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zoom RSS 「生長の家原理主義」とは何か・・・日本会議、自民党を支える右翼思想

<<   作成日時 : 2016/07/01 20:20   >>

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 現在の「生長の家本部」が従来のかっての右翼政治運動から手を引き、平和
主義、反原発のリベラル路線を歩んでいることに反発する旧来の高齢信者、さ
らに日本会議などの右翼文化人、自民党政治家も加わっての「本部」攻撃が盛
んである。これは2002年に日本教文社の元社長中島省治が「発行人」、「編集人
」に百地章が名を連ねて「谷口雅春先生に学ぶ」という機関誌の発行を始めた。
現在これに稲田朋美自民党政調会長も加わっての活動となっている。日本会議
は反左翼の一点で集まった日本の右翼のデパートとも揶揄される団体だが、その
中心はかって生長の家を母体として右翼学生運動を繰り広げた「日本青年協議
会」のメンバーが運営の中心でもあり、さらに系列の日本政策研究センターなど
とともに安倍政権を生んで育て、バックとして存在する団体である。

 ではそもそも「生長の家」なる宗教を創始した谷口雅春とはどのような人物で
その思想、あまりに饒舌な雑学な男の手になる「生命の実相」とは何を言ってい
るのか。本来全くの宗教思想がなぜある時期から天皇崇拝一辺倒、戦争礼賛
になる、それが「生長の家原理主義」として日本会議、稲田朋美に代表される
自民党政治家に受け継がれているのか、である。特に日本青年協議会出身者
たち、伊藤哲夫、椛島有三、土橋(高橋)史郎、衛藤晟一,安東巌などが古参の
生長の家信者、自民党の稲田朋美らとともに原理主義者である。

  ともあれ、戦争体験もなく、本当の戦争の体験談も聞いたことがない世襲政
治家や世襲政治家に引き立てられるために右傾化する取り巻き政治家たち、ま
た右傾化社会に悪乗りする保守論客、日本会議加盟の宗教右派の信者、財界
人達、これまた出征経験すらない谷口雅春の、いわば空理空論の多くの者達が
踊らされている現実はあまりに危険と言うしかない。

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  靖国一日見真会で「生命の実相」をかざす稲田朋美
  
  
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 普通、信者か宗教研究家でもない限り、谷口雅春の著作、その「生命と実相」
など読むことはまずあり得ない。生命と実相、それ自体はちょと考えて右翼思想
、軍国主義ともあまり関係がなさそうにも思えてしまうが、「生長の家原理主義」
日本会議の日本青年協議会出身メンバー、さらには自民党の首相補佐官の衛
藤晟一のやはり日青協出身者が全て現在の「生長の家本部」と敵対していること
日本会議国会議員懇談会会長で極右の平沼赳夫の「師読書」も「生命の実相」
という事実、いつも車の中においてあるという、・・・・彼らが愛好する「生命の実
相」がその原理主義生み、超国家主義の再来を謳っていることに不安を持たれ
ていることなど、疑問は尽きることがない。

 ★昭和4年の暮れ、谷口雅春は瞑想に浸っている時、「物質はない」という声
が響き渡り、「実相がある」という「神の声」が響き渡った、という。「生命と実相」
の始まりである。

 それまで谷口雅春はどのような人生を歩んだのか?「教祖佐木秋夫に詳しい


 『明治末期、大阪市の市岡中学を卒業した谷口雅春(本名:正治)は早稲田大
の文科に入った。多くの内外の文学作品を乱読した。さらにオスウカー・ワイル
ドやトルストイの影響を受けて恋愛至上主義のような人生観を持つに至った。

 ところが夏休みに帰省した時、近所に住む房江という娘に恋文を書き、貧困に
あえぐややモラルに欠ける、前科者の彼女と同棲した。
 
 雅春は「私は彼女の社会的に陥っている窮状を愛していたのだ。私は彼女が
前科者だからこそ愛していたのだ、彼女を庇うことが、私の憐憫の情を満足させ
るからに過ぎない」ことを知ったという。

 ところがその一方で雅春は10歳になるグルジョワの令嬢、久子をも愛していた
。この三角関係の葛藤の中で房江は妊娠、流産し、雅春は早稲田も中退となり、
神戸に帰った。そこで義母をはじめとする封建的義理人情と女子干支の板挟み
になって家出し、上京して相生橋署に拘留され、新聞にも叩かれた。

 房江は「では出世なさいませ、さようなら」と言って去ってしまった・その後、台
湾芸者に売りとばされたという。

 「淪落するものは、どうしても淪落するし、浮かぶ者は、どうしておいても浮かぶ
のだ」(自伝上巻108頁)ここで憐憫愛を雅春なりに止揚した。

 その後、大阪の紡績工場に就職したが、ここで資本家のエゴに矛盾を感じ、ま
た女性問題にも悩んだ。

 女性の一人は高尾という遊女であり、もう一人は上役の姪のお紋であった。ま
たしても三角関係に悩んで、弁証法的矛盾に陥る。梅毒らしき病気にかかり、
新家衰弱になった。だが高尾は梅毒ではないと噂を聞き、「お前を疑って申し訳な
かった」と詫び状を書くと、いままで全身を苦しみ付けていた痛みが消え去った。
弁証法的に病気を止揚したのえある。

 紡績会社の搾取と女工たちの悲惨な生活に無住を覚え、工場長と喧嘩して
会社をやめた。その頃、高尾も去り、「会社からも女からも解放された」。他方
でお紋が病気になったと聞いて心配し、「三界は唯心の所現であり、心外には
存在しない」と知って遠隔で彼女の病気を治そうとする。結果は分からないが。
そこで釈尊の教えの業観を大悟した。

 大正6年、1917年、雑誌「彗星」に載ったしんt例両方に興味を持って、大本教
に入信、浅野和三郎と親しくなった。大本教で旬刊「綾部新聞」と「神霊界」の
編集にあたり、精神交換現象を信じて大本教の聖フランシスを決め込むが、大
本の予言「大正11年3月3日、5月5日」が最後の審判の日というもの。大正10年
1921年2月5日、大本教第一次弾圧。ここでも何の奇蹟も起こらなかった。また
大本でも女性との三角関係が生じた。一人は江守耀子で雅春と結婚した。
大本を去ると。新婚以来心臓の病に悩んでいた妻の病気が治った。』

 1929年、昭和4年、「物質はない、実相がある」という神の声を聞いた。

 信者でもなく宗教研究家でもない一般人がこの「物質はない、実相がある」と
いういたって観念の遊戯としか思えない、この「神」の啓示らしきものを聞いて
何を感じるだろうか?「物質はない」というのは明らかにおかしい。実際に存在
している。結局、プラトンのイデア論のようなもので実際にある物質はそのもの
の本質ではない、イデアが投射しているに過ぎない、というのに似た意味か?と
思ってしまうだろう。「美人は存在する。だが美人は決して美そのもではない。美
のイデアが投射しているに過ぎない。美人はいつか消え去る、移ろい易い物質
だが美のイデアは永遠普遍に存在し続ける。イデアとは決して形に表せない、
本質のことである」、・・・そのようなイデア論の類似なのだろうか?

 ともかく苦悶の果ての谷口雅春の「実相哲学」は、ある程度の人々を惹きつけ
る、宗教教理と言えた。だが、これが大日本帝国憲法による国家神道の超宗教
としての国民生活すべてを覆う国教、・・・・と関係があるとは思えなかったはず
だ。「物質はない」、・・・「実相がある」という「神」の啓示とは、・・・その「神」とは
まさか天照大神、神武天皇などの皇祖ではあり得ないだろう。

 『五大教祖の実像』によると「実相の哲学」は以下の三点にまとめられるとい
う。

 @仏教の唯心論、とくに大乗起信論に見られる真如縁起などの唯心論であ
リ、現象を超越した心の本体、いわば真如を以て宇宙万有の第一原因となし、
自浄清浄の顕れを悟り、それを隠すものを無明、迷いとする絶対唯心論。谷
口はそれを真如いい、実相といい、あるいはキリスト教的に創造主といい、神
といってきた。

 A無明や迷いに束縛された現実を説明するために、フォロイド的な精神分析
、特にアドラーの説に近い近い欲求不満の潜在意識を利用し、さらにニーチェ
のレサンチマン(怨恨)を持てt階級意識、罪悪感を説明し、罪からの解放を以て
光明思想と考えた、生長の家の認識論である。

 Bその罪や無明からの解放は一挙には行われず、へーゲルの観念論的弁
証法を採用し、心の無限成長を考え、事物の運動発展の奥にある「無限に完
全なる生命の実相」の自己限定とし、個の字画と精神現象界の主体的な浄化
運動。

 「教祖」によれば

 『谷口自身の立場は、要するに「全ては心だ」という仏教の唯心論、どこまで
も無制約におし広げることが大前提になっている。「宇宙精神」が、何の限定も
なく「思い浮かべる」ことで物質が生じる。だから物質は心に浮かぶ影(表象)に
過ぎないという、調子である。日本帝国主義の新しい段階に応じて、ヘーゲル
哲学による仏教の「基礎づけ」が行われたがそえは学んだものだった。この形
而上学的な世界解釈を、個人の心にまで及ぼして、個人の精神の思いのまま
に「物質」が増減する、生滅するとなると哲学としては収拾がつかなくなる。だ
からヘーゲルは個人の精神にそんあ「霊能」は認めない。しかし心に思えば
現実にそうなるという信仰から出発すれば、ヘーゲル哲学の限定を超えなけ
ればならない。そこに谷口哲学ならぬ「生長の家神学」が要求されてくるわけ
だが、青年時代の谷口はそこまで神秘家はしていない。・・・・‥』

 谷口の思想を「宗教のデパート」というのは決して蔑称ではなく、谷口の若い
ろの恐るべき多読、乱読、引用と孫引きの限りを尽くしての実相哲学、ー存在
論、認識論、実践論に分けたのである。その統合は「万教帰一」の生命論、
霊魂論であった。実はその根底に心霊という日本的な観念があったというべき
、とされる。フロイドの影響は日本教文社からの「フロイド全集」の発刊となって
結実している。

 この時期の「生長の家の詩」、・・・・「野の百合の生きる道」

 「社会革命家よ、世界救済の大師よ、無理と野心を捨てても尚、百合がおの
づから百合の花を開くように、バラがおのづからバラの花が咲けるように、何
の無理なしに素直に、君が革命や救済を成就し得るならば、それもまた野の
百合の生きる道である」

 ★「生長の家」という、いわば人生相談の雑誌を一冊30銭で売って、これ
を元手に1932年、「生命の実相」を刊行し始めた。1934年、谷口雅春は東京
に移った。1941年、宗教団体法によって高明思想普及会という株式会社か
ら宗教団体となった。ここから谷口雅春の宗教家というより、ご都合主義者
の性格があらわになった。戦時中、谷口は「日本の国体こそが実装の世界
の顕現であり、この国家が広がることが実装が世界に広がることだ」と日本
の対外戦争、アジア諸国に遠慮なく分け入っての戦争を正当化、礼賛した。
「皇軍が進むところ、宇宙の経倫が回る」として、念波の一斉祈願で敵軍を
圧殺するため光明念波連盟まで結成し、戦争に限りなく協力し、そのため
谷口は戦後追放処分となった。戦時下においては谷口は「国体の本義」の
天皇絶対化が手ぬるいいって文部大臣に公開質問状を送ったり、「戦費無限
循環法」と称する軍事紙幣の発行を建白したり、生長の家の大陸進出も顕著
で満州光明思想普及会なるものができた。工場への進出ぶりもこれは注目
すべきであり、実際、日清紡績では各室に「生長の家」を備えて生産能率を
上げたという。その「効果」を谷口は「非常時に労働争議を停止せしめ、反戦
思想を抑圧」するのに「最も効果があるのが光明思想である」と書いている
(生長の家1937.10月巻頭言)

 ★占領下において谷口は「私はもともと民主主義者でして、・・・・」

 敗戦後、会社は日本教文社として再出発し、生長の家も既成の宗教団体
となった。谷口雅春は追放され、一人娘の恵美子の二度目の婿に心理学
を専攻していた清超を迎えた。雅春は追放されそうでも教祖であり、ワンマ
ン独走を自認して多忙な日々を送った。

 敗戦の秋、谷口は「今や自由をえたり」と宣言した。「生長の家ほど平和愛
好の宗教はない」のに、政府や軍の「用いるところにならず」敗戦を迎えた、と
いう。戦争協力は自体は「当然」としたが、行き過ぎたのは「仮面愛国者の恫
喝を防ぐため、やむなくやった」‥‥‥追放後は解除請求署名を集めたりし
たがかなわなかった。

 「逆コース」が始まると。再軍備には「戸締まり論」で賛成し、天皇の護持を
強調した。が、社会主義、共産主義にも理解を示す発言を連発した。

 占領時代、谷口雅春は民主主義を絶賛していたが1952年講和条約が締結
されると「生長の家」から教団の二文字を取り去り、新宗連からも脱退した。

 ここから戦後の、いや戦時中の(みなそうであったにせよ)極度な戦争協力、
左翼勢力や社会主義国への罵詈雑言、数知れぬ詭弁の挙句の民主主義否
定、家父長的家族制度、上限関係の固定化、明治憲法即時復元などという
、とんでもない主張の荒みきった空気は読み取れないだろう。

 「神々のラッシュアワー」(英語)には「谷口雅春はカメレオンのように変化
する真の主義主張など持たない典型的なご都合主義者である。戦時中は熱
烈な天皇制崇拝、戦争賛美、占領時代は民主主義者、保守的な時代の到来
を目ざとく察知すると復古的な愛国主義を喧伝してやまない・・・・」

 ★「生長の家原理主義」とはいうが、このような谷口雅春の変転を見ると、
いったい何が「生長の家」の「原理」なのか、誰しも容易に特定できないだろ
う。しいて言えば初期のかなり純粋な宗教思想家であった頃、とも言えるが、

これとて「孫引き」の産物でしかないだろう。

 戦後、特に60年安保以降の谷口雅春の極端な右翼、保守反動姿勢は何に
よってもたらされたのか。今になって本部と対立し、「生長の家原理主義」を信
奉じる日本会議、自民党、右翼文化人のいうy「原理主義」の内容が提示され
たのは60年安保からとみなしていい。

 ★「生命の実相」、その聖霊編、生活編、女性教育編、幸福編など「幸福を
開く鍵」、「人生を前進する」などの「自分は神の子」という宗教的自覚を中心
そした生活のあり方という戦前からの主張と、戦後の国家神道的狂信「愛国
の書」などとは明らかに別の思想であるといえる。

 とにかく戦前の谷口雅春は悩みに悩んでの、それは「生命のもだえ」と称さ
れる宗教者、求道の者としての真摯な思想追求がった。だからその姿勢が多
くの市民葬の共感を呼び、ある意味、大正デモクラシーとも結びつけての戦前
の谷口雅春像を形成していた。現在の「生長の家本部」の姿勢は、この戦前の
谷口雅春の思想を継受したものと考えることが出来る。

 だが戦後の谷口雅春は右翼愛国主義者、国家主義者として振る舞い、発言
し、戦前の本来の求道者のイメージを破壊し、右翼を形成し、右翼に利用され
る存在に成り果ててしまった。@からBにしめされた谷口の思想体系とは似て
も似つかぬ下卑た擬似復古思想に堕したのである。

 「生長の家原理主義」とは戦後の谷口雅春の戦前は不可能だった政治的発
言を、右翼愛国主義に注いでここでも乱読多読の孫引きの限りの反民主主義
思想を吹聴した、その保守反動思想である。戦後長く、生長の家は政治結社で
あり続けた。乱読多読の谷口雅春は戦後、右翼、保守思想家の乱読多読の
上澄み液でもって奇怪な保守思想を奏でてやまなかった。

 戦後、特に60年安保からは明治憲法の近代天皇制、その教典の教育勅語
、その戦争神としての天皇の絶対化による繰り返された戦争絶対正当化、
その天皇制の敷衍である旧民法の家族制度、・・・天皇制と家族制度の上下、
従属関係の固定化の思想、さらに下克上反対から民主主義の否定、戦後の
安保体制の堅持、在日米軍の支持など「宗教のデパート」から「保守反動思想
のデパート」の様相を呈し、その旧家族制度復活、天皇大権の復活、民主主義
、人権の否定はそのまま「生長の家原理主義原理主義」として日本会議、自民
党などに現代的問題として受け継がれて、「戦前回帰」の思想的基盤を提供し
ている。

 ★1960年安保以来、完全にスタンスを保守反動右翼として大日本帝国憲法
の即時復活、反共愛国、それから「一切のものと和解」という崇高な!精神科か
ら下克上を伴う民主主義否定、ひいては国民主権否定、家父長的家族制度に
おける従属関係の厳守など現在の日本会議にそのまま通じる主張を述べ始め
た。
 
  ★谷口雅春「占領憲法下の日本」、この本の序文で三島由紀夫が「生命体
としての日本に深く感動した」などとうやうやしく書いている。

 その第三章「民主主義の矛盾」

 谷口雅春によれな民主主義には二種類あって、「霊的民主主義」と「唯物論
的民主主義」がある、という。戦後アメリカから導入されたのは唯物論的民主
主義であるという。

 「民主主義という政治体制は、すでに構造そのものの中に『平等の権利』と
『異なる考え方』との根本的矛盾がある。之が唯物論に結びつくと、人間は全
て物質的単位をもって計上され、歴史とか家柄とか、精神によって伝えられて
きた価値が否定されてしまう」

 実はこの考えを受け継いでいる日本会議の右翼論客の民主主義否定、国
民主権否定、基本的人権の否定、・・・長谷川三千子などの主張はこのような
谷口の著作の影響と見ることができる。

 これは武藤貞一の「民主主義とは下克上のことだ」という文章と類似である。

 ここに現代の日本会議、自民党の国民主権否定、基本的人権否定の論拠!
があるといえよう。

 「悪賢い権力者が大衆を扇動して権力の座につくと、また下から権力者が出
てきて権力者の構造に就くという構造であり、唯物論と民主主義が結合すると、
l個々の人間の基本的人権を尊重するという高い理想の名目のもとに、理想と
反する個人主義が生まれる」

 という「基本的人権の否定」、民主主義を唯物論と結びつけて罵倒否定する
こと、「個人」の否定、自民党改正憲法草案において第13条で「個人として尊重
」が「人として尊重」、個の削除の原点の考えである。

  ここからエリート尊重論、『全体が健康にならないでなぜ部分が健康でいら
れるのか』という社会有機体理論、・・・全体主義の理論が引き出される。

 谷口雅春の唯物論的民主主義は決して独創ではない。戦前、イタリアのファ
シスト党時代、ムッソリーニの理論ブレーンであったパレトーの「権力とエリー
ト層理論」として戦前すでに日本でさえ知られていた。谷口はここでも孫引きし
たにすぎず、それがそのまま日本会議の理論となっているのである。

 第四章「獣人の妄想から神人の自覚」

 三島由紀夫を喜ばせた「生命体としての日本国家」、・・・・天皇大権礼賛

 これは統一教会の原理研と同じような思想である。右翼学生組織として、かっ
て原理研と生長の家系の日本青年協議会が共闘し、左翼が癖運動が衰退す
ると原理研と日青協が内ゲバしたというエピソードを想起させる。

  創世記の「土の塵より造られた」唯物的人間から「神の言葉によって造られ
た」霊的人間への回帰、エデンの園から追放された人間の楽園への復帰とい
う原理研の思想が導入されている。

「人間、神の子」の自覚が、「実相への神」思想と結びついて、ここに原理運動
と一致を見たわけである。

 「宮崎信夫さんの心臓移植の手術、・・・・生命体というものが一個の有機体
であるからして、和田教授の唯物論的生理学に支配されて移植手術などすれ
ば失敗するのは明らか・・・・・・だいたお生命体が健全であるためには,『一つ
の命令系統の中枢」によって全体の生理的機構及び生理作用が、全細胞を
秩序整然と支配しなければならない」

 「日本国家の『生きたる命令系統の中枢』に当たるものは,統治の大権を祖宗
から継承せられたる国家の元首、天皇である。天皇主権を否定することは、生
命体としての日本国家の否定になる。組合国家と生命体としての国家は違う
のである。・・・・・・占領軍の強圧で書かされた『天皇の人間宣言』と占領憲法
によって天皇は神でなくなったから各人が支離滅裂にバラバラになってしまった
。したがって八紘一宇の精神は侵略精神などでなく、世界連邦の構想を建国の
理想に掲げられた天皇政治こそ本当の民主政治の要である」

 確かに支離滅裂とは谷口の文章だと思えるが、この奇抜さはおもしろい。

 だが日本会議の天皇主権、そして国民主権否定はここらに源流がある。まさ
に生長の家原理主義、カメレオンの谷口雅春の「特定時期の思想をたたかく掲
げて、であろう。

★再び「谷口雅春」に「原理主義」を設定できるのかどうか?の問い

 カメレオンのように変わっていった谷口雅春の思想に原理主義は設定できる
道理はないが、現在、生長の家原理主義と呼ばれる者たちは「保守反動の詭弁

のデパート」となった戦後60年安保以降の谷口の思想を持ち上げている。

 宗教で原理主義とは普通、キリスト教原理主義(キリスト教根本主義)が最初
であり、比較的最近、イスラム原理主義という表現も多用される。だが、生長の
家なる「宗教?」がいったいキリスト教やイスラム教に比すべきものなのか、そ
うとは到底思えないにせよ。「生長の家原理主義」という言葉を使わざるを得な
いほどの、緊迫した政治、社会情勢が存在するのである。


 戦前、ヒューマニスト、平和主義者の内面的宗教家として支持を広げた谷口
雅春が戦時下で戦争協力、国体護持に走ったのは時勢だから仕方がなかった
にせよ、その戦争協力で戦後追放処分となり、占領時代は民主主義者、それが
講和以後は本来の「実相」理論を保守思想にこじつける傾向が強くなり、60年安
保以降は右翼のデパートならぬ保守反動思想の詭弁の限りのデパートとなり、
70年安保からは政治結社の傾向を強め、右翼学生運動の日本青年協議会を
結成し、これが現在の日本会議に直接つながっている。この日青協は後日、生
長乃家本部と対立し、絶縁した。ここに生長の家の平和主義への回帰が始まっ
た。

 したがって、その中に「原理主義」を設定できるとしたら初期の非政治的、内面
的な平和主義者としての谷口雅春、ーとする以外にはないであろう。だが日本会
議、自民党を支配する「生長の家原理主義」は戦後の保守反動の詭弁のデパー
トの谷口雅春である。

 大日本帝国憲法即時復活、明治民法下の家父長的家族制度の復活、上下
従属の社会秩序の絶対化、民主主義否定、基本的人権否定、軍国礼賛など
現在の日本会議、自民党の主張が全て織り込まれている。長谷川三千子もしょ
千、これをなぞっているに過ぎない。

 ♠「明治憲法即時復活論」とは何か

 日本国憲法第七条「天皇は内閣の助言と承認により、国民のために左の国事
行為を行う」、・・・「憲法改正、法律、条約の公布すること」

 「現行憲法の第七条の憲法改正を憲法復元にまで拡大解釈して、天皇が内閣
の助言と承認により、現行憲法の無効と帝国憲法の復活を宣言すればいい。
・・・・・・憲法復元は憲法改正ではないから第九十六条にも抵触しない」

 たしかにこれを読めば詭弁の王様となった谷口の悪い意味での真骨頂が伺え
る。事実この詭弁は「現行憲法即無効」を唱える石原慎太郎などの「論拠」にも
なっているから笑って済まされない。

 ◆谷口雅春の戦後の三大愛国書「限りなく日本を愛す」、「我ら日本人として」
、「日本を築くもの」は「生長の家原理主義者」のバイブルである。その主張は全
てこの中にあるといえる。日本会議の主張はもとより、自民党改憲草案も全てこ
こに発していると見て間違いない。

 「明治民法」、明治憲法下の家父長的家族制度の復活

 「自由のために戦う」とか「平和を闘い取る」などという言葉は人類から拭い去
らなければならない。真の民主主義とは「人間全てを礼拝していくのであり、秩序
の従って上が上であり、右が右であリ、左が左である、男が男であり、女が女で
あり、その位置における差別を認めながら、その本質なる神性を礼拝して尊敬し
、互いに与え、且つ奉仕しあっていく・・・」

 「家督相続を廃止して家は一代限りとしたのは日本国民を家系的歴史なき
浮浪児として、歴史的連綿継続のうちに『今』にたつ一員として『家』を護る、ー
さらに進んで『国家』を護ろうとする、愛国精神を失わせることになった」

 国家主義、愛国主義が明治民法の家制度と一体のものという本音を吐露して
いる。だが秀吉以降、明治までは庶民は苗字帯刀禁止でそもそも苗字がない
異常、家制度などあり得なかった。明治の絶対化と谷口の思想である。

 明治憲法,明治民法下の従属的秩序の中に身を置け、反抗するな、となって
民主主義は下克上の思想だからダメ、基本的人権もダメ。国民主権も天皇大
権でないからダメ、と全て日本会議、長谷川三千子の言い分と一致する。

 ★谷口雅春を超天皇主義者とした戦後の追放

 15年戦争が勃発し、もはや谷口は「野に咲く百合」のしの世界にはいなくなっ
た。遂に「日本の国体」こそ「実相世界の顕現」であリ、日本は八紘一宇の中心
であり、国威が広がることは人類の幸福である、実相が広がることであると、そ
の「哲学」を天皇制国家主義に迎合し始めた。

 神は絶対間違いがない、しかし谷口は戦後追放された。ここから戦前、戦時
中の自らの言動、行為を徹底して正当化する必要が生じた。

 問い「生長の家が戦争をあれほど応援してなぜ負けた?」

 ここでも詭弁の天才、谷口の面目は躍如である。

 「日本の軍隊は『海ゆかば水潰く屍』とか死を賛美した歌を強制して、負ける
言葉が多くなった。生長の家では『皇軍必勝、必勝生還』の勝つ言葉を多くしよ
うと努力をしたが、当時の生長の家は詩友は八万だから七千万人乗国民の『
不祥な言葉』の想念にリードされ、負けてしまった」

 潜在意識に負けた、負けるという想念が入れば行為としても負ける、という
論理であるが馬鹿らしいの一語に尽きる。

 ★「生長の家原理主義」とは講和以後の、保守化し、本来はその哲学と無縁
な天皇制国家神道国家体制賛美にのめりこみ、保守反動化のための数知れな
い詭弁を生み出した谷口雅春による政治運動、擬似大衆運動により、自民党
右派と共通する政治目標を実現化する手法そのものであり、これは日本会議
にそのまま流れ込んでいる。なお神社本庁と元号法制化法案で共闘し、元最
高裁長官を名目的トップに押し上げての構図は現在の日本会議等の構図その
ものであり、最高裁への影響力で選択的夫婦別姓を葬ったことにも見られる
「日本会議の最高裁支配」、・・・「自民党右派との接近から自民党自体との一
体化」これこそ現代日本の構図である。

現在の、また将来も含めて日本の政治、社会状況は民間極右団体の日本
会議を抜きにして語ることは不可能である。自民党との一体化は強まるばか
りで、メディア支配、教育への介入など、その浸透ぶりは戦慄である。その日
本会議の主要メンバー、幹部である日本青年協議会、右翼的文化人、右翼論
客、経済人、元司法の要職にあったものなどその基本的な思想、戦前回帰と
いう窮極の目標のもとの基本的人権の否定、明治憲法における旧民法の家
父長的従属的家族制度への回帰、平和主義の否定、国民主権の否定、ひい
ては民主主義そのものの否定が、谷口雅春の数限りない詭弁による保守反動
的考えをそのまま受け継いだものであることは明らかである。現在の「生長の
家本部」の「再び日本を誤った道に導いてはならない」はまさに良心から発する
神の声、といって差し支えあるまい。日本国民の凛とした正邪の判断が今ほど
求められる時代はない。非人間性、非人道性が支配する日本であってはなら
ないのである。


 

 

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