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子どもと情報メディア
著者 村田育也
「第1章 教育と情報メディア」 から抜粋を立ち読み
「教育的」とはどういうことか(抜粋)
子どもがケータイやインターネットを使うことで,多くの問題が生じています.ネットいじめ,ネット犯行予告,出会い系サイトを使っての援助交際などです.だから,子どもにケータイやインターネットを使わせることが問題だと主張すると,必ず「ケータイやインターネットを使う子どもが全員ネットいじめやネット犯行予告をするわけではない」と反論する人がいます.確かに,それは事実ですが,それを根拠に使わせるべき(推進派)とか,使わせても良い(容認派)とかと主張するのは,教育的ではありません.
警察庁によると,出会い系サイトに関係した事件で被害に遭った未成年者の数は,2008年は少し減少していますが,2004年から2007年までは毎年1,000人を超えています(1).出会い系サイト関連事件の被害者になるのは,第3章で書きますが,12歳以上です.この頃の12歳以上の未成年者の人数は約1,000万人ですから,出会い系サイト関連事件の被害者になる子どもの割合は年間約0.01%,つまり1万人に1人ということになります.2008年1〜3月に文部科学省が行った調査では,全国で学校裏サイトが38,260件見つかったそうです(2).もし,1つの学校裏サイトで1人の子どもが他の子どもの誹謗・中傷を書いたとすると(実際にはもっと多いでしょうが),2007年度の全国の中学校と高等学校の在籍者数は約700万人ですから,ネットいじめに荷担した中高生は,約5.5%で,200人に1人以上という割合になります.
使い方指導を適切に行えば,これらの事件の被害者や加害者を減らすことができるでしょう.しかし,ゼロにすることはできるでしょうか.もし,できる限りの情報モラル教育をしても(しない場合は論外です),ある年齢以下の子どもの何人かがケータイやインターネットの使い方を誤り,事件を起こしたり事件に巻き込まれたりするなら,その年齢以下の子どもには使わせるべきではないでしょう.これが教育的な措置です.
ここで,「大人だって,事件を起こしたり事件に巻き込まれたりするじゃないか.子どもにだけ厳しくするのか」と反論する人がいるかもしれません.でも,その意見は教育的ではありません.大人と子どもでは,持てる責任の大きさが違うからです.大人は,自分がしたことには自分で責任を取らなければなりません.しかし,子どもは成長の途中ですから,大人と同じ責任能力を認められません.子どもが持てない責任については,原則として保護者が負います.これが,大人と子どもの大きな違いです.
あともう一つ書いておかねばならないことがあります.ある道具(製品)が子どもの発達に好ましくない影響があるかもしれないと,研究者や教育者が指摘したとします.あなたは自分の子どもにその道具を使わせますか.「かもしれない」ですから,いくつかの事例から影響があると考えられるという仮説の段階です.その研究者や教育者が対象にした子どもたちには影響が見られたが,すべての子どもに影響するかどうかはわからない状態だとも言えます.
このとき,2つの選択肢があります.1つは,影響があるという普遍的な証拠はないのだから,影響があるとわかるまで使わせる方法です.もう1つは,好ましくない影響があるという疑いがあるのなら,影響がないという科学的な証拠が出て,その疑いが晴れるまで使わせない方法です.前者は,その道具を売る側の論理でしょう.後者は,保護者や教育者の考え方でしょう.後者の考え方の方が,子どもの将来を考えた,より「教育的」な考え方だということに,うなずいていただけると思います.私は,この本を通じて,ケータイやインターネットなどの情報メディアが,子どもたちに好ましくない影響があることをお伝えします.つまり,教育的な立場に立つとき,【1】(推進派)と【2】(容認派)ではいけないことを示したいと思います.
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