たらればさんのこの連投に対する反応は、いろいろな意味でとても象徴的だと思うんだよね。https://twitter.com/tarareba722/status/825187711732420609 …
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あと、「基本的価値観が違う」というレトリックも、たんに文化差を描出しようとするのではなく、「われわれと違って韓国は近代の普遍主義的な正義を理解できない」という含意があるときは、レイシズムの表象といっていい。「ろうそくデモは民主主義が遅れている証拠」みたいな愚論は日本にしかない。
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「正しさ」論にせよ「基本的価値観」論にせよ、それ自体がアウトということではない。また、韓国政府も態度がふらふらしているから批判を免れない面がある。ただ、その批判の様式が、どうにも植民地主義やレイシズムと無縁でないというのかな。あるいは、それらを引き寄せる要素があるというのかな。
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「正しさ」論にせよ「基本的価値観」論にせよ、植民地主義やレイシズムと親和的であることは確かなんだよね。それらが流布されることで植民地主義やレイシズムが活性化しかねないという意味で。植民地主義やレイシズムを批判する人たちが、これらのレトリックを用いようとしないのは示唆的。
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逆にいえば、「正しさ」論にせよ「基本的価値観」論にせよ、それを用いるだけで、植民地主義やレイシズムに(コミットしているとまでいえるかどうかはともかく少なくとも)批判的ではないと疑わせるに足る社会状況がある、ということ。
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では、そうした社会状況と、学術的中立性みたいなものをどう切り分けるかとなると、相当に難しいよね。学者の側の負担は相当に大きい。でも、学者のレトリックによって扇動されたレイシズムの標的になっている側からすると、安直に語ってくれるなという感情は正当。
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たらればさんはフォロワー(影響力)が多いから、そうした困難を代理で経験するはめになってちょっとかわいそうだけど、日韓関係がなぜ難しいかについて考えるいい題材になっていると思う。
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RT
@han_org: 《日本と韓国では「正しさ」の意味がやや違う。日本「正しさ=事実」、韓国「正しさ=本来あるべき姿」》という主張は、それが広まるにつれて植民地主義とレイシズムの臭いが濃くなってきていてね。実際、この連投に付いている賛同コメントの多くがヘイトスピーチであると…pic.twitter.com/KdhcAOA5DW
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