「また唐突に。何いってんのこいつ?」みたいなタイトルですが。
まあ思うところを書いてみます(例によって自分以外の、外部の描写になります)。
環境が変わり、この2~3年間ほど周囲をみまわす状況が生まれてきて、その中でいろいろと考えた。
そりゃもう傍からみて「なんでここまで頼るの」というくらい甘えまくるわけだ(まあ私とか一方的に甘えられてその度ごとに激怒してしまうわけですが(←甘えられるの大嫌い))。
ほとんど何もできず、何もやらずに、なのに甘えて解決しようというそんな根性を感じてしまい、腹が立つ。このすっとこどっこいども。いい加減にしろ。いったい何やってんだ。人々の甘える様子を見てそうとしか考えない自分ではあった。
しかし驚くことに。どうやら世間ではその「甘える」の自体が標準だったらしいのです。
自分から見て「許されないこと」をし続ける人々こそ大多数だったわけです。
これは衝撃の視点転換だった。ニーチェが「高山の空気」を讃えるのと反対の作用・見方を自分の視界にもたらした。
すると逆にみれば「自分の生育環境ではどうして甘えは存在しなかったのだろうか?」という話となる。
まあこれは自分の家庭の話だ。とりあえず置いておこう。
愛って何なんだろうね?