生命学者の森岡正博氏が恋愛工学の批判を展開している。恋愛工学のような女性蔑視的なノウハウに対して、森岡氏が「女性蔑視でない本物のアプローチ」として持ち出しているのがご自身の著書である『草食系男子の恋愛学』だ。
出版当時は結構話題になった本で、当時読んだ時にはあまりこの本に対する感想をうまく言葉にできなかったのだが、今改めて読み返してみるといろいろと思うところもある。
せっかくなので、この場でこの本の感想を記しておきたい。
全体を貫く真摯なトーン
まずこの本は「反恋愛工学」を主張する森岡氏の手になるだけあって、全体として非常に真摯な書き方となっている。
対象としている男性は「草食系男子」というよりは「女性とのコミュニケーションを苦手としている男性」で、そのような人のために女性を気遣うとはどういうことか、会話する上で気をつけなくてはいけないのはどういうことか、といった基本的な事柄が解説されている。
このような本にありがちな「モテ男が上から目線で説教する」といった雰囲気もないし、全体として女性が苦手な男性の気持ちにかなり寄り添うような書き方になっているため、雰囲気としては好感が持てる。
マッチョになれない男性に無理に自分を変えろと脅迫してくるところもないし、男性の魅力というのは多様なものなのだというメッセージも、自分に自信を持てずに苦しんでいる読者には福音となるかもしれない。
あとがきに書いてある著者の暗かった青春時代の告白についても、共感的に読める人は多いのではないだろうか。
「実用書」として見た場合には物足りなさもある
しかしその一方で、この本を「実用書」として見た場合、疑問符のつく点もいくつかある。
例えば本書には、「髪型などのちょっとした変化に気付いてそれを伝えること」を推奨している箇所がある。しかし、こうしたことをした結果、かえって気持ち悪いと思われてしまった男性もいるし、職場で同僚の女性にこうしたことを指摘するのはセクハラになる可能性もある。
また、相手との関係性がもっと進んだ場面で、女性に自分の弱さを告白することが大事だと説いている部分がある。
女性は、自分が内面告白の相手として選ばれたことに、特別なうれしさを感じる。「私だけにさらけ出してくれる」というのは、素敵なことである。自分の弱さを見せてくれる男なら、女性の側の弱みもきっと肯定してくれるだろうから、この男のそばに自分の「居場所」が見つかるような気がする。これは、弱くなることによって男と女はつながっていけるという話でもある。
このように書いてあるのだが、実際に女性にネガティブな部分を告白したら「ありのままの自分を受け止めてくれというのか」と嗤われてしまうというケースも存在している。
まあ、これは少々やりすぎてしまったのだろうが、このように自分の弱みを告白すると「なぜ営業マンから自社製品の欠陥を聞かされなくてはならないのか」と反応する人もいる。
以前、「男の弱さは弱さをさらけ出せないこと」と分析しているエントリが話題を読んでいたが、さらけ出せないのはこのように言われてしまうリスクがあるからだということを理解しなければあまり意味のある分析にはならないのではないかと思う。
本書は「反恋愛工学」の書と位置づけられているだけあって、相手に対してとにかく誠実であることを説いているのだが、この点が本書の長所であると同時に弱点でもある。世の中には「優しいだけの男は物足りない」といったことを主張する女性も少なからず存在するので、そうした女性には本書の方法では対応できない。
誠実であることが何より大事であるのなら、この世に不倫をする人間など存在しないのだ。
詳しいことはわからないが、恐らく恋愛工学にはそういう「物足りない男」にならないためのノウハウも存在しているのではないかと思う。恋愛工学の女性蔑視を指摘するのは良いが、恋愛工学に対して誠実さ一点張りの本書の内容が実用性という点で対抗しうるのかと言われるとそれは疑問だ。
もちろん、実用的だからと相手を貶めてはいけないというのは全く同意。
想定している女性像が偏っていないか
本書を読んでいると、「女性がいかに男性を脅威に思っているか」という点が何度も繰り返し語られる。一般論として男性の方が女性より力が強く、体格も良いのでそのことを否定するつもりはない。
しかし、そこまで女性が男性を脅威に思っているのなら、威圧されそうな高身長の男性が好まれるのはおかしくはないか、という疑問も出てくる。
そんなに怖い男性に女性から近寄っていくということもあり得ないだろう。
しかし実際問題、女性の方から男性に積極的に近寄っていくことなどいくらでもあるわけで、どうもそうした女性は本書では想定されていないような節がある。
はっきり言えば、本書は男性が怖くて、かなり強い警戒心を持っているタイプの女性を想定しているのではないかと思う。
本書の感想として「これは純真無垢な女性にしか効果がないのではないか」というものをいくつか見かけたが、確かにそうした女性は男性が怖いと思っていることは多いだろう。
時折差し込まれる著者自身のジェンダー論
本書は男女関係を成功させるための実用書であるはずなのに、要所要所で森岡氏自身のジェンダー論が入り込んでくる場面がある。
女性がいかに社会的に抑圧を加えられているかということが語られ、男性はそうした女性の立場を理解しなくてはいけないという主張が展開されるのだが、こうした主張を余計なお説教だとして押し付けがましく感じる人もいるようで、amazonでは一部こうした部分に対して反発するレビューもあった。
個人的にも、これは「実用書」と森岡氏は位置づけているのだから、そうしたことを説くスペースをもっと「技術」の解説に割くべきではないかとは思ったが、恐らくこの本は実用書の体裁を借りた森岡氏のジェンダー論なのだろう。女性の社会的抑圧を男はよく理解し寄り添りそえるような存在であれ、ということなのだが、そうした個人的主張をこの場に混ぜるのはどうか。
それは森岡氏が個人的に推奨する倫理であって、恋愛成就という実用の話とはまた別問題だろう。森岡氏が男性に政治的に正しい存在であることを求めるのなら、それはノウハウとは別枠で語るべきことではないだろうか。
本書ではテクニックに走る男性は止められない
色々と書いたが、自分は本書の通奏低音である誠実さを前面に出すという姿勢には好感をもっている。ただそれは「人として」そのような人は自分には好ましくみえると言うだけで、その姿勢が恋愛における成功と結びつくかどうかは別問題だ。
恐らく恋愛工学に走るような人は本書の推奨するやり方が綺麗事としか感じられないのだろうし、実際問題、誠実さ一点張りでは上手く行かないことは現実にはいくらでもある。
そのような人達に対応する術を、本書は持っていない。
id:Ta-nishiさんがこちらのエントリで書かれている通り、森岡氏の「正しい」言葉は、その正しさが通用しなかったと感じている人には届かないのではないかと思う。
恋愛工学に限らず、世の中には 女性心理をつかむとする心理テクニックはいくらでも流通している。
森岡氏はそうしたものを悪しきものと考えているようだが、これらが誠実さだけでは上手く行かない人を補完するものである限り、それらは求め続けられるだろう。
いくら有効であってもモラハラを含むテクニックは使用すべきでないという主張には同意する。
しかしその対極として誠実さを持ち出すのも、どうにも胡散臭いものは感じる。
倫理を守ることと、成功や幸福が得られるかはまた別の話だろう。
誠実であることは人として大切なことだが、それで万事うまく行くなら誰もノウハウなんて求めることはない。
この辺のことについては、こちらのツイートの内容がよくまとまっている。
というのは、「恋愛工学」みたいなものの正反対の位置に「恋愛普遍主義」があるからだ。
— 烏蛇 (@crowserpent) 2015年3月9日
恋愛のテクノロジー化を嫌う人たちは、得てして「人格や誠実さがちゃんとしてればいつか良い人に出会えるよ」的な結論に持っていってしまいがちなのね。
でもそれは(「恋愛はテクノロジーでうまくいく」という話と同じくらい)嘘っぱちだ。「良い人に出会えるかどうか」は「運」と「縁」の要素が圧倒的に大きいから、本人の資質とか性質とかと何の関係もなく「出会えない」ことはいくらでもある。
— 烏蛇 (@crowserpent) 2015年3月9日