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30人殺害「津山事件」 磐田で資料発見

磐田市内で見つかった、津山事件を詳しくまとめた冊子と都井睦雄の写真

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 日本の犯罪史上最大の大量殺人とされる一九三八(昭和十三)年に岡山県で起きた「津山事件」の資料が、磐田市内で見つかった。捜査情報が基になっているとみられ、事件を詳しく記録・分析した冊子と、現場や凶器などを撮影した写真が二十六枚。作成者や目的は不明だが、ガリ版刷りの黄ばんだ冊子をめくると、凶行に走った青年が孤立を深めていった経緯が浮かんできた。

 磐田市内に住む岡山県警の警察官の遺族が、自宅で保管していた。事件に詳しい影山任佐(じんすけ)・昭和女子大客員教授(犯罪精神医学)は、類似文書が存在することなどから「警察が後進の教育用に作成し、刑事らに配布したのでは」と推測。岡山県警は「事件の資料が残っておらず、県警が作成したかどうかも含め、確認しようがない」と説明する。

 冊子はB5判で、表紙などを除いて四十四ページ。事件概要や、犯行後に自殺した都井睦雄(といむつお)=当時(21)=の経歴、犯行の動機などが克明に記され、襲われた場所ごとの状況のまとめや現場見取り図、都井の遺書の文言まで添えられている。

 犯行原因として、「特殊な家庭事情」から「孤独感を募らせて全く社会を隔絶し」、「生来の病弱が肺患にまで進行してその宿命的な劣等感と厭世(えんせい)観を深刻化」させた点を指摘。「致命的な弱さは性的放埒(ほうらつ)となって現れ、益々(ますます)隣人達に嫌悪排斥」され、「極度の自暴自棄に堕し、人生のありとあらゆるものを呪う気持ち」に達したと分析している。

 都井の遺書には、「病気四年間の社会の冷胆圧迫にはまことに泣いて」「社会もすこしみよりのないもの結核患者同情すべきだ」(原文まま)などとあった。

 影山教授によると、事件の背景には、障害者施設で十九人が殺害された「相模原事件」(二〇一六年)や、児童八人が犠牲になった「池田小事件」(〇一年)などと同じく、孤立や経済的困窮、自殺・破滅願望があったという。

 さらに当時の現場集落が、外部から孤立していた事情もあった。影山教授は、「閉ざされた世界で孤立を深めていけば、誇大妄想にとらわれやすくなる。津山のような事件は現代でも起こり得る。孤立や経済的困窮に陥らないように、そこから脱するために、社会的なサポートの仕組みをつくっていかなければ」と話した。

(松本浩司、西田直晃)

 <津山事件> 1938年5月21日未明、岡山県西加茂村(現・津山市加茂町)で、農家の長男・都井睦雄が2本の懐中電灯を頭につけ、猟銃や日本刀で武装。1時間半の間に近くの11戸を襲い、自宅の祖母を含む30人を殺害した。横溝正史の推理小説「八つ墓村」などのモデルになった。

 今回発見された資料などによると、都井は幼いころ両親を結核で失い、祖母に育てられた。学業成績は良く優等生として将来を期待されたが、病弱で家にこもりがちだった。事件前年の37年に徴兵検査で肺結核とみなされ悲観。関係していた女性ら村民から嫌悪されるようになり、恨みを増幅させていった。

 

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