QWERTY配列については、安岡さんは『生産者側による押し付けの歴史だったのではないか、と思えてくる』と述べられています。今回は、スイッチがずれて並んでいる現行の標準的なキーボードの形状以外の形のキーボード、特に人間工学的な視点を持って作られたエルゴノミック キーボードの歴史で、従来あまりまとめられていなかったような部分を中心にこれまで調べてきた範囲でまとめておきたいと思います。
Matias Trejosさんのキーボード
歴史上最初期のエルゴノミック キーボードとして、1910年の米国特許964340号のMatias Trejosさんのキーボードがあります(下図)。キーが放射状に配置されていて、Tab, Shift, Backspaceキーが親指で押せる位置にあるのが特徴です。
Matias Trejosのキーボード(1910年) |
Matiasさんはコスタリカの方のようで、このタイプライターを発明されたあと、はるばる米国で特許を取得されたということになりそうです。とても大きな期待を込めて作られたタイプライターだったのではないでしょうか。ただ、このキーボードが何台くらい作られたのか、アメリカで発売されたことがあったのか、といったことは、私が調べた範囲では資料を見つけられていません。
また米国では1983年の時点でタイプライター市場の90%以上が既にユニオン タイプライター社とその傘下の企業に抑えられていたそうで(タイプライター トラスト)、現在のQWERTYキーボードに繋がるタイプライターがもう完成していました。米国内では商業的には登場が遅すぎた、ということは間違いなさそうです。
Daumenschalt Tastatur
下図は、ドイツで1934年に発売されたDaumenschalt Tastaturタイプライターです。日本語にすると「親指シフトキーボード」ということになるでしょうか。左右の親指のキーはスペースバーで、中央がシフトキーになっているそうです。合理性を追求したドイツらしさが感じられるようなキーボードです。
Daumenschalt Tastatur (親指シフトキーボード) (1934年) |
このキーボードは実機がまだ残っているようで、リンク先に、発明者はJulius Kupfahlさん、第2次世界大戦まではゆっくりと生産台数が伸びていっていたものの戦争によって製造が中断され、戦後製造が再開されることはなかった、とコメント欄に解説がされています。ドイツでは比較的知られているようで、1993年にやはりドイツで発売されたMarquardt Mini-Ergoキーボードの特許がJulius Kupfahlさんの特許に触れられているようです。
学術的な動き
学術的には、やはりドイツで1960年代から70年代にKarl Kroemer博士らがアジャスタブルな2分割型キーボードを使うことで人間工学的な実験をはじめられるようになってきました。そして1981年のIBM PCの登場と前後してさらに色々な研究が進められていった経緯がDavid Rempel教授の論文にまとめられています。 なお、2分割型キーボードのアイデア自体は、やはりドイツのKlockenbergさんによる1926年の研究によるものだそうです。
1980年代には日本の中迫勝先生らの海外での研究により、2分割キーボードの最適な設置条件として、前方向・横方向の傾斜10度、内角25度、GHキー間の距離6.5cmといった値が確かめられていきます。この研究は、その後日本のTRONキーボードだけでなく、マイクロソフト社のエルゴノミック キーボードのデザイン上の指針にもなったことが関連製品の特許などから読み取ることができます。
学術的には2分割型キーボードを使った実験等を経て、固定式の左右分離型キーボードの基本的な形状が決まっていったという点は興味深いところです。中迫先生らの研究に基づいた固定式のMicrosoft Natural keyboard、内角を調整できるApple Adjustable keyboard、内角とさらに傾斜角も調整可能な別のキーボードを使った、Rempel教授らの評価実験においても、固定式のキーボードが一番良好な結果が得られています。ただ、なぜそうなるのか、ということについては研究者の中でもまだ明確な答えは見つかっていないようにも読み取れます。
放射状のキー配置の探求
アメリカではタイプライター トラスト、ドイツでは第2次世界大戦、と不運なことが続き、商業的には困難と直面してきたように思われるエルゴノミック キーボードですが、キーボードを利用する文化がもともとなかった日本では1970年代から80年代にかけて、さまざまな試みがなされたようです。
親指シフトを開発された富士通の神田さんらも1978年に手の形のキーボードを試作されています。ただ、このキーボードは実際にはほとんどテストもされなかったということで、綿密な実験や評価などはなされなかったようです。どちらかというと直感的な設計によるものだったのでしょうか。
親指シフトの手の形のキーボード (1978年) |
中迫先生らも1981年にNeuen Tastatur für Büromaschinen (New keyboard for office machines)を作られ、1985年頃には図のようなキーボードでさらに実験を進められていました。このキーボードはコンピューター作業時の前腕の支持の重要性などを科学的に調べられた貴重なキーボードでもあります。
中迫先生らの New keyboard for office machines (1981年〜) |
ちなみにエスリルのNISSEは、主に中迫先生の研究論文を参考に形状等を決めていったものなので、上図のキーボードとよく似た部分が多いのが分かるかと思います。開発中はNISSEを単に新キーボードあるいはニューキーボードと呼んでいたことから、製品名もニューキーボードNISSEとしたのですが、後日中迫先生からこの写真の載せられている英語論文のことを教えて頂いて、Neuen Tastaturと名前まで同じになってしまっていたことには驚きました。
M式を開発されたNECの森田博士もやはり1980年頃に放射状にキーを配置したキーボードを試作されています。一見、中迫先生らのキーボードと似ているのですが、当時のキースイッチの大きさの制約もあり(全体的にキーが広がりすぎているように見えます)、操作性評価では良くなかったと著書で述べられています。これはキーピッチを小さくすれば改善できることは森田博士ももちろん認識されています。しかし大量生産されているスイッチが使えなければ製品の実現性は低くなってしまう、という工業製品を開発する見地からのお考えから、製品版のM式キーボードでは放射状のキー配置の採用は見送られています。
M式鍵盤の試作品 (1981年頃かと) |
このように手の形に合わせた放射状にキーを配置したキーボードの合理性は直感的にはすぐに理解できるものの、工業製品として製造することを念頭に実際に試してみると想像以上に制約が多かったことがわかります。
そのような中で、マイクロプロセッサから、OSから、コンピューターのありとあらゆる部分を見直されたTRONプロジェクトの中で設計されたTRONキーボードでは、スイッチの大きさからではなく、純粋に人の手の指が届く範囲の研究からキーボードの設計が進められました。最終的にS・M・Lの3サイズのキーボードを用意することが目標とされ、80年代後半には松下電器をはじめ複数の主要国内メーカーによるキーピッチ16mmという小さなMサイズのTRONキーボードの試作品を新聞記事等でよく目にすることになりました。また、このTRONキーボードの立体的な形状も、中迫先生らの研究の成果を採用されたものでした。
初期のTRONキーボード (1986年頃かと。Wikimedia より) |
日本人はなかなかうまくできないと言われるタッチタイプの修得においても、エルゴノミック キーボードが子どもたちにとって有効な場合があることは海外でも知られています。80年代前半にキーボードを日頃見慣れていなかった日本人には、左右非対称の今のキーボードのキー配置にむしろ不自然さ感じた人も少なくなかったのではないでしょうか。
そのため、TRONキーボードに対する期待感も決して小さいものではなかったように思います。しかしTRONキーボードを実際に一般のひとが購入できるようになったのは、ワープロが既に非常に安価な製品になってしまっていた1991年と、少し遅れてしまったところがありました。この点は、1987年の時点でも、TRONプロジェクトリーダーの坂村健さんは著書の中で「キーボードの刷新にとって、いまがラスト・チャンスなのだ。」と、述べられいて、エルゴノミック キーボードの普及の上では、残念なことであったのかもしれません。
TRONキーボードとNISSEのキー配置の比較(Mサイズ) |
まとめ
日本のエルゴノミック キーボードは、もともとはM式もTRONも機械式タイプライターの名残りからの脱却、あるいは刷新という面が強かったような印象があります。エルゴノミック キーボードにすると、普通のキーボードと指使いが違うのでなかなか慣れない、というような発言が日本人から出てくるとは、80年代には想像も出来ないことだったようにも思います。
最近の新たなエルゴノミック キーボードの流行はまだまだ小さなものかもしれませんが、新しい変化についてはこれからも学術、産業両面から見ていきたいと思っています。というわけで、今回はここまでです。
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