20年近く前の日記を読み返した。しばらくのあいだ、それまでの自分の人生ではあまり見ないような人たちと付き合う機会があった。いま思い出しても変わったやつらだったな、と思ってる。仕事で出会った不思議な男性がいまでいうトランスジェンダーの人であった。年上の人も若い人もみんなオープンで、気さくな会合で楽しくやれるパーティーピープルだったのだが、同性愛を公言し、ドラァグクイーン(当時)がいて、同性同士が良い仲になったり、複数の人間と大っぴらに付き合うということはいままでの私の常識ではあまり無かったので、年齢=彼女いない歴であった私は溶け込むことができなかった。親しい女性がいないというと変な誘われ方をすることも多かったため、誘われても自然と行かなくなってしまった。

 それでも、 細かく気を使ってくれる人は沢山いた。いまでも何人もFACEBOOKで親しくさせてもらってはいるけど、私も当時は働き過ぎの反動で「本当の自分探し」などもしてたりして、その中でも相談させてもらっていたのが、たまり場になっていたホモバーを経営していたマスターだった。放っておくとスーツをビシッと着た、長身で浅い髭の凄腕セールスマン的で、実際に不動産を扱う金融マンだったと言っていた。が、自分らしく東京で咲きたいといって、思い切って仕事を辞めてホモバーを開いたという人である。引退するような歳でもないのに趣味の店をやるなんて、相当な根性だなあと当時は尊敬したものだ。私にはそういう店を開くような人生は選べないだろうから。

 マスターはとても慕われている人でもあったので、話すときも他の客がまばらなときを選んで訪問したものだが、 最初は芸能ネタからくだらない身内話から始まって、そこから見事に悩み事解決に至るヒントをえぐるように伝えてくる。彼が愛される理由も分かろうというものだ。私もホモバーなど行く必要もないのだが、マスターの話を聞くためだけに、月一回だか二回ぐらいのペースで通った。店の重いドアを開けてマスターと目が合うと、花が咲いたような笑顔を向けてくれたことはいまでも忘れない。それは単純に、あまり来ない常連として、店のマスターと客の関係として喜んでもらっているだけだと思っていた。

 が、男(なのか女性的な何かかは分からないが)の嫉妬というのは、実に怖ろしい。彼が私についてどう思っていたかは知るすべもなかったが、いつの間にか、私がマスターと「ねんごろな関係」になっているという噂が立った。ほんと、急に出た。私からすると、さっぱり理由が分からない。なんせ、会ってないのだから。わざわざ勇気を出して、私に直接「事実関係を確認」する常連も現れるようになった。単に相談がてら寝酒を飲みに行くようなものなのに、変な話をされるのは困ったものだ。面倒くさい。

 何より、そういう嫉妬の世界は直面するととても嫌なものだ。私は男性に性的興味はありません、と言えば言うほどに、変な反発をしたり、別の意味に捉えて興奮する人たちの表情を見て、ああ、こういうことはあり得るのだと逆に得心して、いつしかマスターのホモバーには足を向けなくなった。少し悩んだときにカジュアルに相談できる友人のやっている店という感覚から、嫉妬と悪意の巣窟にしか感じられなくなったら行くわけもない。

 それとは別に、二度しか会ったことのないメンヘラの女性が、彼女と交際中でネット事業をやっていた同じくメンヘラの男性に「私に寝取られた」とかいう途方もないネタを言い始めて、付き合い切れなくなった。意味が分からない。正直、プライベートのことなど話したことも無い、連絡先どころか名前も思い出せないようなたいして知らない女性なので面食らったが、それと同時に「ああ、この界隈に私がいてはいけないのだ」と悟った。いつの間にか、私はホモなのに知人が交際中の女性に手を出した男という話になっていた。どういうことなの。

 マスターに相談しようかと思ったが、しなかった。絶対に、私のその噂を聞いているはずなのに、否定も肯定もせずにいつもの調子で他の常連に接客しているのを見て、もういいや、という気分になった。

 その後しばらくマスターから「最近来ないね。こんどどう」というメールは来ていたが、特に事情を言うまでもなく、単に忙しいのでなかなか伺えませんすみません、みたいなお茶を濁しているうちに連絡もなくなった。ネットでも不名誉なことは書かれたが、神に誓って何もしていないのだから気にすることはない、人生少し寄り道しただけだと割り切って、その後はむしろ仕事に明け暮れるようになった。

 そこから15年ぐらい経って、共通の友人からマスターが亡くなったという話が届いた。年上ではあったが、まだ病没するような歳でもないので不思議に感じたところ、人間関係に悩んでの何事かであることを察する文章が別から送られてきたので、ああそういうことなのかと思った。私は、あの界隈には嫌な思いしかない。 なんかちょっとした思い違いから、交際話だ取った取られた妄想も含んで人間関係がごちゃごちゃしていたのだろう。

  気にはなっていたが、葬儀は見送って、しばらく忘れていたけど先日ご遺族の方からわざわざご連絡があって、なぜか私に御礼を言いたいという。こちらとしては、ただの客であって礼を言われる筋合いなど何もない。どういうことだろうか。警戒感マックスになって事情を聞いた。ご遺族はご遺族で、てっきり私がマスターと親しくしていたと思ったようで、電話口で明らかに戸惑っていた。マスターは飾っていた食器棚に友人たちの写真を並べている中に、私がもうとっくに忘れた、どっかの河原でやったバーベキューパーティーでのツーショット写真をマスターはフォトフレームに入れて大事に置いていたのだという。

 彼の魂が解放されんことを、心から祈る。
 そういうことを思いながら、昔書いた日記を閉じた。 

hitsugi_youshiki.png