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ああ、こんなことより、なんで俺はこんなことへの分析を深めているんだ?と自責したくなる。 ちなみに、現在の論理展開には、先日語った「魔術について」、「描きたいことの明白化」の思考構造を使っている。 「人の意志というもの」についての考察の一環、ということになると思う。
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どういう結末を「おままごと」で演じたい?ということになる。 「やりたい」という衝動発生時から、「何をやりたい」という部分は「おままごと」として明白になっており、「おままごと」として「どういうこと」がしたいのか、というのも付随して「最初の瞬間」から存在している、っぽい。
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まあ、無理矢理「夢」とこじつければ、登場人物の思考と台詞が、なぜか、そういう方向に勝手に進んでいってしまう、ということを読者が「許している」という、ひとつの承諾・契約のもとに話が進んでいる感じがある。
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この即席なおままごとカップラーメンなセカイ系のバランスは、セカイ系特有のシナリオ展開の「癖」にも勿論当てはまると思う。 そのシナリオの進み方は決定論的でも運命論的でもなく、無理矢理こじつければ予定調和であり、要は、結末から遡って作られていった故の変な重力感がある。
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しかし、そのもの自体(セカイ系というもの自体)が、そういう肉を持たない(我々が有意味な要素として数えられる構造を持たない)、ということも半ば明らかになってくる場合、どうするべきなのか。 まあ、「夢」と「おままごと」に栞を挟んでおけば、そこにいつでも立ち戻れる。そこが割れ目。
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しかし、まあ、「応用しようのない定義」になりつつあるので、「知る必要がある人」が居ないと思う。 「超」抽象的な部分を見据えているので、これでは、「カラー写真を撮った」というより「レントゲン写真を撮った」という感じに近い。 現実的な有用性を持たすには、もっと物質的な肉が要る。
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…、ビジョンを描写しながら定義しながら、なんて不毛で無意味な概念について形状を持たせているんだろう…、と思えてくる。 セカイ系って、きっと、定義できてしまうと、そこまで大層なものではないと思う。 まだ、もう少し「もうちょっとスケールのでかい本体であってくれよ」と期待してしまう。
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「今食べたい」「今出来上がれ」という衝動に焦点がある限り、そういった細部には目が行かない。そういう構造になっている。 細部に目が行った時点で、「食べるのは、もう少し時間が経ってからでいいや」という意識に変わっている。 ここを変えたくない。「今じゃないとやだ」そこにセカイ系がある。
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例えば、インスタントラーメンを使いながらも、大規模な調理計画を立てて、本格的な料理に仕上げることも可能だと思う。 この時、何が増されたのか。「作る世界」(作る料理)にかける時間・調理方法・そもそもの素材の使い方などを細かく見直し計画し準備した。 この時、「焦点」が細部に移った。
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そういうバランスを持ったものとして、現実上において、「おままごと」というものがある。 恐らく幼児の持つ、同様の焦り・衝動が、今すぐ「即席家族」を作りたがったんだろうな。 今、この「おままごと」内世界を具体的に建築するのに用いる意志や材料のバランス(調合具合)を見ている。
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「セカイ系」というものは、その7日間で作る世界の日数的な尺度で言えば、「3分で作った世界」だ。カップラーメン。 今すぐ食べたい。1時間も調理していたくない。もう出来上がってくれ。そんな質で良い。なぜなら「食べたい」という衝動のほうが先走っているから。そういうバランス。
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実は「世界」というものは、それを作り上げるまでに、「どれだけ準備をしたか」がその最終形に非常に強く影響する。 という一文が必要そうだ。 例えば、旧約聖書において神は7日間かけて世界を作った。それだけの準備とプロセスを「必要」と定めて、その結果できあがるものを「世界」とした。
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「やりたい」という気持ちが先走る。もう走っている。なので、手っ取り早く集められる素材や人材しか使えない。走り始めてから集めるのだから、丁寧に時間をかけて材料を選べないし作れない。その素材の完成度よりも「やる!」という衝動のほうが優先される。そんなバランス。
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「ただ、知っていることを並べるだけ」にはしない、という自己の精神を保つ力が要求される。こういうものの読解・ハンティングには。 「夢」であるが、(セカイ系について)重要なのは「夢について」ではない。「そういう遊びをしたい」という作者・読者の気持ち・衝動が重要である。
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何度も言うが、「精神分析学的な蘊蓄に逃げないこと」。これが重要。 ここでラカンだなんだと語り始めると、セカイ系について語ったつもりになって、結局何も語られていないまま「解説者の気が済んで」終わる。 これでは、解説者がセカイ系の網に取り込まれてミイラ取りがミイラになった様なもの。
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そのためには、 「君と僕」というのを、「おままごと」に参加してくれる兄弟姉妹や近所のおともだち、という風に書き換える。 そして、 「夢」と「おままごと」を、「同じ空間」での「同じ行為」として考える。 夢における舞台は無意識が勝手に用意してくれる。これが描写されない社会領域。
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音楽理論としては、この衝動とは傾きであり、それは「ドミナント」機能のコードである、という風になるのだが、分野の垣根を越させる前に、文学の分野なら文学の中だけで「仕留め終えて」おきたい気がする。 はやいところ「セカイ系」という虫の息の根を止めたい。終わるのなら本当に終わらせたい。
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「~したくてたまらない」というcan't help ~ingの感じは「ロック」(音楽ジャンル)とされている。 そういう衝動に対しての、衝動の現れ方、衝動の方向性によって、ロックであったりセカイ系であったり、それ以外であったりと、分類されているかもしれない。
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ハリボテであっても別に良い。そういう点を見ているのではない。 ハリボテを使ってでも「演じて遊びたがった」おままごとの参加者、その人達の「やる気」「動機」というものが焦点だな。 おままごとをやりたくて仕方が無い。そういう心の動き。 ポスト真実で言えば現実を更新したくてたまらない。
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ラーメンだ、というのは半ば冗談であるが、「本物の代わりに化学調味料でそれっぽくしてある」という部分は、真面目に「セカイ系」の本質だと思う。 セカイ系は現実ではない。 セカイ系は夢であるが、ここで精神分析系の蘊蓄で装飾せずに、そのハリボテの実体を直視する。
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