http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602
このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手の自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。
それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的な恋愛・セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。
>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう
>>長続きする恋愛に必要なのは、相手を尊重できること、相手の立場に立てること、相手に共感できること、相手の幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術と性愛のテクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる
↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。
まず第一に、森岡は個人の幸福と政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である。
私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾・対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである。
森岡が言っている「相手を尊重できること、相手の立場に立てること、相手に共感できること、相手の幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり「自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃的欲求だってある。
さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないものや反社会的なものを含んでいる。私は決してこの欲望を肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである。
例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手の自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望を無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。
それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。私にとって何が幸せなセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、森岡に上から目線で定義されたくはない。デリカシーがなくて不愉快だ。
第二には、森岡の主張に対して、私は倫理的な意味においても反感を覚えた。
エサ(※この場合は恋愛・セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである。
これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。
それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッドを実践しても、まあたぶんぜったいに幸せな恋愛も幸せなセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルやフェミニズムの正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。
第三に、リベラルの観点から考えてみて、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。
森岡のブログ記事は性暴力はダメ、人権侵害だからやめろという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてそれがいかにもポリコレに沿ったものであるから、リベラルやフェミニズムの信奉者に受けがよさそうなものだった。
しかし本来リベラルの立場としては、DV、性暴力など人権侵害と呼べるような悪を定義して、それを法律で規制するとか、社会から減らしていくという方針をとるべきだ。この方針と、個人がそれぞれ抱いている善・幸福の価値観にまで口を出すということは、たしかに重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。
森岡があの記事で語りだした“僕の考えた最高のセックス”はあきらかに後者に該当する。リベラルからの政治的主張としては「性暴力はやめろ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的な言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という内容に留めるべきだ。それ以上に人の内心に立ち入るような言説、すなわち政治的に正しくて理想的なセックスのあり方を主張するなんていうのは不適切だ。
森岡が非モテの男にアドバイスするのも、“僕の考えた最高のセックス”を広めるのも、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪の事件にからめて言うべきことなのだろうか?
これは性犯罪を防ぐため、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。つまり「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲスな意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡のやっていることはそれに通底するものを感じた。
zaikabou死ねよ
他人の威を借るな