3 Lines Summary
- ・始めはアニメ映画にするのはやめようと思った
- ・頭の中で当時の街の中を歩けるぐらいになろう
- ・ご飯も軍艦も同じリアリティで描く
昨年末の公開から大ヒットを続けるアニメーション映画「この世界の片隅に」。片渕須直監督本人に、その作品の魅力を聞いたインタビューを前後編に分けて掲載。
前半では、原作との出会いから、作中に描かれる日常生活のこだわりについて。
後半では、戦争の表現から、キャスティングや次回作の展望などを伺う。
始めはアニメ映画にするのはやめようと思った
初めて原作のマンガを見たときはいつで、どう思いました?
初めて手にしたのは2010年の夏ぐらいですね。最初は、これをアニメーション映画にするのはやめようと思ったんですよ。
書かれていることがすごく深くて奥行があって、これはずっと自分の枕元とかに置いて、一生かけてちょっとずつ理解していく本だなって思ったんです。今、映画にしたらもったいないって。でも、代わりに他の人がこれを映画にしちゃったことを考えたら急に怖くなって、やっぱり自分の手でやりたいと考えを改めてプロデューサーのとこ持って行きました。
原作者である こうの史代さんのことはどうやって知ったんですか?
「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年公開 片渕監督の前作映画)で知り合ったボクの映画のファンの中に、こうの史代さんのファンがかなりいて、そこから教えてもらった感じです。「マイマイ新子と千年の魔法」は、昭和30年の山口県が舞台です。それから10年遡ったら、また違う風景が見えるんだろうと思って、昭和20年の隣の県である広島を舞台にしようと思ったんです。
いつまでも親の時代を知らないではいられない
呉の被害がひどかったことを改めて気付かされました
呉市は、広島市から20kmしか離れていないんですが、20 kmも離れているんです。原爆をピカドンと言いますが、呉市だとピカッとなってから50秒も遅れてドーンという衝撃が伝わってきたみたいなんですよ。原爆が落ちたのは朝なので、山の向こうに立ちのぼった「きのこ雲」を見て、あれはなんだろうとか言いながら、お昼ごはんと晩ごはんを食べてた人たちがいるんです。そういういろんなことが起こりながらも、私たちはずっと日常の生活を続けてたんだなってことを意識していました。
監督は1960年生まれなので「この世界の片隅に」の舞台である昭和20年代は知らないんですよね
昭和30年代は、完全に心当たりがあるんです。でも昭和30年に大人だった人たちの10年前は、もう僕の想像力では直接手が届かないんですよね。そこをなんとか、自分たちが手触りを感じられるようになりたいなって思ったんです。
自分たちの父や母や祖父母が生きていた時代なんですけど、いつまでも親の時代のことは知らないよって顔はできないと。50をだいぶ過ぎたこの歳でいうのもなんですけど、そろそろ大人になるためには必要かなという気持ちがありました。
細かいことの集合体が世界を作る
当時の手触りを再現するため、資料調べは相当大変だったでしょう
戦争中は女の人はモンペを履いていたと言われていますが、じゃあ正確にはいつからだとか。そういう細かいことの集合体が世界を作るので、分かったフリをしないで1つ1つのことを自分たちが理解しないといけないという気持ちでやっていました。
実は、昭和18年の秋口ぐらいまではスカートの方が主流だったようです。寒くなったら一時モンペを履いていたんですけど、また温かくなったらスカートとかに戻るんです。本当にモンペを履かなきゃいけなくなったのは、空襲がひどくなって、逃げなければいけない時なんですね。日本の国内が空襲されるようになるのは昭和19年の秋ですから、そこからは皆さんモンペ履いていらしたようです。
頭の中で当時の街を歩いてやろう
この大正屋呉服店は建物が原爆に耐えて、今はレストハウスになっているんです。じゃあ、この建物を画面に出せば、映画をご覧になった方が建物の前に行くと、周りにこういう街があったんだと想像を膨らませる事が出来るだろうと思ったんです。隣の大津屋さんという店は写真が1つもなかったので、お嬢さんの同級生とか、隣の店のお嬢さんにお話を伺ったり、いろいろ工夫して、段々と形を理解していったんですね。こうやって広げていくように街を描いていった感じです。
古本屋さんにあった当時の電話帳から、何番地に何屋さんがあるとか、一軒一軒こんなお店があるんだなって調べて、それから、資料館にある写真などを見比べてて、この写真とこの写真をこう並べるとこの道になるとか、そういうことを色々やっていました。最終的には、目をつむって思い描いた街の中を、頭の中で歩けるぐらいな感じになろうとは思ていました。この道を歩きたい、当時の風景の中に自分が立ちたいなということを実現してやろうと。
監督ご自身は広島にゆかりがあるんですか?
いえ、全くない。大正屋呉服店の街にも行ったことはなかったんです。でも映画の中で描くのは広島・呉での日常なので、自分が住んでいる土地だっていう実感がもてるぐらい何回も行きました。よく「調べ物に行ったんでしょ」って言われるんですけど、そんなに調べられないんですよね。調べるっていうより、山を眺めて「ああ、今日はこんな風に見えるんだな」と思ったり、そんなことをやっていました。
一番描きたかったのは日常生活です
実は一番描きたかったのは日常生活なんです。
アニメーションで描くと、普通の生活でご飯を炊いて美味しそうだと思うようなところでも、見ごたえのある画面になるんですが、その後ろに戦争という暗い影があると、その意味合いがさらにはっきりしてくると思いました。
自分たちの身近に、どんなに戦争が迫ってきたとしても、やっぱりご飯を作ったり食べたりはしないといけないわけです。そんな、しなければいけないことを連綿と続けてきたのが我々庶民の歴史なんだなと改めて思いました。だから「普通に生活していたらある日、戦争が来た」と言うよりは「戦争をやっている最中でも普通の生活があった」のだということです。本当の破局が訪れるまでは普通の生活がずっと続くんですよ。でも、普通の生活があるからこそ我々はここに生きているんだなと思います。
すずさんがご飯の足しにならないかと草を摘んだり、裁縫するときはどういう道具を使って、どういう手順でやっていくとか、細かく日常生活のリアリティを描いているんですけど、軍艦とか、飛んでくる爆撃機とかも、同じ次元のリアリティで描こうと思ってるんですよ。
1月25日放送「ホウドウキョク×GOGO」より
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https://www.houdoukyoku.jp/archives/0008/chapters/27041
インタビュー後編はこちら→
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