日帝の"恐るべき"朝鮮語抹殺政策nida!
日帝は早くも1906年から朝鮮語抹殺政策
中央日報 2011/10/7
http://japanese.joins.com/article/439/144439.html?servcode=400§code=400
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=144440&servcode=servcode
空気のようにありふれているのが国語の文だ。
しかし100年前の韓半島は違った。
学校の教科書から特定の言葉が消えていた。
1907年の『国語読本』4巻第1課「独立自営」単元は、
1912年の『朝鮮語読本』から「自活」という題目に変わる。
1908年に日帝統監府の教科書調査事業で「独立」が
禁則語になったからだ。
「自主」「自由」などの言葉も習うことも書くこともなかった。
「日帝強占期の朝鮮語抹殺政策と言われるが、
実際には統監時代(1906-1910)から
教科書の検閲が行われ、朝鮮の民族意識を鼓吹する
単語が削除された。
韓日併合後には‘国語=日本語’になり、
朝鮮語は付随科目になって授業時間も大幅に減り、
30年代に入るとなくなってしまった」。
10日、檀国(タングク)大学竹田キャンパスで会った
ホ・ジェヨン教授(教育学)が黄色い表紙の本を広げて見せた。
ホ教授が2002年から収集してきた韓国近代教科書およそ
280種類。 日帝の語文・教育政策を研究するため、
1890年代以降の教科書を手当たりしだい収集した。
投じた私財は1億ウォン(約700万円)を超える。

日帝時代の語文・教育政策を研究するため
教科書およそ280種類を収集したホ・ジェヨン教授。
「記録に見ると、日帝が強制併合翌年の1911年から
朝鮮語を除いたすべての授業で日本語教科書を使用した
と書かれているが、併合直後にどうやってそういうことが
可能なのか気になった」。
ホ教授が統監時代の教科書・官報などを確認した結果、
日帝はすでにこの時から教科書侵奪を始めていた。
東海(トンヘ)が日本海に、南海が朝鮮海に変わっていた。
歴史の記述で「任那日本府説」が正式に登場した。
「もともと国語教育の歴史を調べようとしたが、
教科書はすべて言語。 文化の核心が言語であって。
言語が消えて抑圧を受ける教科書の変遷史を見れば、
国語文に対する時代状況が見える」。
こうした変遷史は5日にオンラインで開設された特別企画展
「韓民族を呼び起こす!国語教科書1世紀特別展」
(www.hangeulmuseum.org)でも確認できる。
ホ教授が収集した多数の教科書を見ることができる。
問題は教科書も日帝時代と完全に決別できなかったという点だ。
1945年の光復(解放)後の米軍政期間に作られた国語文教科書
を見ると、小学校の教本は60%、中学校の教本は70%ほどが
強占期の教科書の内容を使っている。
教科書を制作する人も、教える人も全く足りなかったからだ。
教科書制度自体が開化期の日帝の行政・教育制度を真似て
作られたという限界もあった。
「日帝の教科書は内鮮一体、皇国臣民を育てる国家主義を
基盤としているが、光復後そういうイデオロギーが
私たちの教育課程に及ぼした影響が研究されなければならない。
今まで調べたところ、政府樹立後の教科書は国家主義を
民族主義に代えたと見ることができる。
第5次教育課程(1989年)になって国語教育の目標が
話す/読む/書くなど技能中心に変わったと
見なければいけない」。
ホ教授は教育の目標が文化創造という点で教科書に関する
より旺盛な研究を強調した。 また最近の歴史教科書の
‘民主主義-自由民主主義’論争を見ると
「もどかしい」と語った。
「今は教科書の性格・目標自体が変わっているのに
旧時代的な政治ヘゲモニー争いをして…。
研究を通して明らかにするべきことを諮問委員会で
争うのは非生産的だと思う」。
「ハングルの日」(9日)を控えて望むことは、
「毎年繰り返される国語の誤用・乱用、
漢字併用論争はやめてほしい」ということだ。
「言語は純理に沿っていくもので、経済性次元で答えは出ている。
ただ、漢字が必要なところには集中的に教える必要がある。
今は後世のために過去の文献のハングル翻訳に
力を注がなければならない時期だ」。
朝鮮語抹殺政策ねぇwwwww







普通学校 朝鮮語辞典
『京城師範学校訓導
沈 宣鱗 編纂
株式会社 京城 以文堂 発行』
大正14年10月20日初版発行
昭和 5年 4月10日三再発行
・当時の朝鮮日報でも

・昭和11年の映画の宣伝でも

・当時の娯楽本でも

・京城の靴屋さんの新聞広告


・朝鮮日報(昭和13年7月16日号)
大阪「株式会社吉田久四郎商店」の広告でも

・東亜日報(昭和3年11月9日号)
レート化粧品の新聞広告でも

・東亜日報(昭和3年11月20日号)
輸入車『フォード』の新聞広告
朝鮮人富裕層向に『フォード』を宣伝していたのねぇ

ジェネラルモータース株式会社(GM)だって負けてません!

朝鮮人の購買意欲を誘う為に、あの手この手の
広告を出しています!
併合時代は、このように
ハングルと漢字の併用が続けられ・・・
朝鮮総督府専売局の創業時にできた
最初の両切紙巻煙草「カイダ」
(10本入り 15銭)でも

朝鮮総督府鉄道局の新聞広告
昭和3年11月2日の東亜日報から

昭和天皇の即位の式典で、公休日になるので
”家族旅行に出かけませんか?”
と呼びかける新聞広告。
ハングルですから もちろん対象は朝鮮人
日本人向けに日本語の広告も別に出しています。
朝鮮総督府の政府公報でも

「氏を設定すると従来の姓が無くなってしまうと云う
誤解があるようですが、氏設定後に於いても
姓及び本貫は其儀戸籍に存置されますから
ご心配ありません。」
と、丁寧にハングルのふり仮名付きなんですけれど・・・
何ということでしょう!
ハングルだらけですわ。
朝鮮民族の心の歌、アリランのレコードも

ハングルの歌詞カード付きで発売されましたとさwww
ホ・ジェヨン教授、
『普及』という漢字は、抹殺という意味ではありませんよ。
中央日報 2011/10/7
http://japanese.joins.com/article/439/144439.html?servcode=400§code=400
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=144440&servcode=servcode
空気のようにありふれているのが国語の文だ。
しかし100年前の韓半島は違った。
学校の教科書から特定の言葉が消えていた。
1907年の『国語読本』4巻第1課「独立自営」単元は、
1912年の『朝鮮語読本』から「自活」という題目に変わる。
1908年に日帝統監府の教科書調査事業で「独立」が
禁則語になったからだ。
「自主」「自由」などの言葉も習うことも書くこともなかった。
「日帝強占期の朝鮮語抹殺政策と言われるが、
実際には統監時代(1906-1910)から
教科書の検閲が行われ、朝鮮の民族意識を鼓吹する
単語が削除された。
韓日併合後には‘国語=日本語’になり、
朝鮮語は付随科目になって授業時間も大幅に減り、
30年代に入るとなくなってしまった」。
10日、檀国(タングク)大学竹田キャンパスで会った
ホ・ジェヨン教授(教育学)が黄色い表紙の本を広げて見せた。
ホ教授が2002年から収集してきた韓国近代教科書およそ
280種類。 日帝の語文・教育政策を研究するため、
1890年代以降の教科書を手当たりしだい収集した。
投じた私財は1億ウォン(約700万円)を超える。
日帝時代の語文・教育政策を研究するため
教科書およそ280種類を収集したホ・ジェヨン教授。
「記録に見ると、日帝が強制併合翌年の1911年から
朝鮮語を除いたすべての授業で日本語教科書を使用した
と書かれているが、併合直後にどうやってそういうことが
可能なのか気になった」。
ホ教授が統監時代の教科書・官報などを確認した結果、
日帝はすでにこの時から教科書侵奪を始めていた。
東海(トンヘ)が日本海に、南海が朝鮮海に変わっていた。
歴史の記述で「任那日本府説」が正式に登場した。
「もともと国語教育の歴史を調べようとしたが、
教科書はすべて言語。 文化の核心が言語であって。
言語が消えて抑圧を受ける教科書の変遷史を見れば、
国語文に対する時代状況が見える」。
こうした変遷史は5日にオンラインで開設された特別企画展
「韓民族を呼び起こす!国語教科書1世紀特別展」
(www.hangeulmuseum.org)でも確認できる。
ホ教授が収集した多数の教科書を見ることができる。
問題は教科書も日帝時代と完全に決別できなかったという点だ。
1945年の光復(解放)後の米軍政期間に作られた国語文教科書
を見ると、小学校の教本は60%、中学校の教本は70%ほどが
強占期の教科書の内容を使っている。
教科書を制作する人も、教える人も全く足りなかったからだ。
教科書制度自体が開化期の日帝の行政・教育制度を真似て
作られたという限界もあった。
「日帝の教科書は内鮮一体、皇国臣民を育てる国家主義を
基盤としているが、光復後そういうイデオロギーが
私たちの教育課程に及ぼした影響が研究されなければならない。
今まで調べたところ、政府樹立後の教科書は国家主義を
民族主義に代えたと見ることができる。
第5次教育課程(1989年)になって国語教育の目標が
話す/読む/書くなど技能中心に変わったと
見なければいけない」。
ホ教授は教育の目標が文化創造という点で教科書に関する
より旺盛な研究を強調した。 また最近の歴史教科書の
‘民主主義-自由民主主義’論争を見ると
「もどかしい」と語った。
「今は教科書の性格・目標自体が変わっているのに
旧時代的な政治ヘゲモニー争いをして…。
研究を通して明らかにするべきことを諮問委員会で
争うのは非生産的だと思う」。
「ハングルの日」(9日)を控えて望むことは、
「毎年繰り返される国語の誤用・乱用、
漢字併用論争はやめてほしい」ということだ。
「言語は純理に沿っていくもので、経済性次元で答えは出ている。
ただ、漢字が必要なところには集中的に教える必要がある。
今は後世のために過去の文献のハングル翻訳に
力を注がなければならない時期だ」。
朝鮮語抹殺政策ねぇwwwww
普通学校 朝鮮語辞典
『京城師範学校訓導
沈 宣鱗 編纂
株式会社 京城 以文堂 発行』
大正14年10月20日初版発行
昭和 5年 4月10日三再発行
・当時の朝鮮日報でも
・昭和11年の映画の宣伝でも
・当時の娯楽本でも
・京城の靴屋さんの新聞広告
・朝鮮日報(昭和13年7月16日号)
大阪「株式会社吉田久四郎商店」の広告でも
・東亜日報(昭和3年11月9日号)
レート化粧品の新聞広告でも
・東亜日報(昭和3年11月20日号)
輸入車『フォード』の新聞広告
朝鮮人富裕層向に『フォード』を宣伝していたのねぇ
ジェネラルモータース株式会社(GM)だって負けてません!
朝鮮人の購買意欲を誘う為に、あの手この手の
広告を出しています!
併合時代は、このように
ハングルと漢字の併用が続けられ・・・
朝鮮総督府専売局の創業時にできた
最初の両切紙巻煙草「カイダ」
(10本入り 15銭)でも
朝鮮総督府鉄道局の新聞広告
昭和3年11月2日の東亜日報から
昭和天皇の即位の式典で、公休日になるので
”家族旅行に出かけませんか?”
と呼びかける新聞広告。
ハングルですから もちろん対象は朝鮮人
日本人向けに日本語の広告も別に出しています。
朝鮮総督府の政府公報でも
「氏を設定すると従来の姓が無くなってしまうと云う
誤解があるようですが、氏設定後に於いても
姓及び本貫は其儀戸籍に存置されますから
ご心配ありません。」
と、丁寧にハングルのふり仮名付きなんですけれど・・・
何ということでしょう!
ハングルだらけですわ。
朝鮮民族の心の歌、アリランのレコードも
ハングルの歌詞カード付きで発売されましたとさwww
ホ・ジェヨン教授、
『普及』という漢字は、抹殺という意味ではありませんよ。
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