はじめに
私にとって伊藤計劃『虐殺器官』はそれなりに思い入れの強い作品だ.
なぜって単純に,「特殊検索群i分遣隊」よりかっこいいフレーズはそうそう存在しないから.諜報機関や特殊部隊といったものに対する一貫した偏愛.先進的なテクノロジー群による人間の疎外*1.ゆえに成り立つ,饒舌だがナイーブで抑制のきいた語り.映画や文学作品,心の哲学にまつわる薀蓄の数々*2.そこにモンティ・パイソンという中間項を入れて,メタルギアシリーズやときメモからの引用を同居させる茶目っ気.終わらない終末に向けられる愛着.とまあ,好きな要素を挙げるときりがないけれど――だから,このエントリはオタクが映画版に難癖をつけてわめくもの以外の何者にもなりようがない.
解釈違いだったら*3ごめんなさい.
よかったさがし
以下,映画のよかったところ.
- プラハの町並み全般.
- <計数されざる者たち>による尋問シーンの,クラブの床に投射された映像.網の目と,その境界という感じの.
- サラエボのクレーターの淵に立つ防護服を身に着けた遺族たち.
- ウィリアムズがピザ食った手で端末をいじる様子にイラッとするクラヴィスの表情.
- 旧印パ国境地区のクレーターだらけの地形.
- 海沿いの療養施設に漂う虚無感*4.「どうですか,いまなら子供を殺せそうですか」の上滑った調子.
- シーウィードの海苔感.
- ポッドからにょき,と脚が伸びるところの,空からの死という感覚.
- リーランドのしごくフラットな死に様.
- ヴィクトリア湖に着水するシーケンス*5.
- ルツィアが射殺されるシーン.待ち構えていてもデカい銃声にビクッとできてよかった.
- ジョン・ポールとの逃避行におけるサバンナの「人類史~~!」感.
反省会
一言で言えば,「ゼロ・ダーク・サーティ」を(そうはならないと知りつつ)観に行ったら「Call of Duty」(それもできが悪いときの)でしたという感じ.
まあ,映画『屍者の帝国』『ハーモニー』よりは比較的マシだった,と思いたい.主題は改変されている,と事前に聞いていたし,なら映像映えのするインド編くらいちゃんとやってくれればいいやという思いで観に行ったわけです.で,以下は不満点.
- 割り切って観るしかないが,キャラデザ.しかし求めていたのは,シュッとしたイケメンたちではなく,「ゼロ・ダーク・サーティ」や「ボーダーライン」の作戦要員のような,プロフェッショナリズムと圧倒的な暴力の予兆を感じさせるタフガイたちだったのだ.
Zero Dark Thirty - Her Confidence Scene (8/10) | Movieclips
Sicario (3/11) Movie CLIP - Border Ambush (2015) HD
- スニーキングスーツがダサい*6こと.色合いとしても黒一色ではなくペンコット迷彩あたりを基調として盛り込んでほしかったし,チェストリグなどのごちゃごちゃ感も足りない.とりあえず,アメリカの軍需企業Revision MilitaryのPR動画を貼っておく.このヘッドギアも微妙にダサいけど,近未来特殊部隊っていうとこういうやつだろ.
- 予告編から知ってはいたが,環境追従迷彩が光学迷彩としてえがかれていること.光学迷彩として描写することで,より映像作品としてすぐれたものになるならばよい.でも,まったき光学迷彩としてえがかれたために,インドでのPMFとの戦闘では,映像映えするはずのゴア描写がぼんやりとし,痛覚的ゾンビ同士の潰し合い感が損なわれてしまっている.一方で,第一章での元准将の軍服の色が伝播していくところでだけ,原作準拠らしくえがかれている.やるなら徹底すべきではないか.もしかして制作陣は誰も「メタルギアソリッド4」を知らないのでは,と不安にさせられる.
- 「生体反応消失!」(クソデカ大声).そういうケレン味優先のアニメアニメしい台詞を極力廃そうとしたはずの作品で,これをやるのは冒涜と言ってもいい*7.なんだかんだこれがいちばん許せない.
- 銃器の扱い.特殊部隊員にはセミオートでちまちま撃ってほしい.腰だめフルオートで撃ってくる練度の低い民兵との対比として.
- ルーシャスの店へのブリーチング.棒立ちで撃ってくるのではなく,死角を補い合いながらキビキビ動くの特殊部隊像が観たかった.それに,突入後ウィリアムズの後ろでグラサンの要員が死体転がして「クリア」とかやっててほしいんですよ.全体的に,そういったリアリティラインを構築する視座に欠けている.
- 拡現のFPS視点のくどさ.まあ全体的に近未来FPS志向なのは仕方ないが.人間性を抑制された主人公にとって子供の殺害はリアリティのないゲーム視点となんら変わらない,ということを表現する技法だったのにせよ,FPS視点の斬新さの耐用年数は尽きかけているのだし.三人称視点でパシパシ殺していったほうがらしくなったはず.
- バカ歩きデバイスのバカ歩き感が足りないこと.これにはかなり不満.取ってつけたように直後「スペイン宗教裁判」の引用があったけれど,あれをやるくらいなら,もっと強制的に歩かされてヨタヨタしている感を出したほうが誠実だった.原典ほど極端でなくてもいいが.
Ministry of Silly Walks - Monty Python's The Flying Circus
- 痛覚マスキングと戦闘適応感情調整が施されているから,というエクスキューズがある程度成り立つとはいえ,自機の体力が回復するゲームシステムのFPSっぽい挙動で敵陣に突っ込むのをやめろ.
- 歩く度に銃をカチャカチャ鳴らすのをやめろ.
- 戦闘適応感情調整が施されているんだから絶叫しながら物陰から飛び出すのをやめろ.
- PMFとの戦闘描写.もっと背景が赤々と燃え上がっているイメージだった.機関車からヘリ撃墜への改変は尺の都合上仕方ないかもしれないが,原作では大人数がめっちゃ発砲してくる映画「ガントレット」への言及があるわけで,より大人数による酸鼻をきわめる戦場であってほしかった.
- 第一章の舞台をグルジアとしたのは,まあ場所としては妥当に思える.が,しいて明示する必要はなかったのでは.
- 『ゴドーを待ちながら』のくだりで(たぶん)カレル橋の聖像がクローズアップされるところ,なんなら露骨でも聖ヨハネ像を出してくれてもよかった.
- 「ぼくとウィリアムズのほかに,生き残っていた隊員は,ショーンとボブ,そしてダニエルだけだった」が「~ショーンとボブだけだった」に改変されていた気がする.勘違いかもしれないし,改変じたいはどうでもいい.けど,もし改変があったとして,そうしてまで読み上げるべき独白だったのか.もっと他の描写にリソースを割けられた気がするのだよな.
- 同様に尺の話なんだけど,Eの字の女性社員を思わせぶりに出す必要はあったのか.
- 台詞を原作からほぼ変えていないこと.変わってても怒る気はするが.監督は小説の言い回しをそのまま使うことにこだわったそうだが,原作を尊重しているんですよ,というエクスキューズとして鼻についてしまう.
- 言い回しをそのまま使うことに尺を費やしたあげく,ドーキンスやデネット的な,あるいは山形浩生的おもしろ知識に関する議論がほぼ省かれていること.
- PSYCHO-PASSで積み上がった櫻井孝宏のイメージをそのまま流用するのは興行上の要請があるとわかっていても卑劣に思えてしまう.
- ジョン・ポールの顔がどんどん耽美になっていくこと.櫻井孝宏は嫌いじゃない*8けど,小山力也の思い詰めたような演技がよかった,ということになる.
- 主題歌.なんでこんな主題歌なんだよと笑いそうになっているところに「倒産したマングローブに代わり〜」みたいな文章が出てきてもう限界だった.
- プラハでいっときUSAを登場させるくらいなら,ジョン・ポールがなぜ虐殺の文法を効果的に伝播させられたのか説明するためにも,SNDGAを出すべきだった.言語に対して共感覚をもつクラヴィスは,暗殺対象の決定に国家や政治に対して同様に共感覚をもつ人間が関与していると思っていたが,じつはグラフベースの経路探索システムでした,というギミックが,テクノロジーによる疎外という通奏低音として響いてくるから.
- アレックスの死因.映画版では,アレックスは自殺することなく,発狂してクラヴィスに射殺される.虐殺の文法は戦闘適応感情調整の作用下にある脳に対してより効力をもつということがのちほど説明されて,アレックスは以前より文法が撒き散られていた内戦当事国で任に当たっていたため暴走したという構図になっている.この改変いる? 彼が自殺しないなら,映画で「地獄はここにあります」というフレーズをことさらに強調する必要性はどこに?
- 対魔忍アサギの感度3000倍*9めいた虐殺の文法描写.おそらくは,ジョン・ポールというか櫻井孝宏のカリスマ性を映像的にわかりやすく演出するための.
箇条書きなのにあんま整理されてないな.すみません.
で,なにより問題なのは,死者の国と,家族関係の背景のオミット.
クラヴィスは,愛し愛されていたはずの母親を安楽死させた罪について悩みつづけてきた.テクノロジーによって平坦化された感情で.無感動に子供たちを殺しながら.だからこそ彼は同じく罪を抱えたルツィアに惹かれたのであって.終盤ルツィアは死に,やがて彼は信じていた母親の愛情の不在を知る.彼が彼自身の罪の重みを知る機会は永遠に失われることになる――死者の国を現出させる,という方法を除いて.っていう話だと思っていたのだけど.結局彼は罪を赦してほしかったのか,罰してほしかったのか,罪と罰の関係は転倒したのか,「大嘘」とはなんだったのか,人により解釈は異なるだろう.が,死者の国へのあこがれと,母殺しの罪がエンディングに至る必要条件なのは誰もが認めるはず*10だ.っていうか母殺しと人殺しの感覚の違いをえがくための各種テクノロジー群なわけで,皮相だけえがくことに意味はあったのか?
両者をオミットしたことで,映画版のクラヴィスはわりと性欲ドリブンで動いているようにみえてしまう*11.そこらへんを脱臭するために,映画ではカフカの墓の見学をルツィアから誘ったことにしたのだろうけど,むしろなんだこのサブカル女という感じ*12が強まってしまっている.そして,背景オミットの結果,クラヴィスが大災禍を起こす動機はだいぶ薄弱なものとなってしまうわけだ.ルツィアごめんね,いっちょ先進国の欺瞞でも暴きますか!w止まり.そのぶんジョン・ポールをクラヴィス自ら殺すように改変されていた点はよかったが.アレックスの死因を変えてまで感度3000倍の文法をえがいた理由が,大災禍の動機にクラヴィスにかけられた洗脳が寄与していたと読めるようにしようとしたためだったのなら,ほんとうにがっかりだ.そうでなくともがっかり尽くしなのだけど.
おわりに
結論として,Nine Inch Nailsの「A Warm Place」を伴奏に,悲惨かつ荘厳な「死者の国」描写から始まる映画「虐殺器官」を観たかった,ということになる.監督はリドリー・スコットで.もちろんエンディングでは,ドミノ・ピザをぱくつくクラヴィスからカメラが遠ざかっていき,火の手が上がる郊外の町並みが映って「Hurt」が流れだす.
しかしそれは,映画化が決定された時点で,あらかじめ失われた体験だったのだ.
そういえば花澤香菜が「夭折の作家……」とか言ってるCMでだいぶ厳しい気持ちになっていたのだけど,花澤香菜に「伊藤計劃……」と言わせたいという欲求を決裁者が抱くのはわりあい自然なことだと思うし,花澤香菜の『虐殺器官』朗読CDが出ればすこし気持ちがやわらぐかもしれない.
本の主旨をまったく理解していない読者の意見を耳にするときのこの不快な経験は,逆説的かもしれないが,おそらくは読者が本に好意的で,それを評価している場合のほうが辛いはずである.
――ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』
そういうわけで,個人の感想ということで.ラーメンは明後日食べに行きます.
はい.
*1:これは,「すでに走っちまってる経済」と人間の関係が転倒していることや,虐殺の文法の細部が描写されないまま終わることともパラレルで,美しい構図だと思う.
*2:主人公の知識セットに偏りがあるところがまた,それっぽくていい.ボードリヤールを引用したり,カフカをよく知らない同僚をけなしたりする一方で,チョムスキーを知りながら,又聞きのサピア=ウォーフ仮説をへんに誤解していたり,レミング死の行進を信じていたりするあたりとか.あとジョン・ポールの「……耳にはまぶたがない,と誰かが言っていた」という台詞が印象的だけど,クラヴィス自身も『音楽への憎しみ』を読んでいるようなのだよな.
*3:このようなエントリを書くことじたいキツいという説がある.
*4:カウンセラーの背景に蛾だか蝶だかが舞う映像が投射されてるの,原作ファンとしては不誠実かもしれないけど「好きだな~~」と思った.
*5:とくにこれは,原作から思いえがいていたものとかなり近かった.
*6:そもそも赤汁先生のミリタリー方面への感度をあまり信用できない,というのがある.『BEATLESS』表紙のいかにも「アナログハック」な感覚はいいんだけど.
*7:「ジュラシック・ワールド」の特殊部隊全滅シーンのバイタルサイン描写とかはすげえいいいんですが,そういうのを求めている作品ではないということ.
*10:「殺戮本能を呼び覚ますこの言葉に,君は抗えるか」ってキャッチコピーだし制作陣は本気で洗脳オチだと思っている節がある.マジで?
*11:もとより,同じようなトラウマを抱えているから惹かれちゃうんですよ~というのはわりと性欲まみれのムーブではあるが.
*12:原作でも(のちにレミングのくだりでウィリアムズから否定されるが)群淘汰説を人間は良心をもつように進化してきたんだという持論にこじつけようとしているし.