なぜカバーブームが起こったか
アーティストの意識だけの話ではない。
00年代から10年代は、日本の音楽業界全体の潮流においても、歌謡曲からJ-POPへと脈々と積み重ねられてきた自国のポピュラー音楽の魅力を再発見しようという気運が高まった時代である。
その象徴が「カバーブーム」と呼ばれる現象だ。
00年代以降、毎年数々のカバーアルバムがリリースされている。その盛況は長く続き、もはやブームという言葉が当てはまらないほどの定着を見せている。
「カバーブームの立役者」と呼ばれる徳永英明や「カバーの女王」と称されるJUJU以外にも、May J.、平井堅、コブクロ、クリス・ハート、倖田來未、堂本剛、柴咲コウ、渋谷すばる、BENI、華原朋美など、様々なシンガーが邦楽カバーを手掛けたアルバムを発表している。
(PHOTO: Getty Images)カバーの女王・JUJU
こうしたアルバムでカバーの対象に選ばれるのは、いわゆる「名曲」と言われるような、長く愛され続けるタイプの曲たちだ。坂本九「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」は、もはやスタンダードナンバーと言っていいほど多くのアーティストに歌われている。
他にも、喜納昌吉&チャンプルーズ「花〜すべての人の心に花を〜」や美空ひばり「川の流れのように」、森山良子「涙そうそう」なども多くカバーされている。
昭和時代の歌謡曲だけでなく、90年代のヒット曲も多い。THE BOOM「島唄」、ドリームズ・カム・トゥルー「LOVE LOVE LOVE」、スピッツ「チェリー」、宇多田ヒカル「First Love」などが定番だ。高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」も多くのアーティストに歌われている。
では、なぜこれらのカバーブームが起こったのだろうか?
今まで、こうしたカバーアルバム人気は「CD不況」の話題と絡めて語られることが多かった。要するに、音楽業界がCD売り上げ不振にあえぐ中、好調なセールスを手堅く上げることのできるアイテムとして企画された、というストーリーである。もちろん、そういった側面もあるだろう。だが、それはあまりに一面的な見方だ。
カバーブームの背景には、若者層がターゲットであったがゆえにヒット曲の賞味期限が短かった80年代、90年代に比べて、幅広い世代がJ-POPを受容するようになった00年代以降の音楽シーンの市場の変化がある。
そしてこれは、第二章で書いた「カラオケ人気曲の定番化」と並行して起こったものとも言える。カラオケの人気ランキングでは、00年代後半から、リリースされたばかりの新曲が上位にランクインすることが減り、かわって一青窈「ハナミズキ」やMONGOL800「小さな恋のうた」が何年にもわたって年間ランキングの10位以内を占めるようになった。
ちなみにこの2曲とも、徳永英明、新垣結衣、JUJUなどによってカバーされている。リリースから20年以上たってカラオケ人気が急上昇した中島みゆき「糸」も、Bank Band、福山雅治、柴咲コウなどがカバーしている。
10年代以降の楽曲では「千本桜」の動きが興味深い。もともとは初音ミクを用いたボーカロイド楽曲として発表されたこの曲は、ニコニコ動画をベースに「歌ってみた」動画を投稿する「歌い手」たちに多くカバーされ、ボーカロイドのファン以外にも広がっていった。
さらには「ラスボス」という通称でニコニコ動画のカルチャーに接近していた小林幸子が歌い、2015年にはこの曲で紅白歌合戦への出場も果たした。カバーブームの定着は、ネット文化を経由して「ボカロ発のスタンダードナンバー」を生み出すまでに至ったわけである。
カバーブームは「歌い継がれる日本の名曲」が存在感を持つようになった日本のポピュラー音楽のあり方全体の変化を象徴する一つの現象と言えるだろう。
ブームの仕掛け人は誰か
こうした現在のカバーブームの火付け役的な存在となったのが、徳永英明だ。
彼が2005年に発売したアルバム『VOCALIST』の大ヒットが、その後に続くカバーアルバム頻発の端緒となった。シリーズはその後も人気を博し、2015年の『VOCALIST6』までの累計売り上げは600万枚を超えている。
徳永英明は1986年、24歳の時にシンガーソングライターとしてデビューしている。「壊れかけのRadio」など数々のヒット曲を送り出すが、その後、スランプや度重なる闘病を経て一時は活動休止状態に追い込まれる。そんな彼が、再起をかけて取り組んだのがカバーアルバムの制作だった。
そしてその時、徳永英明に声をかけたのが、音楽プロデューサーの川原伸司だった。
川原伸司は1950年生まれ。ビクターエンタテインメントからソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、ディレクターやプロデューサーとして数々のヒットを生み出してきたキャリアの持ち主だ。
中森明菜や井上陽水など数多くのアーティストを担当し、大瀧詠一とナイアガラ・レコードにも深い関わりを持つ。作曲家としても「平井夏美」のペンネームで、井上陽水との合作「少年時代」や、松田聖子の「瑠璃色の地球」など多くのヒット曲を手掛けている。
実は、川原伸司には徳永英明以前にもカバーアルバムのヒットの実績があった。1994年にリリースされた中森明菜『歌姫』、2001年にリリースされた井上陽水『UNITED COVER』は、ともに川原がプロデューサーをつとめている。
『UNITED COVER』は80万枚を超える売り上げを記録し、これらの作品は2002年にリリースされた島谷ひとみによるヴィレッジ・シンガーズのカバー「亜麻色の髪の乙女」のヒットと共にカバーブームの先駆けとなった。
ちなみに、『歌姫』のライナーノーツで、川原は、ちあきなおみの『すたんだーど・なんばー』(1991年)を意識してアルバムを制作したことを明かしている。
『すたんだーど・なんばー』は、その名の通り、昭和時代の日本の流行歌を、ちあきなおみの歌唱によって新たな「スタンダードナンバー」として捉え直す試みのもと作られたアルバムだった。
1曲目に収録されたのは永六輔・中村八大による「黄昏のビギン」。オリジナルは水原弘が歌っていたが、シングルB面曲だったこともあり、リリース当時はほとんど注目を集めなかった。
しかしこのカバーをきっかけに「黄昏のビギン」は再び脚光を浴びる。中森明菜は『─ZERO album─歌姫2』(2002年)、井上陽水は『UNITED COVER2』(2015年)でこの曲を歌っている。
佐藤剛『「黄昏のビギン」の物語─奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか』(小学館)には、この曲が辿った数奇な運命と共に、「歌い継がれる楽曲」が日本に生まれるようになった理由が解き明かされている。
日本にスタンダード・ソングがつい最近まで定着しなかったのは、いい作品が生まれてもそれをカヴァーできないという、戦前からのシステムに原因があったからだ。
そうした旧弊なシステムに風穴を開けて、結果的に骨抜きにしていったのは、日本の新しい音楽を作ろうとした若いソングライターたちだった。その先駆者が六・八コンビ、すなわち作曲家の中村八大と作詞家の永六輔である。(佐藤剛『「黄昏のビギン」の物語』小学館)
現在の「カバーブーム」に仕掛け人がいるとしたら、その筆頭には川原伸司が挙げられるだろう。そして、その源流を辿ると、ちあきなおみを経て、中村八大・永六輔の存在に行き当たるわけである。
次回につづく!