ティヴのように想像できるのは、本来人間の実践的な生のシステムの構成的部分であるそれらを、
そうした実践系とは独立した精神や認識の産物であるかのように考えてしまうからであり、存在論と
いう名づけは、そうした誤認への一歩をすでに含んでいるからである。こうした想像に立脚した浅
薄な西洋近代批判や他者のロマン化は、一種の観念論――実践から遊離した精神の世界の優
位を想定するそれ自身きわめて西洋近代的な世界の見方――だとはいえないだろうか。まさにド
イツイデオロギーにおいてマルクス、エンゲルスがおこなった批判が、そこにはそのまま当てはま
る。
註
(註1)多様性、多様性と繰り返して煩く感じられるかもしれないが、まさに多様性への着目と、そう
した多様性の説明こそが人類学のアイデンティティなのだと私は考えている。
(註2)以下の議論についてのより厳密で詳細な展開は、浜本 2007, 2008, 2009 を参照されたい。
(註3)もし実際に悪人が大半を占め各人が各人に敵意を抱いていることが普通であるような社会
空間においては、こうした信念を持っている方が、単に真理化の観点のみからだけでなく、利得の
マトリクスの観点からも「うまくいく」ということも指摘しておこう。ある信念の「正しさ」はその信念に基
づいた実践が展開する社会空間の生態学的配置に左右される。浜本 2009 を参照のこと。
参照文献
浜本満, 2009,「進化ゲームと信念の生態学-社会空間における信念の生態学試論2-」,『九州
大学大学院教育学研究紀要』第11号(通巻 第 54 集)pp.125-150.
2008,「信念と賭け:パスカルとジェイムズ-社会空間における信念の生態学試論1-」,
『九州大学大学院教育学研究紀要』第十号(通巻 第 53 集)pp.23-41.
2007,「他者の信念を記述すること」『九州大学大学院教育学研究紀要』第九号(通巻
第52集)pp.53-70.
一 橋 大 学 社 会 人 類 学 共 同 研 究 室 , 2008, 「 社 会 人 類 学 に つ い て 」
(http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/noftuite2.html)
James, W., 1955, Pragmatism, and Other Essays, New York: Meridian Books.
______, 1956[1897], The will to believe, and other essays in popular philosophy, New York: Dover
Publications
Laland, K. & John Odling-Smee, 2001, "The Evolution of the meme" In Aunger ed., 2001:
121-142
Aunger, R., ed., 2001, Darwinizing Culture: The Status of Memetics As a Science, London:
Oxford University Press.
ユクスキュル・J von, 2005,『生物から見た世界』日高敏隆・羽田節子訳、岩波書店
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