いつもの通り道に細い路地がある。たまに塀の上にカラスがとまっていて、そんなときは通りすぎるのに緊張する。私はカラスとタイマンして勝てる自信がない。とくに路地のような狭いところでは。
だからできるだけカラスと目を合わせないように、存在感を消して通り過ぎる。カラス様のご機嫌を損ねないように、しずしずと歩くのである。図体は私のほうがでかいというのに。
このあいだは、両方の塀に一羽ずつカラスがとまっており、さすがに迂回した。何なんだと思った。RPGか。中ボス戦か。
カラスに対する恐怖感のルーツを辿っていくと、子供のころに親戚の家で読んだマンガが思い出される。いかにも昭和的な古い絵柄のもので、作者は誰だか分からない。その表紙で女学生がカラスに目玉をついばまれていた。
まだグロいものに耐性のついていない時期だったので、数日ほど尾を引いた。あれでカラスには勝てないと刷り込まれた気がする。目玉ついばまれるんだもん。
日常で見かける鳥として、ハト、スズメ、カラスと並べてみた時に、やはり一羽だけ、カタギじゃない鳥が混じっている。ハトなんてのは歩くたびに頭を前後に動かす馬鹿だし、スズメというのは地べたでチュンチュン言うだけの雑魚である。対峙したところで何の緊張感もない。
しかしカラスは無言でジッとしているし、くちばしを開けばアーッと恐ろしい声を出す。何故あんなものが日常にいるのか。警察は何をしているのか。反社会勢力を野放しにしたままでいいのか。暴対法は機能していないのか。
私はスズメとタイマンすることになっても、試合の一時間前まで平気で寝ていられる。あんなもんに戦略は不要、蹴飛ばしゃ終わりである。しかしカラスとタイマンするとなれば、前日の夜からガタガタ震える。実家の母親にも電話をいれる。
明日、カラスとタイマンすることになったから……。ふるえる声で言うはずだ。感情のたかぶり如何では、生んでくれてありがとう的なことまで言いかねない。カラスきっかけで親子愛に覚醒。あの黒いチンピラにだけは勝てない。