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【社会】19歳「辺野古の海守る」 小1から12年 基地反対の灯
米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設に伴い、名護市辺野古(へのこ)での新基地建設を問う住民投票があった一九九七年、名護に生まれた青年が両親と建設反対の声を上げている。琉球大学一年の渡具知武龍(とぐちたけりゅう)さん(19)。「目の前のきれいな海をなくすわけにはいかない」という思いで、小学一年から毎週土曜日、地元の米軍基地前に立ち続けている。 (村上一樹) 四日夜、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前。渡具知さんは、ペットボトルに入れたろうそくを手に、いつものように立っていた。日没から間もない午後六時半すぎになると、約三十本のろうそくのともしびが「大浦湾を守れ」と書かれた横断幕を照らした。 渡具知さんたちは道路を通る車に「沖縄の海を守りましょう」と笑顔で呼び掛けた。毎週土曜の夜になると繰り広げられる光景だ。 この日の日米防衛相会談で辺野古移設が「唯一の解決策」と再確認されたが、渡具知さんは「基地はいらない。ここで終わらせるわけにはいかない」と思いを強くする。 新基地が造られる大浦湾に面した名護市瀬嵩(せだけ)の出身。生まれた年に行われた住民投票では「新基地建設反対」が過半数を占めた。しかし、計画は進められてきた。 父・武清(たけきよ)さん(60)と母・智佳子(ちかこ)さん(55)らが「子どもの未来に基地があってはいけない」と、子どもたちと一緒に新基地建設の反対を訴えるピース・キャンドル活動を始めたのは二〇〇四年、十二年余になる。 当時、小学一年生だった渡具知さんは両親の横に立つうち、活動は生活の一部になった。昨年から大学に通うため実家を離れたが、週末には戻って活動している。 マティス米国防長官はトランプ政権の閣僚として三、四両日に初来日したが、沖縄に立ち寄ることはなかった。 「マティス氏やトランプ米大統領は安倍首相とは話すのに、沖縄の声は聞いてくれないのか。『米国第一』の中で、沖縄の声を切り捨てないでほしい」。地元が蚊帳の外に置かれる現状に危機感が募る。 政府は六日に辺野古の海上で本体工事を始める方針。「だからといって、あきらめていい理由にならない」。六月には二十歳になる。「基地問題は僕より下の世代にも関わってくる。逃げるわけにはいかない」 PR情報
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