善なるかな嵐の王よ   作:シャチホコタワー
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暴君英雄-2


「キュクレイン。それは確か、アイルランドの大英雄の名だったな?」

 転移によりハムステッドからピークディストリクト国立公園へと場所を移した士狼は、数メートル先に立つキュクレインを睨みながら、その来歴を紐解こうとする素振りを見せる。本来の英雄神としての側面ではなく、何故か暴君としての振る舞いを見せるキュクレインは、しかしそれに答えず黙している。荒々しい神威はそれだけで周辺の草木を枯らし、雄大な自然を殺していく。周囲に広がる緑の丘が灰色に変わっていく様は、見ていて余り愉快ではなかった。不快気に顔を歪ませた士狼から、夥しい呪力が迸しる。暴風が大地を浚い、曇天から雫が落ちる。煌々と煌めく日輪は雲に覆われ、キュクレインが閉じていた目を開く。地に立てる様にして槍を握っている腕に力が篭もり、筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がった。獣を思わせる殺意。怪物の如き悪鬼の悪相。そして魔術が大地を覆うのと同時、無数のルーンがそれを打ち消そうと重ねられた。
 だが、その全てが何の前触れもなく消失する。ルーンは効果を発揮すること無く地に溶け、士狼の魔術のみが見渡す限りの大地を覆い尽くした。天空にすら広がりを見せる無数の魔術砲門は、如何にカンピオーネであっても賄い続ける事は至難であろう。だが、それを行っている以上、何かがある。キュクレインが警戒を顕にした瞬間にただの土塊が鎖となり、その肉体を絡め取らんと舞い上がった。

 刹那、天を衝く大咆哮。

 衝撃波で大地が抉れ、鎖が震えて砕け散る。舌打ちした士狼が多重に魔術砲門を向け、ドンッッ、と。轟音と共に踏み抜かれた大地が割れた。キュクレインの姿が掻き消え、大地に挟み込まれた領域が抉られる。暴風が遅れて吹き荒れた。神速の踏み込みと剛槍を携えた突進。神殺しであろうとも、その一突きを受ければ一溜りもなかろう。だが、そこに士狼の姿はない。足を止めたキュクレインが横を向けば、背後から暴風が叩き付けられた。激突の間際で超反応。反転しつつ槍を一振りして打ち払い、続いて降り注ぐ雨をその風圧のみで薙ぎ払う。そして、大地を濡らした水が土地を蝕むのを視界の端に捉えた。それだけで、その正体を死の雨、命を奪う権能だと当たりをつけ、キュクレインは神威を纏うことで対応した。超高温の呪力が全身を覆い、吹き付けられる雨が蒸発する。

 キュクレインの父は長腕のルー。三眼のバロールが孫にして、悪神の筆頭であったそれを殺した太陽神だ。ならば、半神とはいえその息子であるキュクレインに、その力の一端が受け継がれるのは当然の道理と言えよう。その上、彼自身の伝承に、尋常ならざる熱を纏うものがある。雨を蒸発させる程の炎を纏う権能の所持に不思議はない。問題は、権能がそのどちらの伝承によるものか、だ。撃ち込めど傷つかない事から後者の伝承に思えるが、断定するのは早計に過ぎる。不遜な態度を崩さず、士狼は糸口を掴もうと拡声の魔術を使いながら口を開く。

「太陽神の息子、その恩恵か?なるほど、少しばかり見えてきたぞ?」

 返答は無言の前進。魔弾が炎の鎧を越えて命中し、しかしキュクレインには些かの傷も付けられない。前述した伝承に、彼はその体温だけで大量の水を沸騰させた逸話がある。鋼に代表される剣を打つ工程の暗喩であり、それは即ち、彼が鋼の如き肉体を保持している事を示している。既に、士狼は2キロ先から魔術をひたすら撃ち込む作業へと移行したが、やはり魔術の通りは芳しくない。とはいえ相手は英雄神。試そうにも、武器は不用意に撃てない。最悪奪われる危険がある為、無闇矢鱈と射出出来ないのである。その結果として魔術を撃つしかないのだが、神の肉体をも傷つける魔術だ。呪力の消耗を考えれば、そう乱発していいものではない。呪力は無尽蔵に見えても、決して無限ではない。魔術を行使するのは、武器を滞空させ、射出するだけとは違う。一つだけでも複雑な術式の同時制御に、篭める呪力量の調整まで行わなくてはならない。それを同時に千を越えて行うともなれば、精神に掛かる負荷は計り知れないものとなる。

 ━━だが、それがどうした。

 降り注ぐ雨に衰えはなく、殺意の波涛に揺らぎは無し。黄金の双眸で進軍するキュクレインを捉えながら、次から次へと魔術で爆撃を浴びせている。金の尾を引きながら、光の槍が炎の鎧を越える。鋼の肉体に阻まれたが、同時に炸裂したルーン魔術が大英雄の肉体に傷を付けた。地が溢れ、僅かに足を止めて蹌踉めいた隙に千を越える魔術が撃ち込まれた。だが、それを平然と突破してキュクレインは前進する。今が暴君であろうと、その逸話は正しく英雄のもの。いと輝かしき光の御子である。構図としては、魔王に挑む勇者のように。キュクレインは英雄の様に猛進する。ゆえに、それを認められない男が吼える。━━贅沢は言わん、死に絶えろ。神がこの世にいるなど断じて認めん!士狼が赫怒に顔を歪ませ、同時に膨れ上がる殺意の奔流。島を巡る地脈を捻じ曲げ、そこから更なる呪力を供給した。

「来たれ、我が始源の証!其は生命(いのち)を奪い、大地の恵みを砕くものなれば!いざ、ここに嵐の威光を示すがいい!」

 嵐が来る。今なお、吹き荒れている死の雨。滅びの風を越える極大の権能が。其は原初の嵐、破壊の風雨。農耕の民族において、最も恐れられる命を刈り取る災厄の現し身。死神であながら王であり、嵐の化身でありながら魔術を統べる神から簒奪せしめた権能である。魔術砲門は依然として展開されたままだが、魔弾の雨は止んだ。大地を覆う用途不明の大魔術式は、未だその力を顕にしていない。だが、士狼の頭上には大電雷が現れていた。音を立てて膨れ上がる様は圧巻と言う他ない。大地を濡らす風雨はキュクレインの肉体に届かないが、間違いなくあれは届く。放たれれば、瞬く間に日輪の炎を貫き、鋼を融解せしめるだろう。そして、それを生き延びても、今度は死の風雨から逃れられない。

 迎撃を決めて完全に足を止めたキュクレインは槍を投げるようにして構え、集束する大電雷を正面に見据えた。何という威容。何という呪力。ともすれば、この身を屠り得るやもしれん。ならば暴君へ逆らう者として不足はなし。キュクレインが喜悦に顔を歪ませるが否や、膨大な呪力が魔槍へと収束し、無数の棘が槍から生える。其は赤棘の魔槍、ゲイ・ボルク。刺せば三十の棘となり爆ぜ殺し、投げれば三十の鏃となって抉り殺す。しかし、伝承においては、僅かにフェルディアとコンラに向けてしか振るわれていない。それはただ、あらゆる防御を貫通する強さゆえか。それともまた、別の何かがゆえなのか。

「刮目しろ、愚物共。日輪が威光の如く、我が槍は光輝を示す。━━其は死棘、絶死の一投!」

 厳かに響いた聖句。引き絞られた魔槍が光を纏い、大電雷が膨れ上がる。天空の暴威と日輪の威光。睨み合う両者は限界まで呪力を込め続け、次の一手を必殺へと消化した。━━刹那、爆轟する大電雷。迎え撃つは光輝の一投。神速の領域で放たれる大電雷は、大地を呑んでなお衰えぬだろう。それに対し、正面から衝突した光の何と細い事か。一条の光では、天上の裁きを乗り越えられる筈もない。だが、キュクレインは顔を勝利を確信した顔でそれを見据え、対する士狼は苦々しい表情を浮かべていた。時間にして僅か数秒の後。大電雷はキュクレインの肉体を灼きながら大地を抉り、英雄の投槍は嵐の王の肩を掠めた。痛み分けの様に見えるが、しかしそれは違う。

 それを証明する為に、キュクレインが手元に返った魔槍を突き立て、死滅の呪詛が迸る。

「顕現しろ、紅の死棘。茨の怨嗟。我が槍は滅びの魔槍、絶死の一刺し」

 そして、重ねて聖句が結ばれた。背筋を駆けた悪寒に従い、士狼は急所を呪力で覆い、多様な魔術で全身を巡る何かを阻害した。だが、もう遅い。既に死の棘は侵食を果たしている。対策虚しく、脈動したキュクレインの呪力が体内で炸裂した。まず右の肺が潰れ、次に左腕が吹き飛んだ。連鎖する爆裂は止めどなく、時には腹を突き破って紅い棘が露出した。心臓と頭は守り抜いたが、それでも紛れもない致命傷。口腔から血が溢れ、激痛が脳を焼く。気丈にも揺るがず立ち続けているが、如何に神殺しといえども長くは持つまい。流れる血は夥しく、紅棘の呪詛は残留している。内臓も半数は潰れ、左腕は喪失している。

 それでも倒れないのは矜持が故か。乱すことなく魔術を行使し、進軍を再開したキュクレインを妨害する。精度、威力共に衰えはなし。更に降り注ぐ暴威の雨。そこに黄金の尾を引きながら、無数の剣も加わった。致命傷を負いながらも、攻撃は苛烈さを増していく。空はバチバチと音を立てながら電雷を束ね、大地は間断なく爆裂し、抉られる。足を止めることは叶わずとも、遅らせる事は出来るのだ。死を予感しながらも、士狼は淡々とした様子で戦況を俯瞰する。彼我の優劣は明らか。電雷は溜めても致命に至らず、魔術は浅く傷を付けるに留まる。━━敗色は既に濃厚。治癒は接近までには終わらない。ならば死ぬかといえば、別にそうでもない。接近を止められずとも、遅らせるだけなら幾らでも出来る。手詰まりなどでは断じてない。

 ならば、今は全力で時を稼ぐのみ!方針を明確に定めた士狼は、次なる権能を放つ為に機を見計らいつつ、魔弾の雨、剣群の量と密度を底上げする。呪力は地脈から吸い上げるだけでは到底足りない。遠く極東との繋がりから、貯蔵していた呪力を更に引き出していく。そして、魔弾を魔砲へと昇華させつつ量を増やし、千の剣を同時に射出しながら回収する。その様、まさしく滅びの嵐。破壊の雨ですら、もはや言い表すには生温い。着弾すれば焼け焦げた大地が弾け飛び、魔槍で弾けば大気が悲鳴を上げる。その光景を敢えて現代に当て嵌めるならば、そう、戦争こそが相応しい。数千、数万の人間が兵器を携えて殺し合う地獄の窯だ。そこにミサイルを叩き込み、核弾頭まで頭上で出番を待つが如き有り様である。

 だが、その地獄の中であっても、キュクレインは健在だった。

 鋼の肉体、獣を思わせる体躯の損傷は軽微。肌が焼け、少なからず傷が付こうと支障はない。ルーンを封じられようと、魔槍の冴えは未だ健在。疾走を妨げられるが、しかし確かに前進している。ならば焦る必要もなし。狩りとまではいかずとも、しかし相手はすでに死に体。時間稼ぎに徹している様だが、それもまた無意味なのだ。愚かなり!蛮勇なる嵐の王、神をも殺す人の勇士よ!汝、我が身を討つに能わず!内心で嘲りながら叫び、それでいて冷徹に詰めていく。魔砲の雨、剣の豪雨。滅びの嵐。これを越えるのは、もはや時間の問題だ。

 では、天に位置する大電雷はどうか?━━愚問なり、我が一投にて打ち破れよう。
 ならば転移の魔術はどうか?━━笑死!発動するまでに刺し穿つだけのこと!

 ゆえに、虎視眈々と機を窺う士狼に対し、キュクレインは接近すれば殺せると断定した。転移は発動までに致命的なラグと隙がある。それは初回で既に見破っており、対処は容易い。大電雷は、単純な力技でどうにでもなる。確かに、キュクレインの判断は間違っていない。迂闊に転移を使えない事など士狼も把握済みであり、また大電雷も通じない事は分かっている。接近すれば死ぬとも悟っている。だが、まだだ。まだ、終わりではない。神と神殺しの戦はそう易々と終わるものではないのだ。或いは、士狼の権能が一つならばこれで決着だったやも知れない。しかし現実はそうではなく、都合三柱より、彼は権能を簒奪させしめている。

「嵐の王の御名の元に!降れ、大地の柱。地の王権!我は偉大なる山の王とならん!」

 迸る呪力に呼応して大地が揺れた。怪訝な顔をしたキュクレインの両側、その大地が津波の様に競り上がる。嵌められたか……!僅かに驚愕の色を滲ませながら、大地の波涛が大英雄を呑み干した。流動する大地、豊だった緑の残骸共。それらが内部で抵抗するキュクレインを潰す為に積み重なっていき、遂には小山が完成した。ぬぅ……、と。苦し気に息を吐く士狼。未だ鳴動する大地に立ちながら、中々癒えない傷を思わず抑えた。あれは呪いの魔槍。生半可な治癒の魔術で破れる道理も無し。このまま続行する他あるまい、と。そこまで判断した瞬間、()()()()()()。中央に位置するのは、両腕で小山を引き裂いたらしいキュクレイン。次の瞬間には魔砲と剣群が降り注ぐが、消耗した様子もなく対応していく。

 ケルト神話最強の大英雄、太陽神の息子。それらの名に恥じぬ無双であった。彼我の距離は、既に残り数百メートルといったところ。隙間が生じれば、刹那の内に詰められる程度の距離である。地鳴りが止んだ。豪雨に大地の礫が混じり、権能によって変質したそれは、一つ一つが小山と同等の質量を誇る。当たれば、キュクレインといえども足止めは必死であろう。完全に足を止められる危険を察知し、魔槍が礫を優先して迎撃していく。時折足元が不自然に歪み、足を捕らえようとするが、その程度は誤差にすらならない。僅かな拘束すら許さず、踏み出す力で引きちぎっていく。

 だが、士狼の顔に浮かんでいるのは余裕の笑みだ。そして、僅かに転移の兆候が見えた。滅びの嵐に、僅かな間隙が生まれる。━━馬鹿め、権能を破られて自棄にでもなったか。侮蔑を顕にしたキュクレインが、多少の被弾を無視して突撃した。神速の進軍、絶死の一刺し。紅き魔槍は確かにその細い体を捉え、キュクレインの手には心臓を貫いた感触が伝わってきた。だが、何かがおかしい。獣の直感でまだ終わっていないと察したキュクレインは、その遥か後ろ。数キロ離れた位置から紡がれた言葉を確かに聞いた。━━そら、これでも受けるがいい。俄に世界が暗く染まる。だが、既に嵐に覆われた空だ。これ以上何があるというのか。

 訝しげに天を見上げ、刹那、





 ━━巨大な山が大地に墜ちた













国立公園「俺が何をしたこの外道共ォー!」