高校以来の友だちとほぼ同時期に妊娠した。比較的若い年で妊娠したので、わたしたちの年代で同じ境遇にいるひとはまず周りにはいなかった。お互いを、心強い味方だと思いあっていた。
だからこそなのか、「プレママ友達」と化したその友人はことあるごとに、妊娠育児に対するネガティブな不安をわたしに漏らすようになった。そして当時のわたしも、その後ろ向きな言葉にアテられてるようにして、不安や焦燥感から逃れられなくなってしまった。
「周りに妊娠報告したあと流れちゃったらどうしよう、気まずい」
「安定期前に職場に報告して浮かれてると思われたらどうしよう、でも、報告せずにいると業務がしづらい」
「無痛分娩じゃなきゃこわいけど、24時間体制の産院じゃないから、もし何か起こったら自然分娩になっちゃうのがこわい」
はじめての出産を迎える、孤独なわたしたち。「不安だね」「そうだよね」は合言葉だった。そこにしか生まれない奇妙な連帯感が、その恐怖たちを加速させていく気がした。
不安感をいたずらに煽る友人のことばを受けるたび、心にどす黒い雲がかかるようになっていった。そのことに自覚的になっても、唯一のプレママ友達という絆ゆえ、友人から離れることはできなかった。待望の赤ちゃんがこんなにも近くにいるのに、心が暗くなっていって、つらかった。
いま妊娠してるひとへお願いしたい。(とくに初産の)妊婦同士で、不安を煽りあわないでほしい。不安をぶちまけるべき相手は、同じ不安を抱えているひとではない。その不安を乗り越えたことのあるひと、もしくは、不安をいちばん近くで一緒に乗り越えてくれるひとだ。
「ま、あとから振り返ってみて思うけど、何でもどうにでもなるよ!」とカラッと笑い飛ばしてくれるような先輩のお母さんたちに、わたしは後からずいぶん救われた。
前に進もうとアクションを起こし続ける夫にもとても救われた。産院を熱心に調べてくれたり、生活のサポートをしてくれたり、保育園の情報を片っ端から整理してくれたり。
不安を口にすることは、ほぼ何の歩みにもならないと知った。不安に自覚的になるだけで何かが進んだ気になったり、あるいは他人との強い共鳴がある種の安心感を産んだりする。でもそれは、自ら不安を招き入れている行為だろう。
「なんかよく分からないけど、なんか、どうにかなりそう!?」っていう根拠のない楽観のほうが、よほど衛生的だ。
今思えば、友人はうつに近い症状だったのかもしれない。もしくはそう考えれば、「しかたなかった」とわたしも割り切れるかもしれない。でも、実際にアテられた期間はなんだかものすごく、つらかった。無性に不安だったし、つねに心に影が指す感覚がべとっとまとわりついていて、いやだった。
と、書き綴り終わったところであらためて願う。すべての妊娠出産育児が、おだやかにゆきますように!祝福されますように!「なんとかなる」で、なんとかなってゆきますように!!
http://anond.hatelabo.jp/20170208235608 これだけ産むのにやきもきした大事な物体も http://anond.hatelabo.jp/20170208235522 他人からすれば2、30年後ぐらいには会社で使えない奴リストに組み込まれちゃ...