しかし一方で、生産品質はいろいろと問題があった。1990年代にもなってエンジンがガスケット吹き抜けで壊れたり、窓ガラスが落ちたりという言いわけの難しい壊れ方が頻繁に起きた。こと生産品質に関する限り、レベルが低かったのは明白だ。背後には強大化した労働組合の問題があって、そう簡単に解決できなかったのだ。だから生産品質の面で米国製小型車が評価を下げたのは事実である。しかし、そういう生産品質の問題は当時のドイツ車も同じようなものだった。
日本政府は米国に対して「日本マーケットでドイツ車が成功していることから、アメリカ車が売れないのはアメリカ車の問題だ」と答弁しているが、そもそも先進国の自動車マーケットにおいて、輸入車シェアが一桁パーセントで推移している国など、日本以外どこにもない。
アメリカ車がドイツ車より売れていないのは本当だが、そのドイツ車も含めて日本のマーケットでは本当の意味で成功している輸入ブランドは1社もない。だからここは難しい。ドイツ車を挙げて成功例というのは無理があるが、イコールコンディションの勝負でドイツ車ほどにアメ車が売れないのも事実だ。
ひとまず輸入車全部が成功していないものと仮定して話を始めると、日本独特の「専売ディーラー制度」に原因を求められることが多い。確かにそれも一理あるとは思う。米国の自動車ディーラーは複数のブランドのクルマを扱う。しかし日本はトヨタ系ディーラーならトヨタしか売らないし、ホンダ系ならホンダしか売らない。後発ブランドが、売れるか売れないか分からない新上陸ブランドのためにそれらトヨタと同等のディーラー網をいきなり築くのは不可能だ。そんなことができたら豊臣秀吉の「墨俣一夜城」である。
販売店によって売り上げが変わるケースは確かにある。実際、ダイハツが出した小型車「トール」は、トヨタのカローラ店で「ルーミー」、ネッツ店で「タンク」という名前で売り出した途端、発売1カ月でそれぞれ1万8300台、1万6700台という驚異的な売れ行きを示した。ダイハツの販売網では、逆立ちしてもこんな台数はさばけない。これだけ見ると一理あるとも思えるのだが、歴史を振り返ると反対の例もある。
かつて、貿易摩擦の最中に、トヨタがGM傘下のブランドであるシボレーの「キャバリエ」を販売したことがある。タレントの所ジョージさんを起用してCMを大量に流し、米国政府から「片手間だった」とか「手抜きだった」と言われないように全力を尽くして売ったのだが、4年半ほどで3万6000台あまりにとどまった。平均月販台数に直すと700台に満たない大惨敗だったのである。
確かに専売ディーラー制によって、輸入車ブランドが日本で販売網を築くハードルは高いが、それさえクリアすれば同等に戦えるというものでもないことをキャバリエの例は実証したことになる。
日本が輸入車の売れにくいマーケットであることは確かだが、その理由がシステムにあるのか消費者の志向にあるのかは判然としない。これは何らかの成功例が出るまではハッキリさせることができないだろう。
蛇足だが筆者の見解を書けば、米国の小型車には商品性が薄い。いや、それ以上にほとんどない。クルマの商品性とは、先ほど挙げた2つの性能に次ぐ3つ目の指標だと思う。
ドイツ車にはそれを買った後の楽しい生活がイメージできるし、日本車もそうだ。2000年代に入って日産セレナが「モノより思い出」というキャッチコピーを使って、クルマそのものよりセレナがある生活を訴求したことを思い出してもらえれば、アメ車との違いが理解できると思う。ネオンはこと走るという面では良いクルマだったが、ハードウェアの上に乗る幻想が何もなかった。
いくらおいしくてもただ切っただけの食パンには誰もお金は出さない。やれブルスケッタだのエッグベネディクトだのになっているからこそお金が取れる。その背景には米国の自動車メーカー自身の「小型車なんてこんなモノ」という侮(あなど)りがあったのではないか? ただの道具という以上に思い入れのないママチャリの「商品性を際立たせてみろ」と言われてもそれはなかなか難しい。「欲しくて仕方がない小型車」という原体験がないと、そういうものは作れないのではないか?
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