「異端だ!変態だ!奇才だ!」と騒がれ、称賛を浴び、成功を収め、幸福を手に入れた男ティム・バートン。そんな彼の作品史上で最も奇妙だと宣伝された映画。変態映画愛好家として、何がそんなに奇妙なのかとくと拝んでやろうじゃねーか!
目次
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』感想とイラスト さよならティム・バートン
作品データ
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』
Miss Peregrine’s Home for Peculiar Children
- 2016年/アメリカ/127分
- 監督:ティム・バートン
- 原作:ランサム・リグズ
- 脚本:ジェーン・ゴールドマン
- 撮影:ブリュノ・デルボネル
- 音楽:マイク・ハイアム/マシュー・マージェソン
- 出演:エヴァ・グリーン/エイサ・バターフィールド/エラ・パーネル/サミュエル・L・ジャクソン/テレンス・スタンプ
予告編動画
解説
どうやら居場所がなさそうな孤独な少年は奇妙なこどもたちとループのなかで夢を見るというファンタジー・アドベンチャーです。原作はランサム・リグズが2011年に発表したベストセラー『ハヤブサが守る家』。
監督は『ビッグ・アイズ』のティム・バートン。主演は『悪党に粛清を』のエヴァ・グリーンと、『ヒューゴの不思議な発明』のエイサ・バターフィールド。共演に『ヘイトフル・エイト』のサミュエル・L・ジャクソン、『コレクター』のテレンス・スタンプなど。
あらすじ
フロリダで暮らす孤独な高校生ジェイク(エイサ・バターフィールド)。幼い頃から彼の良き理解者として、自分が若い頃に体験した奇想天外な冒険譚を話してくれた祖父エイブ(テレンス・スタンプ)が、突然ジェイクの目の前で奇妙な変死を遂げる。
祖父が残した最後のメッセージに導かれ、ウェールズのケインホルム島へとやって来たジェイク。そこで祖父が若き日を過ごした保護施設を発見するものの、1943年9月3日にドイツ軍による空爆を受けたとのことで、すでに廃墟同然と化していた。
想いを断ち切れないジェイクは、翌日もういちど屋敷を訪れる。すると彼のことを「エイブ」と呼ぶ声が聞こえ、不思議な子供たちと出会い、美しい女主人ミス・ペレグリンが待つ在りし日の屋敷へと迎え入れられるのだった……。
感想と評価/ネタバレ有
「ティム・バートン史上、最も奇妙」なる挑戦的なコピーで我が国へと殴り込みをかけてきた『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』。「はて?ティム・バートンってもともと奇妙だったっけ?」と狂った頭をぬぬぬとひねってしまったのはボクだけでしょうか?
ボクにとってティム・バートンとは「偽変態」にほかなりません。人様と違うことをことさらアピールしながら、その実態は非常に保守的で凡庸ないい子ちゃん。彼ごときを変態などと形容してしまっては、クローネンバーグやリンチはいったいなんと呼んだらよいのでしょう?
てなわけでティム・バートンは正直申しまして嫌いです。しかしこんなに「奇妙だ!奇妙だ!今度はもっと奇妙だぞ!」と連呼されてしまっては、奇妙な映画を生きる糧としているボクのような乞食は観ないわけにはまいりませんので、それではさっそくその感想をば。
奇妙なこどもたち
物語は上のあらすじにも書きましたとおり、孤独な少年が奇妙な夢物語ばかりを語っていた祖父の遺言に導かれ、不思議な女主人と子供たちが暮らす屋敷へと迷い込むというもの。「奇妙だ!奇妙だ!」と騒ぎ立てておるのは、彼らの人と異なる能力によるものです。
屋敷の主人であるミス・ペレグリンは“インブリン”と呼ばれる特殊能力者で、ハヤブサに変身したり時間を操る力をもっております。屋敷で暮らす子供たちも、怪力、透明人間、人体発火現象、空気のような存在、咥内養蜂家などなど、異能の者たちなのです。
予告編で象徴的に使われていたうなじで肉を食す少女のビジュアルは抜群でしたよね。これを底として、フリークスチルドレンたちが暴れ狂うイカした映画なのだな!なんてことは当然なく、結局のところ彼女が最大のインパクトを誇っていたというのがすべてを物語っています。
無生物へと魂を与えて意のままに操るマッドサイエンティストには闇や毒らしきものが微細に感じられましたが、最終的には皆いい子。異端、フリークスとしての悲哀、疎外感、怨嗟のとぐろはここにはなく、姿かたちが普通と異なるだけの快活さがあふれておりました。
「人と違うことは欠点ではなく個性、長所、オンリー・ワンなのである!」と歌っていたおっさんグループもすでにこの世にはないこのご時世に、異端を根拠もなく「いいね!」と言われてもむなしいだけ。世の中そんなに単純にできていたら苦労しないよ。
異端へと向ける共感、愛情、肯定という非常にわかりやすいバートン印の映画で、しかもその対象が言うほど異端ではないというのが彼の凡庸さのあかし。要するに彼の奇妙さには皆の共感が得られるだけの保守性があり、異端を偽装した普通でしかないということ。
閉じられた時間
ミス・ペレグリンと奇妙だけど実は普通な子供たちが暮らす屋敷。ここは1943年9月3日にナチスによる爆撃を受けてしまうので、ミス・ペレグリンの時間を操る能力を使って1日前へと戻り、永遠に時が進まない無限ループを生きているという設定なのです。
平和で安全な永遠に進まない閉じた1日。なんか『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』みたいですが、あの映画にあったようなループ状の夢を生きる背徳感、それを良しとすることへの疑義はこの映画にはありません。そこが彼らの生きる世界だと決められております。
そこにいれば安全で、平和で、楽しく、永遠に年を取らない幸福な時間を送れる。多少は普通に人生の時を過ごすことへの憧れも描写されておりますが、彼らは積極的にここから出ようと行動は起こしません。ここが彼らの居場所であり、ループすることこそが人生そのもの。
このループにいかに対処するかが映画の主題なのかと思っていたら、あっさりとこの閉じられた時間は肯定され、守るべき場所として棚上げされ、物語は善対悪のこれまた非常にわかりやすい図式へと雪崩れ込み、いよいよみんなが楽しめる健全な映画へと成り果てていきます。
戦う子供たち
実は彼ら異能者には敵がいたのです。同じ異能者でありながら悪の道へと堕ちたワイトたち。ある実験によって怪物化した彼らはホローと呼ばれ、人の姿を取り戻すためには異能者の子供の目玉が必要だとか。てなわけで「目玉喰いてえ~」と襲いかかってくるのですね。
そんなホローたちや、人の姿を取り戻したワイトたちから子供たちを守る役目を与えられていたのが、ほかならぬジェイクの祖父エイブだったというわけです。実はホローの姿は人には見えず、唯一見ることができるのがエイブ、そしてその血を受け継ぐジェイクなのです。
何がしたいのかいまいちよくわからない実験のため、ワイトの親玉バロンによって拉致られたミス・ペレグリンを救おうと異能の子供たちが大活躍!いよ!待ってました!やれー!ぶち殺せ!となれたら良かったのでしょうが、やっぱりバートンってアクションがヘタね。
ストップモーション・アニメへとオマージュを捧げたホロー対ガイコツ騎士団はそれなりに楽しかったが、やはりアクション演出としての野暮ったさが目につき、この人って長いアクションをやらすと本当に流れがヘタクソ。前半のグロ人形バトルぐらいの短さが丁度いい。
異能の力をもった子供たちがそれぞれの能力を使い、巨大な敵へと立ち向かっていくという構図もよいが、唯一なんの力を有しているのかわからなかった仮面の双子の正体はアウトでしょう。あれがあるのなら初めから使えよって話ですからね。ある意味無敵じゃん。
仮面を被って能力を隠しているということは、それが発動したときには敵味方を問わずとんでもない事態が起こるとしなければ。あの能力であれば使い方さえ間違えなければ完全無欠の百戦百勝。それをサラッと見せてはい終わりってあなた、本末転倒も甚だしいでしょうが。
さよならティム・バートン
現実世界の暗鬱さと夢の世界の明朗さという対比、多少の毒っけ、ずぶ濡れエラ・パーネルちゃんの見てはいけない背徳的エロティシズムなど、まあそれなりに観るべきところはあるし、普通によく出来た誰もが楽しめるファンタジー・アドベンチャーだったとは思います。
でもひたすら凡庸だよね。こんな映画ぐらいほかのハリウッド雇われ監督でもそれなりの予算さえ与えれば普通に作れるでしょう。ここには異端も、異能も、変態も、奇妙も存在しておりません。あるのは誰にでも理解、受け入れてもらえる凡庸さのみ。
もともとあまり好きではなかったティム・バートン。ボクのなかではこの作品でいよいよ底が知れてしまったというか、最初から出ていた馬脚がついに顔まで現してしまったという感じです。おそらくよっぽどのことがないかぎりあなたの映画を観ることはもうないでしょう。
さようなら、ティム・バートン。