はじめに
いわゆる『キャンディ・キャンディ』事件は、漫画作画者いがらしゆみこと原作者・水木杏子(名木田恵子)との著作権をめぐる争い…と思われていますが、実は全く違います。
『キャンディ・キャンディ』裁判のみを注目すれば、そのような錯覚に陥ってしまいますが、90年代初めから2000年代(現在も?)のいがらしゆみこ氏の商活動を順に追ってみれば『キャンディ・キャンディ』事件とは何だったのか、は誰の目にも明らかでしょう。
以下の経緯を御一読の上、その答えは各自で御判断ください。
いわゆる『キャンディ・キャンディ』事件は、漫画作画者いがらしゆみこと原作者・水木杏子(名木田恵子)との著作権をめぐる争い…と思われていますが、実は全く違います。
『キャンディ・キャンディ』裁判のみを注目すれば、そのような錯覚に陥ってしまいますが、90年代初めから2000年代(現在も?)のいがらしゆみこ氏の商活動を順に追ってみれば『キャンディ・キャンディ』事件とは何だったのか、は誰の目にも明らかでしょう。
以下の経緯を御一読の上、その答えは各自で御判断ください。
井沢満原作の『ジョージィ!』は、1982年~1984年にかけて週刊少女コミック(小学館)に連載された、いがらしゆみこにとって第二の代表作です。
『レディジョージィ』のタイトルで東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)がアニメ化し、スマッシュヒットしました。
井沢といがらしは書き下ろし原作や井沢脚本作品のコミカライズ等で何作もコンビを組み、また私的な交友関係も長らく続けてきました。
しかしそのような公私にわたる交流の一方で、いがらしゆみこは井沢満の『ジョージィ!』関連の権利の私物化を着々と進めていたのでした。
90年代初め、いがらしゆみこは井沢満が小学館に委託していた『ジョージィ!』関連の権利を無断で引き上げて、いがらしの個人会社であるアイプロダクションの管理下に置きます。
更に権利関係にうとい井沢を言いくるめて印税率「井沢4:いがらし6」の条件を呑ませた上で、更にそこから「手数料」の名目で20パーセントを差し引いてアイプロダクションの収入としていました。
井沢に小学館との管理契約を切らせたいがらしは、中央公論社(旧法人)と組んで1991年11月に愛蔵版『ジョージィ!』を刊行。
更に同年、中央公論社(旧法人)とイタリアのStar Comics社の契約によりイタリア語版『ジョージィ!』を出版したのですが、この海外出版は井沢満に無断で行われたものであり、しかもYumiko Igarashiの単著あつかいで原作者名表記もなく、印税も全額が作画者いがらしゆみこの懐に入りました。
中央公論社の仲介による無断翻訳出版は、インドネシアや韓国でも行われていました。
『ジョージィ!』関連で「原作者をだまして出版社との管理契約を切らせ、自分の個人会社で作品の権利を管理し、印税を着服」という一連の行為が成功し、自信を得たいがらしゆみこは、いよいよ『キャンディ・キャンディ』に手を伸ばします。
1995年春、いがらしゆみこは水木杏子に「講談社はキャンディは欲しいが、いがらしは要らないのよ」「講談社からはキャンディ以外の文庫は出ないけど、中央公論社ならいがらしゆみこ全集を出してくれる」「日本アニメーションが原作に忠実なアニメをリメイクしてくれる」と講談社との契約解除を迫り、長年の友人からの嘆願に負けた水木は講談社との契約を解除(自動的に東映アニメーションとの契約も解除)。
一方、6月から7月にかけて、井沢満に無断でトムス・エンタテインメントとアイプロダクション(いがらしゆみこの個人会社)の間で『レディジョージィ』のフィルム販売に関する契約書を締結。
以後、アニメ『レディジョージィ』の放映やソフト化は全て井沢に無断で行われ、アイプロに振り込まれた印税は一円たりとも原作者に支払われる事はありませんでした。
そして、同1995年7月以降、いがらしゆみこの元アシスタント(鈴鹿れに/村中志津枝)の勤務先である香港の玉皇朝出版より
イラスト集『五十嵐優美子 小甜甜美的回憶』(キャンディ、ジョージィのイラストを多数収録。講談社のイラスト集に掲載されていた水木杏子の詩も中国語に翻訳され収録)
『小雪兒(原作:井沢満 ジョージィ!)』
『閃爍雙子星(原作:井沢満 ティンクル・スター2)』
『甜甜馬戲團(原作:水木杏子 ティム・ティム・サーカス)』
…が次々と出版されますが、これらは全ていがらしゆみこ-玉皇朝出版の国際版権部間のみで出版契約が結ばれ、二人の原作者には献本もなく、何部刷られたのかも不明。
キャンディやジョージィの絵葉書、テレフォンカードなどのグッズも同様に、いがらしゆみこ-玉皇朝の契約により製作販売されました。
この時点では両原作者ともに、いがらしゆみこに何をされているのかには全く気づいていませんでした。
同年11月にキャンディ・キャンディの商業展開に関する印税配分について定めた契約書が作成され、マンガジャパンの顧問弁護士立会の許にいがらしゆみこ、水木杏子が署名捺印。
作品の利用には両者の同意が必要であるとされていましたが、「絵のみの利用は水木2:いがらし8の印税率」という項目が含まれていました。
つまりは、ジョージィの「手数料20パーセント」と同様に、小細工を弄して実質的な印税率を作画者有利にもっていく契約です。
1996年春頃から、いがらしゆみこが原作者に無断で『キャンディ・キャンディ』の権利を委託したフジサンケイアドワークが盛んな営業を開始。
更に秋頃には、いがらしゆみこのマネージャーが代表を務める「キャンディコーポレーション」という会社が香港に設立され、原作者・水木杏子が全く知らないうちに勝手に国内外で版権ビジネスを開始。
バンプレストに対して「水木杏子もキャンディコーポレーションの一員」と嘘をつき、原作者に無断でプリクラの契約を結びました。
1997年から、いよいよ作画者いがらしゆみこによる、原作者達を排除した無断キャラクタービジネスが大々的に開始されます。
※漫画『キャンディ・キャンディ』の国内外での出版契約。
※『キャンディ・キャンディ』『ジョージィ!』の「高級版画」と称するオフセット印刷の製作。
※香港での原画展示会とグッズ販売。
※イラストCD-ROM製作。
そして、千葉県松戸市の「ピアザ松戸ビル」内にあったバンプレスト運営のゲームセンター「東京ガリバー」にて『キャンディ・キャンディ』のプリクラ3台が稼動開始(有料:一回200円)。
このプリクラは『王様のブランチ』等のTV番組や雑誌で大々的に報道され、多くのファンが利用しました。
5月、初めて『キャンディ・キャンディ』プリクラの存在を知った原作者・水木杏子は事態を把握する為に調査を開始、次々と『キャンディ・キャンディ』関連の無断契約が発覚。
一連について厳重抗議をすると、6月末にいがらしゆみこの顧問弁護士から「いがらしが業者たちと結んだ契約を追認しなければ、1995年に締結した契約を解除する」という内容の通知書が、
7月には一方的な契約解除通知が送られてきました。
1997年8月、遂にフジサンケイアドワークが高級オリジナル現代版画と称する『キャンディ・キャンディ』『ジョージィ!』の印刷物を販売開始(原価300~500円のオフセット印刷を最高級現代版画と称して3万円~14万円で販売)。
いがらしゆみこ自らイベントでファンに対して「とっても、とっても良く出来ている複製原画」と熱心にセールスを行いました。
高級オリジナル現代版画と称する『キャンディ・キャンディ』オフセット印刷の広告(1997年産経新聞朝刊)
9月16日、『キャンディ・キャンディ』のキャラクターを無断使用した悪質な絵画商法を食い止める為、水木杏子は作画者いがらしゆみことフジサンケイアドワークに対し複製画の販売差し止めを求めて訴訟。
しかし原作者から訴えられているにもかかわらず、いがらしゆみことフジサンケイアドワーク、アースプロジェクト(アース出版局)は多くの業者とキャンディグッズの契約を結びます。
また、原作者からの訴えを無視して高額複製画の販売を続けると同時に、いがらしゆみこはアシスタントを大量動員して『キャンディ・キャンディ』『ジョージィ!』の描きおろしイラスト(ヌード画も含む)を大量に制作し、各地のイベントで数十万から100万円前後で販売。
1998年1月、東京地裁「キャンディ・キャンディ」事件(フジサンケイアドワーク絵画商法事件)第一審開始。
契約違反を追及されれば言い逃れの余地のないいがらし側弁護士は、法廷戦術として「水木杏子は原作者ではない」という申し立てをします。
この時、いがらしゆみこは井沢満に対し「横暴な原作者(水木杏子)から理不尽な要求をされて苦しめられている」と言って「確約書」にサインを迫り、裁判に利用しました。
そのように井沢を利用する一方で、同年8月にはポニーキャニオンより「いがらしゆみこデジタル画集」を発売。このCD-ROMには 『ジョージィ!』のイラストが多数収録されているにもかかわらず、原著作者である井沢に無断で制作販売、更に著作権者表記(マルC表示)からも井沢満の名前は外されていました。
1999年2月25日 「キャンディ・キャンディ」事件(フジサンケイアドワーク絵画商法事件) 第一審判決
東京地裁は講談社の担当編集者が提出した陳述書(漫画『キャンディ・キャンディ』は水木杏子の小説形式の原稿に基づいて制作された。講談社で権利を管理していた頃から水木杏子は原著作者として位置付けられていた)や多数の証拠品に基づき、いがらし側弁護人による水木杏子の原作権否定を退けて、版画と称する印刷物の出版などの差し止めを命じる判決を言い渡しました。
新聞報道によって、自分がいがらしゆみこから聞かされてきた事情(「エキセントリックな原作者が理由もなくキャンディのビジネスに悉く反対し、チャンスを潰してきた」)とは正反対の事実を知り、不審に思った井沢満は独自に調査を開始。
原著作者である自分の許諾のないまま国内外(ドイツ、フィリピン、スペイン、トルコ、ベルギー、香港等)でアニメ『レディジョージィ』が放映、ソフト化、グッズ販売されている事を知るに至ります。
更にイタリア、インドネシア、韓国で『ジョージィ!』の翻訳版が漫画家のみの許諾により出版されていた事実も発覚。
地裁で「原著作者・水木の許諾なしに『キャンディ・キャンディ』キャラクターを使用することはできない」との判決が下されたにもかかわらず、
いがらしゆみこは裁判所の差し止め命令を無視し、「控訴しているから判決は確定していない」と説明して数多くの業者と契約を結び、夥しい数の『キャンディ・キャンディ』グッズを製造させます。
また、描きおろし原画商売も盛んに行い、イベントの来場者には「原画が高額なのは、原作者が分け前を要求しているから」と説明しました。
2000年1月には、いがらしゆみこのみの許諾により香港で『キャンディ・キャンディ』のラジオドラマが無断で制作放送され、同時に多数のキャンディグッズが販売されました。
水木杏子はそのような商行為を食い止める為、複数の裁判で対抗します。
1999年4月 通信販売と美術館に対するグッズの販売差し止め請求
2000年3月 描きおろし原画展示販売(静アート)に対する差し止め請求
2000年5月 カバヤ食品「キャンディ・キャンディCANDY」損害賠償請求
2000年12月 複製原画及び関連商品のイベント販売・通信販売に対する損害賠償請求
2001年5月 キャラクター商品無断製造販売に対する損害賠償請求
(株)サンメールの違法『キャンディ・キャンディ』グッズカタログ
株式会社ラッキーコーポレーション(現・株式会社ラッキートレンディ)の違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
ダンエンタープライズの違法『キャンディ・キャンディ』グッズ
これらの画像は当時製造販売された違法『キャンディ・キャンディ』グッズのうち、ほんの一部に過ぎません。
2001年5月の裁判内で、原著作者に無断で製造販売された『キャンディ・キャンディ』グッズは8億円以上の売上、いがらしゆみこが懐に入れたロイヤリティは2600万円以上という数字が判明していますが、それも国内におけるビジネスの一部に過ぎません。
水木杏子がいがらしゆみこを訴えた裁判は全て原告側の全面勝訴に終わり、いがらし側が水木を訴えた裁判は全て和解か取り下げに終わりました。
またキャンディ・キャンディの商標権を保持する東映に対していがらしゆみこが起こした無効審判は全て退けられました。
一連のキャンディ・キャンディ裁判の本裁判にあたる、フジサンケイアドワークの版画と称するオフセット印刷高額販売に対する出版差止等請求事件には、2001年10月25日の最高裁判決により原告勝訴が確定。
水木杏子がキャンディ・キャンディの原著作者であるという事実が再確認されました。
そしてこれ以降、「最高裁では我々の主張が認められる公算大」「著作権関連で有名な法曹(牛木理一弁理士)が我々を支持する論文を書いてくれた」とキャンディビジネスを強行してきたいがらしゆみこは、大量の在庫を抱えたグッズ業者から損害賠償請求を起こされる事になります。
地裁・高裁判決後も原作者に無断で夥しい種類の『キャンディ・キャンディ』ジグソーパズルを製造販売し、業界誌の取材に対して「裁判がいい宣伝になった」と豪語していた株式会社アップルワンは、最高裁判決後にいがらしゆみこ等を相手取って約1,100万円の損害賠償を求めた訴訟を起こした。
1968年デビューでキャリア50年近い漫画家であるいがらしゆみこですが、代表作3つ『キャンディ・キャンディ』『ジョージィ!』『ムカムカパラダイス』は原作付。それ以外の著書も大半が原作付作品。
それが突然、キャラクターの無断使用で訴えられた裁判で「最大のヒット作『キャンディ・キャンディ』は実は全て自分がストーリーを考えた。原作者とされている水木杏子は単なる名目上の存在」と主張する。
(原作者の水木杏子は名木田恵子名義で長年児童文学を執筆し賞歴もあり、小学校の国語教科書に短編が教材として採用された事もあります)
2001年1月に「自分は漫画家の絵を描く権利を守るために戦っている。理不尽な判決が通ってしまえば原作付作品を手がける漫画家などいなくなってしまう」という趣旨の文書を漫画業界人にバラまいたいがらしゆみこは、最高裁判決後にはハーレクイン小説のコミカライズや『薔薇のジョゼフィーヌ(原作:落合薫)』を描いている。
こうした現実を見れば、普通の判断力のある人間ならばいがらし氏の主張を鵜呑みにできるはずもないのですが、世の中には「いがらし先生は漫画家の権利を守るために戦ったのに、原作者あつかいされている人に権利を全て奪われた」などと言って擁護する人物もごく少数ながら存在するようです。
そのような人々は、何故かいがらし氏がキャンディ事件以前からジョージィの印税着服を行っていた事実、原作者に無断で海外で作品のラジオドラマを制作させた事実等については目をそらし、
また「キャンディ関連のビジネスに悉く反対する横暴な原作者に閉口して追い詰められたいがらしさん」と言いながら具体的にどのような商品化が原作者の拒絶によって頓挫したかを問いただすと口をつぐみ、
いがらし氏が各種イベントや土産物屋でサイン入り色紙を一枚2000円で多量に販売していた事実を伏せて「いがらしさんは色紙にキャンディの絵を描くことすら禁止されている」と吹聴しているのですが…。
そして最高裁判決後、水木杏子氏や東映アニメーション、講談社が何故『キャンディ・キャンディ』の再生を諦め、2016年現在に至るまで漫画の復刊もアニメのソフト化もできないままなのか。
その理由は2007年1月に台湾で開催されたいがらしゆみこのオリジナル新作『甜甜Lady Lady』のイベントや関連グッズについてまとめた記事をご覧になれば一目瞭然でしょう。
いがらしゆみこのオリジナル新作『甜甜Lady Lady』のグッズ
極力枝葉を払って重要事件だけに絞って解説してきましたが、それでもかなりの文章量になってしまいました。
ここまで読まれた方、今でも「『キャンディ・キャンディ』事件は漫画家と原作者との著作権をめぐる争い」…と思われますか?
ちなみに講談社社史編纂室部長・竹村好史氏はこう発言しています。
「いがらしさんが詐欺みたいなことをしたわけですから、非を認めて水木さんに謝罪をしないかぎりは、今後は前に進まないでしょう。」(安藤健二著 太田出版『封印作品の謎2』P54より)