選挙に関するテレビ番組に求められるのは、政治家の発言回数や時間などの「量の公平」ではなく、事実と適切な評論による「質の公平」である――。

 放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会が、昨夏の参院選と東京都知事選をめぐるテレビ放送をふまえ、こんな意見書を出した。個別の番組ではなく、選挙報道全般への見解を示したのは初めてだ。

 意見書は、放送局には番組編集の自由があるとしたうえで、民主主義における選挙の重要性に言及。その観点に立ったとき「真の争点に焦点を合わせて、各政党・候補者の主張の違いとその評価を浮き彫りにする挑戦的な番組が目立たないことは残念」と苦言を呈した。

 BPOは公権力が放送に口出しするのを防ぐため、NHKと民放がつくった第三者機関で、長年の実績がある。その組織からの、重く苦い指摘である。

 背景には、放送界を取りまく息苦しい状況がある。

 14年衆院選の時、自民党はNHKと民放に文書を送り、出演者の発言回数や時間などに公平を期すよう求めた。翌年には特定の番組についてNHKとテレビ朝日の幹部を呼び、1年前には高市総務相が「停波」の可能性に言及して物議をかもした。

 政権側の強圧的な姿勢を前に放送現場に萎縮と忖度(そんたく)のムードが広がってはいないか。

 そんな危機感がBPO側にあったのだろう。会見した委員らは番組の内容を「表面的」「軽い」などと批判しつつ、放送の自律への期待を語った。

 同じ思いをいだく視聴者も少なくないと思う。放送局は、現場の一人一人が意見書の趣旨を理解し、課せられた使命にかなう番組を送り出せるよう、体制と意識を見直してほしい。

 今回の意見書を根底で支えるのが、番組づくりの基準として「政治的に公平であること」などを定めた放送法の解釈だ。

 政府は行政指導などを行う根拠になるとの立場をとる。だがそれは、憲法が定める表現の自由や、放送が政府に支配された時代の教訓を踏まえない誤った考えと言わざるを得ない。

 BPOも意見書で、この規定は「放送局が自律的に守るべき倫理規範」との見解を改めて示した。根拠をていねいに説明しており、説得力に富む。

 権力による放送への介入は許されない。倫理を逸脱しているか否かを判断するのはあくまでも視聴者だ。視聴者もまた、民主社会で放送が果たす責務を理解し、質の高い放送に向けて声を上げていかねばならない。