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天皇の理髪師〈初告白〉「人間・明仁天皇」 「生前退位を議論するなら素顔の陛下を知るべきです」

 投稿者:東京新報  投稿日:2017年 2月 3日(金)16時03分7秒
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  天皇の理髪師〈初告白〉
「人間・明仁天皇」 「生前退位を議論するなら素顔の陛下を知るべきです」


昭和天皇に仕えた初代の祖父、それを継いだ父、そして息子の大場氏。父子三代にわたり理髪師を務め、天皇の謦咳に接してきた忠臣が、譲位問題に違和感を持ち、初めて5時間以上のロングインタビューに答えた。皇室の行く末を案ずるアルチザンの“熱誠の忠言”。

 皇居の西にある半蔵門は、天皇皇后と皇太子ご一家が主に使用される「格」の高い門だ。宮内庁職員らを除けば、半蔵門を通行できるのはごく限られた御用の者だけ。この十年、天皇のご調髪を担当する「ご理髪掛」の大場隆吉(たかよし)氏(65)は、数少ないその一人だ。
 昨年十二月二十七日、年内最後の御用に伺うため、大場氏は半蔵門の小扉(しょうひ)をくぐった。午後八時からのご調髪に間に合うよう天皇の住まいである御所へ独り徒歩で向かったという。
「一歩、皇居の中に入ると漆黒の闇が広がります。ポツンポツンと灯りが瞬くだけ。この寂しい道の先に天皇陛下がいらっしゃると思うと、陛下の歩まれてきた道の険しさと孤独が伝わってくる気がするのです。
 ご調髪はこの日も一時間ほどで滞りなく終わりました。午後九時頃、天皇陛下はお部屋を出られるときに『どうもありがとう』とおっしゃいました。普段は私が『御理髪室』のドアを開けて差し上げると、私室のほうへと続く廊下を、後ろを振り返られずに真っすぐと歩かれます。しかし、この日は曲がり角でわざわざこちらを振り返られ、笑みを浮かべて軽く会釈をされたのです。非常に丁寧にご挨拶をしてくださった。
 このとき、陛下のご心中にはどんな思いが去来していたのでしょうか。今、政府では生前退位について議論が為されています。様々な報道を目にしますが、中には“平成流”を否定する言説まで出ているようです。しかし、私は長年お側でご様子を拝する者として、どうしてもそうした議論に違和感を覚えるのです」
 折しも昨年の十二月末頃は、天皇の譲位をめぐる政府の有識者会議が大詰めを迎えていた。保守系の専門家からは、象徴天皇の役割について、「宮中でお祈りくださるだけで十分」(渡部昇一上智大名誉教授)といった主張が相次いだ。
 一月二十三日に公表された論点整理は両論が併記されていたが、一代限りの特別立法での譲位実現に重点を置くという方向性が強く滲んだ内容だった。政府が早急な処理を最優先しようとしているのは明らかだ。
「私は専門外ですから、学識者のように憲法や皇室典範の問題について申し述べる立場にはありません。ですが、陛下も我々と同じように、一人の人間でありながら、象徴天皇として歩まれるのは、並大抵のことではなかったと思います。昨年八月八日の陛下が丹念に推敲されたお言葉に対し、私は素直に共感できました。あのお言葉から陛下の不退転のご決意を感じたのです。それは“菊のカーテン”の奥で、私が拝見した『人間・明仁天皇』のお姿そのものでした。

「切腹する覚悟で」

 生前退位について、私たちは陛下抜きの上滑りな議論に終始してはならないと思います。陛下はいつでも国民への共感を示してくださり、激戦地や被災地を訪れられる陛下のお姿からは『あなた方と共にいますよ』というお言葉が聞こえてくるかのようです。
 平成の御世は、明仁天皇の求心力があってこそ、何とか国家と国民がひとつに束ねられていたと思います。ご調髪をさせていただくと、私が陛下の方へ引っ張られていくような、そんな迫力さえ感じるのです。生前退位という重要な事柄を議論するのであれば、政府や有識者の方々は素顔の『人間・明仁天皇』を知るべきではないでしょうか。私がこれからお話しする陛下のお姿を、少しでも心に留めていただくことができればと切に願っています」
 明治十五年創業、東京・赤坂に本店を構えるサロン「OHBA」の代表を務める大場氏は、天皇だけでなく、皇太子や常陸宮のご調髪も担当。祖父と父は、昭和天皇の理髪師だった。大正十年、祖父・秀吉氏は民間から初めて“天皇の理髪師”に任命され、皇太子時代の昭和天皇の渡欧に随行した。父・栄一氏は御用を務めている間に召集され、百武三郎侍従長が直筆で「征け!」と書いた日章旗を胸に戦地へ赴いたという。

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父・栄一氏(左)、祖父・秀吉氏(右) 禁無断転載©週刊文春

「祖父や父はご調髪を行う前日、冬でも冷水を浴びて身を清めていました。理髪の御用とは、ただ髪の長さを整えるだけの仕事とお思いの方も多いかもしれません。しかしながら、人が人に直接触れるというこのなりわいは、細心の注意と敬意を払いながら行う、大変緊張を強いられるものなのです。私も心身ともに清浄でいられるよう、参内前に洗面器三十杯程の冷水を浴びています。二人きりの静かな空間で、陛下に刃物を当てることの緊張感は、とても言葉で言い表すことができません。その時々の息遣いや肌合いなどで、ご健康状態やお心の在りようまで、櫛や鋏を通して伝わってくるのです」
 大場氏が初めて御所に上がったのはちょうど十年前。平成十九年一月二十二日のことだ。前任の田中修一氏からの引き継ぎとして見習い期間が設けられた後、同年三月十九日から天皇のご調髪に臨んだ。
「祖父や父が御用を務めた時代、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)でした。『決して目を合わせず礼を尽くし、万が一にでも玉体を傷つけることがあれば、切腹してお詫びする覚悟で皇居に伺っていた』。そう言い聞かせられて、私は育ちました。同じ覚悟で臨むことで、引き継ぐことに怖さはありませんでした。
 それでも最初の一年はフワフワと宙に浮いているような緊張からくる不思議な感覚がありました。プロとして三十年ほど経験を積んだ後ですから、手元が震えるなどということはないのですが、翌日どっと疲れが出て眠れない日もありました。鏡越しに拝見する陛下のお顔は普段のご表情と違い、素のお顔に戻られます。前を見ていらっしゃると、こちらを向かれているようで畏怖を感じるのです」
 髪には、思いがけずお人柄が表れるという。初めての御用のときから大場氏が感じたのは、天皇の御髪の“剛直”さだった。
「普通は一つの毛穴から生える毛は二、三本なのですが、陛下の場合は四、五本も生えていて、一本一本が太くて硬いのです。元々、ご自分のお言葉に責任を持つというお方ですが、陛下が“剛直”なものを持っていらっしゃるということは、ご調髪をしているとよく分かる。深い思いを持って決断されたことに関しては、絶対に譲られないという一面がおありだと思います」

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天皇の御髪は“剛直”だという ©日本雑誌協会代表取材

 ご調髪を行うのは、御所二階の御理髪室。私室部分と事務部分の狭間に位置し、外部から伺う者が入ることができるエリアのうち私室部分に最も近い場所だ。

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御理髪室は御所の2階、私室部分と事務部分の狭間にある
禁無断転載©週刊文春

天皇が没頭する歴史読書

「御所には通用口から入り、控え室で宮内庁が用意したダブルの白衣に着替えたあと、二階の御理髪室へ案内されます。廊下は、東日本大震災以降、現在でも節電のためにほとんど電気を消していてとても暗いのです。私が伺う時間帯は夜ですが、震災以前は明るかった。こんなところにもやはり、国民に寄り添う信念を曲げない陛下の強いお人柄を感じます」
 天皇をお待ちする間、鋏に髪の毛が一本たりとも付いていないよう、念入りに確認を行う。ご調髪には父・栄一氏の形見で、天皇専用としている特注の鋏「道楽」を使用する。

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大場氏 禁無断転載©週刊文春

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天皇専用の特注の鋏「道楽」 禁無断転載©週刊文春

「午後八時になると御理髪室にはまずお付きの内舎人(うどねり=天皇の身支度を整える役割を担うオクの男性職員)が入ってきて、後に続いて私室から陛下が入ってこられます。時折、和服をお召しのこともあります。私がご挨拶を申し上げ、陛下がお席にお着きになるとカットクロスをお巻きして、霧吹きで濡らして御髪のくせ直しをしてから、いよいよカットを始めるのです」
 御理髪室の広さは十四畳ほど。窓からは御所の中庭が見え、棚には文庫版「竜馬がゆく」やクラシック音楽のCDなどが置いてある。
「陛下のご調髪を行うとき、BGMはかけません。空調の音、私の鋏の音と陛下の息遣い、陛下がお体を動かされたときのカットクロスの衣擦れの音。そういった静かな空間で、約一時間を、二人きりで過ごさせていただきます」
 天皇には、できるだけ寛いでいただけるよう細心の注意を払うという。
「ご本をお読みになるときに前髪をカットするとご不自由ですから、先にカットします。その数分の間、内舎人は陛下の斜め後ろ四十五度の位置で、陛下がお読みになるご本や研究の資料を持って待っています。前髪のカットが終わり、サイドカットなどへ移る前に、私が内舎人に会釈をします。そうすると、内舎人が陛下の前に出てきて、ご本をお渡しします」
 天皇はご調髪の間、本や新聞の切抜きなどをお読みになる。中でも、近現代史について書かれた書籍が多く、ご表情からは、鬼気迫るものを感じるという。
「第二次世界大戦に向かう中で起きた事件についてのご本が多いです。ノモンハン事件や満州事変などですね。半藤一利氏の著書も何冊かお見かけしました。陛下はご公務を離れたお寛ぎの時間であっても、喉の奥でかすかに、つぶやかれるように音読をされます。夢中になってこられると、カットをしていてもどんどんご本に顔を近づけられて、前のめりになられる。なぜ日本は戦争を止められなかったのか。その問題意識は、こちらが畏れを感じるほど深いと思います。陛下は、昭和天皇が現人神として崇め奉られたご苦難を一番近いところで見ていた方だけに、二度と同じ過ちをしてはいけないという大変なご覚悟を感じるのです。ご調髪が終わっても熟読されていて、『カットを終わらせていただきました』とお声がけしないと、気が付かれないこともあります」
 十年もの間には、大場氏が天皇の御髪と奮闘した知られざる物語があった。
「私は御用を仰せつかった当初『どんなヘアスタイルにするべきか』と考え続けていました。ただの七三分けのフォーマルなスタイルでは何の人間性も感じられません。あるとき、“慈父”という言葉がパッと浮かんだのです。国民を慈しみ、この方がいらっしゃれば大丈夫だと思えるようなご存在です。国民の中に入って笑いかけられ、風が吹いて御髪が少し乱れても様になる。そんなスタイルを目指そう。そのために百パーセント努力して御用を務めよう。そう決心しました」
 だが当初、“剛直”な天皇の御髪にはずいぶん悩まされたという。
「陛下は耳の後ろの毛が、後ろから前に向かって生えていてくせが強く、サイドも外にはねやすいのです。しかし陛下は櫛をお使いになる際、前から後ろに梳(と)かされるので、毛が合流して強くはねてしまいます。最初の五カ月ほどは試行錯誤でしたが徐々に強いくせが落ち着いていきました」

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耳の後ろの御髪に強いくせがあるという ©日本雑誌協会代表取材

 天皇から“お認め”を頂いたこともある。
「平成二十四年六月二十二日でした。陛下から『鏡はもういいから』と言っていただいたのです。
 陛下はヘアスタイルへの強いこだわりも何点かお持ちです。具体的には、前髪は短めがお好み。テニスなどご運動をなさいますので『目に入るのは嫌だから、目に入らないように短くしてくれますか』とおっしゃったことがあります。そして襟足は逆に、襟にかかる程度に長いほうがお好みなのです。私の前任者がカットしているのを見学したとき、後ろに鏡をお持ちして襟足の長さを確認していたのですが、陛下はやや上目遣いでじっと点検するように鏡をご覧になっていました。私に代わってからもずっと、襟足がお好みの長さになっているかどうか、毎回確認をしていただきました。それが、もう今後は後ろの髪を鏡で見せなくていいからね、という意味のお言葉を賜ったのです。“天皇の理髪師”としてはこの上ないお言葉でした」
 しかし、本当の“戦い”は、六年目の平成二十四年頃から始まった。
「その頃から、特にご健康状態が優れないと、御髪の伸びにむらがあり、頭皮がむくんだ状態になることがしばしば出てきました。御髪のくせが強くなり、まとまりが悪くなってしまう。
 その傾向が強く出たのが、平成二十四年二月の心臓バイパス手術の前後でした。平成二十五年七月三十一日には皇后陛下が御理髪室にお越しになり、『(陛下の御髪の)はねが起こりやすいのだけど、何とかなるかしら?』とおっしゃった。十二月二十日にも再びはねについて指摘なさいました。私は『乱れていても前に梳かせば直ることがあるんですよ』と、梳かし方を皇后陛下にお伝えしたところ、『そう言われればそうね』とご納得いただきました。
 ただ、皇后陛下のお気に召すような状態をカットで実現できないものか。これが私の次なる目標となりました。くせが強く出やすい陛下の御髪にどう対処するかは、それまでもずっと迷っていたのです。御用の前に九十分ほど一人になる時間を取って、ノートへ詳細に記した記録を見直し、試行錯誤を繰り返す。

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大場氏の門外不出のノート 禁無断転載©週刊文春

 ようやく陛下の御髪をきれいにカットする技術にたどり着いたのは、平成二十六年の五月頃でしょうか。初めての御用から約七年かけて、レザーで毛の生えぐせに合わせて細かく中にすきを入れていくというやり方を見つけました。どこから見ても“角”が出ないよう丸くカットする技術が完成したのです。平成二十五年末以来、皇后陛下は私へご要望を伝えにこられることはなくなりました。ご満足いただけるようになったのではと思っております」
 天皇は平成二十二年七月に譲位の意向を洩らしたとされるが、当時は前立腺がん治療の副作用やストレスによる胃・十二指腸の炎症等が発見された後で、ご健康への不安も大きかった。
「この数年はお疲れもおありのようで、突然カクンと頭が下がることがあり、鋏で傷つけないよう一秒たりとも気が抜けません」
 大場氏は、天皇のご洗髪の際、頭皮をもんで血流をよくし、ご健康に寄与するよう心掛けたという。
「御洗髪の際に頭皮を整えるのです。ゴシゴシ汚れを落とすのではなく、頸椎が圧迫されないよう細心の注意を払いながら頭皮に触れ、もむように洗います。心臓の手術をなさる前、ご病気とは知らず頭皮のむくみが気になったので『頭皮をもむとよろしいですよ』と申し上げたこともあります。陛下は数年前からシャンプーをなさらなくなりました。『前回ここでしたときから、していない』とおっしゃったので、シャンプーは大場に任せようとお思いになったのかもしれません」

分髪線一ミリの違いで

 元来、質素倹約に徹している天皇の日常は、想像以上に選択の余地がなく、お労(いたわ)しいほどだという。
「陛下はひとつの物を丁寧に扱い、長い間愛用されます。例えば、陛下ご自身がお使いになるべっ甲の櫛は歯がかけても『直してください』と、十年以上お使いになっています。また、日々の整髪料は昭和四十四年に発売された資生堂『ブラバス』のヘアリキッドとヘアトニックをお使いになっていましたが、黄色系の色が付いてしまうため、きれいな白髪に整えられるよう私がご提案し、ヘアリキッドは色味が寒色系の『アウスレーゼ』に変えることになさったのです。ところがトニックは『ブラバス』のまま。微香性とはいえ香りは異なります。普通は種類を揃えたいもの。侍従の方が伺っても『なくなるまでは、それでいい』とおっしゃるそうなのです」
 天皇のご性格を示すこんなエピソードもある。
「平成二十五年十月十五日のことでした。私は陛下の分髪線(分け目)を一ミリほど狂わせたようでした。陛下は独り言のように、『もうちょっと外じゃなかったかな』とおっしゃった。少し気まずい沈黙が訪れました。すると陛下は後ろに控えていた内舎人を見て、『ねえ』と話しかけられた。突然のことだったので、その方は『そうでしたかね』と驚いていたのです。私はもう一度、梳かし直して、『いかがでしょう』と申し上げると、陛下は再び『どうかな』と内舎人に訊ねられた。その方は『そのくらいで大変お似合いだと思います』と言う。今度は私のほうを見られて『大場さん、どうかな』とおっしゃる。私も『陛下のおくせに合っている一番よい位置かと存じます』と申し上げた。すると陛下は『ああ、そう。そうしようか』と。そこで私が、内舎人の名前を挙げて、『それでは今日は“〇〇さん作の分髪線”ということでいきましょうか』と申し上げたら、陛下が『うん。“〇〇さん作”ということでね』とニコニコッと笑われた。とても微笑ましく、また陛下のお人柄をよく表す出来事でした。いつどんな時も同じく見えること。不変であることが天皇にとって非常に重要なことなのだと感じたのです」
 剛直で慎ましやか、そして誠実。それが大場氏が触れた天皇のお人柄だ。
「陛下は、どんなことにもご自分の中でひとつの解をお持ちなのだと思います。しかしいきなり答えは出されない。最終決定をなさる前には、一度相手にボールを投げられるのです。生前退位の問題でも同じように陛下はまず国民にボールを投げられたはずです。国民や政府は陛下の御心を真剣に受け止めたのか、これが問われていると思います。
 ご調髪が終わって陛下にお声をかけると、軽い眠りに入られていたときでさえ、一瞬動きを止められるようにピシッと威厳のある天皇陛下としての佇まいで直立をされ、『ありがとう』と声をかけてくださるのです。屹立されたお姿、そして私がお見送りする陛下のお背中には深い感慨を覚えます。二十九年の平成の時代を、明仁天皇は暗中模索をされながら、気骨をもって象徴天皇としての道を一人で切り拓かれてきた。その“歩み”と重なるからです」
 三代目として、天皇の御心に触れようと御用に尽くしてきた大場氏。その渾身の提言に政府や有識者は何を思うのか。

「週刊文春」2017年2月9日号
 
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