日帝の惨い強制美術教育!陰影法を書かされたnida!
日帝時代美術教科書公開、
‘韓国近現代美術教育資料’展
ユニオンプレス(韓国語) 2011/12/05(月)
http://www.unionpress.co.kr/news/detail.php?number=140337&thread=02r02r01

▲(左)中学校用美術教科書
(右上)1953年初めの工作教科書
(右下)1968年美術教科書
日帝時代の学生たちはどんな美術教科書で
勉強したのだろうか?過去と美術教育資料を通じて
当時の世相を推し量ることができる展示が用意された。
近現代美術教材を公開する<韓国近現代美術教育資料>展が
来る23日(金)までソウル倉前洞キムダルジン美術資料博物館
で開かれる。サムスン出版博物館所蔵資料18点を含む
合計69点の美術教育資料を公開する。
今回の展示では現在の初等教科課程に該当する教科書
「初等学校図画帖」(1926)から日帝強制占領期間の
教育用掛け図など100年前の美術教材に出会うことができる。
1950年代の初等美術および工作教材、1960年代の標準美術教科書、
1970年代の教育大学で発行した資料に至るまで時代別美術教育
理念をのぞくことができる。
授業紙も内容と教育ガイドを収録した教師用教科資料が
学生用教科書と比較・展示されて当時の教育指針を把握
して見ることができる。
その他にも当代の屈曲した政治、社会、文化的側面を
そっくり表わす文献資料と刊行物は注意深く見るに値する。
関連ニュース
●日本統治時代の美術教育とは
朝鮮日報 2011/11/13(日)
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/news4plus/1321149209/
キム・ダルジン美術資料博物館が資料展

日本による植民地時代、小学生がどのような
美術教育を受けていたをうかがわせる展示会が開催される。
12月23日まで、キム・ダルジン美術資料博物館
(ソウル市麻浦区倉前洞)で開催される
「韓国近現代美術教育資料展」がそれだ。
例えば、1926年に朝鮮総督府が発行した
『普通学校図画帖(じょう)』(写真)では、
つぼやコップ、円すい、球などの陰影を表現する技法が
紹介されている。
また植民地時代、長さの測定法を子どもたちに教えるため
使われた教育用掛け図には、友人の身長を測る
子どもの様子が描かれている。
展示会ではこのほかにも、50年代に文教部(省に相当)
=現・教育科学技術部=と美術教材研究会が発行した
『初等美術』や『工作』の教材、60年代に大学の教材として
使われた『韓国美術史』の書籍など、計69点の近現代美術
教育資料が紹介される。
クァク・アラム記者
-----------------------------------------------------------
●学位論文 張 東浩(韓国)
韓園の近代における美術教育の変遷
筑波大学芸術学研究科
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/6248/1/A3250.pdf
第4章「第一次朝鮮教育令期(19u~1922年)における
図画・手工教育」では,図画科が普通学校では随意科に置かれて
図画教育の基盤が変化したことが述べられている。
(中略)
著者によれば,1910年代における図画教育は臨画教育時代
である一方,この時期の手工教育は,地方の材料をもち,
郷土的製品を制作する教育内容であり,または職業人を
養成するためのものであった。
第5章「第二次朝鮮教育令期(1922~1938年)における
図画・手工教育」では,図画科が普通学校では再び本科に
入れられた結果,
1921年に韓国の生活文化の題材が多く組み込まれた
『普通学校図画帖』の教科書が
発行された事実が上げられている。
教材構成からみれば相変わらず臨画が他の教材よりも
多い教科書は,日本の文部省の『新定画帖』(1910年)の
教科書の教育内容の構成を参考にしたものではあったとしても,
絵画的な表現の題材に関しては『新定画帖』よりも
発展した内容をもつものであったことが本論文によって
実証されている。
さらに,投稿記事の分析から,1920年代の図画教育では,
臨画教育が衰退し,自由画教育が学校教育の現場に広まったが,
1930年に入ると,自由画教育が自然描写の写生画と相違が
なくなり,学校教育の現場では児童の生活に関する表現を
求める「想画」が広まっていったという,図画教育の時代の
推移が把握され,そうした傾向が『普通学校図画』(1937年)や
『初等図画』(1938年)の教科書に反映されていることを
図版で示している。
(中略)
植民地政治と教育政策の下で半自主的ではあったが,
1920年代後半には韓国人の教師たちの間に美術教育の意識が
確立して研究発表の活動が行われたこと,
教科書の内容に韓国の生活文化などの
題材が多く組み込まれたこと,
そして『図画臨本』の教科書の原画を描いたのは韓国人の伝統画家
であり,その他の教科書の場合も韓国人の画家が描いた
可能性が高いことなど,著者による独自の見解が示されている。
***********************************************************
11月13日の朝鮮日報記事には
●朝鮮時代末期の英語事情
【新刊】キム・ヨンチョル著
『英語、朝鮮を目覚めさせる』全2巻(イルリ社)
『1920年5月12日付の本紙第3面に「2番目の普成校の休学」
という記事が掲載された。』
「この学校の3年生45人が5日前から授業をボイコット
しているという内容だった。」
『生徒たちは「学校で習う英語は日本人の英語であって
イギリス人の英語ではない」と指摘し
「日本人はもともと発音が悪く、その発音のまま習っても
世界に通用しないため、朝鮮人の英語教諭に
変更してほしい」と要求した。』
と言う記事が掲載されまして・・・
なんと、日帝は植民地の子供達に【英語教育】なんかも
強制していたんですねぇ。
こりゃ、たまげた!
さて、"植民地統治"時代の朝鮮の普通学校とは
どれだけ酷かったのでしょう。
釜山公立普通学校

(写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵)
明治42年4月、釜山の瀛州町に設置されました。
赤レンガの洋館で教室数は18教室、
校庭は、なんと2400坪!
生徒 男:795、女:412、合計1207名
(昭和2年の統計)

秋の運動会の様子

制服はチマチョゴリですねぇ・・・
普通学校とは日本語を常用としない朝鮮人及び清国人に
小学校教育を行うための学校です。
授業料は、当時の経済格差を考慮して日本人居住民の
児童の約半額でした。
尋常小学校(日本人学校)の教科書は全て有料で
販売していましたが、朝鮮人が普通学校で使う教科書は
無料で貸す制度でした。
金持ちの朝鮮人は、自分専用の教科書を購入することも可能。
尋常小学校に入学した朝鮮人には無料貸与制度は適応されず
日本人と同じく教科書は有料です。
日本人向け尋常小学校と朝鮮人向け普通学校との区別を廃止し
学校が統一されると、教科書も全て有料となりました。
ところがサヨクの反日プロバカンダによって
西野瑠美子「従軍慰安婦のはなし」
(明石書店1993年刊)より P67~68
『そんな中で、「朝鮮教育令」(一九一一年公布。
朝鮮人を「忠良なる国民」にすることを目的とした)
という法律が作られました。
自分の国である朝鮮の歴史や地理を教えてもらうことが
できなくなったのです。
また「国語」は、自分の国のことばである朝鮮語ではなく、
日本語になったのです。
学校でも子どもたちに日本語を使うことが強制されました。』
と、大嘘が書かれてしまうのです・・・
確かに、日本語は必修科目になりましたが
漢文もハングルも必修科目です!


朝鮮の伝統文化も、きちんと守っています。

目的の為なら、平気で嘘を付く
偽善者ぶって洗脳する
本当にサイテーな人達です。
‘韓国近現代美術教育資料’展
ユニオンプレス(韓国語) 2011/12/05(月)
http://www.unionpress.co.kr/news/detail.php?number=140337&thread=02r02r01
▲(左)中学校用美術教科書
(右上)1953年初めの工作教科書
(右下)1968年美術教科書
日帝時代の学生たちはどんな美術教科書で
勉強したのだろうか?過去と美術教育資料を通じて
当時の世相を推し量ることができる展示が用意された。
近現代美術教材を公開する<韓国近現代美術教育資料>展が
来る23日(金)までソウル倉前洞キムダルジン美術資料博物館
で開かれる。サムスン出版博物館所蔵資料18点を含む
合計69点の美術教育資料を公開する。
今回の展示では現在の初等教科課程に該当する教科書
「初等学校図画帖」(1926)から日帝強制占領期間の
教育用掛け図など100年前の美術教材に出会うことができる。
1950年代の初等美術および工作教材、1960年代の標準美術教科書、
1970年代の教育大学で発行した資料に至るまで時代別美術教育
理念をのぞくことができる。
授業紙も内容と教育ガイドを収録した教師用教科資料が
学生用教科書と比較・展示されて当時の教育指針を把握
して見ることができる。
その他にも当代の屈曲した政治、社会、文化的側面を
そっくり表わす文献資料と刊行物は注意深く見るに値する。
関連ニュース
●日本統治時代の美術教育とは
朝鮮日報 2011/11/13(日)
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/news4plus/1321149209/
キム・ダルジン美術資料博物館が資料展
日本による植民地時代、小学生がどのような
美術教育を受けていたをうかがわせる展示会が開催される。
12月23日まで、キム・ダルジン美術資料博物館
(ソウル市麻浦区倉前洞)で開催される
「韓国近現代美術教育資料展」がそれだ。
例えば、1926年に朝鮮総督府が発行した
『普通学校図画帖(じょう)』(写真)では、
つぼやコップ、円すい、球などの陰影を表現する技法が
紹介されている。
また植民地時代、長さの測定法を子どもたちに教えるため
使われた教育用掛け図には、友人の身長を測る
子どもの様子が描かれている。
展示会ではこのほかにも、50年代に文教部(省に相当)
=現・教育科学技術部=と美術教材研究会が発行した
『初等美術』や『工作』の教材、60年代に大学の教材として
使われた『韓国美術史』の書籍など、計69点の近現代美術
教育資料が紹介される。
クァク・アラム記者
-----------------------------------------------------------
●学位論文 張 東浩(韓国)
韓園の近代における美術教育の変遷
筑波大学芸術学研究科
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/6248/1/A3250.pdf
第4章「第一次朝鮮教育令期(19u~1922年)における
図画・手工教育」では,図画科が普通学校では随意科に置かれて
図画教育の基盤が変化したことが述べられている。
(中略)
著者によれば,1910年代における図画教育は臨画教育時代
である一方,この時期の手工教育は,地方の材料をもち,
郷土的製品を制作する教育内容であり,または職業人を
養成するためのものであった。
第5章「第二次朝鮮教育令期(1922~1938年)における
図画・手工教育」では,図画科が普通学校では再び本科に
入れられた結果,
1921年に韓国の生活文化の題材が多く組み込まれた
『普通学校図画帖』の教科書が
発行された事実が上げられている。
教材構成からみれば相変わらず臨画が他の教材よりも
多い教科書は,日本の文部省の『新定画帖』(1910年)の
教科書の教育内容の構成を参考にしたものではあったとしても,
絵画的な表現の題材に関しては『新定画帖』よりも
発展した内容をもつものであったことが本論文によって
実証されている。
さらに,投稿記事の分析から,1920年代の図画教育では,
臨画教育が衰退し,自由画教育が学校教育の現場に広まったが,
1930年に入ると,自由画教育が自然描写の写生画と相違が
なくなり,学校教育の現場では児童の生活に関する表現を
求める「想画」が広まっていったという,図画教育の時代の
推移が把握され,そうした傾向が『普通学校図画』(1937年)や
『初等図画』(1938年)の教科書に反映されていることを
図版で示している。
(中略)
植民地政治と教育政策の下で半自主的ではあったが,
1920年代後半には韓国人の教師たちの間に美術教育の意識が
確立して研究発表の活動が行われたこと,
教科書の内容に韓国の生活文化などの
題材が多く組み込まれたこと,
そして『図画臨本』の教科書の原画を描いたのは韓国人の伝統画家
であり,その他の教科書の場合も韓国人の画家が描いた
可能性が高いことなど,著者による独自の見解が示されている。
***********************************************************
11月13日の朝鮮日報記事には
●朝鮮時代末期の英語事情
【新刊】キム・ヨンチョル著
『英語、朝鮮を目覚めさせる』全2巻(イルリ社)
『1920年5月12日付の本紙第3面に「2番目の普成校の休学」
という記事が掲載された。』
「この学校の3年生45人が5日前から授業をボイコット
しているという内容だった。」
『生徒たちは「学校で習う英語は日本人の英語であって
イギリス人の英語ではない」と指摘し
「日本人はもともと発音が悪く、その発音のまま習っても
世界に通用しないため、朝鮮人の英語教諭に
変更してほしい」と要求した。』
と言う記事が掲載されまして・・・
なんと、日帝は植民地の子供達に【英語教育】なんかも
強制していたんですねぇ。
こりゃ、たまげた!
さて、"植民地統治"時代の朝鮮の普通学校とは
どれだけ酷かったのでしょう。
釜山公立普通学校
(写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵)
明治42年4月、釜山の瀛州町に設置されました。
赤レンガの洋館で教室数は18教室、
校庭は、なんと2400坪!
生徒 男:795、女:412、合計1207名
(昭和2年の統計)
秋の運動会の様子
制服はチマチョゴリですねぇ・・・
普通学校とは日本語を常用としない朝鮮人及び清国人に
小学校教育を行うための学校です。
授業料は、当時の経済格差を考慮して日本人居住民の
児童の約半額でした。
尋常小学校(日本人学校)の教科書は全て有料で
販売していましたが、朝鮮人が普通学校で使う教科書は
無料で貸す制度でした。
金持ちの朝鮮人は、自分専用の教科書を購入することも可能。
尋常小学校に入学した朝鮮人には無料貸与制度は適応されず
日本人と同じく教科書は有料です。
日本人向け尋常小学校と朝鮮人向け普通学校との区別を廃止し
学校が統一されると、教科書も全て有料となりました。
ところがサヨクの反日プロバカンダによって
西野瑠美子「従軍慰安婦のはなし」
(明石書店1993年刊)より P67~68
『そんな中で、「朝鮮教育令」(一九一一年公布。
朝鮮人を「忠良なる国民」にすることを目的とした)
という法律が作られました。
自分の国である朝鮮の歴史や地理を教えてもらうことが
できなくなったのです。
また「国語」は、自分の国のことばである朝鮮語ではなく、
日本語になったのです。
学校でも子どもたちに日本語を使うことが強制されました。』
と、大嘘が書かれてしまうのです・・・
確かに、日本語は必修科目になりましたが
漢文もハングルも必修科目です!
朝鮮の伝統文化も、きちんと守っています。
目的の為なら、平気で嘘を付く
偽善者ぶって洗脳する
本当にサイテーな人達です。
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