ネット社会で検索サイトが果たす役割を踏まえ、個人の権利と情報の公益性のバランスを考えるきっかけとすべきだろう。
検索サイトに児童買春の逮捕歴が表示される男性が事業者に削除を求めた仮処分の申し立てで、最高裁が削除を認めない決定をした。
プライバシーを公開されない利益が、表現の自由との比較で「明らかに優越する」場合に削除を認める。最高裁はそう見解を示した。児童買春は強い非難の対象で、今も公益性があるというのが今回の判断だ。
一方、最高裁は、書かれた事実の性質や公表されることによる被害の程度など、削除請求に対し考慮すべき要素を6項目挙げた。削除をめぐる争いが増える中、一定の基準を掲げたことは評価できる。
検索結果の削除には高いハードルが設けられた。ただし、デマや名誉毀損(きそん)、プライバシーの暴露など公益性が明らかに低い場合、基準にのっとって削除を請求しやすくなった。
注目されるのは、最高裁が検索結果について、検索事業者自身による表現行為の側面を持つと指摘したことだ。事業者はこれまで、自らを情報の媒介者にすぎないとして削除義務を否定してきたが、それでは済まないということだ。
グーグルやヤフーなどは既に独自基準を定めて削除要請に対応しているが、自主的な取り組みをさらに進めていくべきだ。
ニュースサイトを設けて記事を配信する報道機関も同様の責任を負う。報道各社は独自の判断でサイトからの記事削除を決めている。どんな基準が望ましいか、一層考えていく必要がある。
時間が経過した個人情報の削除を認める「忘れられる権利」も今回注目された。欧州では法的権利として認められているものだ。
当事者の男性は6年前、女子高生に金を払いわいせつ行為をした。その行為の重さと時間の経過をどうとらえるか。1審は、「忘れられる権利」を国内の裁判で初めて認めたが、最高裁は言及しなかった。
ただし、最高裁の決定は「記事掲載時の社会的状況とその後の変化」を基準の一つに挙げた。一定の時間の経過を考慮すべき要素と位置づけたと読みとれる。
ネットにずっと前歴が残っていれば、更生の妨げになる可能性がある。配慮は当然必要だ。「忘れられる権利」については、事例ごとに丁寧に議論を積み重ねていくべきだ。
自由に情報が流通し、共有できる社会を、今後も守っていかなければならない。そのためには、ネット利用者一人一人の人権への配慮が欠かせない。