変人の暮らしと、少々毒のある雑観です. □□□□□ 幼少時(昭和30年頃)に自宅付近で見た、幾つかの動物に対する残忍な 光景は、しっかり脳裏に焼き付いています。 今でも時々フラッシュバックして、平静さを失うことがあり、故郷を 懐かしむ甘い感傷などは雲散霧消します。 故郷への想いと帰省の願望に、強い躊躇の網を被せてくるのです。 幾つかある中で、最も恐ろしい光景は、俗にいう「犬殺し」です。 静かな夕方、自宅の裏庭にいると、突然に犬の異常な悲鳴が聞こえ、 それが長く続いたので、恐怖を覚えて立ちすくんでいました。 恐る恐るその方向を見ると、田圃の向こう数十m先の道端でした。 怖そうな男性が二、三人で一匹のノラ犬を取り囲んでいました。 犬の首に針金を巻いて締めあげながら棍棒で叩き、大きな麻袋の中に 押し込んでいるところでした。 男性たちは、ノラ犬を押し込めた麻袋を閉じて、さらに棍棒で何度も 何度も叩き付けていました。 やがて、袋の中の犬は、弱々しく一声鳴いて、静かになりました。 断末摩の悲鳴よりも、最後の哀しい声を、よく憶えています。 (註1) 死を予感している彼の 眼は直視できません. 古来より人間に寄り 添ってきた犬たちは、 どんな想いで人を見て いるのでしょうか… 「犬殺し」が狂犬病の感染予防の一環だと知ったのは少し後ですが、 公共のために残忍な行為をするとは信じられませんでした。 市民生活に貢献するために、人が鬼以上に恐ろしい魔物に変身して、 抵抗できない犬を撲殺するとは、子供心に納得できなかったのです。 それから数年後には、「犬殺し」の現場は見かけなくなりましたが、 あの時の遠目で見た男性たちの、半笑いの顔、無表情な顔、恐ろしい 形相は、いつまでも忘れることができません。 しかし、彼らは好き好んでそうしていたのではない…かも知れない、 と思えるようになったのは、それから5年ほど後です。 ある時、資料をネット検索していたら、偶然に、東京で「犬殺し」に 従事された経験のある人のブログを見付けました。(註2) 苦悩を回想し、動物の命の尊さを訴えた、心優しいブログです。 やはり当然ながら、人間には「犬殺し」は辛い仕事であるようです。 (註3) ノラ犬やノラ猫を見ると 「生きろ…生きろよ」と 心中で祈ってしまいます. 人に言えばバカにされる、 変人の所行なんですが... 「犬殺し」の現場を見た後日、薄暗い夕方、その現場だった付近から 子猫の寂しい声が聞こえたような気がして、様子を見に行きました。 そこは廃材置場で、行くと誰もいなくて子猫の声も止んでいました。 辺りを見渡すと、板の上に子猫の頭部を二つ並べてありました。 その光景の衝撃のあまり、震えて身動きできずにいて、しばらくして 逃げ帰ってしまいました。 近所の子供たちが、捨て猫を見付けて遊ぶうちに、エスカレートした 行為なのかも知れません。 薄闇の中で見た、その陰惨で哀しい光景も忘れることができません。 人も猫も、親子の情に 優劣の差はありません. にもかかわらず、親子に 簡単に試練だと言えない 辛い運命があるのは何故 でしょうか. また、その数日後は、父親から、自宅で生まれたばかりの子猫数匹を 捨ててくるように命令されました。 それを聞いた時、私は身体が震えていたのを憶えています。 親父の命令は絶対ですから、泣きながら池の畔に捨てにいきました。 泣いて震える私は意気地なしだと思われたのか、弟が随行しました。 母猫が子猫を捜し廻り、そして、私の顔を見て驚いたような目をして アーと鳴いたこと、忘れることができません。 無抵抗の動物の命を奪う陰惨な行為を嫌悪していた自分が、同じ事を してしまったのです。 自己嫌悪は深くなり、いつかは自分も同じ目に遭うに違いないという 恐怖感を抱くようになりました。 (註5) 「砂に埋もれる犬」 /ゴヤ/1820-23年 /プラド美術館. 子猫を捨てた罪悪感が重くて、 自分が、こうして暗い闇の中に引き 込まれていく夢をみることがあります. プラド美術館で、この絵を見た時、 重苦しい雰囲気がありました. 命を繋ぐために、感謝して動植物の命を戴くことは、人に共通の宿命 みたいなものかも知れません。 しかし、そのためであっても、そうでない場合はなおさら、不必要な 惨い殺戮は無用な所業だと思います。 思春期にはそのように考えていましたから、立て続けに残忍な光景を 目撃した私は、残忍な方法の殺戮を許容する町には住みたくないと、 密かに決心しておりました。 そして似た行為をした私も、どんな町に住んでいても、平穏な気持で 暮らすことはできないかも知れないと、諦観していました。 故郷を想うと必ず、「故郷」の闇の部分が黒い霧を吐き出してきて、 「故郷」の明るい部分に覆い被さってきます。 今でも、帰省を考える時は、気持に強いブレーキを掛けてきます。 何処の町で暮らしても、同じような哀しい過去はあると思います。 心に貼り付いた辛い記憶に、逃げずに向き合うことができれば、強い 人間になれるのかも知れません。 それを成長というのか…、免疫というのか…。 141030 □□□□□ (註1)「保健所の奴ら仕事とはいえよく犬殺せるな」の画像を加工して います. http://bbs49.meiwasuisan.com/soudan/1335005259/ (註2)「無くなってほしい仕事『犬殺し』」 http://members.jcom.home.ne.jp/mu-arai/inukorosi-2.htm (註3)「苦しみ続ける動物たちの為に」の画像を加工しています. http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-522.html (註4)「マンチカン キャッテリー」の画像を加工しています. http://lechaton.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29 (註5)「黒い絵」の画像を加工しています. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E7%B5%B5 |
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