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在日全員が自由意思(密航が大半)で日本に居住・在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人・1959年7月11日付外務省の資料が改めて提供・1959年7月13日付朝日新聞と2010年3月11日付産経新聞で報道・3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」でも・動揺する韓国
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「朝鮮からの大量密航者の写真」
「朝鮮からの大量密航者の写真」

「日本居住の強制徴用は245人」、産経新聞の報道に懸念-韓国

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100312-00000042-scn-kr

「日本居住の強制徴用は245人」、産経新聞の報道に懸念-韓国
3月12日12時32分配信 サーチナ

 11日付けの産経新聞は、自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相が外務省から提供されたとする資料を引用し、1959年当時の日本に居住していた61万人の在日韓国人・朝鮮人のうち、第二次世界大戦時の強制徴用労働者として日本に渡ったものは245人にすぎないと報道した。
 
 上記外務省の資料は59年7月11日付のもので、当時朝日新聞も7月13日付の「大半、自由意思で居住 戦時徴用は245人」という記事で、戦後多くの強制徴用労働者が引揚事業で朝鮮半島に帰還しており、当時在住していた61万人のほとんどは本人の意志で日本に滞在しているとする外務省の見解を報じていた。
 
 この外務省の見解について、韓国では多くの人が第二次世界大戦時に朝鮮半島から強制徴用で日本に連れられており、当時の朝鮮半島の情勢で日本に滞在するしかなかったことなどを勘案すると、信ぴょう性に疑問の残る統計であるとの指摘がなされた。

 一方、外国人参政権付与問題に関連して、韓国メディアは「在日同胞の地方参政権をめぐる政治攻防が激しくなった」と伝えている。外国人参政権付与推進派は在日韓国人・朝鮮人の多くが強制徴用者やその子孫であり、「自分の意志に反し日本に住んでいる」ことを理由の一つとしてあげていたため、自民党と保守団体がこの統計を根拠に、反対攻勢を強めるのではとの懸念もみられる。(編集担当:金志秀)




>11日付けの産経新聞は、自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相が外務省から提供されたとする資料を引用し、1959年当時の日本に居住していた61万人の在日韓国人・朝鮮人のうち、第二次世界大戦時の強制徴用労働者として日本に渡ったものは245人にすぎないと報道した。


真実が日本のテレビや新聞で取り上げられ、韓国はかなり動揺しているようだ。

外務省の資料は昭和34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいないと結論付けている。

念のため言っておくと、「サーチナ」の記事では「強制徴用」という言葉を使用しているが、そんな言葉は存在せず、「徴用」のことを言っているものと思われる。

「徴用」はあったが、「強制」ではなく、「国民の義務」であり、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。
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1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。
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徴用によって炭鉱や工場などで重労働をさせられた人数は、朝鮮人よりも日本人や台湾人の方が遥かに多かった。





>上記外務省の資料は59年7月11日付のもので、当時朝日新聞も7月13日付の「大半、自由意思で居住 戦時徴用は245人」という記事で、戦後多くの強制徴用労働者が引揚事業で朝鮮半島に帰還しており、当時在住していた61万人のほとんどは本人の意志で日本に滞在しているとする外務省の見解を報じていた。


その朝日新聞1959年7月13日付の記事はネット上では良く見かける記事で、拙ブログでも過去に何度も掲載している。

大半、自由意思で居住

大半、自由意思で居住
外務省、在日朝鮮人で発表
戦時徴用は245人

1959年7月13日 朝日新聞

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、 いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。

一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
 また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
 現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
(昭和34年7月13日 朝日新聞)




驚いたことに、このネット上でお馴染みの朝日新聞1959年7月13日付記事が、3月1日放送のテレビ朝日「たけしのTVタックル」(是か非か外国人参政権・日韓併合と強制連行の真偽&在日差別の現実、国境マル秘危機)で取り上げられた!

TVタックル大半、自由意思で居住
3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」

正直言って、テレビ朝日の「たけしのTVタックル」が、朝日新聞1959年7月13日付記事を紹介した時、私は我が目を疑った。

そして、思わず、「お~!やったー!」と言って、テレビの前で歓喜した。

私は、徴用で日本に来た朝鮮人のうち1959年に日本に残って居たのが自分の意思による245人だけだったという真実は、テレビではタブーだと思っていたからだ。





>当時の朝鮮半島の情勢で日本に滞在するしかなかったことなどを勘案すると、


(・人・)ほ? 意味不明!

何の根拠もなく、勝手に勘案するなよ!

当時は、日本に滞在せず、朝鮮半島に帰ろうと思えば簡単に帰ることが出来た。


―――――
マッカーサー元帥のGHQは「在日」の韓国人・朝鮮人の"帰国(引揚げ)"に過剰なほどの支援をなした。
すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供した。

日本の官僚に対して「全員帰国を達成せよ」と厳しく命じた。

つまり、現在の在日韓国人・朝鮮人とは、このとき、たとえ政治的に差別されようとも"外国人"として日本に残った方が経済的に有利であるとか、日本の方が相対的に好きとか、の自由意志を頑なに貫き、GHQの「好意」を断固拒絶したもの、およびその子供や孫たちである。

自ら"外国人"の値を選択したのが故の「在日」であり、その子孫である。
それなのに"外国人"として扱われることを「差別」と称するのは、詐欺そのものだろう。

『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
―――――






●証拠資料

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吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。

朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。

--中略--

さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂

(田中宏「在日外国人」より)

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22-衆-法務委員会-23号 昭和30年(1955年)06月18日
法務委員会委員長 世耕 弘一(世耕弘成参院議員の父)

○小泉純也政府委員

 神近先生(社会党)がおっしゃいましたように、日本に住まいたい者を住まわせて、韓国に帰りたい者は返す、こういうふうに参りますと事は最も簡単で、いろいろの難問題が漸次解決をするのでありますが、問題はそう簡単でなく、極端かもしれませんけれども、六十万と推計をせられる朝鮮_人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても大した言い過ぎではない。

一方向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けないというところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との外交問題と申しますか、もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると思うのであります。

ですから、要するに、こちらは国際的ないわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、御承知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、こちらから、密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇切丁寧にしなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。

これを大まかに考えますと、一体日本のためにやらなければならないのか、日本国民の血税の犠牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないかというようなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。

小泉純也(小泉純一郎の父)政府委員はこのとき法務政務次官


【要約】

六十万と推計をせられる朝鮮_人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても言い過ぎではない。

向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。

こちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けない

密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない


―――――

衆議院 - 第022回国会 法務委員会 - 23号 昭和30年06月18日」の国会答弁

○椎名(隆)委員

朝鮮人は戦勝国といっていばりにいばり抜いておる。

これは日本があまり待遇をよくするから、朝鮮人の連中は、向うで食うに困ったならば日本に行った方がいい、日本に行きさえすれば待遇がいい、日本に行きさえすれば生活ができるというようなところからどんどん入ってくるのじゃないかと思うのであります
―――――



実際に、在日朝鮮人には、戦後になってから日本に密入国して来た者が非常に多い。

これについても3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」で取り上げてくれた!

TVタックル外国人参政権、朝鮮人は戦後も大量密入国
「TVタックル」朝鮮人は戦後も大量に日本に密入国


戦後も大量の朝鮮人が日本への密入国を続けた大きな原因の1つに、いわゆる「済州島4.3事件」がある。

済州島で1948年4月3日、米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した島民(北寄りの共産主義者が多かった)が武装蜂起したことをきっかけに、韓国軍や警察などによる一連の島民虐殺事件が起きたが、この事件の際、3万人から6万人の島民が虐殺され、4万人以上が日本に逃れたという。

その後も長年に亘って島民(共産主義者)に対する弾圧は続き、1948年には28万人だった済州島の人口が、1958年には3万人に減少してしまい、かわりに在日朝鮮人が大幅に増加した。
密航



ちなみに韓国の大学では在日朝鮮人の殆んどが「白丁」など被差別部落民の子孫だと教えているという。


韓国の大学では在日朝鮮人の殆んどが「白丁」など被差別部落民の子孫だと教えている






■動画
マルハンの会長
pachinko(maruhan)


http://www.youtube.com/watch?v=cdr06WIqK0k

●韓昌祐マルハン会長の主な発言

「密航で日本へ来た」

「戦後のどさくさに紛れ、永住権資格を得た」

「文句を言いながら帰国もせず帰化もしない在日はおかしい」

「在日韓国人・朝鮮人は世界で最も立ち遅れた民族である。」







〓〓 まとめ 〓〓

●日韓併合以降、200万人以上の朝鮮人が自由意思で日本へ渡航した
 ※「日帝の差別や虐待のせいで朝鮮に住めなくなった」というのであれば、日本に来るのはおかしい

●戦時徴用は、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。

●戦時徴用で日本に渡航したのは約22万人
 ※そもそも徴用は国民の義務であり、当時は「強制連行」や「強制徴用」とは言わず、「強制連行」「強制徴用」などと言い始めたのは戦後何十年も経ってからだ。

●戦後、GHQの命令で朝鮮人の帰還事業が日本政府の支出で行なわれた。
 ※つまり、朝鮮に帰りたい人はアゴアシ付きで帰国出来た。

●その結果、日本に残った朝鮮人は210万人中60万人だった。

●その日本に残った60万人のうち、戦時徴用で来日した数は245人のみだった。
 ※彼らは自分の意志で日本に残った。
 ※また、GHQの命令による帰還事業が終わった後も、彼らの自由意思による帰国を日本政府は禁止していない。
 ※更に、1959年~1984年には北朝鮮への「帰国事業」も行われ、朝鮮総連が在日朝鮮人に対して「地上の楽園」への帰国を盛んに奨めたが、それでも大半の在日朝鮮人は頑なに日本に残った。


    1945年当時日本に居た朝鮮人  1959年当時日本に残っていた朝鮮人
全体       210万人            61万人
徴用        22万人          たった245人








●その他、戦時中の密航に関する参考資料

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『岩波講座 世界歴史19 移動と移民』1999 岩波書店
1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだため摘発された者もいる。
―――――
密航

『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14

以下略




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