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けっこう毛だらけ猫愛だらけ

いつもニャーニャー鳴いています。

生きづらさについて考えてみた(前編)

いま、『窓際のトットちゃん』を読んでいる。

 

私は黒柳徹子が好きだ。

誰だったか忘れたが、どこかの局のアナウンサーが新幹線に乗っている徹子の後ろ姿を見かけて挨拶しようと声をかけたら、返事をしないので、何かと思って見てみたら、ちょうど徹子は鼻の穴に100円玉が何枚入るかを試しており、奮闘していたのでそれどころではなかったというエピソードがとても好きだ。

 

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当初、この本を取るたびに、なぜか涙がぼろぼろとこぼれていた。

 

いろいろなところで語られているが、トットちゃんー黒柳徹子は、発達障害だと言われている。当時は今のような診断基準が存在していないので、トットちゃんはただの「変な子」という扱いだ。

入ったばかりの小学校でまともに授業を受けることができず、なんと1週間で退学を勧告される。戦前の小学校はハードコアである。

退学した小学校のかわりに母親の朝子さんが見つけてきたのが「トモエ学園」で、このトモエ学園の校長によって、トットちゃんは一気に受容される。この過程がもう、自分の状況にオーバーラップして涙が出てきてしまうのだ。

 

トットちゃんの家は戦前でもかなり裕福な層だ。だからこそ「トモエ学園」というオルタナティブな選択肢を選ぶことができた。

だがこれが、自分を拒否するような小学校にずっと通わなければならず、親が「お願いですからこの子を学校においてやってください」と必死に頼んだり、教師にヒステリックに怒られながら小学校生活を過ごさなければいけなかったとしたら、おそらく今日、私たちが黒柳徹子という人物をテレビで見かけることはなかったかもしれないのだ。

 

両親の適切な判断力や校長先生の圧倒的な受容があってこそ、彼女は自己肯定感を得ることができたのだ。

 

 

 

ここしばらく、はてブ界隈で、「生きづらさ」をテーマにしたエントリをちらほら見かけるようになった。そこで、今回このブログでも、この方面を取り上げてみたいと思う。

 

関連エントリ

nyaaat.hatenablog.com

 

anond.hatelabo.jp

 

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いま、この現代で、生きづらさを抱えている人は山ほどいるわけだが、結局のところ

個体としてどのようなアビリティを装備しているかだろう。生きづらさの代表的なものでは、貧困、障害、病気、被災、病身の身内、年齢差別などがあるし、

逆に、生きづらさを軽減させうるものとして、富裕、健康(心身ともにタフな肉体)、容姿が良い等があると思う。これに環境の因子が加わり、それぞれのアビリティを少しずつ変化させつつ、人生ステージに対応して生きているのが、人間という生物だと認識している。

身も蓋もないが、心身ともにタフで、そしてお金がタップリあれば、人生は楽しいものである。こんな単純なことなのに、それを実現するのがとても難しい。

 

 

発達障害の確定診断のとき、WAIS -3という知能検査を受けたが、この検査が見事なまでに自分の特性をよく現していた。

言語性IQなどに問題はなく、105程度を持っているのだが、処理能力だけが異常に低い。処理能力だけが70後半で、ここだけが突出して異常に低い。

日常生活で言うと、複数のことを同時にこなすことができない。いくつものことを言われると、処理ができなくなって理解できない。

だから、パッと見はまるで健常者なのに、処理能力のみが低すぎるために健常者と同じだけの仕事量をこなすことがまったく無理なのだ。

 

私も、最大瞬間風速的に、ほんの一瞬だけがんばることはできる。だが、それは無理してスーパーサイヤ人をやっているわけで、次の日にぐったりと寝込んだりする。

 

 処理能力がきわだって低いということは、当然そのぶんだけ脳に負荷がかかってくるということでもある。だからすぐに脳が混乱をきたすし、理解できなかったことを処理するのにまた時間がかかる。

普通の人がこなせることが、まったくできない。

では、それを補うような突出した高い能力を持っているかといえば、そうでもない。

ただただ処理能力が低い。

 

人生の中で、こまごまとした日常生活の中で、私一人が遂行できない、どうにも理解できないということが多々あり、そのたびに私は自己肯定感を削られていった。

見た目がまったく普通に見えることも、よけいに苦しみを複雑にした。

 

そんな私だが、発達障害者の社会的な適応の鍵は、自律神経にあるのではないかと思うようになってきた。

後編ではこのあたりを具体的に書いていきたいと思う。

 

 

私は子どものころ、ADHDがかなり強くある子どもだった。小学校の担任からは「まるでトットちゃんだ」と幾度となく言われていた。

落ち着いて授業を聞くことがまったくできず、なんのために座らなければいけないのかも理解していなかった。

国語が好きで、算数の時間がきらいだった。

算数の時間に国語の教科書を読んでいたら注意された。なぜ皆と一緒の勉強をしなければいけないのかが理解できなかった私はこう言った。

「どうぞみなさんは算数のお勉強をしてください。私は国語の勉強をします。」

 

 

 

 

 

 

後編へ続く。