追憶の1970年フォークジャンボリー


遠望」の言葉がとても懐かしい時代になって久しい。
遠望の、このアジャパースチャラカな時代を感じるにいたっては、70年のあの熱気がバーチャルリアリティだったのかと思われてしまうほどである。
しかし36年前のあの熱気・熱狂・狂気(?)は、紛れもない事実であり、スーパーリアリズムであった。

当時、私は高校生だった。
岐阜県の中津川でフォークソングの大きなコンサートが開かれるというので、岐阜市に住んでいた熱狂的フォーク少年だった私は、矢も盾もたまらず参加したのだった。
あの頃はまだ、蒸気機関車が現役で走っていた
夜汽車ならぬ、朝の汽車は、「なんかいいことないかとおー走ってゆくのですう〜!」By・エンケンなのである。

坂下町に着いたのはいいのだが、会場まで行くバスが乗車率200%の満員で、やむなく歩いてゆくことにした。
駅から会場までは結構遠かったような気がするのだが・・・?。
ギター、カメラ、8ミリ撮影機、カセットデッキを担いで、あの山道を歩くのは本当にハードだった。
途中で民家の方に、水をいただいたき親切にしていただいた記憶がある。

会場に近づくにしたがって幟や旗が見え隠れして、気持ちが盛り上がっていったのをのを覚えている。
入り口では、楽焼で作った通行手形を入場料800円と交換してもらった。
70年の通行ペンダントは陶器だったが、71年は金属をあのマークに型抜きしたものだった。
漏れ聞く所によると、あのジャンボリーマークは「ドスケベマーク」とも「中津川の中の文字」のデザインだとも言い伝えられているが定かでない。

会場は、幟や旗がはためいて、コンサート盛り上がりますって感じがモーレツ!にしてきたものだった。
今から比べれば全然ビューティフル!でない素朴なセットであるが、それがまた、イカス!のであった。
人生楽ありゃ苦もあるさ!先ほどの、ヘビーな山道の事も忘れ、私の心は日本のウッドスットクの雰囲気に呑みこまれ、シビレル!のであった。

入り口付近には、公式Tシャツやフォークリポート新譜ジャーナル、URCレコードなどが販売され、フリーマーケットの店店が数珠繋ぎに並んでいた。
髭ズラ長髪ヒッピーは少数派!青年団風、登山同好会風の人たちが主流の中で、フォークのスター達は、やっぱ目立ちまくっていた。
楽屋では、フォークの神様と呼ばれていた岡林信康氏や、はしだのりひこ氏、五つの赤い風船のメンバーが、うろうろしていた。
熱狂的フォーク少年の私にとっては、チョーカンゲキ!アッと驚く為五郎っ!ってな感動で心は一杯になってしまっていた。
私は、感激してシャッターを、激写!激写!激写!したのであった。
そうしてこうして、濃厚な興奮の時間は進んでいくのである。

追憶の1970年全日本フォークジャンボリー その2

このジャンボリーに出演して、メジャーになったミュージシャンは、結構おおぜいいるのではないかと思う。
それは、もう、本人の才能と実力がものをいっているのではあろうが、あのイベントに参加していなければ無名のままだった・・・とゆう人も結構多いはずだ。
なぎら健一加川良遠藤賢司、あたりなど、この70年のライブでブレイクしたシンガーである。
71年ににおいては、吉田拓郎三上寛あたりがスターに伸し上がったといっても良いだろう。

岡林信康は,AJFJ(全日本フォークジャンボリー)が頂点だったのではと、後に思うと感じられる。
しかし、岡林のライヴは、すごかった!!全員総立ち!全員大合唱!「私達の望むものは」「おまわりさんに捧げる唄」・・・・・
会場を監視していたおまわりさんは、さぞ肩身の狭い思いをしたのかもしれない。
「今日を越えて」「だから ここに来た」などなど記憶に残る唄がたくさんある。

遠藤賢司もすごかった!ギター一本なのに、まるでフルバックのバンドに聞こえてしまうギター奏法に、観客は仰天したにちがいない。
「君はまってたんだあー大きな刃のついたノコギリもってえーギーコラアーー」とシュールな歌詞を歌いこむエンケンは、強烈な印象を残したまま今にいたっている。
70年AJFJで、エンケンの名は日本のフォークの殿堂入りを果たし、永遠に名を残すことになってしまったのだった。

もう一つの山場といえば、五つの赤い風船であろう。
会場は、もう夕暮れから夜になり、「遠い世界に」を合唱し、「血まみれの鳩」をじっくり聞き、最後は「OH今も昔も変わらないはずなのに 何故こんなに遠い 本当のことを言ってください これが僕らの道なのか・・・・」とほとんどノリだけの意味不明な歌詞を、熱狂的に歌いこむ西岡たかしを台風の目として会場の全員が、疾風怒濤、狂喜乱舞の渦となっていったのだ。
自分に陶酔しすぎて、結構危ない人も大勢いたようだ。
当時「ルンペン帽」と呼んでいたチューリップハットが夕暮れ時に歌にあわせて揺れる様は、時代の象徴のようでもあった。

ああ、それから浅川マキのステージも、かなり盛り上がった。
今は亡き寺山修司の詩に、浅川マキの声は、これ以上ってくらいよくマッチして、浅川ワールドに聞き惚れてしまっていた。
かもめ」「ちっちゃな時から」「ガソリンアレイ」最後きわめつけ、「夜が明けたら」を歌いまくったのだった。
夜が明けたら、夜が明けたら、夜が明けたら、、夜が明けたら・・・・・・
深夜であったので、夜はまだ明けはしなかったが・・・・

真夜中には、岡林信康のライヴ。
熱狂的、狂信的、酒池肉林(ウソ)朝三暮四?四面楚歌???もうこれ以上盛り上がれないほど盛り上がり、岡林のライヴが終わったころは、時間も時間だし、みんなヘトヘトになっていた。
眠い、、とにかく、眠い!!そんな訳でみんなその場で、眠ってしまっていた。

座ったまま眠る人、寝袋で毛布で、そののまま地面に寝っころがる人、ほとんどの人が眠ってしまった頃、南正人氏のライヴ。
みんな寝ちまって誰も聞いてやしませんぜ・・・・・!
「果てしない流れに咲くうー一筋の愛ー」・・・・でも私は聞いてましたぜっ!。
南正人のファンだったので、「ジャン」「男と女のブルース」などなど、しっかり聞いていたのだった。
捨てても捨てられても恨みっこなしさアー・・・・・・なのである。

追憶の1970年全日本フォークジャンボリー その3

朝になり、ボォ〜とした頭で目が覚めた。
周りは、眠たそうな観客で埋め尽くされ、会場はシィ〜ンとしていた。
坂下町は山の中だ。
夏とはいえ、少し肌寒い空気に包まれながら、朝靄が朝の光にに取って代わっていくのだ。
白々してゆく会場は、昨日とは違った雰囲気を発散していた。

「オハイヨ〜!オハイヨ〜!」と、ステージから知らないジョンレノンもどき外人のミュージシャンが叫んでいた。
そんなこんなで、朝になり、またライブが始まったのだった。

多くのミュージシャンたちの歌が続き、昼近くになった。
そして最後には、また、岡林信康の怒涛のライブだった。
さすが、に声を張り上げて歌う岡林も、だいぶ擦れ声になっていた。
しかし、盛り上がりは昨晩と同じか、それ以上の熱狂ぶりだった。
はっぴいえんどの演奏もとてもパワフルで、日本のロックバンドも良い感じじゃないか!と思わせてくれた。

名残惜しい気持ちを残して、日本最初の野外コンサート・フォークジャンボリーは終わった。
私は、ゴミだらけの会場を後にして、坂下町の駅に歩いて行ったのだった。

駅の構内で早川義夫氏にバッタリ出会った。
どこから見ても見るからに100%早川義夫氏だった(笑)
サインをもらおうかと思ったが、適当な紙などがなく、諦めた・・・・



ジャンボリーは終わってしまったが、私のフォークへの熱い気持ちは冷めやらず、「青春デンデケデケデケ」よろしくフォークロックバンドなど組んで、高校の文化祭では騒ぎまくった。
ほら!こいつが青春の1ページってやつだぜ!
・・・・いい思い出といってよいだろう。

その後70年フォークジャンボリーの映画「だからここに来た」が出来、岐阜の町でも公開されたのだった。
しかし、十数人しか見る人がなく、大赤字のようだった。
その時の人たちとは、36年経った今でも交友関係が続いている。

一期一会!
その時その時代その人でなければ起こらない事って、いっぱいあるのだ。
フォークジャンボリーもその現象の一つであることには、間違いないであろう。
あの時代あのイベントに参加出来たことは、貴重な体験であったと思う昨今である。

追憶の1971年全日本フォークジャンボリー


1971年にもAJFJは開催された。
1970年も1971年も会場の雰囲気は、まったく変わってはいなかった。
会場の場所、入り口、乱立する幟。
違う所といえば、ステージが少し大きくなったところ、サブステージの数が増えたところ、出演者が増えたこと、そして一番大きく違ったのは入場者が3倍に膨れあがったことであろうか。
おそらく、椛の湖では、70年の8000人が限界だったと思われる。
その人数の3倍近くがおなじ空間に詰め込まれたのだから、ストレスもたまったことだろう。
2泊3日のコンサートになる予定だったが、途中舞台が占拠され、幻のコンサートと化してしまった。
このころ、フォークソングの状況は、かなりアバウトに、いいかげんに分類すると、「思想性の強いメッセージフォーク」と「音楽性を重視する、ニューミュージック系」とに、二分化されてきた頃であったように思われる。

その中で、開催されたジャンボリーは、呉越同舟状態とゆうか、なんでもかんでも詰め込んでしまい、ゴッタ煮になっていたような感じを受けたのは私だけではないと思う。
そのような環境であったので、まあ、ステージ乗っ取りハプニングは、起こるべくして起こった、といった感を免れない。
もっと簡単に言えば、観客の気持ちが、吉田拓郎派と岡林信康派、関西フォークとそれ以外のフォークに対立してしまったといったほうが、判りやすいかもしれない。

そんな状況なので、私といえば、コンサートもろくっすっぽ聞かずに、アウトドアライフを楽しんでいた。
(そういえば、ミッキーカーチス氏もうろうろしているのを、よく見かけ申した)
ライヴを聞いたミュージシャんといえば、吉田拓郎氏、岡林信康氏、はっぴいえんど、ミッキーカーチス氏ぐらいしか覚えていないありさまなのだ。
それ故、71年の記憶は、あまり定かでないとゆうのが本当のところなのだ。

これを期に、フォークソングは衰退の一途を辿る運命となった・・・・・
と思いきや、一部のシンガーたちは超メジャーになってゆき、マイナーな人たちも今も現役で歌いつずけている・・・・・
これがフォークと呼ばれた音楽の輝かしい?現在の状況なのであろう。


そういえば、最近、生ギター一本のストリートミュージシャンよくみかける。
みんな、若いぞ!先日も岐阜駅前で唄っているのを見かけた!
岐阜のような所でも見かけるんだから、大都市では、ウジャウジャいるんだろうね、きっと。

去年の夏には、大垣市のひまわり畑で、二十歳くらいの女の子が二人、なんと白いギターを持ってうろうろしていたのを発見した。
女の子二人、白いギター&ひまわり畑、いったい今はいつなんだー!?と思いましたなっ!
君達は「シモンズ」なのかー!!と心の中で叫んでいる俺がいた(笑)

(※追記・この方達がCDデビューしたとの噂を聞き及んでいます。やはり21世紀のシモンズだったのですね。あるいはピンクピクルスヴェッツィ&クリスか、もしかしてジュン&ネネ?)


遠望楽観 フォークジャンボリーの標語的四文字熟語。遠くを見ると楽観的になれるの意味合いか?それとも、未来は明るいの意味か?
アジャパー 喜劇俳優の伴淳三郎が使用していた言葉。ガチョ〜ンみたいなもので意味はないが、否定的な事柄に使用する。
スチャラカ TV喜劇番組「スチャラカ社員」の言語。イイカゲン・C調・無責任、みたいな軽い意味合いで使用される。
スーパーリアリズム 絵画の手法。写真を題材にしてキャンバスなどにリアルに克明に描く現代美術。
モーレツ 当時のCMで”小川ローザ”が白いミニスカートで白いヘルメットを被って「OH!もーれつ!」と言いながら白いパンチラをしていた。
ビューティフル 「モーレツからビューティフルへ!」というCM標語。時代が猛烈から美しさを大切にする方向に変換していくのを表現している。
シビレル!イカス! 賞賛や感激した時に使用する感嘆言語。
チョーカンゲキ! 漫画「マカロニほうれん荘」でトシちゃんが「チョーカンゲキッ!」って言ってなかったっけ?(笑) または「トシちゃんカンゲキ!」とも言う。
ウッドストック ’69年8月15日から3日間、ニューヨーク・ベセルの丘で行われたロック・フォークコンサート。40万人が詰め掛け”愛と平和と音楽の祭典”と呼ばれる。
アッと驚く為五郎っ! ゲバゲバ90分というお笑いTV番組で使用された流行語。クレージーキャッツのハナ肇が長髪髯面のヒッピースタイルで、この言葉を発した。クレージーキャッツの唄う歌まである。
激写 写真家・篠山紀信のグラビア写真のタイトル。
エンケン ミュージシャンの遠藤賢司の略称。
ルンペン帽 チューリップハットの別名。万博ではこの帽子が大流行になった。
青春デンデケデケデケ 芦原すなおの直木賞受賞小説。大林宣彦監督の同名の映画もある。
だからここに来た 1970年フォークジャンボリーの記録映画。女優の吉田日出子のインタビューで映画が進んでゆく。
白いギター チェリッシュの歌にも同名のものがある。土居まさる司会のTVジョッキーで貰える”白いギター”は憧れの的?
シモンズ 女性デュオ・フォークグループ。ピンクピクルスヴェッツィ&クリスも同じく女性デュオのフォークシンガー。じゅんとネネは歌謡曲の2人組。




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