そこは王選手の活躍にみんなが熱くなった昭和の世界。
路地裏、駄菓子屋、お茶の間など当時を忠実に再現した空間で、
野球好きの少年が世界のホームラン王になるまでの足跡を
時代と重ね合わせながらご紹介します。
少年時代
時代のヒーロー
世界をめざして
憧れのホームラン
監督時代
高度経済成長とプロ野球の隆盛が重なった。王がホームランを打つ度に、お茶の間が、日本中が沸いた。テレビに釘付けになった。ベーブルースのホームラン記録を抜くのも、もう夢ではなくなった。世界に追いつけ追い越せ。時代が、日本の未来が、王の活躍とともにあった。
「中華五十番」ののれんをくぐると、昭和の街並みが広がる。
お父さんには懐かしく、こどもには新鮮な空間。
路地裏、駄菓子屋、お茶の間の風景、テレビから流れるCMまで当時を細かに再現。
懐かしの駄菓子に囲まれたスクリーンにて、1963年に放映された王さん出演の亀屋万年堂の「ナポナ」のCMや王さんがイメージキャラクターとして出演した「リポビタンD」のCMなどの映像を展示。
ついに700号達成。日本中が熱狂し始めた。
ベーブ・ルースを超えるのもハンク・アーロンに追いつくのももう、時間の問題だ。
そしてベーブ・ルースを超える日。昭和51年10月11日、5打席目。フルカウントからのシュートを王は振り抜いた。
生年月日 1940年5月20日
身長・体重 177cm・79kg
投打 左投左打
出身地 東京
球歴 早稲田実高
‘59~‘88 巨人
‘95~‘04 ダイエー
‘05~‘08 ソフトバンク
1940年5月20日、東京府墨田区で中華料理店を営む両親の下、二卵性双生児として生まれた。
早稲田実業に在学した高校時代では、甲子園でノーヒットノーランを達成するなど、プロの注目を集めた。
希望だった巨人に入団(背番号1)。入団後3年間はプロの厚いカベに悩み「三振“王”」などと野次を飛ばされたりしたものの、4年目に荒川博氏との再会により「一本足打法」のスタイルを見つけた。
その後はホームランを打ち続け、756号で世界新記録を樹立し、868号まで記録を伸ばした。
世界新記録達成の偉業が称えられ、当時の福田赳夫首相から初の『国民栄誉賞』を授与された。
また、ON砲として長嶋選手と一緒に時代を彩る数々のホームランや名勝負を生み出した。
選手引退後は、巨人監督を5年務め、ダイエー、ソフトバンクとホークスの監督として14年間采配を奮った。また、第1回ワールド・ベースボール・クラシックでも監督に就任し、初代王者の栄冠を掴んだ。
現在も『大好きな 野球』のために各方面で活躍中。