第137回 高橋 信彦 氏 (株)ロードアンドスカイ 代表取締役

4. 愛奴のメンバーとして吉田拓郎のツアーサポート


−− 全員、学校を辞めて広島に戻ったんですか?

高橋:いや、休学にしたメンバーもいました。私と町支は学校を辞めたんですよね。

−− 東京のアパートはどうされたんですか?

高橋:私と町支はそのときから腹をくくっていたので、二人で中野のアパートに住んでいたんですよ。どっちにしろ今回の広島行きは練習をして曲を貯めるための一時的なものだから、中野のアパートは残しておこうと、ルイードのバイト仲間に又貸しをしました(笑)。

−− 広島での日々で、バンドとしても成長されましたか?

高橋:そんなこともないんですけどね(笑)。なんとなく場数は踏んで、東京だと練習するだけでしたが、広島ではデパートの催事場とかに出させてもらって、小さな町ですからバンドの名前も知れ渡り、結果それがNHKの人の耳に届き、拓郎さんとの仕事に繋がっていくんです。

−− それにしても無謀な若者たちですよね(笑)。

高橋:結果から見るとラッキーですよね(笑)。浜田省吾のソニー初代ディレクターに蔭山敬吾さんという方がいるんですが、この人は広島フォーク村の私たちの先輩であり、拓郎さんの後輩だったんですね。この人がソニーミュージックに就職して、最初は営業だったんですが、NHKのFM番組に出させて貰ったときに録ったテープを浜田が蔭山さんに渡したんです。その頃、レコード会社の知り合いなんて蔭山さん以外いませんでしたし、唯一の知り合いの蔭山さんに「聴いてみてもらえませんか?」と。それが蔭山さんの先輩である拓郎さんに渡されて、拓郎さんも高校生の頃の私たちを知っていたので「あいつら、バンドをやっているんだ」と、オーディションをやることになり、スタジオに呼ばれたんです。

オーディションでは自分たちの曲をやったんですが、これは自分たちのバンドとしてのオーディションなのか、拓郎さんのツアーのオーディションなのか、とにかく分からなかったんです(笑)。結局そこではレコードデビューの話は全くなくて(笑)、「ツアーやんない?」みたいな話だったんですよ。

−− 拓郎さんのツアーのサポートですか?

高橋:そうです。「サポートするほど上手くないのにな…」とは思ったんですけどね。だって、前年のツアーなんて、それこそ岡澤明さんとか一流プレイヤーばかりでしたから、私たちなんて比べようもないです(笑)。ただ、拓郎さんがボブ・ディランとザ・バンドのツアーを観に行った影響で、「バンドと自分」みたいなイメージしたらしいんですけど、「でも俺たち”ザ・バンド”じゃないぞ」みたいな(笑)。

−− (笑)。

高橋:もちろん喜んでやりましたけどね。

−− そもそも浜田さんって昔からドラムをやっていたんですか?

高橋:いや、最初4人で週一回新宿でリハーサルを始めたときに、初めてドラムを叩いたんです。ですからパターンなんか叩けやしないし(笑)、そもそも私のベースとギターの町支はパートが決まっていて、あとはドラムとキーボードが欲しいと。浜田も山崎も二人ともキーボードもドラムもやったことがないですから、二人でじゃんけんをして勝った方が好きなパートを選べると(笑)。最初、山崎が勝って「ドラムをやる!」と言ったんですけど、気が変わってキーボードになり、浜田がドラム(笑)。ただ、浜田は神奈川大学の軽音の部室が使えたので、そこでドラムを練習できたんですよ。「じゃあドラムは浜田のほうがいいよね」みたいな(笑)。

−− 拓郎さんのツアーの思い出は何かありますか?

高橋:「落陽」という名曲がありますよね。当然セットリストに入っていて、事前にテープを貰い、聴いていたんですが、1、2回リハをしたら「はい、次」みたいな感じだったんですよ。それ以降、リハで「落陽」はやらなくて、いつの間にか「落陽」はギター弾き語りになっていたんですよね(笑)。

−− 「こりゃ駄目だ」と・・・(笑)。

高橋:そうそう(笑)。

−− その後、愛奴はデビューが決まりますね。

高橋:74年の春と秋の拓郎さんのツアーをやらせて貰い、その間に拓郎さんの事務所のユイ音楽工房からデビューさせて貰えるかも、みたいな感触はあったんですよ。で、私たちもそれを期待していたんですが、ユイからは別のバンドがデビューすることがすでに決まっていたらしく、「バンドは2ついらない」ということになり、話が立ち消えになったんです。そこで蔭山さんが動いてくれて、秋のツアーが終わるまでにCBSソニーからレコードを出す算段を整え、当時、山口百恵さんのホリプロサイドのディレクターだった川瀬泰雄さんを紹介してくれたんですよ。その川瀬さんはビートルズ・フリークでバンドも大好きで、陽水さんもやっていた凄く音楽的な人なので、バンドを気に入ってくれて「じゃあやりましょう」と言って下さったんです。

−− それでホリプロ所属になったんですね。

高橋:ええ。秋のツアーが終わる頃にはそのラインが決まっていたので、12月から1stアルバム「愛奴」のレコーディングに入りました。だから、そこもラッキーだったんですよね。

−− トントン拍子ですものね。

高橋:その時は当たり前のように思っていたんですが、当時ってデビューするだけでも大変だったじゃないですか。愛奴は私以外みんな歌が歌えたんですが、浜田はドラムが大変でしたし(笑)、彼自身はボーカリストとして自分をあまり認めていなくて、メロディーメーカーとしての才能も自分はあまりないのかな? と思っていたらしいんですが、結局デビューシングルも浜田の詞曲ですしね。