米国との国境には新たに10メートル近い鉄柵がそびえる=メキシコ北部シウダフアレス郊外で2017年1月30日、國枝すみれ撮影
【シウダフアレス(メキシコ北部)國枝すみれ】「国境に壁? 全く問題ないよ。トンネルがある。ふさがれたら? また別の場所に掘るだけだ」。メキシコ北部シウダフアレス市郊外。米国との国境線を目の前にしてゴンサロ・スニエガさん(36)が平然と言ってのけた。職業は通称「コヨーテ」。不法な国境越えを手引きする案内人だ。
国境線はスニエガさんが不法占拠して建てた自宅の裏手を走る。高さ約3メートルの金網フェンスだ。彼がそのすぐ手前に埋め込んでいたタイヤを取り除くと、人が通れるくらいの穴がのぞいた。はって通り抜ければ、そこは米国テキサス州だ。
トランプ米大統領は先月25日、メキシコ国境に壁を造って不法移民の取り締まりを強化する大統領令に署名した。だがそれ以前から、近くでは高さ10メートルの新しい鉄柵が建設中で、地下5メートルまで鉄板が打ち込まれるらしい。スニエガさんは「これから客はもっと増える」とほくそ笑む。実際、トランプ氏が大統領選への出馬を表明した一昨年6月ごろからトンネル利用者は急増し、今や1日平均で当時の約2.5倍の50人に上る。入国がより難しくなりそうだという不法移民の不安に便乗し、通行料は150ドルから500ドルに値上げした。強制送還が本格化すれば、コヨーテにはさらに追い風だ。送還された者の多くが再入国を試みるからだ。
「米国との経済格差が続く限り、不法移民は絶えない」。不法移民への支援活動をしているヘスス・タビソン神父(56)は言う。より深いトンネル、150ドルで入手可能なレンタル偽造旅券……。「トランプ大統領が何を言おうが、何をしようが、米国を目指す者には関係ない」
神父はかつて麻薬の中毒者で密売人でもあった。貧困の奈落から抜け出そうともがく人々の心境を承知している。国境越えの資金を工面するため2歳の子供を売り飛ばした女性もいたという。「国境に壮大な壁を造っても、得をするのはせいぜいコヨーテだけだ」と吐き捨てるように言った。
「不法な人間などいない」
「金網の向こうは米国だ」。米国を指さすコヨーテのゴンサロ・スニエガさん=メキシコ北部シウダフアレス郊外で2017年1月30日、國枝すみれ撮影
メキシコから米国に渡る主要な国境通行橋には、監視カメラが何台も設置されている。警備は万全だ。だが郊外に行くと、フェンスも低くなる。このため米側の国境警備隊は、国境沿いを古タイヤを引きずって走行し、砂地を平らにならす。不法移民の足跡が残れば、追跡しやすくなるからだ。
「米国の警備隊は今ごろ、昼寝しているさ」。不法移民の案内役「コヨーテ」のスニエガさん(36)が軽口をたたいた瞬間、フェンス越しの米側で警備隊の車が向きを変え、土ぼこりを上げ速度を上げた。不法入国者を発見したのだ。
スニエガさんはコヨーテの中で、まだ良心的な部類だ。米国内の大都市まで連れて行くと約束し、3000~6000ドルもの大金を受け取りながら逃げ去る者や、道中で強盗にひょう変する者もいる。
「ボスが見ているよ」。スニエガさんは家族のそんな警告の声に、すぐにトンネルをふさいだ。ボスは地元の麻薬密輸組織の関係者だ。トンネルに客を勝手に案内し通行料をネコババする「部下」に目を光らせているのだ。通行料の多くはボスが吸い上げる。
それでもスニエガさんは自慢げに言った。「メキシコからは人やヘロイン、米国からは銃やたばこが移動する。何でもこのトンネルを通るんだ」
シウダフアレス市内には不法移民のための避難施設(シェルター)「移民の家」がある。運営はカトリック教会。壁に「不法な人間などいない」の文字が大きく書かれていた。国境線の米国側で、両腕を広げて不法移民を迎える男性の絵も描かれている。
移民の家にはベッド250床、大食堂、子供部屋がある。不法に米国を目指す人たちが無料で食事し、シャワーを浴び、新しい服や靴をもらって国境に向かう。ここで働くロサ・パラさん(52)は「国境越えの危険は説明するが、聞く耳を持たない」と言う。
彼らの大半は貧困の中で溺れかけた者たちだ。米国に行かねば飢えるか、低賃金で働き続けるか、ギャングや麻薬密売組織に殺されるか……。メキシコ中部グアナフアト州で果物を売る女性の日々の稼ぎは平均100ペソ(約550円)。米国に不法入国した息子の仕送りなしに生活が成り立たないと訴え、「トランプという名前を聞くだけでうんざりだ」と嫌悪した。
米国に滞在する不法移民は今、推定1100万人。うち半数強がメキシコ人だ。オバマ前政権時代に全体のうち250万人を送還したが、トランプ氏はさらに「犯歴のある不法移民やギャング、麻薬密輸業者など200万~300万人を送還する」と言い切る。
大統領令「メキシコ侮辱」
今月1日、移民の家にたどりついたルイス・ソサさん(48)は、米カリフォルニア州から空路で強制送還されたメキシコ人の一人だ。約50人が乗せられた機内は「俺は犯罪者じゃない」「永住権(グリーンカード)がある」と抗議する者たちで騒然としたと証言した。「送還者のうち(私を含め)15人ほどは永住権保持者だったと思う」
ソサさんは州内の建設工事現場で働いていた。先月23日、移民税関捜査局に拘束された。「グリーンカードは自宅にある」と職員に訴えたが、聞き入れられなかったという。差し出された書面への署名を拒否すると、両手と両足を鎖でつながれ、飛行機に乗せられた。着の身着のままだ。メキシコの空港からヒッチハイクで移民の家に向かった。ソサさんは「今まで何の問題もなかったのに」と嘆いた。
「不法滞在らしき外国人を見かけたら電話を下さい」。捜査局のウェブサイトには無料電話の番号が記載されている。不法移民にも寛容な「聖域都市」にいない限り、正規の移民でもグリーンカードを携帯していないと突如拘束され、送還の憂き目に遭う可能性が生じている。移民の家に身を寄せたもう一人、アレンさん(28)は14年前に米国に不法入国し、南部ジョージア州の建設現場で働いていた。近隣住民の密告で拘束されたという。メキシコの故郷の町は麻薬組織がばっこしている。「もうアメリカンドリームはなくなったよ」と声を落とした。
メキシコのウニベルサル紙が昨年11月に実施した世論調査によると、国民の74%がトランプ氏に否定的だ。「(メキシコは)神から最も遠く離れ、米国に最も近い」という成句がある。米国を神とは正反対の「悪魔」と位置付け、隣国・米国との経済格差など、自国の不運を自虐的に表現したものだが、国民は後段の米国を「トランプ」に言い換えるようになった。
メキシコ・モンテレイ工科大のマカリオ・スケティノ教授は「多くのメキシコ人は大統領令をメキシコへの侮辱と受け取った」と話し、反米意識が高まっていると指摘した。【シウダフアレス(メキシコ北部)國枝すみれ】