかどうかであります。<

青くさいハスちゃんの言ってるご立派なク○哲学は
下卑な表現でわかりやすく言えば、マ○○ーべー○○ンってことだねw

又は、薬うって気持ちよ~くなるの学会活動が同じだってかあ?たいそうな哲学をお持ちの方だこと。
 

太ちゃん様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月10日(金)22時04分6秒
  池田先生が表に出られなくなった2010年頃から明らかに
青年の絶対数が急激に減りました。

未活動家すらいなくなったのです。
各地の友人に確認したところ都会も田舎も関係なく
減少しています。

弟子の一念が厳しく問われる時代になったのだと思います。
 

え?

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2017年 2月10日(金)22時03分23秒
編集済
  すみません。
貴方が何を聞きたいのか?
貴方が何を知りたいのか?
貴方が何を言いたいのか?
これから先、どうしたいのか?
貴方様が考えていることがわかりません。
貴方様が役職をお持ちの方であれば、どれほど現場が
苦労しているかがわかると思っているのですが?
民音も、貴方様が言われる通りです。
貴方様は、
どうしたいのですか?
【この様にあるべきだ】と、意見・主張をすべきではありませんか?
その上で初めて、ご意見を聞けるのではありませんか?
あまりにも、失礼と思います。
如何でしょうか?
 

活動内容を整理してみますと

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時02分55秒
  昔と今で活動内容が
どう変わっているかを整理してみますと

先生が表に出られてた頃と
現在と大差ありますでしょうか?

「マイ聖教運動」は結構前からありましたし、
多部購読で重い負担を背負ってる会員の方もいらっしゃいました。
加えて、無冠の友と言われる配達員の方々への負担も昔からありました。
雪の日や大雨の日など事故や体調の悪化が心配ですね。ガソリン代も自腹で負担になります。

民音担当の方はチケット購入が負担ですし、ナポレオン展や様々な展示会への動員
書籍担当の方は様々な書籍の購入が負担ですし、
「財務で2桁以上頑張ろう。幸福貯金をしましょう」的な指導も昔からありましたよね。

選挙活動も「Fを何十人以上頑張ろう!」「東京にいる知り合いに当たろう!」等々
これも以前と活動家の負担は変わりありませんよね。

こうして活動内容を整理してみますと
(先生が表に出られてた)昔も、今も同じに見えるのですが
違いはあるのでしょうか?

昔から重い負担は存在してましたし、それは今も何も変わって無いと思われます。
(完成した大誓堂詣でが加わったぐらいでしょうか)

であれば、
現執行部がどうであれ(誰が執行部をやっても)同じではないでしょうか?
と私は判断しているのですが如何でしょうか?

 

太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編へ

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)22時00分45秒
  太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編へ

単に別人かと
私は最近ここの掲示板の存在を知った者ですので
 

ご自分はスルーをするのでしょうか?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)21時50分55秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/64105
青蓮さんへ   投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編   投稿日:2017年 2月10日(金)20時34分32秒


答えるのに何か不都合なことでもおありなんでしょうかねぇ?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56753
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56827

ところで、銀鬼さんより忠告が過去にありましたね

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56714
お子様の議論には付き合ってられないが・・・   投稿者:京都乃銀鬼   投稿日:2016年 9月21日(水)11時42分36秒
より

▼▼▼▼▼▼
青蓮くんのような感情任せの主観だけでは、誰も相手にしないしバカにされるだけ。

異議を問う前に、京都瓦版の論証をもっと精読すべし !

そうでないと恥をかくよ。 あ、もうかいてしまっているね ! 笑
▲▲▲▲▲▲

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

情報係様

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)21時45分41秒
  情報係様
ご意見ありがとうございます。


現執行部に対して納得できないお気持ちは察しますが
先生が表に出なくなってから6~7年。
活動家の方々に特に影響が無いように見えますので、この体制でも問題ないかと思われます。

会員の高齢化の問題は、先生が表に出ていた時期にも
既に兆候がありましたので関係ないかと思われます。

 

過去の広宣部様

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)21時36分49秒
  過去の広宣部様
ご意見ありがとうございます。

>池田先生が指揮をとられていた時と、現在(今)が多いに違うのは、組織主義なのか?・会員主義なのか?

先生が表に出られてた頃と
現在と大差ありますでしょうか?

「マイ聖教運動」は結構前からありましたし、
多部購読で思い負担を背負ってる会員の方もいらっしゃいました。

民音担当の方はチケット購入が負担ですし、ナポレオン展や様々な展示会への動員
「財務で2桁以上頑張ろう。幸福貯金をしましょう」的な指導も昔からありましたよね。

昔も今も同じに見えるのですが
違いはあるのでしょうか?
 

カンピース様

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)21時28分40秒
  カンピース様
ご意見ありがとうございます。

弘安2年の大御本尊様の件や御観念文改定の件も、勿論把握しております。
ですが、現在の所、現場の活動家の皆さんに影響があるとは思えません。
私の地域でも疑問に思う方はいらっしゃいません(というか問題視すらされてないように思えます)

私自身は、受持即観心の原則から考えれば、しっくりきませんが
現場の活動家の皆さんが問題視しないのであれば特に騒ぎ立てる必要もないかと思っております。

何度も申し上げます通り、大事なのは一般会員の活動家の方々が
学会活動で幸福感を得れるかどうかであります。
現在の所、悪影響は無いように見えますので、このままの体制で特に問題ないかと判断した次第です。


 

◇随筆人間世紀の光(002)『アメリカ創価大学の挑戦』

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月10日(金)21時20分23秒
  2004-1-9

学び抜け民衆のために!

“友愛”と“共生”の世界市民の大学

「諸君よ、『祖国が諸君のために何をしてくれるか』を問うなかれ。『自分が祖
国のために何ができるか』を問いたまえ!」理想に燃えて新しきアメリカの建設
に挑んだ、第三十五代大統領ケネディの、有名な就任式での演説であった。二〇
〇一年の開学から四年目に入る、わがアメリカ創価大学(SUA)の学生たちも、
かの若き大統領に劣らぬ挑戦の心を燃やしている。

「私たちがSUAの建設の主体者だ!」。これが学生たちの気概である。ヘイズ
教務部長が語っておられたそうだ。――他大学の学生は、多くの場合、経済的に
豊かになるために教育を受けようと考えがちだが、SUAの学生は“よい仕事を
得るため”とか、“裕福になるため”等の、自分の欲求のためだけには学んでい
ない。彼らは他者を気遣う心にあふれ、常に“何のために学ぶのか”を意識して
勉学に取り組んでいる――と。

なんと素晴らしい学生たちであろうか!今すぐにも、私は、オレンジ郡アリソビ
エホの美しきキャンパスに飛び、君たちと固い握手を交わし、未来を大いに語り
合いたい。先日も、中国・広東省の総合大学「肇慶学院」から私への名誉教授称
号の授与式に、SUAの学生たちの凛々しき姿があった。それは、短期留学や帰
省などで日本に滞在中のメンバーや、新たに第四期生として入学が決まっている
友の代表らであった。

「二十一世紀の『人間主義』『平和主義』『文化主義』の勝利を託す宝の英才、
ようこそ!」と呼びかけると、皆、弾ける笑顔で応えてくれた。“若き創立者”
の決意に燃えていた。四期生が入学すると、全学年が誇りも高く揃いゆくのだ。
そして、未来への希望に燃えゆく明年には、いよいよ最初の卒業生として一期生
が羽ばたくのだ!SUAの輝く未来を想い、私の胸は喜びに高鳴る。これまで、

SUAを訪問された、ポーリング・ジュニア博士、マハトマ・ガンジーの令孫
アルン・ガンジー博士、モアハウス大学のカーター所長、ノーベル平和賞受賞
者のロートブラット博士、デラウェア大学のローゼル学長、ノーベル財団のマ
イケル・ノーベル博士、アメリカ実践哲学協会のマリノフ会長など、多くの識
者も、絶大なエールを送ってくださっている。本当に嬉しい限りだ。

「世界市民」の育成をめざすSUAでは、外国語の習得に力を入れている。学
生は、中国語、スペイン語、日本語から一言語を選んで、三年次の一学期間、
その言語が話される国に短期留学できる。「生きた語学」を学ぶコースが開か
れている。既に留学を終えたメンバーは、「世界市民としての使命を実感でき
た」と勇んで語っていたそうだ。また、これから出発する友もいる。

私は、深き使命に生き抜く“学びの旅”が、健康で無事であるよう祈っている。
一方、キャンパスでは、冬季休暇が明けると、再び真剣勝負の勉学の日々が始ま
る。温暖なカリフォルニアとはいえ、一月の夜は冷え込む。そのなかで、二十四
時間、休むことなく開いている図書館の学習室の灯も、深夜まで輝くことになる。
睡魔と戦いながら、「あと五分頑張ろう」「このパラグラフ(段落)だけは読み
切ろう」と、分厚いテキストと格闘する友がいる。

父親が病に倒れるなど、心配事を抱えながら、猛勉強している人もいるだろう。
苦労や悩みのないことが幸福ではない。労苦のなかで、「金剛の人格」を鍛え上
げた人が幸福なのである。本来、この人格を築き上げることを「教養」というの
だ。若き日の創価教育の父・牧口先生も、貧しく、働きながら学ぶしかなかった。
わずかでも時間ができると、必ず本を開いた。

その勤勉な姿は、周囲から「勉強給仕」と呼ばれるほどであった。学んで、学ん
で、徹して学び抜く――牧口先生の偉大さは、その大情熱を、一生涯、民衆の幸
福のために燃やし続けたことだ。SUAに学ぶ諸君も、同じである。「民衆のた
め」という尊い使命の前には、勉強のしすぎ、学びすぎということは絶対にない。
諸君はあくまで理想を高く、偉大なる人生の、使命ある人生の幾山河を歩み抜い
てほしい。諸君は、決意も固き先駆者である。

古今東西、庶民からかけ離れ、自己の利欲のために人びとを踏みつけにして恥じ
ぬ、「才能ある畜生」のごとき指導者、エリートがなんと多かったことか。諸君
が、この非人間的な不幸の流転を、断じて変えるのだ!SUAは、数多くの市民
の願いと熱意が凝結した“民衆立の大学”である。そうした陰の一人に、草創か
らの同志である、神奈川の岸福寿さんがおられる。

昭和三十九年、私が発表した創価大学の構想が、岸さんの人生を変えた。深く共
鳴した彼は、自分も未来のために教育に貢献したいと、消防士を辞め、私財を投
じて幼稚園を設立されたのだ。私と同年の岸さんは、戦争で兄を失い、働きなが
ら苦学を続けられた。だからこそ、教育を大事にする情熱は人一倍であった。大
阪・交野の創価女子学園(現・関西創価学園)の開校二年目には、地方出身の生
徒のためにと、自ら私設の“寮”を提供された。私が岸さんと初めてお会いした

のも、この“寮”であった。創価大学を支える“父母の集い”では、神奈川県の
責任者を務められ、札幌創価幼稚園の設立の時は、幼稚園経営の経験を踏まえた
貴重な助言をいただいた。晩年の数年間は病魔との闘いであったが、SUAの建
設を心から支援してくださった。亡くなる直前まで、SUAが旭日のごとく発展
する姿を、わが眼で見たいと願っておられた。

そして二〇〇一年の六月、SUAの開学を見届けるかのように、七十三歳で逝去
されたのである。私は、SUAのキャンパスに、岸さんを偲ぶ木を植えていただ
いた。この尊き偉大なる力を持つ、庶民という英雄の「心」を絶対に忘れてはな
らない。君たちのスクラムは、常に「励ましの方向へ」「友情の方向へ」と進ん
でいる。入学当初、英語で行われる授業についていけずに悩む友を励まし、毎晩、
テキストを読み合った友がいた。

寮の世話役を進んで買って出て、勉強時間を割いても、後輩の相談にのる先輩た
ちがいることも知っている。三十以上も生まれたクラブには、「祖国の文化を知
ってほしい」「自分ができることを伝えたい」と、互いに教え学び合う、尊くし
て強き連帯感がある。SUAは、多様な文化的背景をもった英才たちが集う、「
友愛」と「共生」の世界の未来図といってよい。それは、国家・民族・文化等の

差異を超え、「人間」という宝で世界を結ぶ、偉大なる指導者を育成しゆく、人
類の希望の大学なのだ。わが生涯の夢である、若き知性の英雄たちよ!君たちが、
世界中で手を取り合い、人類の幸福のため、平和の舵取りをする時は、すぐそこ
まで到来している。君たちよ!君たちには、真剣に学問に取り組む責任がある。
SUAに期待を寄せ、信じている、良識ある無数の人びとのためにも、断じて勝
利しゆく使命があるのだ。

「人間はおのれを教育しなければならぬ」とは、アメリカの哲人エマソンの、若
き日の叫びであった。自身の血潮を滾らせ、徹して学べ!真剣に学び抜け!人類
が待ちに待った、民衆が輝く勝利の歴史を、君たちよ、絶対に築き抜いてくれ給
え!


 

結局は活動家の方々の受け取り方でしょう

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)21時20分18秒
  今の最前線にいる活動家の方々は
「先生が常に見守っておられる」と思ってるのでしょう。
そう思って選挙活動やら、新聞推進やら、多部購読したり、財務やら、
民音チケット等々やら、書籍やら、大誓堂詣でやら、
「歓喜」で活動を頑張っておられるのでしょう。

であれば、池田先生の意思が反映されてようが、されてなかろうが
どちらでも同じではありませんか?

皆様が指摘されてるように
昔の歴史を「マイルド」に表現して批判を逸らそうとしてる可能性は否定しませんが
それでも現場の活動家に影響が無ければいいと考えますが、如何でしょうか?

もしも問題があるとしたら、どのような点でしょうか?
ご指摘頂ければと思います。


 

スルーはしませんが、一言申し上げます

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月10日(金)21時18分29秒
編集済
  個々の最前線の活動家が幸福が否か、というのは外目からでは分かりません。
したがって、幸福か否かを判断するには、貴兄が実践すればハッキリすると思います。
例えば、マイ政教20部以上やって、選挙のFを毎回300以上とって、墓を5基購入して、財務は必ず3桁以上。
こんな生活を10年ほど一生懸命やれば、おのずから結論がでるでしょう。

外目で分からないというのは、個々の家庭なりを判断基準にすれば、功徳爛漫の御家庭もあれば、宿命に泣きながらも頑張っている御家庭もあります。
「今」だけを見て、幸福か否かを他人が判断することはできないからです。

貴兄の投稿内容ですと、どうも「世法」にこだわりがあるようですが、おそらくどの宗教をされている方も、
「自分はこの宗教をやって、不幸である」とは言わないでしょう。ですから貴兄の判断基準がそもそも偏っているのではないでしょうか?

では何をもって判断基準とするのかといえば、やはり「法」ではないでしょうか?
勿論「世法」でも可ですが、その場合は、個々の打ち出しを個別に検証しなければなりませんが・・・
創価学会は教義を変更しました。しかも先生の了承なしに!(メッセージがないのがその証拠です)
そもそも、「御本尊を認定できる権能がある」と大々的にブチ上げながら、いまだにどの御本尊を認定するのか発表してません。
小生も貴兄も、創価学会から正式に認定されていない御本尊を拝しているワケです。おかしいと思われませんか?

もし、おかしくないと思われるのでしたら、ゼヒ「文証」をお示しください、小生も政教珍聞を愛読させていただいておりますが
「認定御本尊はコレ」といった報道は今現在までありません。

御観念文改定も同様ですね、諸天供養を外した理由、日目上人を外した理由、何一つ明らかにされていません。
宗教の根本がこんなあやふやでいいんですか? おかしいと思いませんか? 間違ってると思いませんか?


最後に余計なことかもしれませんが、忠告しておきます。
>都合の質問はスルーされるのでしょうか?< という問いは不適切と思いますよ。
小生の他にも貴兄の投稿に反応される方がいらっしゃるかもしれませんが、全ての論客の方が反応されることもないでしょう。

それは「都合が悪い」のではなく、もしかしたら、貴兄の問いが「幼すぎる」から反応しないだけかもしれないからです。
どうか「自分の都合」が最善ではなく、もっと広い目で物事を見られてはいかがでしょうか。
 

答えになるか?つたない体験ですみません。

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2017年 2月10日(金)20時58分16秒
  我が家は、父が整備士で母が小料理屋でした。
私が幼稚園の年少時に、小学1年生の姉が母に尋ねました
『お母さん、普通、人間は3回ゴハンを食べるの?』
母は、『バレたか!ゴメンね、今からは3回ゴハン作るね!』と言いました。
この会話があるまで、我が家は1日2回の食事でした。
当時、聖教新聞を5部取っていました。
幼い姉弟は新聞を減らして、【その分卵焼きが食べたい】と思っていましたが、言えませんでした。
そんな貧乏生活でしたが、母を折伏
してくれた方が30年ガンバレ!そして、30年たって、1年・1年を振り返って見なさい??
母は、30年先を楽しみに、私達も父も含めて母の進む通りに信心しました。
30年たった時、3軒目の家が建ちました。
私は母が取っていた5部の4倍以上の23部です。
功徳を期待するわけではありません。
財務と同じではありませんか?
供養する側は勿論のこと、その供養を受け取る側が
どれほど尊いか??
『30年先を』と言ってくれた、母の折伏の親である方が、2軒目の家(拠点会場)の入仏式にお越しになられた時に、その方が、母を『しっかと抱きしめて、よく頑張った!よく頑張った!』と、涙を流されていました。
その時の光景は目に焼き付いて忘れません。

折伏・財務・新聞・選挙等!
その指示をする側が、仏法にのっとり尊厳であれば功徳があるのではないでしょうか?
池田先生が指揮をとられていた時と、現在(今)が多いに違うのは、組織主義なのか?・会員主義なのか?
組織の為の会員なのか?
会員の為の組織なのか?
この差は、
かなり大きいと思いますが、
如何でしょうか?


 

寝たきりオジサンさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)20時53分53秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/64101

数もそうですが、僕のように組織から漏れる人も減ったでしょうね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

名誉会長・対話の十字路(79)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月10日(金)20時49分44秒
  オーストリアの声楽家サイフェルト元文部次官

聖教新聞2008年7月27日

1992年6月、芸術の都ウィーンにあるオーストリア文部省の一室。ここで、池田名誉会長の世界平和と文化交流への貢献を讃え、「オーストリア共和国学術・芸術最高勲位栄誉章」の授章式が行われた。

サイフェルト次官が演台に立った。「ここにおられる名誉会長夫妻は……私たちのお父さん、お母さんのような方です」 茶目っ気たっぷりの挨拶に香峯子夫人が照れ笑いをする。
このとき、次官は右足を骨折していた。それでも「私がご夫妻をお迎えします」と、周囲の心配を振り払った。ウイーン到着時には、空港まで車いすで出迎えている。

一方、名誉会長夫妻は、次官の真心に深く感謝し、余分な負担をかけないよう、種々、配慮を重ねたのである。

     ◇

まだ面識がないころ。サイフェルト次官は、人に勧められ、トインビー博士と名誉会長の対談集を播(ひもと)いた。

「人は死んだら、どうなるのか」。はたと手が止まった。西洋の碩学(せきがく)を相手に東洋の仏法者が生命論で渡り合っている。しかも私が心で感じていたことを、口に出して明快に言ってくれている」。胸のつかえが、すーっと取れるようだった。

その後、1989年7月、東京で初の出会いが実現した。「きっと白髪の老哲学者だろう」。だが「お会いして、びっくり。若く、生き生きとした行動の人でした!」。

     ◇

哲学博士でもある次官に、名誉会長は、分かりやすく永遠の生命を語っていった。

「西洋では、人生は『一冊の本』のようなものです。一方、東洋では、生と死は、いわば本の中の『一ページ』。ページをめくれば次のページがあるように、常に生と死を繰り返す。これは貴国のクーデンホーフ・カレルギー伯爵が語っておられたことです」

「仏法では、死を『方便現涅槃(ほうべんげんねはん)』とも説きます。疲れた体を休めるために睡眠をとるように、死とは、生き生きとした新たな生への出発の準備であると、とらえるのです」

次官は「本当に知りたかったことを直接、教えていただき、うれしい」と喜んだ。

     ◇

次官の両親は、ともに目が不自由で、父は盲目の音楽家だった。幼いころ次官は、父の手を引いて墓地にも行った。家計の足しのため、葬送の音楽も引き受けていたからだ。

この父の手が、彼女を素晴らしい「歌曲の世界」に導いてくれた。人の死と真摯に向き合うきっかけともなった。

父母を偲ぶ次官に、仏法の「追善」の考えを語り、「貴女の中に(亡くなった)ご両親は生きているのです」と励ます名誉会長。「私も、生命の永遠性を確信しています」と次官は瞳を潤(うる)ませた。

1991年、次官が、ウンカルト博士とアルプスの村で結婚式を挙げた時、大きな花束が届けられた。名誉会長夫妻からだった。「こんな山奥まで、先生と奥様が、どうして私たちのために!」

北海道で、神奈川で、出会いは9度。長時間、次官の身の上の相談に乗ったこともあった。「一人を大切に」。その振る舞いに次官は、仏法の哲学の真髄を見るのである。

次官は語った。「私の時計には文字盤が二つあります」と。「一つはウィーン時刻。一つは日本時刻。そしてウィーンにいるときは、日本時刻を見ながら、池田先生ならば、どうされるかを、いつも考えるのです」。まさに「師とともに」の人生である。

     ◇

2001年9月。千葉青年部総会の席上、次官が学会歌「今日も元気で」を日本語で披露した。
 ♪ 先生 先生 われらの先生
歌う次官の視線の先には、両手を挙げて、勝利のVサインをつくる名誉会長がいた。


ユッタ・ウンカルト=サイフェルト ウィーン大学で哲学博士号を取得。オーストリア政府の元文部次官。ソプラノ歌手。ヨーロッパ青年文化協会会長として青少年教育に尽力する。
 

激しく同意。

 投稿者:まるりん  投稿日:2017年 2月10日(金)20時43分27秒
  情報係様に

同意いたします。
 

Re.活動内容が同じなら問題ないのでは?

 投稿者:情報係  投稿日:2017年 2月10日(金)20時37分55秒
  深く同意しません。会員全員が高齢化もせず、現場組織形態が持続可能な状態であれば話は別だと思いますが。

頭が腐り始めると、尾っぽ迄腐る魚の喩え通り、時間感覚を無視した短絡的な貴族感覚です。
付け加えれば、池田先生は名誉職であって会の指揮運営は会長が一任しています。全ての権限・責任は会長にあります。会則通りの解釈です。責任を問われない今の学会執行部に皆さんが怒っているのではありませんか?

この板を読んでいると、教学展開から対話まで幅広く投稿されていると思います。
 

青蓮さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月10日(金)20時34分32秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/56684
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56733

上記のコメントも『青蓮』のハンネですが、この上記のコメントを過去にされた人ですか?


http://6027.teacup.com/situation/bbs?page=138&
http://6027.teacup.com/situation/bbs?page=137&
http://6027.teacup.com/situation/bbs?page=136&

↑この辺り

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

活動内容が同じなら問題ないのでは?

 投稿者:青蓮  投稿日:2017年 2月10日(金)18時59分57秒
  私が学会活動で一番重要と考えているのは
現場の最前線にいる活動家が幸福かどうかです。

仮に、先生が現在ご判断できない状況にあるとして
それを現執行部が体制維持に利用していると仮定して

それが一般会員に、悪影響を与えているでしょうか?
活動内容を見る限り以前と変わらないように見えますが如何でしょうか?

私は池田先生絶対論者ではありませんので
池田先生が直接指揮を執られようが執られまいが
現執行部がどのような体制になろうが
現場に悪影響が無ければ問題ないと思いますが如何でしょうか?


例えば
「マイ聖教運動」は先生が表に頻繁に出ていた時期もやってましたよね。

表に出ようが、執行部体制がどうなろうが
やってる活動内容は変わらないと思いますが

ここに投稿されている皆様は
明確に回答できますでしょうか?
それとも都合の質問はスルーされるのでしょうか?
 

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