✳️2016年6月26日(日曜日)
✳️天基7年・天暦5月22日
🔷今朝のみ言葉🔷
ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった。
(新約聖書ー使徒行伝・7章51~53節ーより)
♌️ おはようございます 🌳🐌🍒☔️
昨日は、海洋平和(株)の株主総会の一日でした。日本の国の中枢部、千代田区平川町にある海運クラブに全国から株主が集まって、第11回目の株主総会が行われました。
冒頭、海洋平和CEOの佐藤健雄氏の甥であられる参議院委員の佐藤正久議員が祝辞を述べられ、学校教育、とりわけ、海洋国家日本としての海への認識と教育の必要性を語られました。そして、守るべきを守れるのか?そのためには、己れの犠牲に対する自覚と覚悟が必要であると語っておられました。
思いを巡らす朝のホテル、心の中に割礼という言葉が浮かびました。
今朝の聖句は、キリスト教最初の殉教者と言われるステパノの、死の直前に発した火のような説教の中の一節です。
ああ、強情で心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたはいつも聖霊に逆らっている!いったい、あなたがたが迫害しなかった預言者が一人でもいたか?…。
割礼無きが故に強情であり、割礼無きが故に預言者を迫害し、割礼無きが故に正しいかたを殺し、割礼無きが故に律法さえも守れない…それがあなたがただ!とステパノは訴えるのです。
これを聞いた人々は、心の底から激しく怒り、歯ぎしりをし、しまいには耳を塞いでステパノの声を遮り、ステパノめがけて一斉に殺到して、彼を石で撃ち殺したと言われます。
しかしながら、ここでステパノを殺した人々はユダヤ人達ですから、全て幼児の頃割礼を施された人々です。今現在でもそうですが、熱心なユダヤ教を信奉するユダヤ人は生まれて8日目に性器の包皮を切除するのです。
その割礼受けた人々に対してステパノは、心にも耳にも割礼のない人たちよ!と訴えるのです。割礼のある人々が、割礼のない人だと言われることほど侮辱された思いになることは間違いありません。弁護士に対して、法律を知らない人だと言っているようなものです。周りで聞いていた人々は憤慨したのです。
割礼は痛みを伴う行事なのですが、ユダヤ人にとっては選民の証であり、誇りであったはずです。その誇りを傷つけるかのようにステパノは、イスラエルの人々の不信仰を指摘したのです。
強情で心にも耳にも割礼のない者たちだ…と。
神の祝福、選民の証、肉体の割礼、それらを通して神様は、たえず人を導いて行かれます。私達は、私達が体験したものを通して、私達自身を確信してゆく世界があります。
しかしながら、肉体の割礼が心の割礼に至らなければ、肉体の割礼のままで、そこに神様との関係性と人間の霊性における永遠性はないのです。
割礼!、それは自分自身を切り裂いて血を流す行為です。自分自身を切り裂いて血を流せるのか?ということです。
それが肉体のみならず、心においても耳においてもです。
自分自身の心と思いの信念に、自分自身が割礼を施すことは容易なことではありません。しかし、多くの歴史は、そのことをなさなかったが故の人間の愚かさを実証するのです。
ステパノの目には天が開けてキリストの栄光が見えその天に昇るのですが、殺到した人々にはステパノの返り血だけが残るのです。
私達の誇りとすべきものとは、いったい何なのでしょう?何を真実に獲得して行かなければならないのでしょうか?
ことの真意を見出す道は容易ではありません。そんな時は、割礼が必要です。裂いて行かなければ見えない世界があるということを心に抱いて生きたいものだと、何故か感じる朝です。